第03話 凱歌―”The End”―
#3
「"決着を、つけよう……"破壊者"」
「グッ……!」
告げたはずもない、己が称号を語る響に、フェイスレスの包帯に覆われた表情が鋭く歪む。
推測するに、"補食"した"畏敬の赤"の粒子が、"共繋"を生じさせ、多くの情報を彼に注ぎ込んでいるのだろう。
全ての状況、フェイスレスを"進化"させる"畏敬の赤"さえ、響=ムラサメの有利に働いている。
まさに"危険因子"、"天敵種"。
――"救済者"。
「Kuah……ッ‼ 何故だ! 何故、我が"救済"を阻む!? 私には"聞こえる"……! "聞こえる"のだ……!」
耳を塞ぐように、邪爪で仮面を掻き毟り、フェイスレスは激情を、憤怒を吐き散らす。
――醜態であった。
"救済"を目的とする自分の前に、"救済者"として立ち塞がる"黄金"に、"信仰なき男"は確かに狼狽し、その心を乱していた。
「貴様の……! 貴様の心とて、私に懇願している……! 叫んでいる……! 早くこの地獄から自らを救えと! "解き放て"とな! そうでありながら貴様は…!」
何故、その魂を鎧装で覆い、苦難の中に繋ぎ止める……!
何故、この"負の連鎖のみが積み重なった"世界に、女々しい未練などを残すのだ……!?
技術も糞もない、憤怒に塗れた乱雑な攻撃が、響へと挑みかかり、響の操る輝醒剣と鎧装が真っ向から受け止める……!
大地を砕きながら激突する二人の稀人は、互いの仮面を衝突させ、破片を舞い散らせる程に、近距離で睨み合う。
「……識った風な口と、さっきお前は言っていたな」
「何……?」
ジリジリと鍔迫り合いながら、"煌輝"の碧色の眼差しと、フェイスレスの"畏敬の赤"に血走った眼光が絡み合う。
"護る者"と"壊す者"。
相容れね両者の魂が、交錯する――。
「……識らなかったさ。何も識らずにいた……ッ‼」
「ぬぅッ……!?」
黄金一閃……!
鞘から解き放たれた、輝醒剣の白銀の刀身が、フェイスレスの両腕の"剣"を紙のように裂いてみせる……!
連続して叩き込まれる正拳――牙状の突起"煌獣刃"が、"死邪骸装"の鎧装を砕き、その破片を舞い散らせていた。
「グッ……この重圧! この損傷! 貴様、人類の分際で、"獣王"に並ぶか……! 響=ムラサメ‼」
「……俺は、自分の目に映るものだけで手一杯で、彼女がどんなものを背負わされて、どんな痛みを抱えながら、此処まで辿り着いたのか……"識ってやろうとする"事すら出来ていなかった」
フェイスレスの血塊と恥辱に咽ぶ賞賛を、少女への懺悔で斬り捨て、響は鎧装に覆われた拳を軋ませる――。
「……だが、いま俺の中には、彼女の生命とともに、彼女の記憶・軌跡が刻まれている! 息づいている! この"赤"が、どれだけの"悲劇"を、"絶望"を産んだのかも理解している……」
――それこそが"赤"の禍根。彼の愛する者達を巻き込み、翻弄した因果の螺旋。
"守護者"の力を引き継ぎ、彼女の意志を託された自分が、断ち切るべきものだ。
「そんな因果はもう必要ない――! あの子が目を覚ました時、そこには穏やかで、温かな暮らしがあればいい。心を洗うような、美しい景色があればいいんだ」
響の脳裏に希望が溢れる。
あの日、放浪の果てに出逢った、輝く青い瞳。
仲間達。父と呼べる人――。
この街で己が出逢った希望の全てを、瞼の裏に映しながら響は断言する。
「その為なら俺は、"自分自身の救い"など捨てられる……!」
「ぬ、う……」
揺らがぬ響の意志を前に、"信仰なき男"はその身をグラつかせ、片膝を付く。
撃ち込まれた"黄金氣"――"生命のエネルギー"そのものが、"死邪骸装"の内部に満ちる"死の概念"を蝕み、深刻な損傷を生じさせていた。
(……我が"本来の鎧装"を召喚すれば、形勢は変えられる。だが……)
他者の幸福の為に、己の救済を放棄するという、憐れなる、畏るべき男。
このような男を前にして、その選択は、その選択は、"敗北"でしかない――!
「そう、私が求めるのは"終焉"という名の勝利ではない……! "創世"という名の"救済"だ……!」
「ま、不味い……! ムラサメ……!」
弾かれる引き金。
フェイスレスの掌に凝縮された"死の概念"が、筒状の物体を造り出し、その禍々しき"死"の気配に、麗句の喉が危機を叫ぶ。
そうだ。アレは、"獣王"を葬った――、
「黄金を閉ざせ……! ”我恒久を願い総てを殺す"……ッ‼」
「……!」
"黄金氣"を蹴散らすように、爆裂する"死"。
フェイスレスが"創世石"の"加護"を失った影響で、威力・規模は縮小されているが、響一人に照準を定めたそれは、心臓を一突きにする槍のように、猛然と黄金の鎧装を蝕んでいた。
猛々しく迫る"死"に侵され、"黄金氣"を剥がされた一部の鎧装が、錆色に染まり、明滅する――。
「フン……! "生物としての神"である"獣王"を葬る程の"死"だ! 貴様の"黄金氣"、"生命"を喰らい尽くすまで止まらんぞ……!」
「ぐっ……おおおおおッ‼」
「ぬっ……!?」
しかし、幾多の絶望と苦難の果てに誕生した、この"煌輝"に、対処する"術"が残されていない訳ではない――。
自らを蝕む"死"に、響は輝醒剣を逆手に持ち替え、左手の五指を虚空へと突き上げる。
「何の、足掻きを……ッ!?」
「此処に集い、闇を照らせ……! "千年王国に到る黄金の希望"……ッ‼」
「なっ………!」
奇跡が、結実する。
輝醒剣を包んでいた大剣状の鞘。
それを中心として、高濃度の"黄金氣"――それらが物質化した無数の"欠片"が、"亀甲"の如く結集し、強力な障壁となって"死"を圧し戻す……!
「うおおおおお……ッ‼」
「なっ……あっ……?」
それは障壁にして刃。
幾重にも折り重なった"黄金氣"が、十字を描き、"死"の嵐を蹂躙して、フェイスレスへと叩きつけられる……!
それは、大きな破壊力を伴う衝撃ではなかったが、圧倒的な"生命"が、黄金が、フェイスレスの"死"を飲み込み、その身体を後退させていた。
耐え難い"恥辱"と"敗北"が、"信仰なき男"の肩を震わせる――。
「この私に……この私に、"十字"をぶつけるか……ッ‼ 響=ムラサメェ……ッ‼」
「……アンタの軌跡は、朧気にしか見えない。だが」
脳裏に朧気に映る、その道筋に響は呟き、己が剣に言葉を重ねる。
「その旅路も、此処で終わる」
「ク……ク、ククク、フハハハハハハハハッ……!」
気の触れた、気の触れたような嗤いが、フェイスレスの喉を震わせていた。
嗚呼、斃す。
この男は、間違いなく"私を斃す"だろう。
確信が思考に満ちる。
嗚呼、まるで、悪魔が紡いだかのような酷い冗談だ。
"救済"へと到る"最善の因果"のみを集積させ、繋いだ"世界線"で、このような最悪の"想定外"が誕生するとは。
そして、"煌輝"は人類にとっての"福音"などではない。
あの"黄金"は、地獄の窯を抉じ開ける。全ての人類を奈落に落とす。
――"私が敗ける"という事は、そういう事だ。
「で、あるならば……」
"赤"き決断が、フェイスレスの虚無に満ちた両眼を見開かせる……!
「であるならば……私は今一度"罪過を背負おう"。響=ムラサメェッ……!」
「……!」
それは乾坤一擲の一打と言えた。
泥。
大地から噴き出した、黒々とした汚泥が、"煌輝"の黄金を飲み込み、その輝きを負の暗黒の中に捕らえていた。
それは、響の呻き声一つ外部に漏らさぬ、"封印"に等しい処置。勝利の見えぬ戦闘の中、フェイスレスが仕掛けた"罠"の一つであった。
「……それは私を構成する一部。人の悪意・慟哭・憤怒……"総ての悪"を凝縮した泥だ。尋常の者であれば、触れただけでも発狂は免れん。貴様の馬鹿げた異能を前にしても、足止め程度にはなろう――」
語るフェイスレスの体躯は、己の一部を"切り離した"影響か、一回り小さくなっているかのように感じられた。
……約30%のパワーダウン。手痛い出費だ。だが、
「"やり遂げる"には、充分に過ぎる……!!」
噴き出す"畏敬の赤"。
フェイスレスの邪爪が、自らの胸を貫き、荊に覆われた心臓の如き物体――"心核"を抉り出していた。
その鼓動が次第に早まり、大気中の"畏敬の赤"が渦を巻いて"心核"へと集中する。
"奇跡"が起こる。畏るべき"奇跡"が。
突然の"黄金"の消失に、麗句とシオンも言葉を喪失し、呆然と状況を見つめているように見える。
――そうだ、それでいい。
人類はただ祈り、待てばいい。
「賞賛するぞ、響=ムラサメ。お前は確かに私を凌駕した」
集積された人の悪意、人類の暗部そのものを煮詰めたかのような"黒泥"の中、確かに足掻く"黄金"を見据え、フェイスレスは屈辱に咽ぶような賛美を響かせる。
「だが、我が秘儀により、この世界線は"破棄"され、私は新たな世界線へと"転臨"する! "これまでと同じように"!」
フェイスレスの掌中にある"心核"は、神々しくも毒々しい"畏敬の赤"の粒子を吸収。薔薇の花蕾であるかのように、その外皮を開き、"奇跡"を解き放つ――。
「発動せよ‼ "血に染まり転臨する世界"! 総ての因果は逆流し、総ての生命と宿縁は、我が掌中で、時間の中を流転する! これこそが――!」
"世界"そのものに干渉する秘儀。罪過そのものと呼ぶべき禁断。
"畏敬の赤"の粒子を注がれた、荊に覆われた"心核"が、血濡れの蕾を開き、"奇跡"の薔薇を咲かせる……!
――だが、
「な、に……?」
"奇跡"は起きない。
"禁断"は世界を歪めない。
咲き誇らんとした"奇跡"の薔薇は、"予期せぬ衝撃"に散らされ、儚く消失していた。
(馬鹿、な……)
――あり得ない。
自らの胸は、鎧装ごと背部から貫かれ、無様に血塊を吐き散らしていた。
……驚愕に見開かれた両眼は、自らの背後に、信じ難い現実を視る。
【……虚を突かれた、か。"壊す者"よ……】
徐々に修復される口顎が、明瞭な人語で告げる。
完璧に葬ったはずのソレが。細胞片一つ残さず消滅させたはずの生命が。
"揮獣石"を核として立ち上がる――黒き"王"が告げる。
【……我が名を唱えよ、"信仰なき男"】
「神――」
返答は、蒼き焔に飲まれる。
蘇った"神"の口顎から放射された熱線が、フェイスレスの半身を撃ち貫き、消し炭に変えていた。
(まさ、か……)
幾つかの推測が、フェイスレスの脳裏に浮かび上がる。
そうだ。決着の前、苦し紛れに地底に潜った"王"の足掻きが、"己の細胞片を地中に秘匿する"ためであったとしたら。
"守護者"が発動させた障壁が、"人類"とその"細胞片"を護るためのものであったとしたら。
そして、響=ムラサメが大地に敷き詰めた"黄金氣"を、その"細胞片"が吸収し、爆発的に再生を開始。そのあげくに、"揮獣石"を再び取り込んだとすれば――この"奇跡"は成立する。
嗚呼……なんという事だ。かつて、己が告げた言葉通りに、
「……"死"を、超越するか、我が"同胞"……神璽羅"よ」
【…………】
"信仰なき男"の呼び掛けに、"神璽羅"は応えない。
左半身を喪いながらも、フェイスレスは斃れず踏みとどまり、"獣王"へと再び"死"を見舞うべく、"死の概念"の凝縮を再開させる――。
再度の"決着"の為に。"救済"を阻む、調停者との因縁を清算する為に。
だが、
【……多くを託され、多くを背負う"分不相応の黄金"よ】
「……!」
その"死"は、もはや"神璽羅"の興味を惹く事すら出来なかった。
"王"の視界に、既にフェイスレスという"難敵"は映されていない――。
"王"の眼差しが捉えるのは、人類という黒泥の中でもがく、微かな輝き。
一人の青年が託され、担う"黄金"である。
【……その輝きを我に示せ、"喰らう者"――否、"護る者"よッ……!】
「なっ……‼」
((ウオオオオオオオオッ……!!))
希望が、立つ。
猛々しい咆哮が響き、鮮やかに閃いた"黄金"が黒泥を斬り裂く……!
雨のように降り注ぐ黒泥の中、眩き希望が、暗黒を煌々と照らす太陽の如く輝いていた。
「響……ムラサメ……」
畏敬に震える声が、名を紡ぐ。
真っ直ぐな碧色の眼差しが、フェイスレスを射抜き、その鎧装に覆われた腕が"輝醒剣"を力強く構えていた。
彼の希望の名は"煌輝"。
再起動した、その黄金の騎士は、何一つ穢れる事なく、その無垢なる輝きをフェイスレスの虚無に満ちた両眼に突き立てていた。
「馬鹿な……馬鹿なッ! 黒泥は、"私に集積された"人類が抱える"悪意"の総て! 醜く爛れた"暗部"そのものだ! ソレに飲まれておきながら、こうも容易く……!?」
「……確かに多くのおぞましいものを見た。多くの悪意をこの身に刻まれた」
黒泥は確かに、響の脳裏に様々な情景を注ぎ込んだ。
反吐を込み上げさせるような醜悪なる下劣。
憤怒に身を灼くような理不尽。
――踏み躙られる祈り。
どれも人類に絶望して余りある情景だった。
だが、
「だが――あんな現実は、俺が見る"希望"の陰に過ぎないッ……!」
「……!」
自らの軌跡を、出逢った多くの光を誇りとして、響は躊躇いなく断言する。
いま彼を突き動かすのは倫理という理屈ではない。
どうしようもない暗闇を抱えながらも、心に光を宿す人間の誇り――人と人の想いが繋ぎ、紡いできた生命の歌が、黄金の鎧装を、響を突き動かしていた。
人を想い、心を繋ぎ、奏でる生命の凱歌。
例え、対峙する相手が"神"であったとしても、その黄金を、穢す事など出来はしない――。
「断て……」
その気高き輝きに、麗句は熱い胸から声を絞り出す。
そうだ。この暗闇を! 悲劇を!
「断て……ッ! ムラサメ――ッ!」
「うおおおおお……ッ!!」
発火する黄金の意志。
"輝獣刃"に差し入れられた"輝醒剣"が引き抜かれると同時に、"煌輝"の左腕部は、碧色の焔を纏い、最大の一撃の発動を予告する……!
(憐れなる人類よ……)
咆哮が響き、炸裂する"黄金"。
力強く大地を蹴った黄金が、身を躱す余力すら失ったフェイスレスの胸部を、全霊の拳で穿ち、抉る――。
"死邪骸装"の鎧装は千々に砕かれ、衝撃にフェイスレスの長躯は、天高く舞い上がっていた。
(そうだ……どれ程の絶望も、哀切も、人類達の足を止める要因とはならない……)
どんな苦難を前としても、お前達は歩む事を止めない。
可能性という名の無限地獄の中、成長・発展という円環にその魂を囚われ続ける。
宙へと弾き飛ばされ、もはや指一つ動かせぬ"敗北"の中、フェイスレスは、自らへと飛翔する黄金に、目を細める。
"救い"の手をはね除け、自らの力で翔ぶその輝きは、腹立たしいが――美しい。
(響=ムラサメよ――)
憐れみの血涙をその両眼から滴らせ、フェイスレスは呟く。
(だからこそ……お前達は"私に勝つべきではなかった")
――"決着"。
"輝醒剣"。
"畏敬の赤"の異能そのものを断つ白銀の刃。
それがフェイスレスの長躯を横一文字に斬り裂き、無限に再生を繰り返した"死を許されぬ躯"に、"終止符"を刻む。
(人類に……幸あれ)
最期の言葉は、呪いではなく願いであった。
毒々しい黒泥と、神々しく輝く光の羽根を舞い散らせながら、落下する長躯はやがて塩の塊となって、虚空の中の塵と化す。
"人類"は勝利した。
――そして、世界の終焉はこうして始まった。
NEXT⇒第04話 歪みと軋みー"paradise lost"ー