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【10】歴史

潤沢な食料を持って迎えた夜は恐怖心が薄かった。

ヤーグ村で入手した干し肉や水が活きたのだ。


その甲斐あってしっかりと睡眠をとることもできた。

長い距離を歩いたが、それほど疲労は感じない。


「明日の夕暮れ時には到着しそうかな」

 

丸石に腰をかけたまま、持った地図に視線を落としてアンが呟く。


自身の村からヤーグ村に到着するまでに費やした時間とヤーグ村を出てから歩いた時間を比較して、サンタ村まであとどれほど歩けばいいのかを計算しているらしい。


この地図がどこまで正しいものかは不明だが、目標が明確であればそのぶん気持ちは楽になる。


「実はね、サンタ村はあたしの故郷なんだ」

 

アンが地図の端をぎゅっと握る。


「そうなの……?」


「うん。八歳くらいまで村の端にある家で暮らしてた。当時から不幸はあったけど、それでも今と比べれば幸せだったな。あのときはまさか世界がこんな争いで満ちていて、その影響で自分の村が滅ぼされるなんて思いもしなかった。なにも知らない方が幸せだったな」

 

アンが神妙な面持ちで淡々と語る。


『あたしもこの世界が大嫌い』

 

出会ってすぐのころにアンがそう言った意味が今ならわかる。

 

初めから私たちは同じ場所から同じ景色を見ていた。

 

この世界は生きることを辞めてしまいたくなるほどに醜い。


戦いや貧困など私たちでは覆すことのできない大きな力が支配しているからだ。

一縷の幸福のために数多の不幸や理不尽で溢れる日々を生きるのが辛かった。

 

私たちはただ争いや差別のない穏やかな世界で暮らしたいだけだ。

 

それすらも叶えることができない世界が目の前には広がっている。

 

そんな世界を知れば知るほど不幸になっていく。

幸せを手放す不幸を知るくらいならば不幸なままでいた方がマシだ。

 

そう思ってしまうほどにこの世界は荒んでいた。


「きっと」

 

言いかけて口籠る。

 

世界を恨むことしかしてこなかった私が今になって綺麗事を言っていいのか。

それを口にすることは、生きることを望んでいるのと同じだ。


口にするのが怖い。


正しいと自分に言い聞かせてきた過去を捨てるのが嫌だ。


私は無知でありたい。


無知のまま傷つき続けてなにかのせいにして、変えることの出来ない運命を背負った被害者であり続けたい。

 

ずっとそう思ってきた。


「……きっと無事だよ。攻められたって話は聞いたことない」

 

それでも理想を語ってしまうのは、触れられる距離に誰かがいるからだろう。


ヤーグ村が滅ぼされた今、なんの説得力もない発言だ。

理論的には間違った発言であることは十分に自覚していた。


それでも。


「そうだといいな。ありがとう、アイ」

 

アンが曇っていた表情を綻ばせる。

 

それでも、アンが笑ってくれるならそれが嘘でも気休めでも正しいような気がした。


「おや、こんなところに人がいるなんて珍しいですね」

 

若干の気恥ずかしさを覚えて黙っていると、突如として背後から肩を組まれた。


耳のいいアンも人が近寄ってきていた気が付かなかったようだ。

 

何事かと思い左に視線を向ける。


アンは呆気に取られた様子で私の隣にいる人物を眺めていた。


「この辺の村の人ですか? 私、こっちの国に来て人と会ったのは初めてなんですよ。ちょうどこの国で暮らす人たちの話が聞きたいと思ってたところでして……」

 

内容に反して、まるで古くからの友人に話しかけるようなテンションで女が言う。

こちらがあっけらかんとしていることなど気にも留めずに、私たちが返答するのを待っていた。


「……あれ、どうしました? 私なにか変なことしました?」

 

しばしの沈黙を前にようやく違和感に気がついたようで、目を丸くして女は首を傾げた。


「いや、あの」

 

アンが当惑した様子で口を開き、


「あなた誰ですか?」

 

表情を引き攣らせながらそう言った。


社交的な彼女にしては珍しく警戒しているみたいだ。


「あぁ、ごめんなさい。そうですよね。まずは挨拶からですよね」

 

私の肩から腕を離して女が腰を上げると、背嚢を下ろしてグッと腕を伸ばした。

 

手入れのしていない長い髪の毛とじんわりと熱った頬に浮かぶそばかす。

細い縁の丸メガネをしているというのに、瑠璃色の瞳は大きくて丸い。

身長は私と同じくらいだ。

細い手足を包んだチェック柄の衣服が服に無頓着なことを物語っている。


「私はティア・カルタです。歴史学者で研究や調査をするため隣の国から来ました。好きな食べ物はステーキで嫌いな食べ物は海産物です。座右の名は歴史を知ればすべてを知れる。特技は調べることと戦うことで––––」


「ちょっと待って」

 

アンが一歩前に足を踏み込んで制する。


「今、隣国から来たって言った?」


「はい、言いましたけど」

 

さも当たり前かのような表情でティアが頷く。


「……そんな簡単に国境を越えることってできるの?」


「いや、そんなことないですけど。実は私こう見えて兵士でもあるんです。とはいえ侵略とか地位とかお金とか興味がないので戦う気なんてないですけどね」

 

ティアと名乗った女が腕を組み、私が座っていた丸石に腰を下ろす。


「じゃあ、どうして」


「だから言ったじゃないですか。調査するためです。兵士なんてのは建前です。私は研究さえできればそれでいいですから。どっちの国が争いに勝ってどっちが裕福になろうが私には関係ない。たくさんお金を持っていたところで正しい歴史を知ることはできませんからね」


「……なに言ってるのか全然わからない」

 

アンが頭を抱え込む。

珍しく相手との距離を測りかねているみたいだ。


「それでなんですけど。さっきも言ったようにお二人に少し聞きたいことがありまして」


「聞きたいことってなに……? 怪しいんだけど」

 

そう言ってアンが訝しげな目を向けるが、ティアは何食わぬ顔で口を開いた。


「別に変なことは聞きませんよ。この国の教育や歴史、伝説について知りたいんです。それに安心してください。そもそも私はあなたたち自身にはまったく興味がないですから」

 

無邪気な笑みでティアが言う。


きっと悪気はないのだろう。


「それで、お二人は宝石伝説ってご存知でしょうか?」

 

ティアが目の色を変えて言葉を放つ。

 

不意に背後から刺されたような感覚だ。

まさかその単語が飛び出すとは思いもしなかった。


「あ。そっちのあなた、その反応は知ってますね?」

 

アンから私に視線を移してティアがニヤリと笑う。


「なら話は早いです。実は私が研究しているのは宝石伝説とこの大地の歴史についてなんです」

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