英雄特別篇Ⅲ 魔空—”chase”—
#EX3
荒涼の砂漠に、”畏敬の赤”の花が咲く。
【”光”は無垢なる陽の傍に還るべし】
【”影”なき”光”は”闇”に飲まれるべし】
”失せよ――!”
鉄仮面から響き渡る、呪詛の如き言葉の群れ。
単眼の鉄仮面から蒸気が噴き出し、鉤爪状の武装――”竜爪”が電光を帯びる。
何者かの意志に繰られるように、”戦闘員”達は、無軌道な暴力へとその”空っぽ”の身体を委ねていた。
”影”である彼等に、人間としての意志は感じられない。
「”人間の記憶を傀儡として操る”。あまり良い趣味とは言えんな……!」
”逆十字”を刻んだ黒衣が乱雑に舞い、高速で閃く鉄爪が狂騒の旋律を奏で、乱れる。
だが、鉄爪は男の拳に弾かれ、磨ぎ澄まされた”槍”のような鋭い肘が黒衣へと突き刺さる……!
男は流れる水のように、殺到する”戦闘員”の攻撃をいなし、躱し、円を描くように繰り出した足払いで、己が暴力に酔う黒衣の群れを瞬く間に転倒させていた。
幾度、攻防を繰り返しても、”戦闘員”達は、男に”触れる”事すら出来なかった。
……役者が違う。
”異世界”の異能を前にしても、”格闘者”として、男は”戦闘員”達よりも遥かな高みに立っていた。
技術も、経験も、”戦闘員”達の遠く及ばぬ領域に、男は立っているのだ。
示された”力”は、”宇宙刑事”と名乗る彼の矜持、実力そのものであった。
そして、
【”光”は無垢なる陽の傍に還る……べし】
【”影”なき”光”は……”闇”に飲まれるべし】
「……………」
無残な有様だった。
既に破壊された関節を意に介する事もなく、立ち上がった”戦闘員”達を憐れむように、一瞬、目を伏せた男は、鉄爪を閃かせた”戦闘員”へと、鞘から引き抜いた剣の如き、鋭利な蹴撃を叩き込んでいた。
その僅かな隙を狙った、残る”戦闘員”達の連撃も、男は容易に手刀によって捌き、返礼のように、強烈な裏拳を”戦闘員”の単眼の鉄仮面へと”喰らわせて”いた。
だが、
【グ…ガ……】
「——————!?」
裏拳によって鉄仮面を砕かれた”戦闘員”の黒衣から、真っ赤な茨の如き蔦が飛び出し、朱い霧を周囲に充満させる。
男の五感が、経験によって磨ぎ澄まされた”勘”が、危険の段階が一段階上がった事を、男へと訴えかける。
(”畏敬の赤”による強化か……!)
全ての”戦闘員”の黒衣が茨で覆われ、新たな”脅威”となって男へと襲い掛かっていた。
『鎧醒』したも同然の”強化”を受けた一群は、男の拳や蹴撃を物ともせずに、茨に覆われた四肢に暴虐を謡わせる。
「パワーは流石だ。だが……!」
銀の光が瞬き、男が跳躍した瞬間、”戦闘員”達の暴虐は互いの身体を貫き、砕いていた。
”畏敬の赤”の強化も、少女の記憶のみをその因果の依代とする”影”に、知性を与える事は出来なかったのである。
「”影”程度では、俺には触れる事すら出来んぞ、”ヨゼフ”……!」
”来るならばお前自身が来い……!”
”畏敬の赤”で編まれた茨の上に立った男は、軽くステップを踏むように”戦闘員”達の頭部へと次々と蹴撃を繰り出し、砂上に軽やかに着地する。
……”決着”である。
【グ……ガァ……】
同時に、総ての鉄仮面は砕かれ、茨も”戦闘員”達の黒衣も次々と塵へと還り、消滅する。
”ヨゼフ・ヴァレンタイン”の干渉も、一旦は途絶えたようである。
「……歴戦の経歴は伊達じゃないぜ」
そう呟いた男は、その身に残った”唯一の戦闘の形跡”である、土埃を払い、周囲の状況を確認する。
辺りを見渡せば、一面の砂漠。
空を見上げれば、灼熱の太陽が輝いている。
―—だが、奇妙な事に体感としては肌寒く、カラカラに渇いた景色とは裏腹のジメッとした湿度が、肌に絡み付いていた。
この場所は、”見えるモノ”と”あるモノ”が、まるで出鱈目だった。
「”ミリー”、聞こえるか? 俺の位置が特定できるか?」
【おおおおおお! ”…………”! 無事ダッタカ!】
耳に手を当てる仕草とともに、通信機を作動させ、問い掛けた男に、忙しない相棒の声が応える。
どうやら通信も、宇宙船も無事らしい。
だが、一つ看過できぬ”異常”があった。
(やはり、”俺の名”は”禁則事項”か……)
ノイズに罅割れた音声の中で、自分の名だけが”無音”だった。
”異世界での任務”では、度々こうした事が起きる。
”その世界”に大きく影響を与えるような”禁則事項”は、”その世界からの干渉”によって、その世界で活動する人間の認識から、”強制的に除外される”。
言わば秩序と均衡を保つ為の、”世界”の防衛行動だ。
時にそれは”特定の行為”であったり、今回のように”個人名”であったりもする。
理由は理解らないが、この度の任務――この世界では、自分の名は”禁則事項”に当たるらしい。
男は溜息を吐き、思考している間もマシンガンのように耳朶へと注ぎ込まれる相棒の言葉に意識を傾ける。
【理解ってるとは思うが、なかなかに大変な状況ダぞ、”…………”! 彼女を奪った事で、船からは手を引いたみたいだが、”畏敬の赤”の干渉が強すぎて、ほとんどの機器がほぼその機能を奪われている! それに、ソコはデータ状は存在しない……地軸転換装置でも使ワレタカのよーに”不安定で不透明な”空間だ。こうして通信出来ているだけでも”奇蹟”ダ!】
「……………」
成程。
現在地は不明どころか、存在もしていない。
言うなれば、実体を持たない蜃気楼のようなものだ。
見る事も、触る事も出来るが、現実には”存在していない”のだ。
現に枯れ果てた砂漠の景色が、夥しい苔に覆われた廃都市へともうその景観を変えようとしている。
そして、”ヨゼフ・ヴァレンタイン”の干渉はどうやらまだ続いていたらしい。
サファイアの記憶から新たに編まれた、”戦闘員”の一群がより数を増し、男へとその単眼を輝かせる。
隊列を組んで迫るその数は百、二百……否、およそ”三百”。
「……まさに、”魔空”か。となると、”コンバットスーツ”の完全な転送も難しそうか?」
【ウン! でも多分、彼女の――”創世石”の傍にいけば、ヨゼフの”畏敬の赤”の干渉を、”創世石”の力で上書きできると思う。とにかく彼女を捜すんだ、”…………”! ヨゼフが直接、彼女に接触する前に!」
装備の使用は先程も試みたが、”力”を完全に発揮する事は出来なかった。
潜り抜けられぬ窮地ではないが、奴が、彼女に接触する時間をかせがせる訳にはいかない。
少女の憂いが残る青い瞳が男の胸に蘇り、その拳が滾る想いに固められる。
「無事でいてくれ……! お嬢さん……!」
振り向かず駆けだした歴戦の勇者に、茨に覆われた黒衣の群れが殺到する。
蜃気楼の如き、”魔空”の廃都市は、命を賭した男の戦場と化していた。
※※※
「ん……」
骨の芯まで染み込むような厳寒に突き上げられるように、少女は目覚めた。
どこからか零れた水滴が、己が身が寝かされた石畳の上を流れる。
周囲の状況を確認すると、そこに在るのは、外界から隔絶された、石造りの薄暗い空間。
目の前に続く通路は、視線の数メートル先で複雑に分岐しており、迂闊な前進を躊躇させる設計となっていた。
——”迷路”。
そんな言葉が、サファイアの脳裏に浮かび上がる。
壁面には何かを抽象したような絵が彫られており、意味は解らずとも、その絵が生み出す不気味な景色と醸し出す瘴気が、少女の肌を粟立てる。
「な、何だコレ……!?」
そして、少女はそこで自分が”させられている”格好に気が付く。
この白い衣裳はまるで――”花嫁衣裳”。
心の何処かで夢見たものではあるけれど、この状況で、この心境で”着たい”ものじゃない。
いったい何で……、
「異世界の兄妹との”初遭遇”。……その祝事への、僕なりの歓迎の衣裳だよ。……”救世主”」
「………!」
石畳を革靴の靴底が叩き、硬質な音を響かせる。
耳朶を撫でたのは、甘い、蠱惑的な声音。
視界に映ったのは、中性的な、麗しく整った顔だった。
薔薇の香りを漂わせる白い礼服で着飾ったその青年は、眼鏡越しに見える切れ長の眼で、少女を見つめ、柔和な笑みをその口元に浮かべていた。
——”ヨゼフ・ヴァレンタイン”。
宇宙船の中で、”宇宙刑事”の男から見せられた写真に写されていた”被疑者”の顔が、いま、少女の目前にあった。
「あ、あなたは……!」
「ふふっ……”あの男”から聞いているかい? あの忌まわしい”宇宙刑事”から――」
美貌の被疑者はそう告げると、手にした一輪の薔薇を少女の鼻先へと差し出していた。
咽せ返るような甘い香りが鼻腔を突き、聴覚を惑わす蠱惑的な美声が、少女の意識と五感を酔わせ、乱す。
まるで”乙女の夢物語”に登場する王子をそのまま現実としたような、機械的なまでに美しい男だった。
典型的だとすら言える。
だが、人間の願望をそのまま形としたようなその”美”が、少女には怖ろしく、”あってはならないもの”のように感じられた。
そして、
「実に不幸な事だ。最初に”あの男”と接触してしまったせいで、君の認識は、些細で矮小な、あの”現実の檻の中”に囲われてしまった」
「……!」
反射的に飛び退こうとした少女の背後に、青年の柔和な笑みがあった。
高速で移動したというよりも、初めからそこに”居た”かのように、男は笑んでいた。
いや……本当にそこに”居る”かも定かではない。
視覚に焼き付く美貌と、五感を乱す甘い香りとは裏腹に、青年の”実在感”は希薄だった。
腰のバックル――”創世石”が少女に語り掛ける。
そもそもこの男が”存在していない”可能性すらある、と。
「ふふふ……僕の存在はだいぶ無茶をして繋ぎ止めているからね。この外見も、”現世”で活動する便宜上、使用しているに過ぎない。本来の僕の姿がどのようなものであったのか――もはや、”私”自身、覚えていないよ」
柔和な笑みの向こう側、”ヨゼフ・ヴァレンタイン”の冷めた目が赤々と輝く。
ここに居る”外部端末”の向こう側に在る、畏るべき概念を少女は確かに感知した。
「”救世主”という概念。それが”私”であり、”物質としての神”に選ばれし適正者の在るべき姿。キミも――そう考えているんだろう?」
「な……」
己と同じ、”創世石”の”適正者”であった男の言葉に、少女は息を飲み、語るべき言葉を失くす。
”救世主”なんて自分しかいない――。
その言葉とともに、戦い続けてきたのは自分である。
では、”救世主”とは――その概念とは何か。
二人の”適正者”の邂逅が、物語の次なる頁を紐解く――。
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