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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第一章 覚醒の兆候―NEXT LEVEL―
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第08話 白と黒Ⅰ-遭遇-

 #10


(ほぅら笑った、笑った、チィィズ)


 遠く失われてしまった、太く、朗らかな声が響の脳裏を駆け巡る。


 一週間程前、この愛想の欠片もない建物に呼びつけられた際、ホワイト氏はこれまで見たこともないような大仰な撮影機器を使い、“強化兵士(カスタム・ヒューマン)”四人の姿をカメラのなかに収めてくれた。


 いまにして思えば、あれは『煌都(こうと)』への推薦のための、“資料”としての撮影だったのかもしれない。――それにしては、見学に来たアルや、昼食を届けにきたサファイアも物珍しさから映り込み、最終的には単なる記念写真になってしまった感もあるが。


 けれでも、あの日、撮影されたその”記念写真”の複製は、響の自室に大切に飾られている。 

 多分、これからもずっと――。


「……ひどくなってきたな」


 二度と取り戻せぬ記憶(カコ)を噛み締めながら雨の空を見上げ、その飛礫(つぶて)を一身に受ける青年は、()き上がる感情に拳を保護するグローブを(きし)ませながら、建物のなかへと足を踏み入れる。


 保安組織ヴェノム隊長、(キョウ)=ムラサメ。


 犯人を追い()めるための自警団員、メンバーの配置・指示を終えた彼は、長、ホグランの城……この無骨な、無愛想極まりないビルを一人(たず)ねていた。

 ――自警団員にはやや“大仰”な指示を出してしまったかもしれない。だが、万が一を考えると、必要な処置だとも言える。


 特に脳内を(うごめ)く“怒り”が理性を揺らがせる、こんな夜には。


 ひび割れた石段が延々と続く階段を上る目的には、現状の報告、それもある。

 だが、彼にはそれ以上に気がかりなことがあった。


 それは今回の事件の前兆の(ごと)く彼の五感を(さわ)がせ、この街に潜む“何者か”の存在を彼に(ささや)き続けてきた戦士としての“(かん)”。その”勘”と”状況”から導き出した一つの推論である。


 瞳の奥にホワイト夫妻の姿がよみがえる。


 家族――そう、アルが弟ならホワイト夫妻は(まぎ)れもなく、自分の叔父であり叔母であった。少なくとも響はそのような目線で二人をとらえていたし、ほのかな憧れもあった。アルと夫妻の仲睦(なかむつ)まじい、あたたかな家庭の景色を目にする度に、そのなかに入ってゆきたいと願う自分を何度も認識した。


 自らという忌まわしい存在を思えば、不可能だとわかっていても、それは不可避の欲求だった。


 叔父は冗談(ジョーク)の好きな人だった。いつも凝った冗談(ジョーク)を考えだしては、会う度に披露してくれた。


 響にはやや難解なものもあり、叔父を満足させるような反応を示せたことのほうが少ないかもしれない。


 だが、叔父はそんな自分に、“少しずつ理解していけばいい。戦うこと意外の日常も。私の冗談がそのきっかけになれるならこんなに光栄なことはない“と言葉を投げ、力強く肩を叩いてくれた。


 その叔父に食卓へと招かれ、照れ臭さと慣れない状況とで所在なさげにしていた自分に笑みと、あたたかいスープをくれた叔母。交わした言葉は少ないが、一つ一つの行動と言葉に重さのある女性だった。


 “強化兵士”という存在のおぞましさを認識しながらも、響達の内面を、人間としての自分たちを見た上で、言葉を、真心(まごころ)をくれた。


 けれど、そんな二人はもういない。

 もう二度と、戻らない。

 だから、だからこそ、もう誰一人、“家族”を失うわけにはいかない――。


 ◇◇◇


「何の用だ、小僧」

 (かざ)り一つない殺伐(さつばつ)とした廊下を抜け、響が辿り着いた一室。その場所で、作業着姿の長は愛想の欠片(かけら)も見出せない無骨な声を響かせていた。


 響は苦笑しつつも、山のように書類を詰め込んだ結果、岩のような重量と硬度を手にしたダンボールに腰をおろし、自治区(ナザレス)の長の散らかり放題の部屋を(なが)める。


「現状はその書類にまとめてある。捜査の片手間で簡潔(かんけつ)すぎるかも、しれんが」

「フッ……お前も打字(タイプ)を覚えたか。此処(ココ)に流れ着いたときゃ戦闘以外、何も知らなかったお前が。あいかわらず誤字、脱字は多いようだが、な」


 響がデスクの上に置いた書類をつまみあげ、長、ジーン・ホグランが漏らした言葉に響の頬に赤味が差した。


 自分の人間的な、不慣れな部分を指摘されると、衆人環視のなかで裸になったような気分になる。


 戦場で生きてきた時間が長いせいかもしれない。純然たる人間としての生活期間はまだ一年と数ヶ月。よちよち歩きの赤ん坊と大差ない。


「……ぬかせ、アンタの目論見(もくろみ)どおりにいけば、どのみち、この街じゃもう使うことのない技能(ワザ)だ」


 口をついて出た言葉は皮肉のつもりだったが、そこに切れ味はなかった。悪戯(いたずら)を見破られた子供のように、バツがわるそうにうつむく響の表情(かお)がそこにあった。


 そして、彼は口を開く。喉の奥につかえたものを吐息(といき)とともに吐き出すように。


「悪かったな。アンタは……アンタなりに俺達のことを考えてくれてたってのに」


 ――悪態ついちまって。


 頭で理屈は理解できても感情は違う。ホグランが自分たちヴェノムの、自分たち一人一人のことを考えて“煌都”行きの件を提案してくれたのは彼らとて理解はしていたが、突然の提示と混乱と怒りで、あのような罵倒(ばとう)となってしまった。


 あれはあれで率直な感情の発露(はつろ)ではあったが、時間が経つごとにしこりのようなものが響の胸に残っていったのもまた、事実だった。


 けれど、いまは素直に“すまない”と口にすることができた。ホワイト夫妻の死によって情緒(じょうちょ)(みだ)れているのか、サファイアとの時間によって自らの感情を縛っていた(ひも)が緩んだのか。


 ……感傷的(センチメンタル)だな。どのみち強化兵士らしからぬ自分の在り様に響は軽く鼻をならす。


「ふん、年中暴れ通しのきかん坊が何しおらしいこと言ってやがる」

「んなっ……」


 しかし、一笑にふされた自身の感傷に、響の口はへの字に曲がる。このクソ爺はいつもこうだ。何をするにしても一筋縄ではいかない。

 ――だが、本当に感傷的だったのは響のほうではなかった。


「まぁ、かまわんさ、洟垂(はなた)れボウズが迷惑をかけるのは当然の話だ。ましてガキってのは……教師とか親の無理強いに反抗するもんだ。……残念ながら、俺は親とか教師なんていう上等なものじゃないが」

(じい)さん……」

「……この自治区(ナザレス)の長でありながら、まったくもって思慮(しりょ)の足りん話だ。お前たちを送り出すつもりでいたはずが、いまはお前たちが此処(ここ)にいることをおそらく誰よりも望み、心強く感じている。……昨夜(ゆうべ)、ホワイト氏と話したばかりだ。どんな結論であれ、お前たちの選んだ答えを尊重(そんちょう)すると」


 それなのに、な。


 そう告げるホグランの声は(かす)かに震えていた。いつも低音を響かせているあの喉から発せられたとは思えぬほど弱さを感じる声音だった。


 昨夜の親友との語らいが、いまは切なく、重い。響にしてみても、叔父の真剣な想いが胸に突き刺さるようで辛かった。


 彼が信頼し、進むべき道を(たく)してくれた自分たちは彼を、ホワイト夫妻を救えなかったのだから――。


「ホワイト氏から煌都で大規模なテロがあったことは聞いているか?」

「……ああ、ジェイクからも聞いてる。大層、派手な騒ぎだったらしい、な」


 食堂でのジェイクとの会話が脳裏に蘇る。俺達向き。そんな趣向の騒ぎだったと。


「――うむ。そして、そのテロに関わっていた人間の持ち物に例の“(さかさ)(じゅう)()”の紋章(エンブレム)が刻まれたものが存在したらしい。さらに、ごく最近に一夜のうちに一都市が消滅する事件が発生しているが……」

「……一夜のうちに、だと?」


 響の瞳に(ひらめ)いた驚愕(きょうがく)に、ホグランはうなずき、続ける。


「……うむ。そして、壊滅した都市を空撮したところ、都市全体に“逆十字”が描かれていたそうだ。破壊痕としてな。これはホワイト氏からでなく、“煌都”に勤めている弟から漏洩リークされた限りなく“機密”に近い情報だ」

「……そいつは投獄(とうごく)ものだな」


 もたらされた情報に響は苦笑。同時に自身の考えが正しかったことを認識し、辟易(へきえき)もした。


 発覚すれば、逮捕必至の情報をホグランの弟がわざわざ漏洩(リーク)させたということは、それをしでかした連中はこの辺境にも影響を及ぼすほどの存在だということだ。と、言う事は――、


「夫妻の殺害現場にもその(さかさ)十字(じゅうじ)紋章(エンブレム)があった。つまり煌都を正面から敵に回し、目をつけられるような連中がこの件にも関わっている。だから、ホワイト夫妻を、煌都(こうと)連絡(コンタクト)がとれる存在を殺害した。此処(ここ)(ひそ)かに何かをする為に。(おの)が目的を達成するために――」


 なら、ならば、敵が次に狙うのは……、


(ふぅん、随分(ずいぶん)、深く煌都と繋がってる(ヨロシクやってる)ようじゃないか。ミスターサウザンドの心配性も、存外、間違いでもなかったってわけか)


 予想どおりではある。敵が煌都と敵対し、世界の裏側に身を(ひそ)め、暗躍(あんやく)する存在なのだとすれば、かならずここを狙う。どうやって自分たちヴェノムの目から身を隠していたのかはわからないが――、


(ぬぅッ!?)


 その刹那(せつな)! ホグランが(デスク)の下に忍ばせていた護身用(ごしんよう)散弾銃(ショットガン)と、響が(まと)うコートにも似た戦闘服の下――その腰に(くく)り付けたホルスターから引き抜いた大型拳銃が轟音(ごうおん)を発し、下卑(げび)た声を響かせていた通風孔(つうふうこう)を直撃する! 


 ……無様な落下音が響いた。こんな銃撃程度で制圧できる相手だとは響もホグランも考えてはいない。


 そして、その推測(すいそく)を裏付けるように眼前(がんぜん)に落下した物体の姿は、倒すべき敵のその全容はあきらかに“異様”かつ“異常”、さらに“異形”であった。


 ありとあらゆる関節が外れ、団子のような状態となったそれはポキポキと小気味悪い音を立てながら、人体を再構成し、ゆらりと立ち上がる。


「ひひひ……いいねぇ、そもそも“暗殺”なんてのは(がら)じゃねぇんだ。アンタら派手好みで助かったぜ……」


 響とホグランが撃ち込んだ弾丸は男の鎖骨(さこつ)のあたりでコマのように回転しながら進撃を(はば)まれていた。男の皮膚はそれ自体が別の生物であるかのように(うごめ)き、男を防護している。皮膚に止められたはずの銃弾をさらに回転させているのは念動力(サイコキネシス)か何かだろうか。


 肌は色が白い――というより色素らしい色素が感じられない。


 白髪に(むらさき)色の(くちびる)、どんよりと(にご)った眼球(がんきゅう)。視界に入るだけで肌を粟立(あわだ)てさせるほどの死相、死臭を見るものに感じさせるこの男の容姿は、まさに幽鬼(ゆうき)と呼んで異論(いろん)ない容姿(もの)であろう。


 だが、その(にご)りきった眼には殺意だけが爛々(らんらん)と輝き、口元には引き()ったような笑みが張り付いている。死者の(ごと)き存在の希薄さと、道化師の(ごと)き騒々しさ、嘲笑(ちょうしょう)めいた悪意。それらすべてがこの男のなかで同居している。


 ――響やヴェノムの面々を“人殺しのための兵器”と(さげす)んでいた自治区(ナザレス)の住人たちも、この男の容貌(ようぼう)を見れば、即座に理解するだろう。


 人を殺すための人とはこういうものなのだろう、と。


 真に(おそ)れられ、忌避(きひ)されるべき強化兵士(カスタム・ヒューマン)の姿がいま、此処(ここ)()る。


「――響兄ちゃん」

「……!」


 そして、その忌避(きひ)すべき存在の喉から()れた音に、響の目は見開かれる。


 そこに響いたのは間違いなくアルの声であり、眼前の強化兵士(カスタム・ヒューマン)の顔は間違いなくアルのそれを形成していた。……おぞましい。男の顔面の皮膚がうごめき、生皮の仮面(レザーフェイス)を形成しているのだ。


「似てた、だろぉ?」


 次の瞬間、嘲笑(ちょうしょう)は風切る刃に(さえぎ)られた。響の背から瞬時に抜刀(ばっとう)された“村雨”が元に戻った強化兵士(カスタム・ヒューマン)の顔面を容赦なく殴りつけたのだ! (みね)による一撃だがそこに情けはない。相手を昏倒(こんとう)させるための――頭蓋骨(ずがいこつ)を粉砕するための文字通り、必殺の一撃だ。


「貴様は殺す。()り裂いて――(つぐな)わせる!」


 “村雨”を解放したことにより、刀身を通じ、増幅(ぞうふく)された殺意と闘争心が、響の赤の瞳を灼熱(しゃくねつ)させる。いま、強化兵士(カスタム・ヒューマン)が提示した自らの能力の一片。それがホワイト夫妻を襲った惨劇の欠片(かけら)を、その痛ましさを響に直感させ、彼の怒りを煮えたぎらせていた。


 “村雨”の一撃によって、派手に回転しながら床に叩き付けられた強化兵士(カスタム・ヒューマン)は、その様に目を細め、床に散らばった己の反吐を長い舌で舐めとる。


「……ふん、察したか。だが、あのジジババは幸せだろうが、息子の顔をガン見しながら、息子の麗しい声にまみれて死ねたんだからよぉ……ッ!」

「……!」

「しゃっ!」


 刹那(せつな)強化兵士(カスタム・ヒューマン)の鎖骨で回転していた銃弾が解き放たれたかのように響へと向かう。だが、響はそれが自らの肉をえぐるのもかまわずに突進すると、ゆらりと立ち上がった強化兵士(カスタム・ヒューマン)をタックル気味に弾き飛ばした。


 続けて繰り出した響の斬撃を、瞬時に刀剣へと変化した強化兵士(カスタム・ヒューマン)の腕が受け止める。この男の皮膚は他者への擬態だけでなく武器への変質も可能なのか――。


 強化兵士(カスタム・ヒューマン)は口内に溜まった血を吐き出し、忌々(いまいま)しげに、だが、心底愉(たの)しげに響を見上げる。


「……やるじゃねぇか、まったくお前達が(せわ)しなく街をうろついているせいで、思うように暴れられなくて困ったぜ。メインターゲットを()うまでは下手に警戒(けいかい)レベルを上げたくなかったからなぁ。言われたんだよねぇ、メインを含め――これから起こることがわからなくなるくらい殺せって。“彼”は本当の上司じゃないんだが……」


 腕の刃で村雨を弾き、強化兵士(カスタム・ヒューマン)は引き()った笑みを、より狂気じみた、ナイフのようなそれへと移行させる。


「気に入ったッ! てめえは俺がいじり殺す。異能結社(いのうけっしゃ)アルゲム、業煉衆(ごうれんしゅう)が一人、このジャック・ブローズ様がなぁ!」


 この男の、(いや)、この男の雇い主(クライアント)の目的は煌都と自治区(ナザレス)の交信の途絶。


 そのためには煌都との通信権限を持つホワイト氏の暗殺が必要であり、この男――ジャック・ブローズの能力はそれにまさに適任(てきにん)だった。


 関節を自在に操り、通風孔(つうふうこう)などに(もぐ)り込めるうえに、他の人間に擬態(ぎたい)する。暗殺者として申し分ない技能(スキル)だ。


 また、その任務には仕上げがいる。煌都(こうと)との通信権限を持つ、もう一人の男、自治区(ナザレス)の長ジーン・ホグランを抹殺しない限り、ジャックは、その雇い主である逆十字の連中は目的を達成しない。


 敵は当然、強化兵士(カスタム・ヒューマン)の集団であるヴェノムがこの自治区を警備していることを事前に調査していたはずである。


 ならば、ヴェノムとの戦闘を想定し、それを撃破できるだけの実力者を送り込んだはずだ。コイツは(ただ)のトリックスターじゃない。一瞬の攻防ではあったが、それは肌で感じることができた。 


 そして、目的を達成すれば、この男は間違いなく己が欲望のおもむくまま、殺戮(さつりく)に興じるだろう。その事実は男の眼と言動によって雄弁(ゆうべん)に語られている……。


「感謝しろよ、本当はあの坊主も標的だったんだ。運良く留守だったようだが、俺は優しい。テーブルの上に、おやつは用意しておいてやったろぉ?」


 臓腑をかッ!

 ――生かしてはおけない。響の全身から怒気が噴出し、残像すら振り切るスピードで躍動(やくどう)する。あのテーブルの上にあったものはいまだ響の脳裏(のうり)に焼き付いている。


 光が(ひらめ)いたとしか思えない高速の斬撃。怒りとともに打ち込まれるそれをジャックは肉を切らせながらも紙一重で受け流し、剣へと変化させた両腕を(はさみ)のようにして響へと突進させる!


 だが、そのジャックの一撃は響が蹴り上げたダンボール、その中に詰まっていた書類に防護され、両者の間合いはふたたび離れる。――一進一退。両者の力は拮抗(きっこう)、しかし、


「ぬッ!」


 ホグランが撃ち込んだ銃弾がジャックの頬肉を弾き飛ばし、彼に敵は一人でなく、二人なのだと認識させる。


 弾け飛んだ頬肉は逆再生された映像のようにジャックのもとに帰還し、(うごめ)く皮膚がそれを結合させる。


 ホグランは悠然(ゆうぜん)と銃を構え、自らがターゲットであることなど意に介することなく、響の援護にまわっていた。戦時中から荒廃のなかを生き抜き、自治区を立ち上げた豪腕と度胸は強化兵士にも劣りはしない。


「……下がってろ(じい)さん。お(もり)をしながら()れる相手じゃない」

「なんだ、守ってくれていたのか。残念ながら、俺はまだ介護(かいご)が必要な年齢(とし)じゃない――」


 響と対峙した(すき)を狙ったとはいえ、強化兵士に手傷を与えられる人間はそうはいない。ホグランが本来なら護衛など必要としない、屈強(くっきょう)な男であることは疑いようがない。

 しかし、今回の相手はそれを考慮(こうりょ)にいれても、余裕(よゆう)を持てる相手ではない――。


「ふっ…くく、くはははははっ!」


 そして、響とホグランを値踏(ねぶ)みするように(にら)みすえ、ジャックは甲高(かんだか)い笑い声を(ひび)かせる。


(いた)わりあいか、うるわしいねぇ! しっかも、その刀――精神感応物質(ヒヒイロカネ)かよ。そんなもんでわざわざ戦闘衝動(殺りたい気分)を増幅(ぞうふく)させてるような、しょぼい奴に俺は殺せねぇよ!」

「……何……?」


 ――精神感応物質(ヒヒイロカネ)


 初めて聞く名である。己の忌むべき半身とでも呼ぶべき“妖刀”ではあるが、それを構成する物質名までは響にも知らされてはいない。


 だが、このジャックは知っている。己のルーツに近い存在なのか、自分をこんな怪物へと精煉した国、組織と繋がりがある人間なのか、それとも“逆十字”の連中がそれそのものなのか――。


 響の瞳が様々な感情に、鋭く歪む。


「みせてみろよぉ! てめえの強化兵士(カスタム・ヒューマン)としての矜持(きょうじ)! 殺人機械(キリング・マシーン)としての(けが)らわしくも誇らしい、本性本番のてめえをよぉぉ!」

(わめ)くな、この刀は――(えさ)に過ぎない」

「!? 響ッ!?」


 言葉を発した響の瞳に、重々しい決意が(にじ)み、瞬時に察したホグランは戦場のなかで、一瞬、素の表情を見せる。


「これは俺のなかの怪物に、俺の殺意という(えさ)増幅(ぞうふく)して食わせるための、安全装置。怪物(コイツ)にとって俺の憎悪も、欲望も、感情もただの(えさ)に過ぎない。首輪を失くした煉獄(れんごく)猟犬(りょうけん)。お望みとあらば、いますぐ解き放ってやる――」


 響は構えていた妖刀を床へと投げ捨てると、一瞬の間もなく騒ぎ始めた内なる怪物を制御するべく意識を集中させる。


「……(じい)さん、その銃は身を(まも)るために使え。俺が理性を失ったら――迷わず撃て」


 その声はどこまでも澄み切り、刃の(ごと)く空を切り、響いた。そして――、


「……響っ?」


 その瞬間、サファイアは不吉な予感を肌に感じ、街路のなか、ふり返る。自分の肌に触れた響の指が、瞬時に“別の何か”に変わってしまったかのような奇妙(きみょう)な感覚――。


 (さび)しさと不安。自らの心を()き乱すものを(おさ)えるように、サファイアは拳を握り締めた。遠く離れていてもいつも側にあった“彼”の気持ちが消えてしまうような恐怖が、彼女の胸を締め付け、戸惑(とまど)わせる……。

 “無茶しないで、無理しないでね、響……”

 (かな)わない(ねが)いと知りながらも、サファイアはそう(ねが)わずにはいられなかった。


 NEXT⇒第9話 白と黒Ⅱ―人柱―

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