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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第五章 破戒/再醒―Escalation―
106/172

英雄特別篇Ⅸ 勇者—”hero”—Ⅱ

#EX9


「ヨゼフ、さん……」


 ”救済”という”本能”に突き動かされる、あまりに痛ましい怪物ヨゼフの姿に、少女サファイアの声が悲痛に歪む。


 肌を粟立て、精神を朦朧とさせるような血臭が鼻孔を突くとともに、怪物ヨゼフが鎮座する祭壇の如き舞台ステージ以外の景色が歪み、砕けてゆく――。


(これは……)


 全てが”終局”へと向かっていた。


 この”虚無”と、歪な”奇蹟”に満ちた”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”における、僅かな”現実”までが砕け散り、消滅しつつある。


 サファイアに、その身体を支えられた英雄は、その状況を装具スーツの”電子解析装置サーチャースコープ”で確認し、まったく"予断を許さぬ"その状況に、息を呑む。


「奴の体が生成する”畏敬の赤アームド・ブラッド”の濃度は、この”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”の許容値を越え、いまや自らが生んだ、”己自身の世界”さえも破壊しようとしてる……つまり」


 震える英雄の言葉を、少女が引き継ぐ。


「……いま、彼を止めなければ、止められなくなる。そういう事ですね」


 ヨゼフが己が目的の為に、”畏敬の赤”を濫用し続ければ、自分達の足場となっている”現実”は確実に崩壊し、総てが”無”となる。


 その”無”の中で生き残る可能性があるのは、飽くまで”人間”であり、一個の”生命”であるサファイア達ではなく、限りなく”概念”に近い存在であるヨゼフだろう。


 そうなれば、彼の”救済”を止める者も、止める手段もうしなわれる――。


 ”創世石”によって詳細に解析され、脳内に直接伝達されたたその”情報”に、握り締めた少女の拳に汗が滲む。


 彼をここで止めなければ、たおさなければ、英雄の世界も、少女の世界も――”総てが終わる”のだ。


「刑事さん……!」

「ああ……ッ!」


 ”血戦けっせん”が始まる。


 意を決した二つの鎧装は、ヨゼフの用意した決戦の舞台に降り立ち、その身体を真っ直ぐにヨゼフへと突撃させていた。


「はああ……っ!」

「チュウ……ッ!」


 それぞれの鎧装のエネルギーを全開放し、ヨゼフ……”人類の可能性を殺す獣ブラッディ・カイン・ベスティア”へと躍り掛かった二人を、怪物の背部から無数に射出されたいばら状の触手が迎撃……! 続け様、その巨腕と、蹴撃が容赦なく、二人の鎧装を砕き、その破片かけらを宙に舞わせる――。


「足掻くな……”英雄”、”救世主メシア”! 何も救えぬ、何も変えられぬお前達が、”私”をたおせるはずがない……! お前達が成し得る事など何もない……! ここで”赤”の藻屑もくずと化すがいい……!」

「……確かに、俺達はあらゆるものを救える程、万能じゃない。”神様”なんかじゃない……」


 だが、


「俺達は誰の生命いのちも、未来も、諦めちゃない……!」

「……!」


 襲い来るいばらの触手を潜り抜け、閃かせた英雄のブレードがヨゼフの頬を掠め、その一瞬の隙に、”賢者の石片ワイズマンズ・ユニット”を連結させたサファイアの右腕部鎧装が、”畏敬の赤”の爆裂と共に、全霊の拳をヨゼフの分厚い胸へと叩き込む……!


 搦め手を使う必要もなく、その純粋な性能スペックだけで、”人類の可能性を殺す獣ブラッディ・カイン・ベスティア”は、英雄と少女を凌駕していた。


 だが、”性能スペック”は劣っていたとしても、彼等には譲れぬ願いがある。


 届けなければならない想いがある。


 ――膝を折れぬ理由がある。


 振り降ろされたヨゼフの巨腕をその細い両腕で受け止めながら、少女はその脚を一歩、踏み込ませる。


「伸ばした手が届かない事も、報われない事もある。……ううん、生きていたら、そんな事の方が多いのかもしれない……!」


 仮面の下で、青い瞳が逃げる事も、退く事もなく、己を凝視する怪物ヨゼフよどんだ眼を見据える。


 己が歩んできた軌跡を――これから歩んでいく道を示すように。


「だけど、ボクは諦めない。大好きな人達と、これから出逢う人達と、笑って生きていたいから……!」


 それは、彼女の変わらぬ願い。


 生きとし生ける、総ての人達が抱く想い。


 そして、


「貴方にも……笑っていて欲しいから!」

「ヌゥ……!?」


 想いとともに、白銀の鎧装の”三位一体の魂石トリニティ・ストーン”が輝き、細いかいながヨゼフの朱鎧、その巨腕を押し返す。


 乾坤一擲。


 次の刹那、彼女が腕部鎧装を展開し、閃かせた”聖翼の光剣フェザー・ブレイド”と、英雄が振るうブレードが、二人の攻撃を阻害していたいばらの触手を斬り裂いていた。


「「はああああああああっ!」」

「グッ……!?」


 続け様、同時に跳躍した二人の跳び蹴りが、流星のようにヨゼフを撃ち抜き、朱鎧を”畏敬の赤”そのものと呼べる体液とともに、飛び散らせる……!


 損傷を負った怪物ヨゼフは後退し、四方に裂けた口顎から醜怪なる”呻き”をこぼす――。


 傷付き、後退あとずさる”人類の可能性を殺す獣ブラッディ・カイン・ベスティア”が纏う気配はあまりに脆く、”不穏”だった。


 その気配に、何故か少女の肌は粟立つ。


「お前達が……どう足掻こうと、どうわめこうと、変わらぬ……一つの”事実”がある……」

「え……?」


 その”呻き”に滲む”執着”がいま、牙を剥く。


「”創世石”は、”私”を選ぶ」

「……!?」


 その刹那、少女達を、凄まじい”圧”が襲った。


 もはや”ヨゼフ・ヴァレンタイン”そのものといえる壮絶な”執着”が、再度、”創世石”に干渉し、白銀の鎧装の挙動を抑制・遅滞させていた。


 以前のように制御コントロールを奪われる事はないが、ヨゼフの意志が、”物質としての神”の力、その末端にまで絡み付き、鎖で縛り上げるように少女サファイアの動きを封じていた。


「その”加護”も――返してもらう」

「むぅ……!?」


 ヨゼフがその掌を英雄へとかざした瞬間、英雄の”銀の装具コンバットスーツ”と連動し、彼を”強化”していた”畏敬の赤”の加護ブーストが掻き消える。


 ”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”を吹き荒れる”概念干渉”を制御していた”加護”を失った英雄の身体は、崖を滑落するように虚無の中へと落ちていく。


 そのブレードを、”畏敬の赤”の大地へと突き立てる事で、英雄は首の皮一枚、決戦の舞台にその身体を踏み止まらせる。


 英雄を護っていた”加護”の霧状の残滓は、大きく開かれた”怪物ヨゼフ”の口顎に残らず吸い込まれ、咀嚼・吸収されてしまっていた。


「刑事さん……!」

「まずは忌々しいお前との因縁から断ち切ってやる――現在いまの”私”なら、お前の”加護”を吸収するだけでなく、わが物とする事すら出来る。いまの”丸裸”の貴様など、造作もなく屠ってくれよう……」


 怪物ヨゼフの、”人類の可能性を殺す獣ブラッディ・カイン・ベスティア”の脚が大地を蹴り、英雄を”なぶり殺す”べく、その黄金の爪を躍動させる。


 激情のままに殴り付け、ゴムボールのように蹴り飛ばす。


 いばらの尾で弾き飛ばし、大樹のような巨腕で薙ぎ倒す。


 四方に裂けた口顎で噛み砕き、踏みにじる。


 あらゆる暴虐が英雄を襲い、銀のコンバットスーツから流れ出した血液が、血溜まりを”畏敬の赤”の中に作っていた。


 だが、


「そんな……もの、か……」

「何……?」


 その血溜まりの中で、銀の鎧は立ち上がる。


 胸の”次元調整装置ディメンション・コントローラ”が七色の光を放ち、銀の鎧がより眩く、力強く輝く。


「お前の、お前の無念は、こんな”八つ当たり”で晴れるのか……? お前の絶望は、こんな事で晴らせるのか……ッ!?」


 電光一閃。


 ”怪物ヨゼフ”が咆哮とともに吐き出した”衝撃波”が、英雄のブレードによって払われ、周囲に四散。それは”畏敬の赤”の大地を爆散させ、舞い上がる粉塵が、英雄の背後に吹き荒ぶ。


 ”畏敬の赤”の加護ブーストではない。


 彼は、確かに自らの力で”概念干渉”を克服し、そこに立っていた。


「刑事さん……!」

「な、何故だ……何故動ける!? 貴様に与えられた加護は既に……!」


 そう問い掛けるヨゼフの声には、確かな狼狽と動揺があった。


 在り得ない。在り得るはずがない……!


 ”現実”を受け入れられず、咆哮する怪物ヨゼフに、英雄は、己が銀の胸を血に塗れた拳で叩き、告げる。


「俺のコンバットスーツには、宇宙を乱す”悪”と戦い続けてきた俺の、後輩達の、”経験”が、その”戦闘記録”が、データとしてインプットされている……! 例え、”畏敬の赤”の加護がなくとも、お前と戦えるだけの情報が、”悪”を許さぬ正義の血潮が、このスーツには流れているんだ……!」


 英雄の言葉を証明するように、”次元調整装置ディメンション・コントローラ”が七色の光を強め、橙色オレンジの眼が歪められた”概念”を解析。


 コンバットスーツが、英雄が躍動すべき軌跡を、この歪んだ世界を疾駆する自由を、彼に示し、確かに与えていた。


「俺は……決して、”おまえ”には屈しない……!」


「”悪”だと……!? お前は”私”を”悪”と断じるのか……!」


「”悪”だ……! 己が目的の為に、多くの意志を、生命を犠牲とし、踏みにじる。それは、俺が生涯を賭してたおすべき”悪”だ……!」


 ヨゼフを真っ直ぐに見据え、断じた英雄は、握るブレードに己が指を添え、告げる。


「そして――俺が生涯を賭して救うべき者だ」

(あ……)


 あまりに美しく、正しく、雄々しい。


 その姿に、少女の中で電流のように蘇る”記憶”があった。


 パズルのピースが全て揃ったかのような感覚があった。


 自分が英雄に抱いていた”信頼”と”懐かしさ”の源泉。


 それは――、


「お嬢さん、いくぞ……!」

「はい……!」


 熱くなる胸が、声を震わせ、白銀の鎧装が、銀の輝きと並び立つ。


「……レーザーブレード……!」

「『双醒ダブル・アームド』……!」

 

 英雄の指が刀身をなぞると同時に、ブレードが烈光を帯び、白銀の鎧装が、”蒼”の追加鎧装を纏う。


 両腕には十字クルスを模った大型の盾、”蒼醒の十字盾エクス・ガーダーウルト”が構築され、導師服、あるいは陣羽織のような、光を透過する素材で編まれた布状の装具が、鎧装の上に羽織られる。


 ”蒼の護壁ブルー・イージス”。


 麗句ミザリーを救う為に、生み出された鎧が、いま再びヨゼフを救う為に、その”蒼”を輝かせていた。


「届けえええええええええッ!」


 サファイアがヨゼフへと腕を伸ばすと同時に、盾から迸った十字型の光が、ヨゼフが全身から、視界を覆い尽くす程に射出した荊の触手を弾き飛ばし、疾駆した英雄のブレードがヨゼフの黄金の爪と鍔迫り合う……!


理解わからないな……何故、お前達はそこまで……!」

理解わからない、か……なら解答こたえは一つしかない」


 光を帯びたブレードが、黄金の爪を砕き、凶暴に躍動した左腕を斬り落とす……!


「それは、俺達が人間だからだ……! 人を愛す事も、笑って生きる事も諦められない――唯の人間だからだ……!」


 瞬時に左腕を再生させ、襲い来る怪物ヨゼフの攻撃をかわしながら、英雄はその橙色オレンジの眼光を、ヨゼフの虚ろな眼へと向ける……!


「諦めが悪く、欲深い――だから、お前を止める事も!お前を救う事も!やめられない……!」


 それが、


「それが人間だ……!」

「グ……ウ……ァああああああああああああああ……ッ!」


 様々な感情が入り混じった、混沌とした絶叫が、”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”を揺らし、ヨゼフの周囲を、膨張した”赤”の大地が覆い閉ざしてゆく。


 全てを拒絶する頑な意志が、解ける事のない絶望が、怪物ヨゼフを覆い、防護していた。


 だが、


「届ける……! 必ず……! ボク達が進む未来には……!」


 どんな絶望が待っていたとしても。


 どんな理不尽が、心を砕いたとしても。


 この手を伸ばした先には、


「掴む”希望”があるはずだから……!」


 それは、”人間”を、自分を信じ続けるという誓い。


 人間に絶望し、”救済”という”終焉”へと逃げた、ヨゼフへの解答アンサー


「いっけええええええええええええええ――っ!」


 少女の両腕から、眩い蒼の輝きとともに、十字型の盾が射出され、それは膨張した”赤”の壁へと、ロケットのように突撃する。


 着弾と同時に、展開した盾の内部から放射された光が、壁に亀裂を生み、道を切りひらいていた――。


【”SHININGシャイニング ARROWアロウ”――発動承認】

「はああ……」


 ”創世の新星アルファ・ノヴァ”の”力”が、いま解放される。


 腰を落とし、蒼の追加鎧装を分離パージした、”白銀の鎧装アルファ・ノヴァ”がバックルからほとばしらせた”赤”の光が、亀裂を突き崩し、”風孔かざあな”を開けていた。


 それは、あらゆる因果を越えて、標敵へと辿り着く必中の光。


 あらゆる障害を、絶望を貫く蹴撃。


「刑事さん……!」

「おう……!」


 少女が跳躍し、発動させた”SHININGシャイニング ARROWアロウ”の軌跡に、銀の輝きが続く。


 それは、決着を告げる黎明れいめいの光。


 その輝きを見据えた、ヨゼフの目が僅かに細められる――。


SHININGシャイニング――」

「ダイナミック……!」

 

 光速の跳び蹴りが、”人類の可能性を殺す獣ブラッディ・カイン・ベスティア”の朱鎧を貫き、裂光を帯びたブレードが、その巨躯を両断する。


 夜が、明ける。


 怪物を構成していた、”畏敬の赤”の結合は完全崩壊し、粉々に爆散していた。


 舞い上がる粉塵とともに、着地し、ヨゼフへと振り返った二人の鎧装は、掴み取った”希望”に眩く輝く――。


「あ……あああ……」


 悲痛な声が響く。


 己の存在を繋ぎ止めていた”畏敬の赤”を失い、消えゆく怪物の残滓が、一人の青年の、人間ヒトに傷つき、絶望した、一人の青年の容貌を形成していた。


「駄目だ……出来なかった……成し遂げられなかった……”私”は、僕は、何も……」


 涙が青年の頬を流れ落ちていた。


 以前、少女を誘惑した蠱惑的な青年の姿はもうない。


 そこには当たり前の、ごく当たり前の青年の姿が、疲弊し、摩耗しきった若者の姿があった。


「……諦めたはずだった。何も欲していないはずだった。なのに……」 


 涙に濡れた顔が、自身を嘲るような表情を浮かべ、自らを打ち倒した二人をる――。


「お前達の輝きに、何かを期待してしまう……”希望ひかり”を見てしまう……」


 そう告げる彼の表情は笑っているようにも見えた。


 その答えに傷つきながらも、満ち足りた。


 そんな表情かおだった。


「それが、”人間”という事か。救われ、ないな……」

「ヨゼフ……」


 青年の輪郭が崩れ始め、宙を仰いだ彼の手が、虚ろに天へと伸ばされる。


 ”物質としての神”でも救えぬ人間への救いを、天へと求めるように。


 全てを、諦めるように。


 それが、ヨゼフという青年の結末。


 そう思えた。


 だが――、


「待って……!」

「……!」


 その虚ろに伸ばされた手を、掴む手があった。


 消えゆく青年を呼び止める少女の声があった。

 

「……ごめんなさい、ボクには、ボクには、こんな事しかできない……」

「サファイア・モルゲン……」


 ヨゼフが声の主へと視線を向けると、そこには涙でグチャグチャになった少女の顔があった。


 さっきまで自らを殺そうとしていた者のために泣く、少女の顔が。


 まったく――、


 緩む己が口の端を、ヨゼフは確かに認識する。


「でも、人間ひとの手は温かいんだって、人間ひと人間ひとの手は繋げるんだって、忘れないで欲しいから。人間を――信じて欲しいから」

 

 少女の涙が、握られたヨゼフの手にこぼれ、その温もりが消失の痛みを和らげる――。


 残念ながら、認めざるを得なかった。


「ありがとう」


 そうだ。


 いま、伝えよう。


 自分は――、

 

「嬉しいよ――」  


 ”救われた”。


「……!」


 青年を形作っていたものが灰となって、完全に消滅する。


 同時に”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”が眩い白に飲み込まれ、少女と英雄の身体は、瞬く間に転送されていた。


 ――戦闘は終わり、世界は確かに救われたのだ。


※※※


【オーイ! ”…………”! お嬢さん……!】

「ギ!」


 爽やかな風と、騒がしい声が耳朶を撫でる。


「……! ミリーさん! ギィ太くん!」


 気が付いた時、少女サファイアと英雄は、草木が生い茂る雄大な草原の上に立っていた。


 ヨゼフに虚無へと落とされた宇宙船も、無事、その空間に転送され、その内部で奮闘していたミリーがギィ太を連れ、元気に騒々しく、二人の元へとやって来ていた。


 ミリーは英雄の肩にとまり、全快した様子のギィ太は少女の胸に飛び込む。


【しかし、どうなってるんだ!? ”観念世界”にこんな安定した空間が出現するなんて、前例がないぞ!?】

「……もしかしたら、ヨゼフが最後の力で造ってくれたのかもしれないな。俺達が無事に、この”観念世界”から脱出する為に」


 英雄……男はそう告げ、瑞々しく青々とした草原に目を凝らす。


 あの”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”の荒涼とした大地とは異なる風景。


 それがヨゼフからのメッセージであるように、男と少女には感じられた。


 しばしの感慨という名の沈黙の後に、男はその景色から共に戦い抜いた少女へと、その目線を移す。


「君のおかげで目的を果たす事が出来た。ありがとう」

「い、いえ……! ボクは何ていうか……刑事さんには助けられてばっかりで……!」


 差し出された大きな掌を握り返し、少女はその頬を林檎のように紅潮させる。


 嬉しかった。


 彼の言葉が。


 ”こんな事があるんだ”と、胸が熱くなり、高鳴っていた。


「さて……! 後は君を元の世界まで送り届けるだけだが、ミリー?」

【ウン。ヨゼフが彼女の”創世石”を通じて、彼女の世界を観測した事で、道筋は出来ているようだ。後は船に残存する”畏敬の赤”の加護がもつかどうか、だな――】

「え……?」


 宇宙船に宿る”創世石”の加護は、幸いヨゼフに奪われる事はなかった。ただ、”限り”はある。


 もしかしたら、”畏敬の赤”の源である”創世石”を持つサファイアが乗船していれば、”加護”が尽きても、”観念世界”を航行する事に支障はないのかもしれない。


 だが、もし彼女が自分の世界に戻り、艦を降りたなら――、


「ま、待ってください! ボクをボクの世界に戻した後、あなた達は……!」

「ん~? まぁ大丈夫! 何とかなるさ。元々一か八かで飛び込んだ部分もあるからね」

「そんな……!」


 生真面目な少女が、それを認めるはずがなかった。


 詰め寄る少女をなだめるように、男が”まぁまぁ”とその両手をかざした時、”聴き慣れぬ”声が響く――。


(困るなぁ……そんな事をされたら……)

「……!」


 突然、また”赤”が溢れた。


 ヨゼフとの戦いの中で、幾度も訪れたその”異変”は、少女サファイアを”畏敬の赤”で包み込み、何処かへと誘おうとしていた。


 彼女が抜き差しならぬ事態にまた飲み込まれていると感じたのか、ギィ太が、”ギギ!”と、ゲル状の身体を絡ませるようにして、彼女の身体をよじ登る。


【マママママ!? マジか!? ヨゼフどころじゃない、その数千倍近いエネルギーがその”赤”には漲っている! こんな数値、こんな数値を叩き出せるものなんてないぞ!? あるとすれば、それこそ……」


 ”神”……?


 呟かれたミリーの言霊に、男の背筋に悪寒が走る。


 この異常は人知を超えた、明らかな”危機”だ。


 彼の長年の勘が、人を救い続けた、人を救い続ける手を真っ直ぐに差し出させる。


「お嬢さん……! その”赤”から今すぐ飛び出すんだ! 今なら……!」

「…………」

 

 だが、少女の考えは違った。


 彼女はこう思った。


 これが、”ボクの道だ”、と。


 これが、いま、自分が進むべき、乗り越えるべき”運命”だと。


「……刑事さん、ごめんなさい。ボク、行きます。この先に――”創世石”を託されたボクの、ボクにしか出来ない事があると思うから」

「お嬢さん……」


 少女の頑な意志を悟り、男は伸ばした手を降ろす。


 ―—そうだ。このは前に進むと、たおれたヨゼフの為にも、”畏敬の赤”の因果の先へと進むと決めたのだ。


 それを、強引に振り向かせる事は出来ない。

 

「……残念だよ、君のような勇敢な子に、自分の名も伝えられない事が」

「刑事さん……」  


 名乗ったとしても、”世界の干渉”によってそれが彼女の耳に届くことはない。


 些細な事かもしれないが、男はそれが無性に残念だった。


 名無しの男ではなく、一人の男として、彼女を見送ってやりたかった。


 だが、

 

「大丈夫ですよ、刑事さん……!」

「え……?」     


 僅かに肩を落とした男に、少女の微笑みが応える。


 溌剌はつらつとした声だった。


 頬を紅く染め、瞳を潤ませた彼女の表情に”悲壮”はなく、どこまでも広がるような、”憧憬”だけが溢れていた。


「実はボク、知ってるんです。刑事さんの、名前。……ボクの世界にもちゃんとあなたはいてくれたから」

「俺が……?」


 男の言葉に少女は頷き、遠い記憶に思いを馳せるように宙を仰ぐ。


 あの遠い夏の日。


 おばさんと出かけた大きな本屋さん。


 ……日に焼けた”あの本”の匂いまで鼻腔の奥に蘇ってくるようだった。


「ボクが子供の頃、おばさんがボクのために、なけなしのお金で買ってくれた絵本。……男の子向けの絵本だったけど、すごく面白くて、楽しくて――格好良くて。小っちゃな弟や妹達とポーズを真似したりして遊んでると、辛い時も、悲しい時も、ひもじい時も平気だった。だから……いつからかボク、こう思うようになったんです」


 何度も読み返した大好きな頁をめくるように、少女は万感の想いを告げる。


「この”英雄さん”みたいに、人を元気にして、助けられる人間になりたいって――。そう、絵本に描かれた貴方の活躍に励まされて、元気をもらったから、ボクはここまで生きて、歩いてこれたんです」

「あ……」


 男にとっては突飛な話だっただろう。


 まさか別の世界に、自分が”絵物語フィクション”として存在しているなんて、想像だにしない話だろう。


 けれど、


「だから、ボクにとってあなたは大切な、永遠のヒーローなんです。”…………”さん」


 嬉しかった。


 聞こえずとも、彼女の告げた名は自分の名なのだと確信できた。 


 疑う理由など、何一つなかった。


 彼女の礎に自分がいた。その事が嬉しかった。

 

 己を包む”畏敬の赤”の濃度が更に上昇した事を感知し、別離を予感した少女が頭を下げ、きびすを返す。


「ありがとうございました! また……何処かで!」

「ああ、元気でな! お嬢さん……!」


 ”――――――、ですよね!”


 最後に少女から贈られた言葉に、男は頷き、右手の親指を立てて応える。


 それは絵本の最後の頁に記されていた言葉。


 かつて、男が若者へと贈った言葉だった。


「…………!」


 吹き荒れる烈風。


 その瞬間、少女を包んでいた”畏敬の赤”が爆裂し、周囲の大地ごと、彼女を何処かへと連れ去っていた。


 事件は完全に終結し、穏やかな草原には、宇宙刑事とその相棒だけが残されていた。


【行ってしまったな……本当に止めなくて良かったのか? ”…………”】

 

 そう告げるドロイドの声はどこか寂し気で、男を責めるような気分もあった。


 彼女の行き先にあるものが、”並み”のものでない事は、彼が観測したデータが立証していた。 


「いや大丈夫……! 彼女ならきっと大丈夫さ……!」


 男は祈った。


 人間ひとに傷つきながらも、人間ひとを愛し、人間ひとを想う彼女の旅の無事と、その”幸福”を。


 その願いが、”畏敬の赤”の因果に負けず、凛と花開く事を。


「……よろしく勇気!」


 彼女の瞳のような、青空を仰ぎ、男は言葉を贈る。


 かつて自分が若者へと贈り、彼女から贈られた言葉を。  


 その言葉はきっと、少女の心に届き、生き続ける。


 眩く輝く、銀の英雄の姿とともに――。


英雄特別篇—”no one can Fake my blood”— FIN

NEXT⇒第21話 鏡乱—”mirrors”—


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