第22話 狂濫―”mirrors”―
#22
「うぅ……うぅぅ……」
暗夜に嗚咽が響く。
首輪に括りつけられた、赤の石――”創世石”を前脚で何度も掻き毟りながら、幼竜は、羽毛に覆われたその小さな身体を、あてもなく前進させていた。
”適正者”を探す旅路に、明確な道標も、協力者もない。
親しい人達は皆、自分を脱出させる為の、”創世石”を逃すための犠牲となってしまった。
何処に行けば、何をすれば。
つぶらな瞳から涙が零れる。
本当に生き残るのは、自分で良かったのか?
自分の生命は本当に、この託された任を果たすに足るものか?
問い掛けるように、”創世石”を、”物質としての神”を前脚で掻き毟りながら、ガブリエルは前へ、前へと進む。
やがて――辿り着いたのは、辺境の自治区。
公園の繁みの中で、彼女は優しい声を聴く。
きっと、それが”運命”だった。
※※※
「響……さん……」
感情が、軋む。
過去の情景から、現実に意識を揺り戻した幼竜の瞳に映る景色は、やはり凄惨だった。
群青色の鎧装が、死闘の中で裂かれ、抉られ続けた事で、より歪に変貌し、もはや”人型”とは呼べぬ範囲にまで、その輪郭を壊死させていた。
内部にある青年の血肉を喰らいながら、群青色の鎧装はより醜悪に、凶暴にその異形を磨ぎ澄ましていた。
凶相の仮面は歪な呼吸と血塊を吐き出しながら、禍々しい咆哮を轟かせる。
眼前の障害を駆逐し、天へと噴き上がる”赤い柱”の中に囚われた弟を救い出す為に、響=ムラサメという青年は、怪物そのものである”飢餓”と”破壊衝動”に満ちた器の中で、その慈愛を、理性を保ち続けるという”狂気”に身を投じていた。
そして、
「ほう……これは、これは」
「……!」
その”狂気”の眼前に立つ、黒鎧の悪漢――我羅・SSは、開始から1時間は経過している”死闘”により、各部を拉げさせた自らの鎧装と、群青色の怪物を眺めながら、気怠そうにその首を回していた。
ゴキリ、と。
我羅の首の骨の音が、不穏に空気を掻き乱す。
「”遊び相手”としては、最高中の最高だぜ、お前――。心臓を殴り潰そうが、動脈を引き千切ろうが、内臓を掻き回そうが、死にやしねぇ。正確には、体内で”畏敬の赤”が暴走している影響か……死ぬ事も出来やしねぇってところか。その群青の鎧には、”神幻金属”を腐食させる特性があるらしいが、それで砕ききれねぇって事は、お前自身の腕力や生命は弱り切っている……違うか?」
「え……?」
我羅の言葉に、響は応えない。
想定以上に悪化している響の状況に、声を上ずらせたガブリエルの目線に振り向く事もない。
「そんな有様じゃあ――俺が”本気”になったらすぐに終焉だ。埋められねぇ、”力量の差”って奴は手前も感じてるんだろう? 俺がこう……素面に戻っちまうぐらいの”力量の差”はよぉ」
我羅の純金製の首輪に組み込まれたアンプル内の鎮静剤は、その半分程を消費した時点で減少を止め、我羅の暴走の度合いも、狂気も、飽くまで”安全域”に留まっていた。
これは、昂っていた我羅の精神が、落胆によって平静に戻った事を意味している。
”天敵種”という刺激を生む怪物の”底”を、我羅の両眼は見切ってしまった。
これは、己を斃せる存在ではないと、己の生命を脅かす存在ではないと。
「さぁて、どうするか……なんせいまは、”破壊者”と”獣王”に、”女王”に、”剣鬼”。どれと闘り合っても良さそうな状況だ」
闘争者の本能が、ブルッと我羅の全身を震わせる。
白骨化した蠍の如き意匠を持つ機械的な仮面の下で、蛇のように長い舌が、唇を凶暴に舐め上げていた。
「だから……お前には、もう”決着”を付けちまっても良いよナァァッ!?」
「ヴゥゥ……ヴゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ‼‼‼‼」
咆哮が弾け、絶望的な戦闘が幕を開ける。
我羅の、”毒蠍”の黒鎧が、響の”骸鬼・悪喰”の群青色の鎧装が大地を蹴り、再生途中の鎧装の隙間から噴出した血潮がまた大地を濡らす。
言語を忘れたかのような、禍々しい呼吸とともに、響は我羅の間合いへと飛び込んでいた。
”我羅を殺す”。”弟を救う”。
もう――単純な思考だけでいい。
だが、
「もう――やめてえええええええええええええええええええええええっ!」
「――!」
予期せぬ事が起きる。
悲痛な叫びと、その眼前に現れた、緑色の”可憐”が、その脚を踏み止まらせる。
「な……」
全身を突き動かしていた”破壊衝動”と”捕食本能”が霧散し、ただ驚愕が響の思考を真っ白にリセットしていた。
眩い程に溢れた緑色の光が、眼の前に飛び込んできた幼竜の姿を、本来の彼女の姿――少女の姿へと再構築していた。
「もう……やめてください」
「ガブリ……エル」
切なる願いと想いを秘めた言葉、翠玉のような瞳から零れ落ちる涙が、群青色の怪物の精神を、一個の青年のそれへと戻し、”怪物”と”怪物”の間に飛び出すという”無茶”が、我羅の興味をも引き付ける。
我羅もまた、退屈に終わるはずだった戦闘の終焉に突如、挟まれたこの”余興”に、その喉を愉し気に鳴らし、脚を止めていた。
“複製されし禁碧”。
”創世石”の分身たる彼女も、我羅にとっては得難い”殺戮対象”だ。
「響さん、何故です……? 何故、実行してくれないんです!? 私、伝えたのに――”確かに伝えた”のに!」
「…………」
憤りと涙に濡れた言葉に、彼女の身体を構成する”畏敬の赤”を秘めた緑色の光に、群青色の鎧装がざわめき、響はそれを諫めるように、ガブリエルの眼差しから目を伏せる。
彼女が齎す、その解答を、受け止める訳にはいかなかった。
「あなたは知っている……! 体内の”畏敬の赤”を制御する方法を、あなたは既に知ってるんです……! なら何故、それを実行してくれないです……!?」
”何……?”
聴覚よりも胸に響く絶叫。
その中に混ざり込んだ聞き逃せぬ言葉に、我羅の片眉が機械的な仮面の下で、ピクリと動く。
どういう事だ……? そんな手段があると言うのか……?
なら、終りかけたこの戦闘にも、僅かながら”価値”が出てくる。
我羅の長躯が、前のめりとなって、二人のやり取りを眺め始める。
その、答えは。
「何故、何故……! 何故――私を”捕食”してくれないんです!?」
「………」
「あアん……?」
我羅の喉から怪訝な声音が漏れ、響はただ黙して、滂沱の涙に塗れたガブリエルの顔を見つめていた。
それは、選ぶ事の出来ぬ”選択肢”。
事態の袋小路を示す、絶望の選択であった。
※※※
「……随分、深いトコまで来たみたいだね、ギィ太くん」
「ギ!」
自分達の喉から奏でられた言葉が、深い、深い”底”へと飲まれてゆく。
サファイアはギィ太をその腕に抱きながら、自分達が運ばれてゆくその”底”へ青い瞳を向けていた。
高濃度の”畏敬の赤”によって、転移させられた筒状の施設は、不気味な程に静かな駆動音とともに、サファイアとギィ太を下へ、下へと運んでいた。
前に本で読んだ”軌道エレベータ”を思い出す。
半透明の外壁と足場は、宇宙空間を想起させるような真っ黒な暗闇しか映しておらず、否応なく不安を掻き立てる。
(みんな……大丈夫かな……)
――どのくらいの時間が経過したのだろう。
英雄さんは”こちらでの時間経過は、元の世界とは切り離されている”と言ってくれたが、やはり不安はどうしようもなく胸を掻き毟る。
心配で寂しかった。
もう、みんなと何年も会っていないような感覚すらある。
「ボク等はまるで……宇宙に投げ捨てられたちっぽけな空き缶だね」
「ギ???」
離れる事はないと思っていた仲間達への思慕と心細い想いを、何処かで読んだ詩で誤魔化し、サファイアは気丈に微笑む。
いまは前に進むしかない。
空き缶も転がり続ければ、世界の果てに辿り着けるのかもしれないから。
その世界の果てに、この冒険に幕を下ろし、皆を救う解答があるのかもしれないから。
だから――、
「……!」
逃げたりはしない。
目の前に現れた、”世界の果て”から。
筒状の施設の中、自分達を運ぶ足場が辿り着いた、底なる底。
真っ黒な暗闇でしかなかった”底”に、いつの間にか”赤い”明かりが灯り、屑鉄置き場のような雑然とした光景が、サファイアとギィ太の前に拡がっていた。
扉が開く。
筒状の施設の外壁が展開し、二人は”底”の世界へと一歩、その足を踏み出す。
ここが終点なのか?
この”観念世界”の最果てなのか……?
息を呑んだ少女の青い瞳が、多くの文明、そして、自分達が纏う神幻金属の残滓のような屑鉄が散乱する広大な空間を見回していた。
そして、
「やぁ、よくぞここまで辿り着いた」
「……!」
少女はその声を聴く。
「この場所こそが、”畏敬の赤”の因果の根源にして、最果て――”abyss”。深淵とでも、奈落とでも、好きに訳せば良いさ」
屑鉄に満ちた空間の中、鮮やかな紫紅色が少女の瞳の青の中に揺れる。
白を基調とした、歌舞伎衣装のような奇抜な衣服を纏い、紫紅色の髪をした男が、いつの間にか、サファイアとギィ太の前に立っていた。
中性的な顔立ちの中に浮かぶ表情は、童のように無邪気でありながら、何処か得体の知れないものを感じさせた。
何だろう――”怖い”。
「あ、あなたは……?」
サファイアの問いに、彼は微笑み、告げる。
「私は、”JUDA"。物質としての神たる”創世石”の管理者にして、この惑星を制御する”核”の外部端末。君達、人類の価値観に合わせて語れば――”神”だ」
「な……」
衝撃が少女の言葉を奪い、彼女の腰のバックルに収められた”創世石”が、彼の――”JUDA”の言葉を肯定するように、光り輝く。
――同時に、少女は確信する。
ここが旅の終着点。
全ての運命を切り拓く、自分の戦うべき場所だと。
青い瞳にいま、”畏敬の赤”の因果の渦が鮮やかに映し出されていた。
NEXT⇒第23話 深淵―”abyss”―