表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世は社畜、今世は異世界で薬草茶カフェを営むことにしました~地味スキル「薬草鑑定」と「おもてなし」で、いつの間にか聖女と呼ばれています~  作者: 和三盆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/17

第9話 「帰還、そして新しい風」

王都での“聖花祭”を終え、橘花たちばなは森へ帰る馬車の中で、窓越しに流れる景色をじっと見つめていた。

王都での数日は、想像以上に密度の濃い時間だった。人々の期待と祝福、厳かな場に立つ重責、そして何より自分の中の小さな確信――「私のやっていることに価値がある」という実感を、初めてはっきりと味わった。


しかし、心のどこかにあったのは「帰る場所」への渇望だった。森の風、メイの笑顔、ルークの呑気な励まし。そうした日常の欠片が、橘花にとっては何よりも大切だったのだ。


馬車が森の入り口へと差し掛かったとき、橘花は胸がぎゅっとなるのを感じた。扉が開かれると、迎えに来たのは見慣れた顔ぶれ――メイは目を大きくして駆け寄り、ルークは木刀を肩にかけたままにこやかに立っていた。村の者たちも何人か見送りに来ており、懐かしい匂いや笑い声が一斉に押し寄せる。


「橘花さん、お帰り!」

「王都はどうだった? お菓子は食べた?」


声の洪水に、橘花は思わず涙ぐんだ。馬車の段差でくるりと体を翻し、彼らのもとに駆け寄る。メイが真っ先に抱きつき、橘花はその重みを胸に受け止めた。


「ただいま、メイ。みんな、ただいま……」


ルークは少し離れて、しかしその目は柔らかく橘花を見つめていた。彼が差し出したのは、旅の簡素な包み。中からは小さな革の護符が出てくる。


「王都の護符だ。けっこうしっかり守ってくれそうな気がするぜ。持ってな、旅の安全ってことで」


橘花はにっこりと笑って護符を受け取り、メイに向けて言った。


「ねえ、看板はどうなってる? お店、ちゃんとやってくれてた?」


メイは得意げに胸を張る。

「もちろんです! ルークさんと村のみんなで掃除もしたし、新しい小さな花壇も作りました。お客さんも毎日来てくれて……」


そこへ、年配の女性がそっと近づき、手に編んだ小さなリースを差し出した。彼女はカフェでよくお茶を飲んでいた村の鍛冶屋の妻だった。


「おかえりなさい。これ、店の入口に飾っておいたら、また誰かの心が少し安らぐかなって思ってね」


橘花は受け取り、声を詰まらせながら深くお辞儀した。王都での栄誉も嬉しかったが、こうして日常に根づくあたたかさを感じることの方が、ずっと大切に思えた。


「癒しの香」は変わっていた――けれど、良い意味での変化だった。

看板はメイと村人たちが手直ししてくれ、店の周りには小さな花壇が増え、店内の棚には手作りの陶器が並んでいる。客足も増えたようで、午後にはお茶を楽しむ人々の低い談笑が聞こえてくる。メイは橘花が不在の間に学んだ新しいブレンドを自慢げに説明していた。


「ここ、座ってて!」

橘花はカウンターの中に入り、久しぶりに湯を沸かす。手の動きは自然で、まるで何事もなかったかのように優しくカップを扱う。湯気が立ち上り、カモミールの香りが店内にふわりと広がると、誰かが小さくため息をついた。


その日来ていた客の一人、若い母親が橘花の目をじっと見つめる。


「王都で、みなさんが橘花さんを“聖女”って呼んでいるって聞きました。私も昨夜、あなたのお茶に救われたの」


橘花は恥ずかしそうに笑いながらも、静かにその話を聞いた。人々の言葉の多くは、彼女が望む以上の賛辞で満ちている。しかし橘花の胸は穏やかだった。それは“称号”の意味よりも、「自分の一杯が誰かを支えた」という実感が確かなからだ。


夕方、店の戸口で橘花が片づけをしていると、見慣れない青年が一人で訪ねてきた。薄い書物を抱え、黒いインクで掌に筆跡が残っている。顔立ちは真面目で、瞳には好奇心が宿っていた。


「ええと、初めまして。私はリーウ……王都の薬草学舎で学んでいます。王都での“聖花祭”の記録を取っていたのですが、貴女の淹れるお茶とお話を、もっと詳しく記録しても良いでしょうか?」


橘花はその申し出に驚きつつも、品のいい遠慮を感じ取った。ライネルや神官長のような政治的な顔ぶれではなく、学者肌の青年。彼は記録を職務とする真面目さを帯びていた。


「記録?」


「はい。薬草の効能や調合法、淹れ方、そして“おもてなし”の言葉掛けまで。科学的な側面と、人に寄り添う実践の双方を残せればと考えています。…もちろん、書物は公開や販売を目的にするつもりはありません。学会用の資料にしたいだけです」


橘花は少し考えてから、小さく笑って頷いた。王都での経験で自分の技術が過剰に転用されることを恐れる気持ちはある。だが、知識が正しく伝えられ、後の世の誰かが真摯に人を癒すために役立てるなら、それは悪いことではないと思えたのだ。


「いいですよ。私がやっていることは特別な魔術じゃない。草と人に向き合うだけ。正しく記録してもらえれば助かります」


リーウの顔はぱっと明るくなり、丁寧に礼をする。彼は何冊かのノートを取り出し、橘花の淹れ方や使う薬草、客への言葉掛けを細かく書き留めていった。メイは不思議そうに覗き込み、ルークは肩越しににやりと笑った。


「将来、学舎で“癒しの講義”をするのか?」ルークが冗談っぽく訊ねると、リーウは真っ赤になりながらも真剣に答える。


「はい、いつか…でもまずは、先生の元で学びたいです」


その言葉に、橘花はふっと力が抜けるように笑った。自分の知識が誰かの手に渡るとき、それは新しい風を生む。王都の大きな権威でも、商会の誘惑でもない。静かで確かな、次の世代へと続く道だった。


夜、メイと二人で片づけをしながら橘花は小さくつぶやいた。


「王都に行ったことで、色んなものを見てきたわ。けど結局、ここに戻ってきて気づいた。私が守りたいのはこの日常なんだって」


「うん! 私は橘花さんの弟子でいるのが幸せです!」メイは胸を張る。


橘花はふと窓の外を眺め、小さな明かりが揺れる村の方角を見た。風が花壇の葉を撫で、遠くでルークが何かを笑いながら話している。リーウのような学び手、新しい客、そして変わらない仲間たち。すべてがゆっくりと馴染んでいく。


「私のやっていることがいつか“聖女”と呼ばれるかもしれない。だけどそれは、肩書きじゃない。日々の一杯、一言が、誰かの明日を少し楽にするかもしれないってこと」


橘花はその日、いつもより少しだけ多めにティーポットを熱した。誰かが明日、ふと足を止めてこの店の戸を叩くかもしれない。その時、彼女はいつもどおりに湯を沸かして、静かに迎え入れるだろう。


森に、また新しい風が吹き始めた。小さなカフェは今日も、変わらずに香りを立てる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ