第24話 奈落―”abyss”―
#24
「さぁ、君も掛けなよ。さっきの紅茶だけじゃない。お茶菓子だって、ありとあらゆるものを用意できる。ゆっくり、じっくり、”お喋り”しようじゃないか」
「………」
金細工が施された椅子に、気怠そうに腰掛け、豪奢なテーブルに頬杖を突いた”JUDA”が手招く。
自称”神”はどこまでも気安く、どこまでも得体が知れなかった。
身に纏っている装束も、胸元がはだけたシャツに、ジャージのズボン。赤いサンダルと、とても”神”に相応しいとは思えぬ”部屋着”である。
肌を締め付けるような”圧”が、”畏敬の赤”の粒子とともに、その細身から滲み出ていなければ、ただのピンク髪の”お兄さん”だ。
「あの……」
ティーカップを持ったまま、立ち尽くしていた少女は、自称”神”の手招きに応じる前に、己の疑問をぶつける。
「”管理者”が現在、過去、未来、総ての”適正者”から選ばれる……という事は、貴方もボクの先輩、”適正者”……だったって事ですか?」
「うーん、先輩かどうかはわからないな。なんせ、選抜対象には未来も含まれている。私が、数百年後の世界に生きる君の子孫という可能性だって考えられるかもしれない」
煙に巻くような、飄々とした喋り口調で答え、”JUDA”は微笑む。
「だが、”ろくでもない奴”なのは確かだよ。深入りしない方がいい」
「きゃっ……!?」
”神”を名乗る男の表情に浮かぶのは、微かな拒絶と、虚ろな自嘲。
フワリと、急に自分の体が浮き上がり、少女が目を丸くすると同時に、サファイアの身体は、突然、目の前に転移してきた”JUDA”の腕に軽々と抱えられていた。
どうやら、”お喋り”の席まで、少女を強引に、ご招待するつもりらしい――。
”JUDA”の身体と入れ替わるように、サファイアが手にしていたティーカップは、豪奢なテーブルの上へと移動している。
仰々しさの欠片もなく、息を吐くかのように些細に顕現する”奇蹟”に、やはり、この人は尋常の者ではないとサファイアは息を呑む。
そうだ、ひどく怖ろし――
「……ん? ん~どうやらキミは体重のアップデートが必要かな? まぁこれくらいが愛嬌があってよろし……あ、あああ!? いけない! 神にドラゴンスリーパーはいけない…! け、頸動脈締まるぅぅ~」
――くない!
確かに”ろくでもない”。
コレの在り様は、まるで、お仕置きが必要な、只の子供だ。
親しい隣人だけが知る、口元だけが微笑んだ、”真の怒り顔”で、青い瞳の少女は、自称”神”へと教育的指導を加える。
”ぎぃぃ~”とその様子を、ギィ太がぶるぶると震えながら眺めていた。
(まったくもう……)
疲労感が、ドッと両肩に圧し掛かる。
……何はともあれ、この自称”神”と対話を続ける事が、いま自分に出来る最善なのだ。
溜息を吐きながらも、前を向いた青い瞳は、会談の場となる豪奢なテーブルを見据える。
彼女が”観念世界”に飲み込まれてからの経過時間は二十数時間。
地上の時間軸とは切り離されているが、体感としては、ほぼ丸一日が経過していた。
※※※
「ハハッ……クハハハッ! 成程、成程ナァ……」
黒鎧の悪漢の喉が渇いた笑いを漏らし、肉食獣の如き舌なめずりがそれを濡らす。
翠髪の少女の慟哭と、群青色の怪物の逡巡。
その様を眺める我羅・SSは、”彼等の事情を識った”事で噴出した、歓喜と苛立ちが入り混じったかのような不可解な感情に、自らの機械的な仮面を激しく掻き毟っていた。
自らの仮面をも砕く、神幻金属で編まれた凶爪は、我羅の皮膚にまで到達し、赤い血を滴らせる。
その痛みさえ、いまの我羅には心地良く、身を焦がすような狂気を促進させるガソリンとなる。
痛みとともに蘇るのは、”飢餓”の記憶。
遠い日に喰らい、味わった”生命”の記憶。
いま、群青色の怪物との間に浮上した――狂い落ちるに相応しい”因縁”の記憶であった。
「……まるで赤い糸で繋がれた恋人じゃねぇか。そういう”因縁”で俺等は結び付いてたって訳か。因果なモンだ」
「なっ……!」
あまりに常軌を逸した行動に、響の身体が驚愕と緊張に硬直する。
渇いた声音で吐き捨てた言葉とともに、我羅が行ったのは、不用意な”前進”。
我羅の黒鎧が、不穏な気配とともに、無遠慮に間合いを詰め、群青色の鎧装を”挑発”――。
だが、凶暴に躍動したその腕は、響ではなく、その響を潤んだ瞳で見つめていたガブリエルの首筋へと伸ばされていた。
「ほらよぉ……ッ!」
「きゃっ……!?」
息を吐くように、平然と行われる暴挙。
ガブリエルの細い首を掴んだ我羅の腕は、まるで腹を空かせた猛獣への”撒き餌”のように、ガブリエルの華奢な身体を、響へと放り投げていた。
「グッ……!?」
己への”撒き餌”に、残酷なまでに反応を示す、群青色の鎧装を、理性を掻き毟るようにして律し、響はガブリエルから身を離すべく、後方へと己が身を跳躍させる。
だが、
「ハァァ……逃げんなよ」
「……ッ!?」
我羅の仮面に張り付いた、白骨化した蠍の如き意匠、その辮髪の如く揺れる尾から射出された”針”が、響の足首を射抜き、地面へと縫い付ける。
自らが放った”撒き餌”からの逃走を、我羅の”狂気”は許可していない。
しかし、
「グッ……オオオオオオッ!」
「……!」
次の刹那、戦慄を覚えたのは、我羅の方だった。
響の腕が、”食欲”とともに、夥しい牙に覆われた大口へと変貌し、”サファイアを喰らおうとした”時と同じように、ガブリエルへと殺到したその刹那、群青色の凶相の仮面が、自らの腕へと喰らい付き、”噛み千切って”いた。
サファイアの捕食を阻んだ際と選択は同一だが、手段はより”苛烈”だった。
「ヴゥゥ……ヴァウウウ……ッ!!!!」
「おいおい……」
ギラついていた我羅の眼が呆れたように、僅かに細められる。
その情景は、陰惨にして残虐。
自らの内に渦巻く”捕食衝動”をぶち撒けるように、”骸鬼・悪喰”の口顎が噛み千切った己が腕を噛み砕き、咀嚼していた。
己が肉で、己が飢餓を満たす、群青色の怪物の異貌は、地上に生きる場所を失くした犯罪者達を束ねる、我羅をしても、禍々しく、醜悪極まる”異常”であった。
そして、
「……ない」
「あん……?」
喰らった腕を投げ捨て、確かな理性を灯した響の眼差しが、我羅を見据え、己が脚を地面に縫い付けている針を残った左腕で引き抜く。
響の行動で、”捕食”を逃れたガブリエルの身体は、叩き付けられた地面を転がり、泥に塗れながらも自分の為に”無茶”をした響を睨み付ける。
何故、自分を喰らってくれないのか。何故、自分自身の生命を優先してくれないのか。
響という男の残酷なまでの”優しさ”に、ガブリエルの翠の瞳から一筋の雫が零れる――。
「俺は、その娘は喰らわない。俺以外の誰も、犠牲にしない……。例えこの身が”怪物”でしかないとしても、俺は、”本能”にも”手段”にも屈しない」
噛み千切った右腕の肉が蠢き、凄まじい速度で”再生”・”修復”される。
それは、群青色の鎧装――”壊音”の強靭な生命力を想起させるが、その代償は紛れもなく”壊音”の宿主たる響の生命である。
「爺さんが、アイツが、皆がくれた、この人間としての俺を、俺は棄てない。実弟が思い出させてくれた道もある。多くのものを託されたこの生命を、怪物で終えるわけにはいかない――」
飽くまでこの生命は、”天敵種”ではなく、街の安全を、街に生きる皆の生命を託された”保安組織”の隊長であり、幼い実弟に”正義の味方”になると告げた、響=ムラサメだ。
だからこそ、あの娘を、サファイアやアルが助けようとしたあの娘を、犠牲にするつもりなど最初からない――。
「人間として、俺はお前を斃し、弟を救う――」
「はぁ……」
我羅の喉奥から響く、カラカラに渇いた溜息に、空気が”不穏”に澱む。
”人間”としての尊厳を、抗いを示す響の言葉に、我羅は苛立たしげに、その歯を噛み鳴らしていた。
その我羅の感情に呼応するように、黒の鎧装がガタガタと震動し、毒素を孕んだ霧をその内部から多量に溢れ出させる――。
「寝言は寝て言え、”天敵種”……」
我羅の苛立ちは既に臨界点へと達していた。
咎人である自分とて、義理や縁は尊重する。
仁義も理解する。
だが――コイツは"決定的な部分を吐き違えている"。
我羅の歯牙が大きく剥かれ、その口舌が狂気と、腹腔からこみ上げる憤怒を吐き出す。
「人間である前に……手前は”生物”だろうが……ッ!」
我羅が纏う黒鎧から放出される”畏敬の赤”の粒子が、その濃度を増し、機械的な仮面の口顎が、肉食獣の如く獰猛に開かれる。
「生きてる以上は……喰わなくっちゃナァ……ッ!」
「…………」
我羅が語る言葉もまた、一つの真実。
我羅の咆哮に同調するように、”骸鬼・悪喰”の群青色の鎧装が蠢き、宿主である響を責め立てるように、その肉へと喰らい付く。
此処は、修羅と修羅が喰らい合う、現世の地獄。
血染めの宿業が堆積する、底の底。
その奈落で、響に最大の試練が訪れようとしていた。
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