第29話 神爾羅―”aragami"―
♯29
※※※
――西暦2154年、南極。
人類と“王”の最終闘争は、この広大な凍土の上で行われた。
人類の最終兵器であった、超攻撃型機動要塞『FORTRESS:MG-“ASUKA”』も、百年に渡り、人類と闘争を繰り広げ、地球の全生命の頂点に立ち続けた“王”――“ ”を斃す事は叶わず、その動力源であった地球最大規模の“原子力”を、醜悪なまでに巨大なキノコ雲とともに爆発させ、海の藻屑へと消えた。
最終闘争を勝利した“王”の咆哮が、氷塊を揺らし、砕きながら、地球全体に轟く――。
だが、人類の総力を完膚なきまでに叩き潰した“王”もまた、全身に負った損壊に“再生”が追い付かぬ程に疲弊し、140mを超える巨躯を力なく、冷たく、昏い、南極の海中へと落下させていた。
――落ちていく。
深い、深い海の底へ。
広大な闇と静寂だけが支配する母なる海の中で、白濁とした“王”の目が虚ろに眺めるものは何か、その巨躯が抱く感情は何か。
他の生命に、推し量る余地はない。
“神”と呼ぶに値する強靭な生命を。数万年の時を独り生きてきた孤高を。
誰にも理解する事は出来ない。
“王”は“王”であるが故に絶対であり、孤独であった。
そして――、
(“王”よ……もう十分だ)
一人の“小さき者”が、海の底で“王”を待っていた。
強烈な水圧が巨躯を軋ませ始めた深海で、その潜水服を纏った老人は、涙で頬を濡らしながら、“王”の来訪を待っていた。
深い哀しみを湛えた眼が、理解を求めず、理解を必要としない“王”の白濁とした巨眼を見据えていた。
(私と、共に眠ろう――)
老人が手にしていた筒状の物体を掲げ、その内部に秘められたものを解放した瞬間、“王”は理解した。
これが永き生の“終焉”。
この老人こそが、自分が最後に対峙する、最大の――、
※※※
【—————————————ッ!】
響く轟音と咆哮。
――”天地砕く焔煉獄に詠え"の第二射は結果的に”失敗”に終わった。
黒鎧に与えられた過剰な負荷と熱暴走を抑えるべく、全力で稼働していた背部の冷却ファンが停止。行き場を失くしたエネルギーが"神幻金属"を融かし、爆裂させていた。
星そのものを砕くような威力を持ち、黒鎧の主である”獣王”の肉体に、極限の”冷却”を強いる”最後の切り札”は、やはり何度も連射できるような代物ではなかった。
第一射を凌がれてしまった時点で、趨勢はある程度、決したと言える――。
「……無駄な足掻きだ、”王”よ。この勝負の結末は既に見えた……」
【……ヌ……ゥ……】
不遜な、冷徹な声が、”王”の耳朶を撫で、声の主たるフェイスレスの脚が、火花を散らし、各部を爆裂させながら、崩れ落ちる”機械仕掛けの覇竜”へと無遠慮に踏み出される。
「充填されていた、過剰なまでの”畏敬の赤”の粒子が、鎧装内で暴走。鎧装内の機能・情報を大幅に書き換え――”腐食”させている。いかに卿の”機械仕掛けの覇竜”と言えども、その様では”触れれば崩れる砂城”に等しい……」
【…………】
太い弦を革手袋で擦ったかのような、”王”の唸りが口蓋を鳴らすが、事実上、機能を停止し、木偶となったに等しい”機械仕掛けの覇竜”の巨体は、僅かに身を揺らしたのみで、次なる戦闘行動に移行する事はなかった。
その醜態を憐れむように、フェイスレスは僅かに目を伏せ、手を翳す。
「その有様では、もはや”幻想”にすら打ち克てぬ――」
――”幻想召還”。
フェイスレスの鎧装に覆われた指が鳴らされると同時に、”獣王”の足元に水面が顕現。その水面から這い出した無数の触手が、”王”の巨躯を絡め取り、機能不全を起こした黒鎧を破壊、容赦なく引き剥がしていく――。
”機械仕掛けの覇竜”のシルエットは完全に崩れ去り、僅かに残された最低限の鎧装の隙間から、過剰な負荷に、赤熱化した”獣王”の皮膚が覗き、露わとなっていた。
そして、あらかたの鎧装を剥がし終えた触手達が、疲弊した”王”の巨躯へと轟然と絡み付き、大樹の如き四肢を引き千切らんと、凄まじい力で引き絞る――。
だが、
【……”甲殻纏う雷”よ……】
「むぅ……?」
”奇蹟”は起こる。
フェイスレスの虚無に満ちた瞳に感嘆の色が浮かび、触手を操作していた彼の指先が、まるで”見惚れた”ように、その動きを鈍らせる。
絶体絶命と思われた刹那、甲虫の如き黒い外骨格が、疲弊し赤熱化した”獣王”の生身を覆い、その甲殻に埋め込まれた球のような器官から発生した”雷撃”が、触手を焼き払い、瞬く間に灰塵へと変貌させていた。
そして、”獣王”の巨躯を覆う外骨格は顔面にまで到達し、凶悪な毒虫の顔面を想起させる、生物的な仮面を形成する――。
【……”地底を制する者”よ……】
「その異能……! 足掻くか、”獣王”……!」
感嘆と驚愕に、フェイスレスが目を細めた刹那、”獣王”が生物的な仮面の額に顕現させた角が橙色に発光し、大地を粉砕……! 大量の土砂と粉塵を巻き上げながら、”王”の巨躯を地底へと潜らせる――。
「……そうだ。これこそが”死した惑星の怪獣王”としての卿の異能。かつて、地球に君臨し、人類を、文明を蹂躙した荒神――”カイジュウ”の力……!」
地の底から轟く、己に向けた”殺気”を感知しながら、フェイスレスは打字されたが如き無機質な音声を、内から湧き出でる”昂揚”に歪ませていた。
雑音に歪んだ、狂ったような嗤いが、フェイスレスの喉に埋め込まれた発声装置を震わせ、彼の全身を覆う”死邪骸装”が死の概念を噴き出させる。
そして、
「……残念ながら、今の私には”届かない”力だ」
【—————————————ッ!】
咆哮に、無情が応える。
轟然と土砂を巻き上げながら、”王”の巨躯が背後から襲い掛かっても、フェイスレスにはまるで動じた様子がなかった。
”死邪骸装”の細腕が、”獣王の攻撃の尽くを捌き、溜息とともに放たれた回し蹴りが、”王”の巨躯をゴム毬のように跳ね飛ばしていた。
――”獣王”の力は明らかに疲弊し、”弱体化”していた。
その身に"秘められた異能"を駆使しなければならぬ程に。
”自分”以外の遺伝子を胎内から取り出し、利用しなければならぬ程に。
「……文明を蹂躙した”荒神”達ですらも、地球を死に至らしめる要因とは成り得なかった。――いや、むしろ、地球という生命の権化たる”カイジュウ”達が、”人類”を滅ぼせなかった事が、地球が死の惑星と化した、唯一にして最大の要因であったのかもしれない……」
ついに、地に膝をついた”獣王”を見下ろし、”信仰なき男”は”生物としての神”足る同胞へと告げる。
「そうは思わないか、”死した惑星の怪獣王”――”神璽羅”よ」
【……………】
告げられた”真名”に、”獣王”の喉から太い弦を革手袋で擦ったかのような、独特の唸り声が響く――。
黒の外骨格はグズグズに崩れ、顔面を覆っていた生物的な仮面も既に剥がれ、朽ちていた。
”神璽羅”。
その名に対し、肯定も、否定もなく、立ち上がった”王”の巨躯は、戦闘意志が潰えていない事を示すように、疲弊し、赤熱化した巨体を重々しく一歩、踏み出させる。
残っていた鎧装を弾き飛ばして顕現した巨尾が、”王”の激情を示すように、荒々しく大地へと叩き付けられていた。
「……業深き人類が、この惑星に持ち込んだ、滅びし荒神――”カイジュウ”の細胞核。それが”畏敬の赤”と結び付き、卿という”生物としての神”を再醒――復活させた。あらゆる”カイジュウ”の遺伝子を統合し、支配する更に強大な存在として、な」
【………………】
それはおぞましき、そして、畏るべき真実。
いつかの晩餐の夜に、麗句の脳裏に映し出された映像――廃棄された移民船に残されたカプセルから這い出した”何か”が、”畏敬の赤”の光を放つ石を飲み込む、その光景は、”神璽羅”の、”カイジュウ”達の細胞核が、”揮獣石”を取り込み、我が物とする瞬間の映像だったのだろう。
「……業深い、全く持って救い難い人類という種。それを最も理解する卿の遺伝子が、人類を”救済”せんとする私を阻もうとするとは――それも惑星の生態系を司る”揮獣石”の役割を、”調停者”としての立場を卿が尊重している為か、あるいは卿自身の意志か……興味はつきないが、もう遊興に使える時間は過ぎている」
墜ちた神に祈るように”信仰なき男”が翳した掌が、明らかに”場の空気”を豹変させていた。
大きく拡げられた“死邪骸装”の掌から、固形化したかのような濃度の“死の概念“が噴き出し、何かを形作らんと蠢き、凝固し始める――。
「……私が”本来の鎧装”ではなく、この”死邪骸装”を選択したのには、明確な”理由”がある。この”死邪骸装”が持つ”真価”は、卓越した戦闘能力などではなく、”対峙した者の『死』を暴き出す”異能――」
刹那、”獣王”が大口から吐き出した熱線が、”死邪骸装”を直撃するも、”畏敬の赤”を帯びないそれは、”創世石”の加護を得ているフェイスレスには、通じない――。
微塵も動じる事なく、フェイスレスの両掌は天へと向けられ、その掌と掌の狭間で蠢く”死の概念”が、次第に”筒状の物体”へとその形状を整え始める。
「……そして、この永き戦闘の中、卿の『死』を探る砂時計は既に全ての砂を落とした。”死邪骸装”の中に蓄えられ、堆積し、練り上げられた”死の概念”は、既に卿の『死』を形成し、自らの射程に捉えている――」
”信仰なき男"の瞳が、僅かな哀切を湛えて、”獣王”を、”神璽羅”を見据える。
「”生物としての神”の……落日の時だ」
完成した”獣王”の『死』の概念を、ただならぬ気配を帯びた"筒状の物体"をその腕に抱き、フェイスレスは、”獣王”へとその不遜なる脚を踏み出さんとしていた。
……フェイスレスが抱える、その"筒状の物体"は、"獣王"にとって、確かに見覚えがある、"忘れ難い"もの。
紛れもない、"自らの『死』そのもの"であった。
そして、
(……待つがいい、”救済の怪物”よ)
「……!」
脚を踏み出したフェイスレスの前に、多量の黄金の粒子――”黄金氣”が立ち塞がり、少年とも少女ともとれる子供の御姿を作り出していた。
白と赤を基調とした、巫女服の如き装束と、可憐な面差しには不似合いな、両頬の鱗。
そのような容姿を持つ、”黄金氣の子供”の険しく、厳かな眼差しが、フェイスレスの進行を阻み、牽制していた。
「……”守護者”か。すまないが、この局面において、お前の出番はない。その介入が、大きく私を助けたのも事実だがな――」
(…………)
”獣王”の切り札であった星砕く光から、惑星を、この場にある生命を護らんとした”黄金氣”の結界――それが、僅かながらフェイスレスのダメージを減らし、彼の生存の結果を、世界線を、残す事となった。
果たしてそれは、結界の主たる”黄金氣の子供”――”守護者”にとって予期せぬ結果であったのか。あるいは、それすら想定したものであったのか。
”守護者”は、フェイスレスの挑発を意に介する事もなく、印を結ぶように、自らの指と指を絡ませていた。
”獣王”と代わり、フェイスレスと戦う事を、”守護者”は既に決断していた。
だが、
【……下がるがいい、”旧き宿敵”よ……】
(……! ”王”……)
”獣王”の明瞭な人語が、”守護者”を諫め、疲弊し切った巨躯が、轟音とともに、その巨木の如き脚を踏み出していた。
”獣王”の腹部に埋め込まれた、勾玉の如き水晶体が、いまにも崩れ落ちそうな”王”の巨躯を支えるように、眩く輝く――。
【――『鎧醒』――】
「ほう……」
王の口が再び、その言霊を唱え、”巨神”の黒鎧を纏っていた。
”創世石”の加護に護られたフェイスレスを斃すために、あえて。
自らの誇りたる”カイジュウ”の力ではなく、”畏敬の赤”を選択した”王”の最善に、フェイスレスはその口の端を歪めていた。
彼は、その最善に応える。自らが抱く、禍々しき”死の概念”によって。
そう。
これが、”獣王”にとっての、最後の闘いになるのかもしれない――。
NEXT⇒第30話 神璽羅―”requiem”―