第32話 君の声―”BEAMS”―
#32
(……人よ示せ。その心の黄金を……)
シオンと麗句により、"信仰なき男"への迎撃が開始された刹那。
自らを構成する"黄金氣"の大半を消費し、輪郭すら不確かな状態にある"守護者"の眼差しが、我羅との死闘を続ける響の姿を捉えていた。
(……我が身に残された時間も、そう長くはない、か……)
元々、幻のようなこの身。いつ消滅してもおかしくはない。
こうして"自己"を保持出来ている事自体が、"奇蹟"に近いのだ。
地球から持ち込まれた自らの器"玄武"の細胞核に、僅かに染み付いていた"黄金氣"。
それは、この惑星で復活を果たした"神璽羅"の血肉に取り込まれながら、数十年をかけて体内で培養され、ようやく"守護者"が自らの意識と存在を保てる濃度にまで達した。
……それが"神璽羅"の意志による結果であったのか、ただの偶然であったのか、確かめる術は既にない。
最も――確かめたところで、彼は語りはしないだろう。
だからこそ、彼が確かに繋いだものを、明日という"黄金"へと繋げてみせよう。生い茂らせてみせよう。そして、人類が紡ぐ未来にいま一度、この惑星を信託しよう。
その、"黄金"を託せる人間はいま、唯一人しかいない。
その意志を定めた"守護者"が翳した掌から、多量の"黄金氣"が流れ出す――。
「……おいおい、ただの甘ちゃんかと思ったが、テメぇ、トコトン"イカれて"んな」
その"黄金氣"の流れ行く先。
死臭漂う戦場。
蠍の白骨を張り付けたかのような、機械的な仮面から、我羅の渇いた声音が響く。
「"そこまで"して、そのお嬢さんを喰いたくないってのか……。まぁ、そんな様見せられちゃあ、認めねぇわけにはいかねぇなぁ……」
"それも信念だってなぁ……"。
我羅の言葉が示す通り、響の状態は、"凄絶"の一言に尽きた。
「響……さん……」
「ぐ……う……」
凶相の仮面の下から、"シューシュー"と、苦悶に満ちた響の呼吸が漏れ零れる。
群青色の鎧装に覆われた四肢は、槍の如き触手によって串刺しにされ、赤々とした人間の血を滴らせていた。
起きた事態の根幹は単純だ。
"天敵種"の本能で、ガブリエルを補食せんとした自らの鎧装を、響の人間としての理性が制したのだ。
響の理性が、新たに背部に生成した、槍の如き触手。
響はその楔で己が四肢を貫き、大地に縫い付ける事で"暴走"を制したのだ。
言葉にすれば単純だが、実に狂気じみた、被虐的なまでの行為である。
同時に、それは響の心の頑なさを示す行為でもあった。
彼は、絶対にガブリエルを犠牲にしない。
"出来ない"のではない。"しない"のだ。
響の心は、ガブリエルを犠牲にして、前に進む事を、己の命を繋ぐ事を、頑なに拒絶していた。
その様を見据えた我羅は、気怠そうに首の骨を鳴らし、渇いた声音を吐き捨てる。
「……手前の欲で他のモンを蹴散らし、食い散らかすのが人間ってクソ袋だ。となると、手前はいよいよ――」
他者の為に己自身を封じ、"献身"に徹する響へと、我羅はその黒鎧に覆われた掌を翳す。
「人間じゃねぇなぁ……!」
「……!」
翳された掌の黒鎧が展開し、そこに設えられた穴から噴き出した紫煙が、響の視界を塞ぐ。
(毒……か……!)
命を蝕む"猛毒"を察した響は触手を操作し、ガブリエルを紫煙の範囲外へと弾き飛ばす。
極限まで"壊音"に満たされた"天敵種"の肉体が、毒素に屈する事はない。だが、毒素による強い酩酊感が響の視界を歪ませ、脚を震わせる――。
「イィィィィィィヤォッ!!!!」
「……!」
そして、我羅という男に、遠慮も容赦もない。
首をもぎ取るような衝撃が、間髪入れずに、響の頭蓋を揺らしていた。
"暴魔生贄"と名付けられた、その猛毒を帯びた渾身の飛び膝蹴りは、我羅が得意とする殺人技の一つである。
それも"気に入った"獲物にしか使用しない"とっておき"だ。
それを喰らいながら、まだ息のある響に、我羅は満足げに嗤い、紫煙を帯びた五指を躍動させる。
「ハッ……! 流石の怪物っぷりだ。心臓を潰されても、首を刎ねられても、その意地を張れるか――見せてみやがれッ‼」
だが、
「舐めるな……!」
「……!」
稲光の如く衝突音が鳴り響く……!
首を刎ね、心臓を抉りとるかのような殺意溢れる、我羅の五指を、群青の鎧装に覆われた拳が受け止めていた。
その拳の主たる響の真紅の瞳が、凶相の仮面の下で、真っ直ぐ我羅を見据えていた。
「……知らないんだな、人間の事を」
「アぁん……?」
響の言葉に、我羅の眉間の皺が怪訝に歪む。
「俺も……そうだった。人間は、この世界は、互いを食い潰す事しか知らない……醜く、味気ないものだと、勝手に思い込んでいた」
語る響の瞳に、脳裏に、この街に辿り着くまでの彷徨の日々が蘇る。それは、苦難に満ちた、渇いた日々の記憶である。
「だが……俺は、この街で、爺さんに、アイツに、アルに、仲間達に、そうじゃないって事を教わった。此処で、醜いものを美しいものに変えるために、健やかに生きている人達がいると、知る事が出来た」
あの日、長が差し伸べた、分厚い手のひら。自分に寄り添う彼女の笑顔。アルの無垢な信頼。それらは総て、渇いた日々の記憶を豊穣の幸福へと塗り替える、自分には過ぎた"希望"だった。どんな宝にも勝る"黄金"だった。
「……それはきっと、あの子も同じだ。あの子の目は、"与えられたものに報いようとする"――俺達と同じ目だ。明日でなく、与えられた恩義だけを見ている、そんな目だ」
理解できる感情だった。
響達にも、"父同然に慕った長への恩義"の為だけに命を燃やした瞬間があった。
あの銀鴉相手に、捨て身で向かい合い、己の命を省みなかった自分達の目と、彼女の目は似ていた。
「……あの子も、アイツやアルに出会って、温かな景色を、醜いだけじゃない世界を知ったんだろう。……自分の命を投げ出しても構わないと思う程に」
そして、恐らくそれだけではない。
もっと大きな重荷を彼女は背負わされている。
自分の命を代価にしなければならない程の、切迫した"感情"を。
「だから……俺は、あの子にその先を見せてやりたい。俺達が知る事が出来た、この世界の美しさを――もっと知ってもらいたい。俺達が得る事が出来た幸福を、あの子にも与えてやりたい」
それを知らずに命を散らすには、彼女はあまりに小さく幼い。
そんな彼女を、喰らう事など、犠牲にする事など、出来るはずがない。
むしろ、その命を、その命の先にある幸福を護り、繋ぐ事が、父と呼べる長から受け取った、自分の生き方だと思えた。
だから――、
「……悪いな。手前勝手でも、一人よがりでも、俺はそんな生き方しか出来ない。アンタの期待にはそぐわないだろうが」
「ヌゥ……!?」
響の拳が、我羅の剛力を殺気ごと押し戻し、その口舌が啖呵を切る。
「……それが、俺の考える人間の生き方だ」
「響……さん……」
響の決断を受け止めたガブリエルの瞳から大粒の涙が零れ落ちていた。
嗚呼、この人は、自分の命すら潰えようとするこの瞬間に、此処まで他者の命に、その幸福に想いを馳せる事が出来るのか。
あまりに優しく――強い黄金の精神。
それを宿し、滲ませる背中は、覚悟を決めた心が甘え、溺れてしまいそうな程に、どこまでも大きく、力強かった。
「ハァ……成程、どこまでも噛み合わねぇ。だが、だからこそ、粉々に噛み砕きたくなる……獲物としては逸材だぜ、お前」
我羅の声は僅かに弾んでいた。どこまでも他者を優先する愚か者に、己の信条を譲らぬ頑固者に、我羅の戦意は昂ぶり、首輪に接続された“鎮静剤”の残量を著しく減らしていた。
“天敵種”の群青に覆われながらも、飽くまで人間である事を棄てず、挑みかかってくる馬鹿者に、我羅は狂暴な歯牙を剥き出しにして、歩を踏み出す。
(私は――)
刻々と進む状況。バクバクと緊張に高鳴る心臓に、ガブリエルは自分自身に問い掛ける。
どうすれば、彼の――響さんの想いに応えられる。
あそこまで、自分の命を、幸福を想ってくれた人に、自分は何が出来る。
私の、意志は……!
「終いだ、“天敵種”――いや、“人間という名の怪物”! 少しばかり上等なクソ袋よ!」
我羅の黒鎧から“畏敬の赤”の粒子が噴出し、爆発的に膨れ上がった殺意が一直線に、響へと突撃する。
――疑う余地もなく、確実に“決着”をもたらす一撃である。
だが、
「ああ……うああああああああああああッ!」
「……あん?」
予期せぬ“衝撃”が、響の、我羅の思考を打ち砕いていた。
響き渡る、凛とした叫びとともに、予想外の状況が、我羅の殺意を霧散させ、響の頬を殴り飛ばしていた。
(なっ……!?)
揺れる頭蓋と、湧き上がる動揺に彷徨う視点を即座に矯正し、向き合った現実は、陶器のような煌めきを宿す碧色の髪と瞳を持つ、少女の姿をしていた。
――そうだ。響の頬を殴り飛ばし、泥の上に片膝を付かせたのは、紛れもなくガブリエルの、響が護らんとしている少女の拳だった。
「ガブリ……エル?」
「……響さん、ありがとうございます。こんな状況なのに、私の事を――私自身の幸福を考えてくれて。それだけで、私はこの場にいる事を神に感謝出来ます」
少女の瞳には感謝の涙が、微笑みがあった。
そして、語るガブリエルの白い肌に、“畏敬の赤”に似た朱を循環させる血管が浮き立ち、その背には、碧色の四枚の翼が顕現していた。
響の頬を撃ち抜いた拳は、赤く腫れ上がってこそいたが、そこに雷光のように絡みつくエネルギーは決して弱々しいものではなかった。
(ほう……)
その様を舐め回すように眺めると、我羅は状況を静観するように両腕を組む。
全く――コイツ等は俺を飽きさせない。
機械的な仮面の下から、凶暴な舌舐めずりが響き渡る。
「けど……響さんは一つ、勘違いをしています。この姿が示すように、私は、本質的には“兵器”です。“創世石”の欠片から造り上げられた“複製品“。ただ……護られるだけの存在ではありません」
「違う……! そんな事は関係ない……! 俺は君に……!」
響の言葉に、ガブリエルは頷き、微笑む。
響の想いを受け止めるように。噛みしめるように。
ガブリエルの表情、言葉の一つ一つに決意が、凛とした意志が満ち満ちていた。
心からの感謝がその笑みと涙に満ちていた。
「……ありがとう。響さんのその気持ち、響さんが自分の生命以上に想ってくれたこの命――無駄にはしません」
告げられるは、彼女の決断。
彼女の、想い。
「私は生きます……! 響さんの捕食を受けても、耐えてみせます……! 私の命は、響さんを救い、生き抜き、必ずアルを、日常に戻してみせます……!」
「なっ……」
「……それが、私の生き方、私の戦いです」
絶句する響を、揺らがぬ意志を宿した、ガブリエルの凛とした眼差しが射抜く。
彼女の背部の四枚の翼が羽搏き、彼女の内に秘められていたエネルギーを放出する。それは確かな圧となって、響の全身を覆う群青色の鎧装に絡みつく……!
それが、己の命を度外視してまで、自分の幸福を願う響への解答。
譲る事の出来ぬ、彼女の決断であった。
(お前は彼女を護ろうとしながら、その実……彼女の気持ちを踏み躙っている)
ガブリエルと向き合う響の脳裏に、あの“黄金氣”の子供――“守護者”に告げられた言葉が蘇る。
「“護る”とは、庇護する事だけを意味する言葉ではない、か……」
周囲を流れる“黄金氣”の粒子に導かれるように、響の口舌が“守護者”の残した言葉をなぞる。
その意志と意味を、噛み締めるように。
(俺は、どうすれば――)
旨そうな芳香を発する獲物に、ザワザワと騒ぎ始める群青色の鎧装を抑制しながら、響は苦悩に表情を歪ませる。
そして――、
【……! 響……える……!?】
「……!」
――幻聴か?
不意に、意識を叩いた声に、響の思考が途絶える。
この場では聴こえるはずのない声。だが、最も聴きたかった声。
この状況で、そんな事が、そんな事があるはずがない。
だが、現実に、その声が脳裏に響いた動揺が、響の瞳を天へと向けさせていた。
「これは――」
そして、その声は響だけに届いたものではなかった。
シオンとともに、フェイスレスを迎撃する麗句もまた、その声に攻撃の手を止め、天を仰いでいた。
間違いない。この声は――、
【ねぇ、響……! みんな、聴こえる……!?】
「サファ、イア……?」
……聞き間違えるはずがない。
天から響き、閃光のように意識を撃ち抜いた声に、響の唇が、彼女の名を呟いていた。
――死闘の最中にある戦場に、また一つ、想いが重ねられる。
現実から遠く隔絶された“深淵”から、彼女の――サファイア・モルゲンの声は、確かに届き、響き渡っていた。
NEXT⇒第33話 君の名を叫ぶ―”Trigger”―