第28話 刹羅―”Sera”―
#28
星砕く光が大地を抉り、天を焦がし、虚空へと突き抜けて数分――。
生き延びた響を襲う”危機”に、終りなどなかった。
(煮え切らない男だねぇ……いい加減、痺れがキレちまうよ)
「ぐ……ッ!?」
己の首筋に絡み付き、締め上げる、粉塵の中から飛び出して来た無数の触手から、触手の”持ち主”の苛立ちが、恍惚が流れこんでくる。
響の異形化した五指が、触手を振り解くべく、その剃刀の如き爪を突き立てるが、触手の中を脈々と流れる強酸性の”毒液”が、群青色の体表を焼き、焦がす。
(女の……声?)
粉塵の中から轟き、自らを嘲り、罵倒する声は、明らかに響の識る声ではなかった。
先程の、”黄金氣の子供”の声とも違う。
……”気配”は、我羅・SSのものと寸分違わぬものだ。
だが、違う。違うのだ。”魂の匂い”のようなものが、我羅とは異なっているように感じる。
「響さん……ッ!」
「ぐ……!?」
危機を知らせるガブリエルの必死の叫びとともに、土煙の中から飛び出した腕が、響の喉笛を掴み、持ち上げる――。
視覚に映るのは、毒々しい黒の斑点をところどころに浮かべた紫紺の鎧装。
やはり、先程までの我羅の鎧装ではない。
「やれやれ……兄貴が珍しく入れ込んでるから、どんな色男かと”出てきて”みれば……ただのシャバ僧じゃないか」
「な、何……?」
完全に視界に入ったそれは、確かに先程まで響が死闘を演じていた我羅の鎧装、肉体を素体としていた。
だが、その攻撃性・鎧装の性質は全く異なる方向に再構築されていた。
(これ、は……)
……”死と戯れる毒蠍”の鎧装の一部が変形し、その上に紫紺の鎧装が覆い被さるように結合される事で、新たな形態が完成・顕現している。
そして、聞き覚えのない”女の声”は、この紫紺の鎧装に組み込まれた声帯から響き渡っているようだった。
「お初にお目にかかるねぇ、私は我羅・SSの妹――”毒蛇”、刹羅・SS。兄貴と共に生き、共に愉しみ、共に死ぬ魂の分身さね……!」
「ぐっ……!?」
その刹那、響の首を掴む、刹羅の拳部鎧装が展開と同時に爆裂し、弾けた強酸性の毒液と爆薬が、響の喉を焼き、その身体を弾き飛ばす。
負った損傷に、体内の”壊音”が騒ぎ出し、修復を開始するが、極度の眩暈が、酩酊感が、響の脚をふらつかせる。
……原因は、おびただしい量の”毒物”の摂取。
恐らく、あの紫紺の鎧装は、ありとあらゆる"毒素の塊"。並みの人間であれば、触れただけで命を枯らすであろう"猛毒"だ。
その毒の塊が、紫紺のその鎧装を、標的……”損傷の修復”と”毒素の分解”に体力が追い付かず、地面に這いつくばる響へと向かわせる。
「……感謝しな。どうやら兄貴は、”アンタの闘う理由”、"アンタと闘う理由"が消えないように、”赤い柱”の面倒を見てくれたみたいだぜ……? あの”獣王”のおっさんの本気から、何もせずに生き延びられるはずがないからねぇ……」
「なん……だと……」
その予期せぬ言葉に、響が刹羅の、我羅の肉体を凝視すると、その黒鎧と紫紺の追加鎧装からは夥しい量の鮮血が流れ落ちていてた。
確かに、あの星そのものを砕くような熱線の中で、”何もせずに無事でいられる”訳はないが――、
「……アンタには義務がある。兄貴の心意気に応え、兄貴に相応しい”化け物”になる義務がねぇ。兄貴の意識が戻るまで……私が遊んであげるよ」
「なっ……」
刹羅が大きく両腕を拡げると同時に、黒鎧が纏う紫紺の鎧装……”死を蹂躙する毒蛇”の背部から、先程まで響の身体を絡め取っていた触手が再び射出され、その鎌首を蠢かせる。
”毒蛇飼い殺す毒婦”。
そう呼称される背部の”毒液生成器官”と直結し、刹羅の思考と連動する、その触手の群れは、それぞれが毒蛇を模した形状を持ち、強い刺激臭を伴う毒液を滴らせながら、響へと迫っていた。
「何故だ……? 何故、そこまでして、俺にこだわる……!? ただ……戦う為だけに、それだけの為にそこまでするのか……!?」
「ん~、ある意味では、”過去の因縁”とも言えるかねぇ――。”アンタが出来てない”事を、兄貴はやり遂げて生き残った。だからこそ、アンタは獲物として興味深い、遊び相手として"放って置けない"相手なんだろうさ」
”俺の……出来ていない事?”
思考の中で反芻した響を、紫紺の鎧装が蹴り飛ばす。
損傷はないが、肉体の制御が効かず、防御の姿勢を思うように取れなかった響の身体は、不格好に地に転がり、砂塵を巻き上げていた。
……動きが、鈍くなっている。
異形化した響の群青色の鎧装・肉体は、以前とは比較にならない強靭さを秘めていたが、同時に、それを操る響の"人間としての意識・認識"ともより乖離し、制御不能の状態にあった。
それは、初めて『鎧醒』した際のサファイアと同じ状態と言える。
極度に人知を越えた異能は、本来、人間の意識に操れるものではないのだ。
「……弱いねぇ。自分の命さえも突っ張れない。そんな欲の弱さでアンタはいったい、どうしようって言うんだい!? 何に成ろうって言うんだい!?」
「グッ……オオオオオオオオオオオオオッ!」
刹羅の激情に呼応し、まるで大蛇の如き獰猛さで己に襲い来る触手の群れを、”本能”で迎え撃つかのように、群青色の鎧装が跳ね飛ぶ。
制御出来ぬ勢いのまま、刹羅と切り結んだ響は、その鎧装の一部を触手に喰い千切られ、毒素を流し込まれながらも、その腕の肥大化した”黒獣棘”を、刹羅の首筋へと叩き込んでいた。
それは、自らの肉体を、思う様に制御出来ぬ状況下においても、己が肉を標的を貫く弾丸とする事が出来る、響の卓越した戦闘センスの成せる業と言える。
だが――、
「……温いねぇ、所詮は”この程度”か」
「がっ……!?」
我羅を遥かに凌駕するかのような剛力が、”黒獣棘”を容易く押し退け、強烈な掌底が響の腹部を撃ち抜く。
内臓が体内でシェイクされたかのような衝撃が、響の口内から血塊を吐き出させる。
「……”自暴自棄”、”自己犠牲”? そんなモンの行き着く先、末路は精々”自爆”程度。そんな糞みたいな心持ちじゃ、兄貴は愚か、私にだって届きやしないよ――」
受け身も取れず、地面に無様に転がった響を見下ろし、踏み付けた刹羅の目線が、響の名を叫び、響に駆け寄ろうとするガブリエルの姿を捉える。
その彼女の姿に、刹羅は響を踏み付けていた足を外し、這い蹲る群青色の鎧装をガブリエルの前へと、容赦なく蹴り転がしていた。
「”覚悟”ってのは、”状況”を、”手前の生命を前に進める”為にするもんだ。そこのお嬢ちゃんはそれが出来てる――あの時の私と同じようにね」
「ぐ……う……」
体内に流し込まれた毒素によって、意識が朦朧としていた。
何とか身を立ち上がらせ、自らと向き合う響に、刹羅は溜息混じりに言葉を続ける。
紫紺の鎧装から刹羅の苛立ちを示すように、強烈な毒素が漏れ出し、付近の大地を腐食させていた。
「どちらかが生き延びなければならない時……!どちらかが生き残り、この腐った世界に唾を吐きかけなきゃならない時……!私は迷わずに自分を捧げ、兄貴は迷わずに私を”喰った”。生命を先に繋いでくれた。その時の私の喜びはアンタには理解らないだろうねぇ……!」
超高速で移動した紫紺の鎧装が、右から、左から、前から、後ろから、次々に響へと攻撃を重ね、群青の鎧装を、響の肉体を砕いていく。
その攻撃の一つ、一つが、響に”使い物にならぬ”己が肉体を認識させ、ままならぬ憤怒が、響の喉から人ならぬ咆哮を吐き出させる――。
「あの時から、私の魂は、兄貴と共にあった。私の”残留思念”は、兄貴の”羅剛石”、”畏敬の赤”と結び付く事で、明確な人格として鎧装内に定着した。それも、兄貴が私という生命を、自分の中に宿してくれた、前に進めてくれたからだ。それが――アンタがいま、”出来ていない”事さ!」
「嗚呼ァアアアアアアアアアアアアッ――!」
交錯する感情が暴発し、鮮血が弾ける。
「きょ……響さんっ!」
「なっ……!?」
驚愕が、それぞれに息を呑ませる。
ガブリエルの瞳に映ったものは、意外にも”握り潰される”紫紺の鎧装だった。
響の喉笛を貫かんと放たれた刹羅の手刀を、異形化した群青の腕が掴んでいた。
使い物にならぬ、尋常ならざる異能も、粗雑な暴力には変換出来る――。
そして、
「俺に……俺に、その娘を喰えと言うのか……ッ!」
「がっ――!?」
響が堪えていた、抑えていた激情が、糸が切れてしまったかのように溢れ出し、炸裂していた。
ただ乱雑に、強引に振り抜かれた響の拳が、刹羅の頬を撃ち抜き、その機械的な仮面を粉砕する。
半ば”死に体”であった男の予期せぬ攻撃に、紫紺の鎧装はその身を回転させながら、地面にバウンドするようにして、数m後方まで吹っ飛ばされていた。
制御仕切れぬ異能と、疲労に肩を上下させる響は、握り締めた自らの力で、グチャグチャに骨が砕け、ただの”鈍器”と成り果てた己が拳を見据え、溢れ出る激情に溺れそうな声を搾り出す――。
「……俺に、そんな真似をしろって言うのか……」
「響さん……」
……気付いている。
事態を打開する為に、”それ”が無視出来ない手段である事に。
己がもはや、”それ”無しで維持出来ぬ存在である事に。
(護るとは庇護する事のみを意味する言葉ではない――)
”お前は彼女を護ろうとしながら、その実、彼女の気持ちを踏み躙っている”。
あの”黄金氣の子供”が告げた言葉が、脳裏に蘇る。
しかし、しかし、”それ”を成す事は、響にとって耐え難い、認め難い”悪行”だ。
響が響である限り、決して肯定は出来ない所業だ。
そして、
「……わかってんじゃねぇか、”天敵種”」
「………!」
舞い上がった粉塵の中から声が響く。
……渇いた、聞き覚えのある”声”だ。
響の拳によって吹っ飛ばされた身体がその身を起こすと同時に、紫紺の鎧装は除装され、内側にあった本来の黒鎧を露わとする。
この身体の本来の”主”が帰還した事を示すように、黒鎧は再び変形し、元の”死と戯れる毒蠍”の形状を取り戻す。
「……あと刹羅、”迷わず喰った”とか言ってるんじゃねぇよ」
気怠そうに首を回し、骨を鳴らすと、”毒蠍”……我羅・SSは、虚空を見上げ、”己の内側”へと戻った最愛の妹へと言葉を投げる――。
「……哀しかったんだぜ、俺は」
その声は、何処か寂しく哀しい。
すぐ様、内から湧き上がる狂気の高笑いに、瞬時に上書きされながらも、その声は響の聴覚と、脳裏に深く刻み込まれ、響いていた。
【…………】
そして、その頃――砕かれ、焼け焦げた大地の上で、舞い上がる粉塵を睨む”機械仕掛けの覇竜”の頭部から、”王”の、太い弦を革手袋で擦ったかのような唸り声が零れ落ちていた。
【――冷却拘束モード終了。”System:M・G”通常戦闘モードに移行】
電子音声とともに、”機械仕掛けの覇竜”の動きを制限していた、”亀の甲羅の如き形状”への変形が解除され、頭部に組み込まれた解析装置が忙しなく稼働を開始する。
”王”は既に、何かを確信し、次の段階へと移行している。
巨脚が大地を踏み砕き、背部の冷却ファンが”天地砕く焔よ煉獄に詠え”の第二射に向け、フル稼働していた。
その事象は、”王”にとって”斃すべき敵”の健在を。
この世界にとって忌むべき存在が、まだ”この世に存在している”事を意味していた。
(……紙一重、紙一重だ。紙一重で、この”世界線”は成った)
不遜な、不遜な”信仰なき男”の声が響く。
粉塵の中に、光の羽毛が舞い散り、その直視するには眩すぎる”奇蹟”を、汚泥の如き”黒”が飲み込み、塗り潰していた。
”黒”が彼の輪郭を、”死邪骸装"の異形を再構築し、おぞましき”死”の概念を再び周囲に充満させる――。
「卿が、この惑星そのものを砕かぬように”出力を絞った”事が。突如、介入した”守護者”が星を護るべく力を振るった事が、その事が――幾兆もの”破滅”の結末の中に、たった一つ、私が生存する可能性を、この”世界線”を生み出した……」
完全に人型を取り戻し、”死邪骸装・柩”に再『鎧醒』したフェイスレスは、その虚無に満ちていた眼光に、僅かに歓喜を滲ませながら、その不遜な声を震わせていた。
「私が”勝利”し、”救済”を完遂する――この”世界線”をな」
――”世界線移動”。
それは、”移動要塞”での戦闘で、フェイスレスが垣間見せた能力の一つ。
多くの可能性の中から、自らが存在する”世界線”を取捨選択し、自身を移動させる異能である。
フェイスレスはその異能で、あの星砕く光の直撃から生還したのだ。
そして、”世界線移動”と言えど、”存在しない可能性”に移動する事は出来ない――。フェイスレスの語る通り、紙一重、紙一重の結果であったのだろう。
”王”の最大の一撃を、最大の窮地を凌いだ、”信仰なき男”の高哂いが、死の”概念”に澱む大気を震わせていた。
(……哀れなる”救済の怪物”。あれもまた、人類の成れ果てか――)
その高哂いを、ある意味では彼の生存の要因となった、”黄金氣の子供”が見据え、呟く。
そう、”王”と”信仰なき男”の死闘はいよいよ佳境に到る。
果たして、辿り着いたこの”世界線”は、”最善”か、”最悪”か――。
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