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 気分がいい。足取りが軽い。男の子と接してこんなに浮かれた気分になったのは初めてだ。

 夜も更けて、人通りもまばらな団地の通り。街灯が照らす道は少し不気味で、女の子が一人歩きするには少し不安な時間帯。


 しかし、少女の表情は明るかった。


 学校で「激シブのたわわさん」と呼ばれる彼女は、見えてきた自宅に脚を速め、玄関の扉を開けた。


「ただいま~!」


 母の頭がリビングから出てくるのが見えた。きっと小言を言われる。我が家は女の子が夜に出歩くのをヨシとしない。だから、なにか言われる前に二階の自室へ駆け込んだ。

 せっかくの気分に水を差されたくない。できれば、このポワポワした気持ちを相方に、気持ちよくベッドへ飛び込みたかった。


「はぁ~……」


 ため息は幸せを感じる瞬間も出てくるのだと初めて知った。なぜか今、自分は無駄に万能感を感じている。


 お風呂に入り明日の準備をしたらベッドに入って、また彼に会うことを想像しながら眠りにつく。

 浮かれた気持ちで胸を高鳴らせる。たわわさんは机の上にちょこんと乗った鏡の前でコンタクトを外す。途端に視界がブレて周りが見え辛くなった。机の引き出しから眼鏡を取り出し装着。

 すると、そこに扉をノックする音が聞こえてきた。


『妹よ、帰ったのか?』

「あ、お姉ちゃん」

『入るぞ』


 こちらの了承もないまま、部屋に姉が乱入してくる。

 頭にタオルを乗せ、髪や肌からまだ湯気が上がっている。衣服はショーツしか身に着けていない。ほぼ全裸だ。手にはスマホ。それを携帯するなら服を着ろと言ってやりたい。前髪で目元が隠れた顔。その容姿は、店長が先日助けた目隠れさんに似ていた。


「ちょっとお姉ちゃん、わたしまだいいって言ってない。ていうか、そんな恰好で家の中うろつかないでよ」

「家の中でくらい好きにしていいだろ。母さんから伝言だ。次に夜遊びしたら3ケ月は小遣いナシ、だそうだ。よかったな、まだイエローカードみたいだぞ」

「むぅ~……ちょっと遅くなっただけなのに~」

「しかしお前がこんな時間まで外をうろつくなんて珍しいな」

「それよりお姉ちゃんは今すぐに服着なってば。風邪ひいちゃうよ」

「私は生まれてこのかた風邪などひいたことはない」

「そうだったね。でもそういうことじゃないから」


 姉はズケズケと部屋に入ってくると、髪を拭きながら妹のベッドに腰を下ろした。隣から姉の体温が伝わってくる。


「どこに行ってたんだ?」

「だから、友達の家に」

「お前、学校に友達なんかいないだろ」

「い、いるもん!」


 姉の失礼な発言に顔を赤くして憤慨する。

 クラスに話をする相手はいる。が、彼ら彼女らと学校外で交流があるかと言われれば……ない。事務的とまでは言わないが、必要なことを一言二言かわしたらそれで終わり。

 唯一、隣の席に座っている、ちょっと怖い感じの女子生徒とは、たまにどうでもいいことを話したりはする。そうだ、きっと彼女こそ自分の友達に違いない。あまり会話が拡がった記憶もないし、こちらから話しかけるとめちゃくちゃ面倒な顔をされるが、それでもきっと友達に違いないのだ。友達ゼロなんてそんな悲しい事実は、自分にはない。ないったらない。


「まあいいがな。しかし驚いたぞ」

「なにが?」

「これだ。私のところにまで回ってきた」


 姉がスマホを見せてきた。そこには明らかに隠し撮りされたと分かる写真が表示されていた。たわわさんのバストアップ、あまり画質はよろしくない。


「まさかお前が人前でこの格好になるとは。私でさえお前が着飾っているのを見たのは一ヶ月も前だというのに。どういう心境の変化だ」

「た、たまたまだよ」


 思わず目を逸らすたわわさん。しかし姉は明らかに挙動不審な妹の様子に顔を寄せてくる。

 この妹、きちんと身だしなみを整えればとんでもなく化けることを姉は知っていた。

 

 たわわさんのもう一つの姿……それは、先日店長が助けた、あの猫背で陰鬱で挙動不審で前髪で顔を隠した、陰キャ成分に漬け込まれたような女子生徒……目隠れさんとしての側面だ。


 中学の時に、その容姿のためか学校中の男子からそれはもう熱烈過ぎるアプローチをされてきた過去を持つたわわさん。加えて同性からはやっかみの視線を向けられ、それが原因で彼女は自分の姿を偽るようになってしまったのだ。

 しかし外見というのは内面にまで影響を与えてしまうことを姉は知っていた。それ故に、高校進学を期に彼女の姉は『ある特定の環境』において妹へ身だしなみに気を遣うよう言いつけたのだ。


 少しでも本来の自分の姿を思い出せるように、という姉なりの配慮と心遣い。それが、校内で稀にたわわさんが目撃される理由だった。


「お前、なにを隠している?」

「な、なにも隠してないよ?」

「好きな男でもできたか?」

「えっ!? な、なんでお姉ちゃんがそれを知って!?」

「……適当に言ったつもりだったのだが、まさか図星とは」

「は、嵌めたねお姉ちゃん!」

「勝手に自爆したの間違いだろ……しかし、男をあれだけ怖がっていたお前が、まさか恋に落ちるとはな……相手は誰だ? 変な奴ならお姉ちゃん許さないぞ」


 勝手に話が進んでいく。

 しかし姉の変な奴呼ばわりに、たわわさんは珍しく大きな声を上げる。


「へ、変な人じゃないもん! 優してカッコよくて! あとあと! 優しい!」

「なんで優しいを二回も言った。あと相手の解像度が低すぎる……お前がこの格好をして優しくしない奴なんていないだろ」

「ち、違うもん。そのひとは、私が髪で顔を隠していても、助けてくれたんだもん」


 もんもん、と幼子のように彼の素晴らしさを少ない語彙でなんとか表現しようと躍起になるたわわさん。姉にさえ歯向かってくることなどほとんどなかった妹が、ここまで言い返してくるとは珍しい。


「お前がどれだけそいつを好きなのかは十分に理解した。で、話を戻すが相手は誰なんだ?」

「あっ……え、え~と………い、一組の男の子、なの」

「なぜ急に歯切れが悪くなる?」

「だ、だって……」

「ふむ」

 

 たわわさんは思い出す。

 先週末、例の脅し事件のあと――



 金曜日のことだ。

 たわわさんはいつものように学校へ登校すると、隣の席に座るパーカーを着た女子生徒……ネコからこんなことを言われたのだ。


「――あんたにちょっかい出してきた男子、アタシがシメといたから」


 スマホにぶら下がっていた謎のおじさんキャラのぬいぐるみをギリギリと握りしめながら。

 なぜ彼女がそのことを知っているのか、という疑問を抱く前にたわわさんは「ひぇ」と後ずさった。

 聞けば、たわわさんを助けた男子生徒とネコはいわゆる幼馴染の関係性……彼女は腐れ縁と言っていたが……らしく、たわわさんが脅迫されてすぐに、彼から脅迫相手をどうにかしてほしいと頼まれたとか。


「あの様子じゃもう学校来ないかもね。アタシにビビってガチで漏らしてたし。そこまで根性あるタイプには見えなかったから、とりあえず今後なにかされる心配とかはしなくてもいいと思うよ」

「あ、ありがとうございます……」


 相手が不登校になるかもしれないと聞いてお人好し過ぎる彼女はどうにも素直に喜べなかった。が、やはりそれなりの恐怖は植え付けられたようで、相手を擁護することもなかった。

 たわわさんがどっちつかずの感情に迷っていると、


「はい」

「え?」


 手のひらを向けられて、たわわさんはおっかなびっくり自分の手を重ねた。


「お、お手?」

「ベタなボケ返すじゃん。そうじゃなくて、お礼」

「あ、ああっ! すみませんすみません! で、でも今、手持ちがそこまでなくて……なにか別の形でお礼を……そ、そうです! わ、私にできることなら、なんでもやりますよ!」

「……言っといてなんだけど、そういうこと他の相手に絶対に言わない方がいいから。あと、これ冗談だから、冗談。ジョーク」

「じょ、冗談……で、でもお礼はしないと」

「別にいいよ。あいつから店の商品券ガッポリもらえることになったし」


 あいつ、とは自分を助けてくれた男子生徒のことだろう。

 話の流れに頭が置いてけぼりになり、つい思考の端に追いやられてしまったが。

 彼の姿を思い出した途端、たわわさんの顔が目に見えて赤く染まった。


「あ、あの……」

「なに?」

「その……ネコさんは、幼馴染くんとはその、お付き合いとか、してるんですか?」

「はぁ~?」


 質問の直後、ネコは見るからに不機嫌そうな顔をしてたわわさんを睨んできた。


「ありえない。あいつとはただの腐れ縁。恋愛感情とか死んでも湧かないから」

「でも、とても優しい人ですよ? あと……か、カッコいい、と思います」

「え? なに? もしかしてあんた、あいつに惚れたの?」

「~~~~っ!?」

「ええ……」


 困惑の表情を浮かべるネコ。しかし「まぁでも」と納得したような顔になる。


「ああいう助けられ方したら、惚れるのも無理ないかもね。趣味がいいとは言えないけど」

「あ、あう……」


 真っ赤な顔をして俯いてしまうたわわさん。助けられたのはもちろんだが、男の子からあんな風に自分の内面を肯定されたことはこれまでなかった。中学の時も、外見を褒めてくれたり、内面の上澄みだけを掬ったような軽い言葉はいくらでも聞かされてきた。だが、その言葉の奥には男子の下心が透けて見えて……告白の度に向けられる、滾った視線と感情に恐怖を覚えてきた。

 

 しかし、保健室で彼がくれた言葉は、思った以上に自分の中にストンと落ちて、胸につかえていたモヤモヤとした気持ちが晴れて、代わりにこれまで感じたことのない温かい気持ちが溢れてきた。

 

 家に帰ってから、ぼーっとするまま彼のことを思い出し、鏡に映る自分の気持ち悪いくらいににやけた顔を見てベッドで思いっきり悶えた。あとついでにそのせいで母に「うるさい!」と怒られた。


 たわわさん、人生初のガチ恋である。

 

 が、ネコは「ああでも……」と珍しく歯切れが悪そうに口を開く。

 パーカー越しに後ろ髪を掻いたかと思えば、胸元に垂れた毛先をいじりながらたわわさんを見つめ、


「あんたの恋、ちょっとハードル高いかも」

「え? な、なんでですか?」

「だってあんたさ――」



「――どうした、急に黙って?」

「う、ううん! なんでもないよ!」


 訝しむ姉にたわわさんはあきらかに挙動不審な姿を見せる。

 姉は首を傾げつつ髪を乾かし、目元を隠していた髪をかき上げた。


 ……うう~、言えるわけないよ~……だって――


 湿った髪の中から現れた顔……それは、


 ……私の好きになった人が、


 怜悧な眼差し、半裸を超えて全裸一歩手前なくせに面差しは凛として、その有り余るほどに豊満なプロポーションは同性さえ魅入ってしまうほどに美しい。たわわさんの通う高校で、その名を知らぬ者がいないほどの有名人。


 ……昔、お姉ちゃんがフッた男の子だなんて。


「のど乾いた……牛乳飲も」

「ラッパ飲みしないでよお姉ちゃん」

「コップに入れるのめんどくさい」

「お姉ちゃんだけが飲むんじゃないんだからね!」


 絶対的カリスマ、教師たちからの信頼が広辞苑などよりも分厚い、完璧超人な無敵で最強の生徒会長。それが、たわわさんの姉だった。


 しかし、彼女が家ではかなりズボラに過ごしていることを、学校の生徒たちは……妹のたわわさんを除き……誰も知らない。

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