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確率収束

 店長は考える。


 店には人っ子一人いない。まるでさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。というかさっきまでが騒がしすぎて、むしろ嘘みたいな状況だったと言う方が正しいか。

 地元の小さな商店にあんなに客が来る機会なんて滅多にない。というか今後もあのレベルで客が来たら店長は死ぬ。


 まさか来客が多すぎて困るようなシーンにこの店が出くわすとは予想外もいいところだ。


 それもこれも、店の向こう側で今もせっせと家事をしてくれているのであろうたわわさんが原因だ。いや客を呼び込んでくれたんだから感謝すべきなのかもしれないが、う~ん。

 中年のバーコードベッドみたいにスッカスカの棚。明日も商品が入ってくるものの、それだけでこの棚は埋まるまい。


 いっそ臨時休業も視野に入れるべきだろうか、と考えてしまう。


 ……とりあえず後で叔父さんに連絡しとこ。


 もしかしたら馬車馬のように商品をどっかからかき集めてきてくれるかもしれない。頑張れ経営担当者。応援しているぞ我が叔父よ。


 夜の7時を過ぎ、閉店業務に取りかかろうと準備を始める。

 すると、視界の端で店の入り口が開いたのが見えた。


「いらっしゃいませ~」


 顔を向けて入店の挨拶。そこにはグレーのパーカーに身を包み、キャップで目元まで隠してマスクを装着した如何にも怪しい人物がいた。

 今にもなにかやらかしそうな気配をプンプンさせている……しかし実際、そう見えるだけで店長はその客のことを良く知っていた。


 キャップから伸びる黒髪は臀部に届きそうなほどに長く、レディースもののパンツを履いていることからも女性と分かる。

 あとついでにパーカーを押し上げているご立派メロン様が彼女は間違いなく女性であると証明していた。うむ、たわわさんにも負けない、ええもん持っとる。


 何を隠そう、彼女はこの店の常連である。週に一回から二回ほど来店する。こんな怪しさ満点な奴が常連でたまるか、というツッコミが飛んできそうだが事実なので仕方ない。というどこの店にもいるだろ、一人か二人か何十人か、見た目が普通に怪しい人。あれ、店側が『推定無罪』の仏心で見逃してるだけだからな、勘違いすんじゃねぇぞ、お前ら。


 彼女は買い物カゴに商品を……無駄に長く吟味した上で……いくつも入れていく。お菓子に文房具に各種飲料。

 きっと総額で軽く5000円は超えるだろう。

 彼女は更に店の中をぐるりと無駄に周回し、ようやく店長の待つレジまでやってきた。


 毎度思うが彼女の買い物は本当に長い。彼女が来店してからレジに来るまでいつもだいたい1時間くらいは掛かる。今日も閉店ギリギリまで粘られた。これ逆にクレーム入れたらダメかなダメですよね知ってる。

 しかも毎回決まって客がいない時なので、必ず二人きりになる。ぶっちゃけ気まずい。


「お願いします」

「いつもご利用ありがとうございま~す」


 しかし店長はそんな感情をおくびにも出さず笑顔で対応する。

 商品のバーコードを次々とスキャナーで読み込んでいく。他の知り合いの客ならこのタイミングで雑談をしたりなんてこともあるが、彼女の場合それはない。

 いつも、無言で店長がレジを打つのを黙って見ているだけ。

 が、今日は違った。


「今日」

「はい?」

「商品、少ない……」

「ああ、なんかお客様がジャックポットしたみたいに来店しまして」

「じゃっく、ぽっと?」

「ああすみませんこっちの話です。つまり、めちゃくちゃ混んだ、ってことですね」

「はぁ……なにか、セールでもやってたんですか?」

「むしろキャンペーンですかね」

「???」


 首を傾げる不審者さん(仮)

 店長は疑問符を浮かべる彼女に構わず「全部で6140円になります」と、値段を告げる。

 今日は普段にもまして多い買い物だ。いつもはだいたい2000円前後なのだが。

 しかし彼女の買い物で余計に棚から商品が消えた。喜べばいいのやら明日の営業どうしようと嘆けばいいのか分からない。


「今日はいっぱい買いましたね」


 なんとなく、会話を広げる店長。

 すると、彼女は小さく頷き「お金、入ったから」と応じてくれた。


「いつもありがとうございます。またのご来店をお待ちしてます」

「ああ、また……来るから。それじゃ」


 ぺこりと丁寧にお辞儀をして店から出て行く不審者(偽)。


「ありがとうございました~」


 と彼女を見送り、8時をちょっと過ぎた店内を動き回って今後こそ閉店業務を開始する。

「う~ん」と店長は店の床にモップを掛けながら、先ほどのお客さんのことを思い出す。


「いい加減――『会長』もわざわざ僕の店まで来て買い物しなくてもいいと思うんだけどな~」


 店長は知っていた。店に来るあの客が、学校では最強の美人と名高い、生徒会長であることを。

 そして、わざわざ変装までして店に来る理由にも、少しだけ心当たりがあった。


 彼女は、中学時代に店長をノーモーションの秒でフッた、告白相手なのである。


 ☆


 店と自宅とを隔てる扉を開けるとカレーの匂いが漂っていた。


「おかえりなさ~い」

「っ……」


 廊下からスリッパをペタペタと鳴らして駆け寄ってきたたわわさん。両親が亡くなってしばらく、ずっとひとりで生活していた空間から、人の気配がしてくる懐かしい感覚に戸惑った。


「ただいま。なにか不都合はなかったですか?」

「お疲れ様でした。特に問題はありませんでした! あ、すぐにご飯の準備をしちゃいますから、座って待っていてください」

「手伝いますよ」

「いいえ。店長さんはお仕事でお疲れだと思いますから、休んでいてください。待っている間に、食器の場所はだいたい把握したので」


 居間に目を向ける。空のペットボトルや、脱ぎ散らかしてそのままにしてあった服がなくなっている。耳を澄ませば、廊下の奥から洗濯機の回る音が聞こえてきた。新聞やチラシが乱雑に床やらテーブルに置かれていたはずだが、今は部屋の隅に全て縛られた状態でまとめられていた。こんな風に床が見えるようになったのはいつぶりだろうか。


「……なんか、すみません」

「はい?」

「いえ……カレー、楽しみです」

「お口に合えばいいんですけど」


 彼女は言いながら、数年間使っていなかった皿にカレーをよそっていく。

 二つ分。店長と、たわわさんの。


「どうぞ」

「いただきます」


 居間に二人で腰を落ち着けて手を合わせる。

 昔は、ここで家族三人、母が用意してくれるご飯を食べていた。両親が亡くなった直後は、叔母がわざわざここまで世話に来てくれていたが、中学に上がったタイミングで、自分一人で生活できる、と申し出た。叔母にあまり負担を掛けたくなかったし、いつまでも両親のことを引きずりたくはなかった、というのもある。

 叔母は母の妹で、顔立ちが本当にそっくりで、一緒にいるとどうしても面影を追い掛けてしまうのだ。

 

 それは、叔母に対して失礼だと思った。


 久しぶりに食べる誰かの手料理。まさかそれが、学園で噂されるたわわさんの手によるものとは。

 スプーンですくって一口。


「あ、おいしい」

「よかった~。お料理は好きなんですけど、あまり自炊はしてないので、お口に合わなかったらどうしよか、って心配だったんです」

「いえ、とてもおいしいです」


 こう言っては逆に失礼かもしれないが、料理ができるというのは彼女のイメージそのままだ。

 しかし、やはり味付けは母とも叔母とも違う。ルーが違うとかそういう話ではない。食材の切り方や、火の掛け方、水の量で同じカレーでも作った人間の色が出る。


 たわわさんのカレーは、母たちが作る物より少しサラサラしていて、カレーにしては少しあっさりした印象だった。それは、使っている肉が豚や牛ではなく、鶏肉というのもあるかもしれない。

 当たり前だが、初めて食べる味だ。新鮮味も手伝ってスプーンを持つ手が止まらない。

 加えて、今日はたわわさん絡みで学校では質問攻めにあったり、驚異の来店客数に対応して体が疲れていた、というのもあるのだろう。

 更に盛られたカレーは、あっという間に半分以上が消えていた。


「あら、店長くん」

「ふぁい?」


 ご飯を口いっぱいに放り込んだ店長。対面に座ったたわわさんがテーブルに身を乗り出すように近づいて来て、


「ふふ、ごはん粒、ついてましたよ」

「っ!?」


 頬に彼女のしなやかな指が触れて、そこについた一粒のご飯を見せてくる。

 不意の接近に店長の顔が一気に熱くなった。

 しかし、店長の同様に気付いているのかいないのか、指についたそれを、「あむ」とそのまま食べてしまった。


「いや、たわわさん……それはちょっと」

「え? あっ! す、すみません! いつもお姉ちゃんにやってるので、つい……で、ででも、もったいないですから!」


 自分のしたことの大胆さに気付いたのか、店長以上に顔をトマトにして両手をわちゃわちゃさせるたわわさん。

 店長は思わず驚愕を覚える。

 今のはわざとじゃなかったのか。アレが天然と云うのはむしろ恐ろしい。

 外見はぽわぽわ天使なくせして中身が天然小悪魔というのは、わかりやすいぶりっ子より質が悪いのではなかろうか。

 しかし、ご飯粒をくっつけるのが妹や弟ではなく、姉というのはこれまたビックリだ。たわわさんの姉はどれだけやんちゃなのか、あるいはおっちょこちょいなのだろう。


「あう……あ、そ、そうです! 店長くん、おかわりどうですか!? まだいっぱいありますよ!」

「そ、それじゃ……お願いします」

「はい!」


 たわわさんはがばっと立ち上がると店長から皿を受け取って勢いよく振り返る。

 その時、店長は見逃さなかった。彼女のたわわさんが、振り返る動作よりも僅かに遅れて追従するその勇姿を。あの揺れ具合で下着を着けているというのだからビックリだ。クーパー靭帯が過労で死なないか心配である。


「どうぞ!」

「あ、ありがとうございます……」


 二皿目。思わず目を見張る。山と盛られたご飯にカレーが掛かっていた。彼女はこちらの胃袋をバーストさせる気なのだろうか。


 しかし、彼女の好意を無下にはできない。店長は男子高校生の食欲を武器に、テレビでしか見たことないやけくそカレーマウンテンを制覇したのだった。


 ちなみに、彼が数年ぶりに胃薬の世話になったのは、言うまでもない。


 ――それから、店長が居間で身動き取れなくなっている間に、たわわさんは洗濯物を終わらせ、気付けは時刻は夜の9時過ぎ。

 店長はたわわさんを自宅に送り届けようと、夜道を付いて行ったのだが……


「ここまでで大丈夫です」

「え? いやでも」

「それじゃ、また明日」



 などと、彼女は店長が何か言うよりも早く、それこそ陸上部もビックリの健脚で通りを走り抜け、あっという間に見えなくなってしまったのだった。

 店長は、思った。


 ……あの脚があるなら、僕の見送りなんていらなかったかも。


 また明日……学校でも目撃例の少ない「激シブのたわわさん」。

 そんな彼女と、再び見える機会などあるのだろうか。


 なんてことを考えていた店長は、翌日から自分を取り巻く環境が、今日の比ではないほど大きく変化する事態になるなどとは、この時はまるで、予想すらしていなかった。


 なにせ店長は、あの「激シブのたわわさん」と校内で唯一つながりもった生徒と言っても過言ではなく。そんな彼を、周囲の人間が放っておかないであろうことは、自明の理だったのである。

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