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前世は社畜、今世は異世界で薬草茶カフェを営むことにしました~地味スキル「薬草鑑定」と「おもてなし」で、いつの間にか聖女と呼ばれています~  作者: 和三盆


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第13話 「裂けた噂と、守るための戦い」

綴のことが村で語られるようになってから、カフェ「癒しの香」はこれまで以上に賑わっていた。だが、その噂は良い方向だけで広がったわけではない。どこかで尾ひれがつき、「忘れさせる薬」「過去ごと消す力」などといった極端な解釈が混ざり始めていた。


ある日の午後、橘花がカウンター越しにお客さまにお茶を注いでいると、メイが駆け込んできて顔を曇らせた。


「橘花さん、村の外れに変な人たちが来てます! 鉄の鎧を着た人たちで、言葉づかいも荒くて……」


橘花は一瞬、胸が冷えた。ルークとリーウは同じ方向を見て、表情を引き締める。


「多分、傭兵か商会の下っ端かもしれない。噂を嗅ぎつけて、綴の断片でも奪おうって算段だろうな」ルークが低く呟く。彼の口調には、怒りが混じっていた。


橘花は静かに手を止め、カップをそっとテーブルに戻した。考えても仕方のないことだ。大事なのは、どう対応するかだ。


「まずは落ち着いて。メイ、店の裏口を閉めて。リーウ、綴の箱は安全なところに隠して。ルーク、外の見張りをお願い」


指示は自然に出た。皆がそれぞれ役割を引き受け、店は慌ただしくも秩序を保って動き出した。橘花自身は胸の奥で小さな緊張を感じながらも、「綴」はただの知識であって人を支える道具であり、それを奪おうとする者たちには別の力で対峙しなければならないと分かっていた。


夕暮れ、木々の影が伸びはじめた頃、四人は店の前に整列して立っていた。村の入口の方から、鉄の鎧を鳴らす粗野な連中がやって来る。先頭には、銀の秤商会で見かけたセドルの配下らしい、鋭い目つきの男がいた。彼の後ろには六人ほどの傭兵。表情は露骨に欲望を示している。


「タチバナ橘花か。噂で聞いたぜ。綴とやらを寄越せ。王都の金を出せば、商会は黙ってない」

男の言葉は冷たく、威圧的だ。傍らの一人が甲高く笑う。


橘花は一歩前に出た。夜の空気がひんやりと肌を刺す。だが彼女の声は穏やかで、しかし揺るがなかった。


「綴は私たちが預かっています。持ち出すつもりはありません。ここはただの村で、奪いに来る理由はありません」


男の目が一瞬細くなった。「奪う? お前、それを国や大商会に売れば山ほどの銀になるんだぞ。お前は理解してない。権力と金を手にすれば、お前の『癒し』は全国に広がる。抵抗する意味はない」


橘花はかすかに口元を締め、振り返って皆の顔を見る。メイは震えながらも立っている。リーウは紙束を抱え、ルークは刀の柄を指で押さえている。村人たちも路傍から顔を出し、子どもは母親の影に隠れている。


「……私のやり方は売り買いの道具にするつもりはない」橘花は静かに答える。「それに、綴に書かれていることは人の心に触れるものです。勝手に使えば誰かの記憶を奪い、人生を壊すかもしれない。私たちはそれを防ぐために、ここで管理しています」


傭兵のリーダーは嗤った。「言葉がうまいな。でも言い訳だ。金の前ではすべて消える。おとなしく出せば誰も傷つかねえ」


ルークが前に出て拳を握る。「ふざけんな。お前らが何しに来たか分かってる。俺はこの村の外の盾だ。橘花の言葉の前に立つやつが通れるかっての」


緊迫した空気が流れた。その時、リーダーは手を挙げ、合図を出した。傭兵たちが一斉に前に詰める。争いは避けられないかに見えた。


だが橘花は叫ばなかった。彼女は深呼吸をし、いつもの茶壺に手を伸ばした。持ち出したのは特別な薬ではない。嵐の夜に皆を落ち着かせたブレンド、安定と共感を促す薄いミントとラベンダーの茶だ。


「皆さん、どうか耳を貸してください」橘花は傭兵たちにも向けて茶を淹れ始める。手つきは淡々としているが、誰の目にも何か温かいものが滲んでいる。香りが空気を満たす。攻撃の手が止まる。ほんの一瞬、世界がゆっくりと動いたように思えた。


リーダーの眉が揺れる。「何だ、その臭いは……」


「飲んでみてください。喧嘩する前に一息入れてほしいだけです」橘花は差し出した小さな器を、最初は傭兵の一人に向けた。男は侮蔑と警戒の入り混じった表情で器を受け取る。だが、口に含むと、彼の肩の力が抜け、眉間の皺がふっと緩む。次に一人、また一人と、少しずつ器が回る。大声が消え、低い囁きが広がる。


「……なんだ、落ち着くな」傭兵の一人が小声で言った。対立の熱が鎮まり、代わりに虚無や悔恨のようなものが顔に浮かぶ。橘花はその変化を見つめながら、心の中で制約を思い出す。彼女たちの誓い――同意がない限り、深い記憶に手を入れないこと。今はただ、「今」の怒りを鎮めるだけだ。


リーダーが器を受け取り、飲み干す。彼はしばらく黙っていたが、やがて重い声で言った。


「……お前は面白え女だ。金で動く連中とは違う、何かがある」


「だから奪いに来たんです。商会が黙っちゃいねえ。セドルの命令で、綴を手に入れろって」別の傭兵が言うと、リーダーは顔を曇らせた。セドルと名を聞いて、周囲の表情にも緊張が戻る。


橘花はゆっくりと立ち上がり、視線をリーダーに向ける。


「セドルがまたですか。あの人は“価値”で世界を図る。けれど、綴は商品ではありません。もし彼がそれを手に入れて乱用したら、多くの人が自分でも気づかない代償を払うことになる。それを見過ごすわけにはいきません」


リーダーの目が鋭くなる。「じゃあどうする? お前一人で守れるか?」


ルークが一歩前に出る。「女だと侮るならいいさ。でも俺たちがいる。村は簡単に屈しねえ」


その時、村の年配の鍛冶屋が表に出てきて、杖を突きながら言った。彼の声は驚くほど強かった。


「この村は長い。外から来る者が奪いに来たこともある。けれど我らは自分の暮らしを守る。綴が何であれ、村の者の意思を無視して持ち去ることは許さん」


傭兵たちの間に、微かなためらいが生まれる。金は魅力的だが、盲目的に従うほど傭兵も愚かではない。リーダーは器を持ちながら、遠くでやり取りを想像しているようだった。やがて彼は溜息をつき、器を地面にそっと置いた。


「今回は引く。だが、商会には話をする。お前たちも黙っていられないなら、こちらから動くことになる」


そう言うと、傭兵たちは重たい足取りで村を離れていった。夜の道を行くその背中に、橘花は静かに頭を下げた。勝利というには程遠いが、奪い取られずに済んだことは事実だった。


夜が深まると、村の人たちは静かに集まり、橘花たちの前で小さな会合を開いた。誰もが口々に不安や怒りを吐き出す。リーウは学術的な観点から、綴の記録をより厳重に保管する提案をした。メイは、客に向けた説明文を整備することを提案する。ルークは、村の見張りを強化し、外部の圧力に備えることを誓った。


橘花は皆の前で、ゆっくりと話した。


「今日、私たちは守るために立ちました。綴は知であり、責任です。奪われれば、人が被害を受ける可能性がある。だからこそ、私はここで皆と一緒に守りたい。権力への屈服も、暴力で奪うこともしたくない。けれど、話し合いができる相手なら、対話を選びます」


村人たちは頷き、火の周りに小さな輪ができた。誰かが囁いた。


「お前がここにいてくれて良かったよ、タチバナさん」


橘花はそっと笑い、窓の外の月を見上げる。戦いは終わったわけではない。商会は手を緩めるまいし、噂はまだ尾を引く。しかし、村には守る意思と、橘花の言葉を支える仲間がいる。彼女は改めて、自分たちの誓いを書き留めることを決めた。綴を扱うための規約、同意の手続き、保管の仕方──全てを文書化し、村の代表と共に誓約を交わす。


翌朝、橘花はいつもどおり湯を沸かしていた。カウンターの奥には、新しく作られた小さな木箱が置かれている。表には皆の署名が刻まれた小さな札がぶら下がっていた。メイが明るくその札を磨いている。


「これで少しは安心ね」メイが笑うと、橘花は深く頷いた。


だが彼女の心には、遠くで渦巻く波がまだ見えていた。綴が呼ぶ光は、守るべき温もりを与える反面、常に試練を招く。橘花はカップを手に取り、静かに自分に言い聞かせた。


「私は、この場所を選んだ。だから、守る。」


香り立つ茶の湯気が、朝の光とともに伸びる。小さなカフェはまた、日常を取り戻し始めた。しかし、外の世界は静かに次の動きを準備している。それでも、橘花たちは一日一杯の丁寧さで、人々の心を維持してゆく——それが、彼女たちの戦い方だと知って。

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