第6話 縁(えにし)
夕刻近く、下野守を始めとして官人達は引き上げて行ったが、土豪達は呑み続けている。宴を楽しんでいることは確かなのだが、それよりも誰もが、最初に席を立つことに躇いを感じているのだ。忠誠心を試されていることは知っている。
「これからが我等が本音で誼を深める時ぞ。酒も灯りの油も惜しまぬ。いくらでも用意するから、朝まで呑み明かしてくれ。ただ、済まぬが花嫁は疲れておろうゆえ、下がらせて貰う。千方と文脩には麿から話が有るので、我等も暫し席を外させて貰う。直に戻るので、その間気楽にやってくれ」
国守らを見送って戻った千常が土豪達にそう挨拶した。
「某、今日は殿を酔い潰そうと企んでおりますゆえ、お逃げ召さるな」
一人の土豪が、千常に絡んだ。
「逃げはせぬ。直に戻るわ」
千常は、ゆとりを持って笑顔を見せる。
「左様で。では、お待ち申し上げておりまする」
土豪はおどけて大袈裟に頭を下げた。
千常の居室である。
部屋に入り千常と千方が席に着くと、文脩は千方の前に座り頭を下げた。
「兄上、本日はお日柄も良く、真にお目出度う御座います」
千方のことを、伯父では無く兄と呼ぶように、千常から言われているのだ。文脩も既に二十八であり、妻子が居る。
「正直、気恥ずかしいだけじゃがな」
と千方が照れる。
「何を仰せですか」
「それより文脩。暫く会わぬ間に立派になったのう。これならば、跡継ぎの件、もう一度考え直して頂かねばならぬな」
常に心に有るわだかまりを千方が口にした。
「諄いぞ。もはや決めたことじゃ」
千常は真っ向から否定する。。
「兄上。麿のことはお気になさらないで下さい。己でも、当主の器では無いと思っておりますので」
文脩は己を卑下し、後継ぎのことは全く気にしていないと言う素振りを見せた。
「謙遜することは無い」
千方が言い切る。
「いえ、謙遜などではありません。命を懸けて戦ったことも無いので、もし、いきなり刃を目の前に突き付けられでもしたら、いばり(小便)を漏らしてしまうのでは無いかと案じております」
聞いた千常が怒りの表情を見せた。
「戯け! 例え戯れ言であっても、そのようなこと、土豪達の前で決して申してはならぬ」
そう言いながら、文脩に厳しい視線を送った後、千常は千方を見て、
「こ奴が跡継ぎでは、麿は安心して目を瞑ることが出来ぬわ」
と不機嫌そうに言う。
「父上には長生きをして頂きたいと思うておりますゆえ」
しらっとした表情で、文脩はそう言った。
「口の減らぬ奴め」
二人の遣り取りを聞きながら千方は、やはり実の親子だなと思った。千方は千常に対して、こんな風にものを言うことは出来ない。
「千方、文脩。これへ」
そう言われ、二人は千常の前に席を移した。
「文脩。千方を実の兄と思って仕え、麿亡き後は何事に寄らず下知に従え。良いな」
と改めて文脩に言い渡す。
「心得ております」
文脩も神妙そうな表情でそう答えた。
「何か申したきこと有らば申してみよ」
千常にそう詰められても、文脩は逆らわない。
「特に有りません」
千方には言いたいことが数々有ったが、口を挟めばややこしいことになると思い、黙っていた。
大体、文脩は心底から納得しているのだろうかと思う。千常が千方を後継と決めた当時は確かに幼かったが、今は二十九歳。立派な大人である。それに、千常が危惧するような頼りない男とも思えないのだ。それどころか、下らぬ軽口さえも、気分のまま口から出していると言う感じでは無い。相手がどう取るかを見据えて喋っている。
跡継ぎの件、考え直して貰うよう、真剣に千常に頼んでみようかと、千方は思う。一度言い出したことを簡単に変えるような千常で無いことは良く分かっている。一度、千方に約束したことを反古には出来ないと言う思いが有るのなら、例え逆らってでも撤回を求めるべきかも知れないと思った。
ただ、それを今言い出すことには少し躊躇いは有った。
「では、席に戻るとするか」
一通りの話が済むと、千常が言った。
「少しお話が有ります」
そう言って、千方が立とうとする千常を引き止めた。
「では、麿は先に席に戻っております」
そう言い残して文脩は出て行った。
「なんじゃ」
文脩が出て行くのを見送って、千常が聞いた。
「他でも御座いません。跡継ぎの件、今一度見直しては頂けませんでしょうか」
例え機嫌を損じてでも言わなければならないと、千方は思っている。
「諄いと申したのが聞こえなかったか」
これは危険信号である。若い頃はこの後言葉を重ねると殴られた。さすがに今は、それは無いが、機嫌を損ねることは間違い無い。
「麿の見ます処、文脩は十分に下野藤原家を背負って行けると思います。そうなると、敢えて麿が継ぐ必要は御座いません。もし、一度約束したことと拘っておいでなら、麿へのお気遣いはご無用に願います」
そう強く言った。
「汝に気を使っている訳では無い。文脩も納得していることじゃ」
と言い分を変えない千常を、
「文脩が、そう言う態度を取れる大人に成ったと言うことでは御座いませんか。心配は無いと思えますが」
と、千方は説得しようとする。
「そのようなことでは無い。文脩には兵の気概が見られん。それが、跡を任せられぬ理由じゃ」
一番案じていることを、千常は口にした。
「それは、親の目から見れば物足りぬことも御座いましょう。しかし、麿から見れば、十分に跡継ぎと成れる器と見えます」
「ぐだぐだ申さず、今は黙って麿の命に従え。いずれ、そのほうにも分かる時が来る」
尚も千常は言い分を変えない。
「しかし……」
と言い掛ける千方に、
「申すな。聞かぬ。戻るぞ」
そう言い残し、立ち上がると千常は、千方をその場に残しさっさと宴席に戻って行った。
千方が自分の居室に戻ったのは、夜明けであった。既に陽光が射し込んでいる。侑菜は普段着に着替えて、入口近くに背筋を伸ばして座している。そして、夜着は片付けられている。
「寝なかったのか」
と千方が聞く。
「殿がお客様方のお相手をしているのに休む訳には参りません」
座したまま千方の方に向き直り、侑菜がそう答えた。そして、掌を揃えて床に突き頭を下げた。
「侑菜と申します。末長く宜しくお願い申し上げます」
顔を上げてそう言った侑菜を見て、千方は、美しいと思った。千方も侑菜の前に腰を降ろす。
「千方じゃ。世話を掛けることになる」
「不束者ゆえ、どれ程お役に立てますことやら」
固い表情の侑菜が控えめに続けた。
「余り気を張らぬ方が良い。気を張り過ぎると持たぬぞ」
そう言って、千方が笑顔を見せる。
「お気遣い有り難う御座います。お水を用意しておりますが、お飲みになりますか?」
「貰おう」
侑菜は、部屋の隅に用意してあった水差しと椀を載せた盆を運んで来て、椀に水を注ぎ、差し出す。受け取った椀の水を、千方は旨そうに飲み干した。
「お休みになられますか?」
侑菜が尋ねた。
「うん。さすがに眠いわ」
千方が横たわると、侑菜は衣を持って来て千方に掛ける。その時、千方は目の前に伸びて来た侑菜の白い手を握って引き寄せたい衝動に駆られた。だが、既に陽は昇っている。千方は侑菜に背を向けて腕枕をした。
「宜しければ我が膝を枕代わりになさいませ」
侑菜が言った。
「いや、良い。腕枕で十分だ」
膝枕などしたら、きっと己を抑え切れなくなるだろうと思った。夫婦に成ったのだから、誰に遠慮が要る訳では無い。初夜が朝になってしまっただけのことである。しかし、この時代の舘には壁も襖も無いのだ。有るのは、横たわった全身を隠すには少し短めの衝立のみである。一睡もしておらず、先程まではただ眠いだけだったはずなのに、千方は眠れなくなってしまった。
「一両日したら都に戻るぞ。輿を用意せねばならぬな」
暫くして、侑菜に背を向けたまま、突然に言った。
「おや、お休みになってはおられなかったのですか」
「うん? 眠たく無くなった」
寝返りを打って侑菜の方を見て、千方が言う。
「輿は要りません。宜しければ、殿の馬に共に乗りとう御座います」
侑菜は楽しそうにそう言った。まだあどけなさが残るその表情に、若い娘の色気が溢れている。
「武蔵辺りまでなら兎も角、都は遠い。それでは体が持たぬぞ」
侑菜の申し出を嬉しく感じながらも、現実問題としての判断を伝える。
「ご案じ無く。これでも兵の娘。見掛けに寄らず、身体は強う御座います」
見た目に反して、意外と活発な女子なのだなと千方は思った。
「侑菜。そなた面白き女子じゃな」
と告げる。
「都のお姫様方と比べられれば、山出しの女子に御座いましょう」
“面白き女子” と言う表現が不服なのか、侑菜が少し拗ねる。
「そう言う意味では無い。麿のような年の男に嫁いだのに、怖じける処が無い。強き女子じゃ。そう思ったのだ」
「可愛げが御座いませんか?」
侑菜はまだ拗ねる。
「いや、この上無く愛しく思える」
拗ねると言うことは心を開いてくれていると言う事だと思い、嬉しくなって、千方はそう言った。
「まあ。そのようにぬけぬけと仰せになると、却って真実味が御座いません」
「何を申すか。麿は世辞など言わぬ」
と千方も、少し拗ねて見せる。
「正直申しまして、父の決めた縁談に何の感慨も御座いませんでした。でも、殿にお会いして、想いが少し変わりました」
いきなり、侑菜は本音を告げた。
「どう変わった?」
知りたくなった千方が聞く。
「さあ? それは殿次第かも」
と侑菜は勿体ぶって答えない。
「何やら謎解きのようじゃな」
まだ肌も合わせていないのに、侑菜とは元々の家族か知り合いのように自然に話せると千方は感じた。
「殿と添えて良かったと思えそうです」
真面目な顔になって、侑菜はそう言った。
「麿と歩む道は楽では無いかも知れぬぞ」
侑菜の言葉を嬉しく思いながらも千方は、己の人生がこのまま安寧に続くとは思えない不安を口にした。
「なぜそのように仰せかは分かりませぬが、分かりました。覚悟致します」
聡明な上に肝の座った女子だと千方は感じた。二人が契ったのは、その晩のことである。
侑菜は、やはり兵の娘であった。馬も乗りこなす。最初こそ千方の前に横座りになって相乗りで乗っていたが、上野を過ぎる辺りで、裾を絞った馬乗袴を着け、一人で乗ると言い出した。千方にしても、二人乗りは多少窮屈だし、面映ゆい。侑菜が一人で乗りたいと言い出した時「乗れるなら、その方が楽だろう」と即座に賛成した。
侑菜を前に乗せる為、千方は和鞍で無く蝦夷鞍を馬の背に置いている。和鞍は木製で場所を取るので前に人を乗せたり出来ない。それに引き換え、蝦夷鞍は革製で薄く、前輪、後輪などの突起物も無いので相乗りには好都合であった。それでも、都までの長い道程をずっと相乗りで行くのは、さすがにきつい。一人で馬の背に股がった侑菜の姿はなかなか様に成っている。
久し振りの蝦夷鞍である。一人になると駆け出したい衝動に駆られた。昔、夜叉丸や秋天丸と共に駆け回った隠れ郷や陸奥の山々が懐かしく甦って来る。それは、まるで昨日の出来事のような新鮮さを持った思い出である。日々、目の前のことに夢中になっている間に、いつの間にか時は過ぎた。
『老人になどには成りたくは無かった』と、父・秀郷も朝鳥も言っていた。次に気付いた時には、きっと自分も老人に成っているのだろうと千方は思う。もちろん、その前に死ななければという前提が有っての話ではある。
童の頃は未来とは無限と同義であった。だが、歳を経るに連れ、己が歩んで行くだけでは無く、互いに引き寄せられるように、人生の終焉もこちらに歩み寄って来るように思えて来る。人とは、死ぬ為に生きているのかも知れないと千方は思った。もし、若い時であったなら、妻を娶った直後にこんなことを考えたりはしなかったろう。そんなことを考える暇も無く、若くして命を失う者も多く居る。芹菜、そして、旋風丸が正にそうであった。
芹菜。死ぬなどと夢にも思わぬ命が、或る日突然失われた。旋風丸は千方自身が殺した。千方に取って、そのいずれもが衝撃であった。芹菜の死は、ただただ、理不尽としか思えなかった。襲われたとは言え、旋風丸を殺したことは悔やまれた。それらを忘れはしなかったが、その後、病ばかりでなく、殺し殺され、周り中で多くの命が失われて来た。余りに多くの死を見た。やはり記憶は薄れて来ていた。昨日までは……。
都に向けて旅立つ前日に訪ねて来たのは、祖真紀と犬丸だった。もちろん。祝の為の訪問ではあったが、それだけでは無かった。
夕餉の支度の為に侑菜が席を外すと、祖真紀が改めて千方に頭を下げた。
「どうした?」
不審に思って、千方が聞いた。
「祝の席の後にどうかとは思いましたが、やはり今申し上げて置こうかと思いまして」
「何を?」
「本来、亡き朝鳥殿が忌の際に殿にお話すると申していたことですが、それが叶いませんでした。そんな時には、手前がお伝えすることになっておりました」
「朝鳥の遺言か」
そう思って尋ねる。
「遺言と言う訳ではありません、芹菜のことです。お忘れであったかとは思いますが」
犬丸が祖真紀の方に顔を向けた。
「忘れてはおらぬ」
千方が答える。
「死んだ時、芹菜の腹には殿のお子が居たと思われます」
感情を抑えて、祖真紀はそれを伝えた。
「何!」
千方に取っては二重の驚きである。芹菜が身籠っていたと言うことと、己に子種が有ったと言うことのふたつである。
「確かなことか」
身を乗り出して、祖真紀に確認する。
「芹菜と親しかった庫裡香と言う年増の女子が、間違い無く芹菜は孕んでいたと申しました。庫裡香は何人も子を生んだ女子に御座います。だから分かったと申しておりました」
裏付けとなる証言が有った事を祖真紀が千方に伝えた。
「麿に子が……」
千方の中で色々な想いが渦巻く。
「はい」
驚いていたのは、千方ばかりでは無い。犬丸に取っても初めて聞かされた話である。事は、長老、朝鳥、祖真紀、庫裡香の四人だけの秘密として保持されて来たもので、芹菜の弟の犬丸にさえ知らされていなかったのだ。
腹の中で子は死に、流れたのだ。犬丸は瞬時にそう思った。突然の流産を姉はたった一人で迎えた。一人で後始末をし、誰にも話さず変わらず笑顔を見せて働いていた。それが死因だったに違い無い。何故? とずっと考えていた疑問に結論を得た。犬丸はそう思った。だが、実際には、芹菜の死因は、流産によるものでは無く、心の臓の病であった。それは、この時代、誰にも分からない事ではあった。
あんな元気だった姉がなぜ突然死んだのか。その理由は、犬丸には全く思いも及ばない事だった。この歳に成って聞かされたからこそ閃いたことだ。喧嘩ばかりしていた姉だったが、根は優しい姉であった。哀れと思う感情が沸き上がって来たが、ぐっと堪えた。そして、犬丸はその考えを決して口にするまいと誓った。
都への帰路はのんびりしたものだった。侑菜を気遣い、わざとそうした。都に戻ると、忙しい日々が続いた。仕事も忙しかったが、舘の中を世間並にすることに着手した。官職に就くとそれに応じた家人が支給される。元々の郎等達の他に家人は増えたが、女の使用人の数は極めて少なかった。
侑菜を迎えて新たに女達を雇い入れることにした。女達の纏めは、元は千晴の妻に付いていた茜と言う女にした。義姉の勧めに従ったものだ。義姉と久頼、それに千清は、今は都の外れでひっそりと暮らしている。千方はそれと無く援助を続けているが、久頼の官職復帰を何とかしなければならないと思っている。だが、千方の力では難しいことであった。侑菜の身の回りの世話には、夜叉丸の妻・雛を付けることとした。都出の女では侑菜が気疲れするだろうと思ったからだ。
また、これを機会に、古い郎等達を幼名で呼ぶのもやめることにした。




