英雄特別篇Ⅷ 勇者—”hero”— Ⅰ
#EX8
「宇宙……刑事ィい……」
怪物の……”血喰の殺戮者”の醜く裂けた口顎が、不協和音の如き怨嗟の咆哮を吐き出す。
蠢き、裂けた朱鎧から這い出し、伸びた、棘を帯びた触手が、怪物の激情とともに、自らの前に立ち塞がる”血に溺れた者達”を蹴散らしていく。
その遺骸の残滓すらも踏み付ける狂乱ぶりに、その情景を見た二人の表情が、緊迫と憤りに満ちる――。
この男は本当に、”怪物”に成り果ててしまっているのだと。
「”救世主”の成り損ないと、”英雄”が揃い踏みとは……本当に癇に障るよ……」
”血に溺れた者達”を最後の一体まで殲滅し、青く輝く両眼を血走らせた怪物が、その長躯を二人の”標的”へと向き合わせる。
蠢く脚部鎧装が”逆関節”に変態しながら肥大化し、より”獣化”した異貌が、少女と男の前に立ち塞がっていた。
少女は腰に巻いたバックルに収められた”創世石”が、ヨゼフの抑制を撥ね退け、”自らの意志に応えられる”状況にある事を確認し、拳を握り締める。
”創世石”の力を持つ者同士が激突すれば、どうなるか――。
想像するだけで、全身に汗が滲み、こめかみから雫が滴り落ちる。
身を千切るような緊張と、固めた覚悟に息を呑む少女の肩を、隣に立つ男の太く、雄々しい声が叩く。
「困るな……お嬢さん」
「え……?」
不意を突かれ、キョトンとする少女に、笑みを浮かべた男の横顔が応える。
「俺はあの時、”一人で背負い過ぎるな”……そう伝えたつもりだったんだがな」
「……ご、ごめんなさい」
あの時、一人で渦の中に飛び込んでしまった事。そして、いままた、一人で気負ってしまった事をたしなめられたのだと気付き、サファイアは頬を赤くする。
刑事さんには本当に助けられてばかりだ。
うん、そうだ。だからこそ――、
「本当にごめんなさい……でも、だからこそボク、あの渦に飛び込む前に信じられたんです」
「え……?」
少女は感謝と、憧憬を込めて告げる。
「きっと、”来てくれる”って」
「……成程ね」
今度は、男が照れ臭そうに頬を掻く番だった。
それはこの背負い過ぎる少女からの最大の賛辞と言えた。
サファイア自身、初めて抱く、不思議な感覚だった。
初めて会った時から、この男は何故か信じられた。
響やアル、仲間達への信頼とはまた違う、”安堵”をこの男には感じる事が出来た。
初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っているような――懐かしさすら感じられた。
どうしてだろう――。
そして、
【唖ァァ禍ァァaaaaaa……‼‼‼‼‼】
「……!」
僅かな謎解きに少女の思考が流れた刹那、怪物の醜悪にして凶暴な咆哮が聴覚と精神を掻き毟り、新たな”奇蹟”を顕現させる。
吐き気を催すような醜怪な”奇蹟”を。
「こ、これは……」
「自らの負の思念を分割し、実体化させた……言うなれば、”感情”の”屍霊”か」
ドロドロに腐り、髑髏や脊髄を露出させた遺骸の群れが、同様に朽ち果てかけた鎧装を纏い、ヨゼフの周囲に顕現していた。
形状は、先刻、対峙した”双獄の凶星”に酷似している。
いま視界に溢れる”鎧屍霊”の群れは、あれらの源たる”精神”が、本来の自らの形状を失くす程に”疲弊”したものと言えるのかもしれない。
……醜悪ではあるが、哀れでもある。
「”私”は止まらない……”私”の救済に後退はない……お前達を斃し、その屍の先に救済による人類の楽園を築いてみせる……!」
「……!」
互いに侵食し合い、自らの血肉と一体化しつつある”朱き神獣の杖”を天に翳し、ヨゼフはその朱鎧から咽せ返るような”朱”を噴き出させる。
己が顕現させた”鎧屍霊”達に号令を下すように、己が意志を天へと突き立てるように。
退く事が出来ぬ、己が”願望”を示すように。
「その”創世石”を起点に、この観念世界から”総ての宇宙”の全人類、その精神へ”畏敬の赤"を直結させる。その相互干渉を通して、人類は純粋な概念として繋がり、管理される。強制的に一つの”個”となり、真なる”相互理解”を果たすのだ……! それこそが……!」
”救済”である……!
怪物の意志に連動し、”鎧屍霊”の群れが、高濃度の”畏敬の赤”で編まれた衝撃波が、対峙する二人へと襲い掛かる。
そして、
「お嬢さん……!」
「はい……!」
”言霊”が弾ける。
これまで共に歩み、苦難を斬り砕いてきた”言霊”が。
「『鎧醒』……!」
「——着——ッ!」
”神幻金属”で編まれた白銀の鎧装が、”鮮血神殿”を構成する”現実”を硝子のように叩き割り、顕現。
瞬く間に強化皮膜に覆われた少女の全身へと鎧醒装着されていく。
同時に、男の全身を眩い光の粒子が覆い、”銀の装具”を形成。
”赤”と”銀”の光流が、”畏敬の赤”を霧散させ、ヨゼフの”救済”の前に立ち塞がる。
「ぬぅ……!?」
【ALPHA NOVA――起動完了】
「宇宙刑事……”…………”!」
威風堂々と怪物を迎え撃つは、幾つもの刃を折り重ねて形成したかのような、鋭角的な形状を持つ荘厳なる白銀の乙女。
そして、黒のスーツの上に眩く輝く銀のアーマー。
胸に輝く七色のパネル。
銀の仮面の奥に光る橙色の眼。
人の往く道を照らし、導くような眩い輝きを放つ”宇宙刑事”。
その二つの輝きが、”救済の怪物”の前に立ち、己が意志を示す。
お前は間違っている、と。
「kuaaaaaaaaaaa……”抹殺”ゥゥゥゥゥ……ッ!」
「お嬢さん、いくぞ……!」
「はい……!」
怪物の腹腔から狂気を駆り立てる”号令”が吐き出され、二つの機甲が床を蹴り、走り出す。
ヨゼフの傀儡たる”鎧屍霊”達が、二人へと常軌を逸した軌道で躍り掛かり、戦闘は幕を上げる。
膿み、腐り果てた己が身体をただの物質して扱い、文字通り捨て身で”特攻”を仕掛ける”鎧屍霊”達は、アルファノヴァと宇宙刑事の迎撃でその身を砕かれながらも、勢いを失くす事もなく、次々と攻撃を仕掛け、”創世石”へとその腕を伸ばし続けていた。
その腕を振り払い、右腕部鎧装を展開し、起動させた”聖翼の光剣”で、”鎧屍霊達を――怪物の妄執を斬り裂きながら、少女は彼の元へと疾駆する。
己と同じ”創世石の適正者”であり、”救われるべき人間”である彼の元へと。
「ボク達の声を聞いて!ヨゼフさん……っ!」
「道は俺が切り拓く……! ”閃熱”……!」
少女の凛とした声が、澱んだ空気を吹き払い、宇宙刑事の腕から放たれた閃光が、”鎧屍霊”の一群を蹴散らし、ヨゼフへと続く道を、突破口を作り出す。
銀のマスクの中で輝く、橙色の目がヨゼフを見据え、その内に滾る魂が叫んでいた。
"必ずお前を救う"、と。
「「うおおおおおおおおおおおおおお!」」
「ぬぅ……!?」
”鎧屍霊”の包囲網を突き破った英雄と少女の拳が、同時にヨゼフの胸部を撃ち、朱鎧の長躯が粉塵とともに後退する。
英雄が右手に顕現させたブレードが唸りを上げ、防御に動いた”朱き神獣の杖”と鍔迫り合う……!
「ヨゼフ……! 人類を総て概念化し、管理するのが、お前の”救済”か……! 人が人を傷つける事もないが、愛し愛される事もない……! それは楽園じゃない、ただの”虚無”だ。お前が欲しがっていたものは……そんなものじゃないだろうっ!」
「黙れ……! 貴様が……!」
”貴様がそれを語るな……!”
激しい憤怒が、憎悪が、朱鎧から噴き上がり、尾のように肥大化した棘状の触手が、英雄の身体を弾き飛ばす……!
時間の経過と共に、歪な肥大化を続ける怪物の異形には、可視化された彼の苦悩が、”悲しみ”が刻まれているかのように思えた。
”畏敬の赤”を滴らせながら裂ける口顎が、獰猛な息とともに言葉を吐き出す。
「ただ踏み躙られ、奪われる平凡なる”弱きもの”が、どのような想いで貴様等のような、”英雄”の輝きを見上げていたかわかるか……? あのような輝きが自分達に、自分達の手にあればと、どれ程の者が願っていたか、貴様には理解できるのか……?」
「グッ……!?」
ガッ……!
大槌のように振り落とされた巨腕が、英雄と少女を襲い、防御のために交差した両腕をギシギシと軋ませる。
骨も肉も鎧装ごと磨り潰されそうな”圧”が、腹腔から吐き出される咆哮とともに叩き付けられていた。
「お前達の”輝き”は強い……! 誰もが見上げ、焦がれてしまう程に。だが、その強すぎる輝きには”影”がない。お前達の”光”は自らと同等の闇を照らし、斃す事は出来ても、自分達の足元にある小さな影を飲み込み、"覆い隠して"しまう。……そうだ。当たり前の事のように、人類の歴史として紡がれてきた貧困を、差別を、紛争を、弱きものの中で繰り返される搾取を、その根幹を! ……お前達が止める事は出来ない。その輝きがそれを照らす事もない。お前達に人間一人一人の心を救う事など出来はしない……」
銀の英雄を視る怪物の目が僅かに細められ、嘆きが青白い輝きとなって、周囲に充満する”畏敬の赤”の中を流れる。
「狂おしい程に焦がれた英雄にさえ、救えぬものがある……そう認めざるを得なかった"私"の絶望が、お前に理解るか……?」
「ヨゼフ……」
鎧装を軋ませる巨腕から、ヨゼフの絶望が、慟哭が溢れ出し、伝播してくるようだった。
より禍々しく尖り、硬質化した巨腕の朱鎧が展開し、迸った電光がサファイアと英雄を撃ち、弾き飛ばす。
既に自ら”畏敬の赤”を生成し、超常を絶えず顕現させる”心臓”と化した怪物は、それに相応しい”異形”を持って、二人の前に立ち塞がっていた。
「だが、その”絶望”によって僕は、”私”は、”創世石”に選ばれた……! その”業”で”神”を掴んだ……! だかラァa……!」
山羊の頭骨を象ったかのような兜が弾け飛び、四方に裂けた顎がそれぞれ別方向に蠢く、”獣”の貌を晒け出す。
「もう一度、”神”を掴み、”神”として人類の歴史を終焉らせる……! 人類を新たなる一個の”生命”として再生し、総ての宇宙でもう一度、”創世”を開始する……! それが”私”の捧げる”救済”だ……!」
”人類の可能性を殺す獣”。
爪と朱鎧の一部を黄金に染め、歪に肥大化した四肢を銀の鱗で覆った怪物は、茨で編まれた巨尾を地面に叩き付け、血臭に満ちた咆哮を響かせる。
「薔薇薔薇二刺テ病ルゾ……”英雄”、そして”救世主”。其の輝きはこの手で”赤”に塗り潰す……!!」
「……!」
負の思念に醜く歪んだ声が、”異常”を顕現させる。
天井が、床が、”鮮血神殿”を構成する”現実”がバリバリと裂け、底無しの虚無の中へと英雄と少女を引きずり込んでいた。
ヨゼフによって構築された足場らしきものに、二人の身体が叩き付けられると同時に、赤い砂塵が視界を覆い、四方から、甲殻に覆われた蟹の如き飛行体が襲来する……!
「ミリー!」
【了解……! ”揺らして転がすぜ……”!】
電子聴覚に指を当て、相棒を呼ぶ雄々しい声に、けたたましい通信が応える。
艦に宿る”畏敬の赤”の加護を、サファイアの”創世石”と直結させた宇宙船が、次元を超えて”鮮血神殿”へと跳躍。
瞬く間に、蒼い機竜へと変形した”超電子輝星獣”は、飛行体の爆撃から英雄と少女を防護し、電子音にも似た咆哮を響かせる。
「チュウ……!」
宙高く跳躍した英雄の銀の身体が、蒼の龍頭へと飛び乗り、連続して襲い来る飛行体の群れへと、その橙色の眼光を向ける。
「”放炎”……ッ!」
英雄の腕が、標的を指し示すと同時に、蒼龍の口顎から放射された炎が、飛行体を薙ぎ払い、次々と爆散させてゆく。
残る飛行体も、蒼龍の鋭い爪と尾が蹴散らし、その蒼龍の眼が真に斃すべき相手を探し、ギラつく。
だが、
【AaaaaaaaaaKaHaaaaaaaaaaaaaaaa――!】
「……!?」
探すまでもなく、”標的”は眼前に現れる。
視界を覆い尽くす程に、蒼龍に匹敵するサイズにまで巨大化した”人類の可能性を殺す獣”が、”超電子輝醒獣”を殴り付け、火花と共にその鋼を軋ませる。
カウンター気味に撃ち込まれた蒼龍の尾は、難なく受け止められ、怪物はそれをへし折りながら、蒼龍の巨躯を虚無の深淵へと容赦なく放り投げる……!
「ミリー……! ヨゼフお前は……!」
伸ばした英雄の掌は落ちていく相棒には届かない。
怒りとともに怪物の巨躯を蹴り、跳躍した英雄のブレードが、巨大化した”人類の可能性を殺す獣”の眉間を狙うも、それは蚊でも払うかのように、一指で容易くあしらわれる。
「刑事さん……!」
両肩の鎧装、その隙間から畏敬の光を翼の如く羽搏かせ、跳躍した少女が、英雄の身体を受け止め、ヨゼフが用意した最後の舞台を見据える。
(あれは……)
巨大化した異形は、元のサイズに戻っているが、その凶悪にして強大な気配は、縮むどころか、倍以上に膨れ上がり、増している。
彼が立つのは、その濃度の濃さ故に固形化した、”畏敬の赤”で構成された祭壇の如き舞台。
その場所で”決着”を着けるべく、怪物……”人類の可能性を殺す獣"は獰猛な咆哮とともに、二人を待ち構えていた。
NEXT⇒英雄特別篇Ⅸ 勇者ー"hero"ーⅡ