【8】トリシューラ
「見ての通りだよ。お前を殺しにきた」
ヌンチャクを回して女が話す。
「お前を殺してトリシューラを奪う」
「……トリシューラ?」
私の疑問が解決される暇もないまま、女は再び攻撃を始めた。
奥歯をグッと噛み、衝撃に備える。
武器の長さは同じくらいだが、力のかかる量は相手の方が圧倒的に高い。
そうとう訓練を重ねているのか、女の動きには無駄がなかった。
しかし欠点はある。
あの武器は刀と比較して殺傷能力は高くない。
遠心力を利用する打撃武器だから突きによる攻撃も不可能だ。
一撃を弾いた直後、反発力により二撃目を繰り出すのにもわずかだが時間を要するだろう。
つまり攻撃を去なしてすぐに距離を取ることさえできれば、彼女の攻撃をまともに喰らうことはない。
繰り出された攻撃を凌いですぐさま距離を取る。
アンの隠れている壁と距離は開いていない。
まだ矢の届く範囲だ。
「お前の首には私の大切な人の命が掛かってるんだッ!」
なにか大きな執着があるのかそれとも焦っているのか、相手は私と違って積極的に攻撃を仕掛けてきた。
一撃、また一撃と手を緩めることなくヌンチャクを振るう。
こんな受け身の状態では作戦を練ることも癖を探ることもできない。
闇雲ではない素早い連撃は厄介だ。
「……ッ!」
上体を反らして追撃を躱わす。
直後、帽子の鍔にヌンチャクの先が当たった。
上体を立て直して咄嗟に後ろに下がる。
あと少し反応が遅れていたら頭は砕け散っていた。
この女は人を傷つけることに一切の躊躇いもない。
目の奥に潜んだ殺意が本物であることを再確認させられた。
ひらりと舞った帽子が足元に落ちる。
圧迫から解放された髪の毛が風に吹かれて乱れた。
視界を遮る前髪を左右に掻き分けて相手を睨みつける。
私も相応の覚悟をしなければならない。
「やっぱり。その眼はカドメア族」
女が私の額をキッと睨んで吐き捨てるように言い放つ。
「……カドメア族?」
聞いたことのない名前だ。
「人違いじゃない? 私の名前は––––」
「そんなことはない。他に三つの眼を持つ人間がいるはずがない」
カーンと轟音が響く。
ヌンチャクを地面に強く叩きつけて女が威嚇した。
「絶対に殺す」
「…………やれるものなら」
刀を構えて、次の攻撃に備える。
高速で回転するヌンチャクが盾の役目を担っているため刀を振るタイミングが掴めない。
横目でアンの方を見る。
まだ影を潜めたままだ。
アンも矢を放つ時機を見計らえないようだ。
アンが奇襲できるのは一度だけだ。
失敗したら女は私ではなく、まずアンを仕留めにいくだろう。
単純な足の速さで私が追いつくことはできない。
アンを守ることができる範囲はあくまで刀が届く距離までだ。
「……そうか。そうすれば」
考え方を変えればいい。
そう気がついた。
アンを守れる範囲が決まっているのなら、いっそのことその中で二人で戦えばいいのだ。
壁と女の距離を目で測る。
歩数で言えば十歩で、距離にしておおよそ七メートルといったところだろう。
お互いに見合っている今ならもう少し女を後退させられるかもしれない。
ヌンチャクが当たらないほどの間隔を取ったまま、刀の切っ先を向けて女との距離を詰めていく。
今まで受け身だった私が攻撃に転じたからか、彼女は警戒した様子でスッと後ずさりをした。
その分だけ歩を進め、二人の距離を一定に保つ。
想定通りだ。アンと彼女の距離はじわじわ縮んでいる。
一か八かの賭けだが、この作戦が成功すれば隙を作ることができる。
刀のリーチが短いのならば、届く範囲まで敵を追い込めばいい。
私に背後を向けることができない状況さえ作ることができれば……つまり私とアンで彼女を挟むことができたなら、ばどんな状況でもアンを攻撃することは不可能だ。
私の考えを察したのか、アンが壁の端から顔を出して目配せをした。
一歩。
また一歩。
女の動きを観察しながらそのときが来るのをじっと待つ。
まだだ。
まだ十分な距離ではない。
あと二歩後退した瞬間がチャンスだ。
ジリジリと張り詰める緊張感を頬に感じながら、アンの存在に気が付かれないように女を壁際に誘導する。
–––––––––––今だ。
この距離ならアンを守ることができる。
刀を握る手に力を込めて勢いよく地面を蹴り上げる。咄嗟に女は受け身を取った。
仕留める必要はない。隙を作ることが私の役目だ。
「アンッ!」
「任せてッ!」
私が刀を振り抜くのとほぼ同じタイミングで矢が放たれた。
弓が女を射抜くその瞬間にヌンチャクに刀を当てることができれば。
大きな衝撃が掛かった右腕に力を込めて刀を振り抜く。
破裂するような激しい金属音が林の奥まで響いていった。
「……クソッ」
膝裏に矢が突き刺さり、女がバランスを崩して倒れ込んだ。
同時に手から離れたヌンチャクが回転しながら地面に落下する。
作戦は上手くいったようで、女は自身の膝裏を両手で抑えて悶えていた。
しばらくは立ち上がれそうもない。
「それであなたの目的はなに? どうして私を殺そうとするの」
刀の刃を女の首元に当てて問う。
「言ったとおりだ……お前のその……トリシューラが私には必要なんだ」
女が私の刀を指差す。
「トリシューラ? 聞いたことないけど」
「代々伝わる名刀。正義を宿し、正義を成敗した刀だ。その刀には世界を変える力がある。お前なんかが持っていていい代物ではない。それを持つべき人物は他にいる」
「話が読めない。なにが言いたいの」
右腕の震えを抑え込むように刀を強く握る。
もし私に人を殺す覚悟があれば。
自分の中途半端さとわずかに残ってしまった善良を恨む。
生かしておけば、この女はまたこの刀を奪いに襲いかかってくるだろう。
アンの存在が知られてしまった以上、二度目の不意打ちは使えない。
再び対峙しても今回のように上手く事が進む自信はなかった。
「そもそも私はカドメア族じゃない。この刀だってお母さんから受け継いだものだし」
「嘘を吐くな。お前は……」
女が視線を下げて口籠る。獣の耳がぴくりと動いた。
「あなた、何者?」
小説や神話では、獣の特徴の一部を宿した人が描写されることがあるが、あれはあくまでも創作の話だ。
現実で獣の耳を持った人など出会ったことがない。
「私は……ただの人間……だ」
「そう。それだけでも聞けてよかった」
これ以上、話す気はないらしい。
恐怖の芽は摘んでおくべきだ。
釣り上がった目を見て確信する。
この女は生きている限り何度だって牙を剥くだろう。
いくら相手が同じ人であろうと命を奪いにきた相手を殺すことに躊躇ってはいけない。
そう自分に言い聞かせた瞬間だった。
出会ってすぐに感じた彼女への既視感。
どこかの予知夢で見たことがあると引っかかっていたが、矢を受けた彼女の足を見て答えと結びついた。
この女は村が焼かれた直後に見た予知夢––––即ち、アンが命を落とす際にそばにいた女だ。
つまりこのまま女を生かせば、私たちはまた戦うことになる。
もしここで女を殺せば、アンが死ぬ未来を変えることができるかもしれない。
そんな考えが脳裏に浮かぶ。
予知夢はすべて約束された未来で、変えることができないのはわかっている。
そもそもこの女の生存がアンの死と直接的な関係があるのかは不明だ。
それでも、彼女を殺すことで未来を変えることができるのではないかと、そんな期待を捨てきれずにいる。




