表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世は社畜、今世は異世界で薬草茶カフェを営むことにしました~地味スキル「薬草鑑定」と「おもてなし」で、いつの間にか聖女と呼ばれています~  作者: 和三盆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/25

第25話 「決断の杯 ― 綴とともに歩む道」

王都での会談から数週間。評議会の合意文は法的な効力を持ち始め、つづりは共同監査の下で慎重に扱われることになった。村の暮らしは、以前より少しだけ外の世界と繋がりを持った――だが危機は完全に過ぎ去ったわけではない。むしろ、これからが正念場だった。


橘花たちばなは朝の陽に照らされるカフェの前で、深く息を吸った。カモミールの香りがほのかに揺れる。今日、村では「綴の公開日」として、評議会の監査結果の一部を村人に披露する式が開かれる。公開とは言っても、個人情報は匿名化され、学術的な所見や倫理的な結論が中心だ。しかしその場の空気は、かつてないほど重く、期待と不安が渦巻いていた。


「今日は大事ね」メイがエプロンを直しながら言う。

「ええ。だけど私は、いつものようにいらっしゃった方を一杯で迎えることを忘れないわ」橘花は微笑む。彼女の手は自然に温かな湯気へと向かう。日々の所作が、ここまで来た全ての努力の証だと感じられた。


村の広場には、各地から訪れた評議会の関係者、学者、教会の代表に混じって、旅する役人や新聞記者のような者たちも集まっている。王都だけでなく、遠方の町からも人が来ていた。噂は広がりやすい。評議会の取り組み――「知を共同で守り、使う者の意思を最優先にする」という試みは、たちまち注目を浴び、各地の関心を誘っていたのだ。


リーウは会場の機材を最終確認し、カイン教授は論文の抄録を配布する。結は古い歌を小さな子どもたちに教え、ルークは入り口で静かに見守る。橘花はひとつだけ特別な用意をしていた。それは「決断の杯」と名付けた儀礼用の小さな茶碗だ。綴に関わることは選択であり、その重さと共にある人々の「意志」を象徴するものとして、彼女自身が淹れる一杯を捧げることに決めていた。


式は開会の詞から始まり、リーウがこれまでの経緯と科学的な所見を簡潔に述べた。カイン教授は解析の初歩的成果を示し、セレノ神官長は倫理的な枠組みを改めて確認した。会場は沈黙し、誰もが耳を傾ける。やがて、会場の最後に橘花が立ち上がった。


「私たちは、綴を使った“奇跡”を見せるためにここに来たわけではありません」静かだが確かな声だった。「綴は方法であり、物語の一部です。私たちが今日ここで示すのは、選ぶことの重みと、その後に生きる責任のあり方です」


橘花は決断の杯に茶を注ぎ、湯気を立てる。その香りは、森の暮らしと王都の学問を結ぶような、どこか懐かしく落ち着く香りだった。人々の目が注がれる。彼女は続ける。


「これから、公開されるのは解析の結果と、それをどのように運用するかの模型です。ですが私は、論文も数値も重要だと思いますが、それだけでは足りないと考えます。だから私は、ここで一つの提案をします」


人々のざわめきが静まる。橘花は一歩前に出て、目を閉じ深呼吸をした。彼女の表情は静かで、どこか凛としていた。


「綴の運用において、私たちは『被験者の声を世界に開く場』を作りたい。選んだ人が、自らの経験を安全に語り、他者が学べるようにする公開の〈語り場〉です。そこでは代償も真摯に語られ、誰もが判断材料を得られる。研究はデータを生みますが、生きた声は共感を生む。共感が倫理を動かすこともあります」


会場にしん、とした静寂が訪れた。やがて低い拍手が一つ、また一つと広がっていく。カイン教授の瞳に、光るものが見えた。評議会のメンバーたちは互いに顔を見合わせ、同意の眼差しを返す。


その後、公的な解析報告と合わせて、初の〈語り場〉の第一陣としてサイムとガルノ、そして数名の村人がステージに上がった。彼らは自分たちの体験を率直に語った。痛みが和らいだ日々の小さな安堵。代償として欠けた些末な記憶。けれどその代わりに戻ってきた日常と、仲間たちの手によって紡がれた新しい思い出――その話は会場にいた誰の心にも届いた。


語られた言葉は硬い文献とは違う力を持っていた。聴衆の多くが目を潤ませ、何人かは静かに頷く。遠方から来た人々の中には、泣き崩れる者さえいた。会場外で待つ見物人や旅人たちの間でも、この“人の声”を聞いた者たちの感想が瞬く間に広がっていく。伝承屋や旅の噂者、商人の口伝えが噂を運び、やがて王都の通りでも「綴の語り場」の話題が一つの話題となった。情報は、今度は真摯な共感とともに走り始める。


その夜、評議会は公開討論を開いた。商会の代表も参加し、学者や教会の代表と白熱した応酬を交わす。だが違いは明確になりつつあった――単なる利益主導ではない「人の声」が、社会的に強い影響力を持ち始めていたのだ。露骨な強引さは以前のようには通用しない。評議会の規約と公開の語り場が、外部の行動を抑止していた。


そして、夜も更ける頃。橘花は決断の杯を再び手に取り、会場の中央へ向かった。人々は静かに見つめる。彼女は深く頷き、一つの選択を宣した。


「私は――綴を完全に封印するつもりはありません。知は歩み、学びは進みます。でも私は、この村とここに来てくれた人々の『選ぶ権利』を守るために、もう一つルールを設けます」


彼女は会場の隅にいたリーウを見つめた。リーウは大きく頷く。橘花は続ける。


「これから綴に関わる研究や運用のすべてについて、必ず『綴の語り場』に相当する公開説明会を開催することを必須とします。研究は審査され、被験者の声は公開され、代償は正直に記録される。誰かが綴の力を利用して利益を得ようとしたら、我々はその一切を暴き出す。私は今日、この誓いをもって、評議会の監督と村の共同体の守りを永続させることを求めます」


会場には喝采と共感が湧いた。旅の人々も、学者も、教会も、そして遠くから来た見物人たちも、立ち上がって拍手を送る者が多かった。〈銀の秤〉の代理人は顔を青ざめさせたが、今や彼の力も公の場での説明責任に縛られつつあった。


その響きは王都の路地にまで届き、評議会の取り組みは瞬く間に広く報じられるようになった。人々はただのスキャンダル欲しさではなく、真摯な「語り」を求めて集まり、評議会の文書と被験者の証言がセットになったアーカイブは瞬く間に閲覧され、噂ではなく実体験として広がっていった。村の名前と「綴の語り場」は、遠くの町々の間でも語られるようになった。


しかし物語はそこで終わらない。公開が進むほど、綴の持つ意味は深まっていった。ある日の午後、カイン教授が橘花の元を訪れ、静かに言った。


「橘花さん、あなた方が始めたものは、学問と共同体の新たな協働モデルになる可能性があります。だが、今後は世界が注目するでしょう。私たちは慎重に、しかし確実に歩まねばなりません」


橘花はカップを両手で包み、窓の外の森を見つめる。メイが店先で笑っている。ルークが子どもと剣ごっこをしている。綴の運用が広がるとしても、ここにある日常が失われてはならない。彼女はゆっくりと頷いた。


「私たちは、ここから学ぶことを続けます。誰かの痛みを奪わず、共に生きる術を育てるために」


数ヶ月後、王都の学術誌には評議会の取り組みを紹介する特集が組まれ、語り場の書き起こしが冊子として配布された。遠方からの視察団が村を訪れ、橘花たちに学びを請うた。評議会はモデルケースとして他地域の相談に乗り始める。もちろん反発もあり、商会は新たな戦術を模索し続けた。だが、かつてのような一方的な奪取は難しくなっていた。


最後に、橘花は夜のカフェで静かにひとり、決断の杯を淹れた。湯気が立ち上り、月が窓越しに優しく差し込む。彼女は杯を胸に寄せ、小さくつぶやいた。


「綴は道具でしかない。道具をどう使うかは、人だ」


その言葉は、やがて評議会の第一の教義の一節として刻まれ、語り継がれることになるだろう。だが橘花にとって何よりも大事だったのは、目の前のカップを通じて届けた一人ひとりの安らぎだ。彼女は杯を差し出すと、誰が来ても変わらぬ声で言った。


「いらっしゃいませ。今日はどんな香りがよろしいですか?」


人びとの視線が集まり、評議会の物語は更に広がった。

噂はやがて真摯な関心へと変わる。だがその中心にはいつも、小さなカフェと、一杯の茶があった。綴とともに歩む彼女たちの道は、まだ続く――しかし、彼女たちはもうひとりではないのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ