ピックアップ期間
これはどういうことだろうか。ハッキリ言って状況が呑み込めない。
「ほい」
「298円になります」
「お願いしま~す」
「129円です」
「てんちょ~う、これまとめて買うからまけてくんね」
「ダメ」
レジへ入ってきた金ちゃんの要望を店長はすげなく断った。彼は「ちぇ~」などと言いながら商品を棚に戻していく。
しかし、彼の後ろにも客が並んでおり、全員が同じ学校の制服を着ていた。というか、店に入り切らないレベルで生徒が来店し、店長は軽く目が点になっていた。
……なんだこれ?
店の中も外も高校生の客が溢れてとんでもないことになっていた。
月の来店客数の軽く二倍の人数がこの場に集まっている。彼ら、彼女らはその手に店長の店から買った商品を片手に、
「たわわさんまだ来ないのかな~」
などと、とある生徒の来訪を今か今かと待ち構えていた。
今朝までもはや伝説上の存在として噂されていた存在、その名も「激シブのたわわさん」。そんな彼女が、なんと特定の場所に出現するという情報を得た彼らは、バカみたいに集団心理を働かせ、店長の店にこぞって集まってきた、というわけである。
ちょっと前にとんでもなく流行ったポケットなモンスターをリアルな地図上で捕まえるアプリゲームがあったが、今の状況はまさしくソレ。
店長の家……もとい店にたわわさんが現れる、という情報はあっという間に拡散。行動力のあり過ぎる連中が、ひと目でもたわわさんを拝もうとこうして待ち構えている、という状態だ。
確かに店長としても客足が伸びて売り上げが上がることは大歓迎なのだが、これはさすがに想定外もいいところである。
店長はちょうどアルバイトと入れ替わるように店に立ったのだが、それからしばらくしてゾロゾロと生徒たちが来店。
店長一人では到底回しきれないレベルで客が殺到。しかし仮にもう一人スタッフがいたとしてもレジが一つしかないのでそもそも対応ができないという……
が、そもそもの話、たわわさんを拝むだけなら店長の店で買い物をする必要はない。
しかし、ここで店長の友人、金ちゃんがありがたいやら迷惑やらな発言をぶちかましてくれちゃったわけなんですわ。
『店で待機すんなら最低一個は買い物しろよ~!』
などと、声高に叫び、クラスメイトの一人が飲み物を購入、そこから流れるように集団心理がひとり歩きの大暴走。待機組になるための条件みたいな感じで全員が店長の店で買い物をしていく流れが生まれたわけなんスわ。
最初は比較的安い飲料系が売れ、お菓子が売れ、在庫が心許なくなってきたら文房具やら日用品まで売れていく。暇つぶしに雑誌コーナーからもどんどん本が消えていく様は見ていて圧巻だった。
棚から商品が文字通り消えていく異常事態。レジのお金もこれまで見たことない額が入って行くのは、嬉しいよりむしろ恐怖が勝る。
店長はたわわさん効果の洗礼をこれでもかというほど浴びていた。
「うぃ~っす……やべぇなお前の店。これガチで商品全部なくなんじゃね?」
などと、レジにう○い棒3本を置いて一人の少女が愉快そうに笑っていた。
「よぉネコ。暇ならこの状況助けてくれよ。僕マジで目が回って来たんだけど」
「めんどいからパ~ス」
ネコと呼ばれた少女は学校指定の制服の上にパーカーを羽織り、猫耳のように広がったフードの奥に見える耳にはピアスの金属的な光が反射していた。
目つきは鋭いくせにタラ~っと下に垂れているせいでまるで覇気を感じない。青いインナーの入った髪をフードの隙間から肩に垂らし、毛先をクルクルともてあそぶ。
「45円な」
「こいつも高くなったよね~……はい」
「物価高は店側もキツイんだよ、仕入れ値がそもそも高けぇし」
物価高で嘆いているのはハッキリ言って消費者だけではない。仕入れる側も当然、仕入れにかかる費用が高騰するためどうしても値上げせざるを得ないのだ。店長のところのような弱小店舗はおいそれと値引きできないのが現実である。
「ふ~ん……まあ頑張れ~。あ、ついでにこいつ捨てといて」
と、ネコは丸めた紙を店長に放り投げてきた。
「お前な、これくらい自分で捨てろよ」
「さーせーん……あ、それちゃんと中身見てから捨ててね。なんか包んでたみたいな気がするけど忘れたし」
「は?」
「んじゃ、がんば~」
手をヒラヒラと振って店の外に出て行くネコ。
意味も分からないまま、店長は店の外で金ちゃんにウザ絡みし始めたネコを見つめた。
「あの~、すんませ~ん」
「あ、はいただいま!」
店長はネコに押し付けられた紙の玉をポケットにねじ込み、次の生徒を接客し始める。
最初の生徒が来店してから時間が経ち、時刻はもうすぐ5時になろうとしていた。客のほとんどが買い物を済ませ、店の外で近所迷惑なんのそので盛り上がる中、店長は先ほどのくしゃくしゃに丸まった紙を言われた通りに広げる。
すると、
『うら口からたわわさんのこと家に通したから』
と、殴り書きされているのを見つけた。
咄嗟に店の外のネコに視線を向ける。
彼女は他の女子生徒に囲まれながらだるそうにスマホをいじっている最中だった。
店に視線を戻し、奥の扉を見つめた。そこは店と店長の住居を隔てる扉だ。そこを開けたら、もうすでに彼女がいるという事実。
彼女を一目見るために集まった観衆は、まさか既にたわわさんが店長の家の中にいるとは露ほども思ってないだろう。
……いつの間に。
というか、ネコはたわわさんと知り合いなのだろうか。
色々と疑問は尽きないが、このアホみたいな人数に彼女が囲まれずに済んだ事実を考えると、思わずネコに感謝すべきかもしれないと思った。
勝手に他人を人の家の敷地に上げたことは……この際、目を瞑ろう。
見た目の印象だが、たわわさんがひと様の家で悪さをするとは思えなかったし。
なにより、人を見る目だけは確かなネコが通したのなら、一定の信用は担保されたと考えていいだろう。
そして、いよいよ時刻が6時に差し掛かろうとした時だった。
「ねぇ、さすがに遅くない?」
「だよな?」
「もうかれこれ二時間は待ってるよ?」
「え? もしかして見逃した?」
「んなわけあるかよ。こんだけ人の目があって」
「でも、それっぽい人、いなかったよね?」
と、にわかに騒がしくなってきた集団。そこに、ネコは「あ~」となにか思い出したように顔を上げ、
「なんかさ~、さっき奥の通路に長い黒髪の可愛い子が出てった気するんだよね~」
「ほら」とネコはスマホの画面を近くにいた女子生徒に見せる。彼女は「え? あっ!」と声を上げた。
「い、いつの間に!? みんな~! なんかたわわさん、もう家に帰ったっぽ~い!」
ネコのスマホには、店長の家から出て行く……ような姿の……たわわさんを遠目に写した写真が表示されていた。
「はぁ!?」、「いやマジかよ!?」、「こんだけ待ってたのに~」、「ていうかいつの間に来ていつの間に帰ったんだよ!?」、「ネコ! お前気付いてたんなら教えろよ!?」と最後に金ちゃん。
女子生徒の一言を皮切りにガッカリした空気が辺りに漂い、彼らは一斉に帰宅ムーブに入った。
「んだよ~、俺ぜったいにたわわさんと写真撮りたくてカメラまで持ってきたのによ~」
金ちゃんの首には、いつの間にぶら下げていたのか無駄にデカいカメラを装備している。どう見ても1万や2万で変えるような代物ではない。たしか彼の父親の趣味が写真だったか。だとすると、あれは父親の私物だろうか。
……どんだけ気合入れてんだよ。
トボトボと帰宅の途に着く金ちゃんを見送る。
そして、店の前でスマホをずっといじりながら、誰にも関心を向けることなく佇むネコ。
彼女に近付き、店長は店前に設置された自販機の前に立った。
「なに飲む?」
「チル」
「無駄にたけぇの頼むじゃん……了解」
一本210円のちょっと贅沢な缶飲料を購入し、ネコに「サンキュー」と手渡す。
彼女はそれを受け取り、「んじゃね」と缶を横に振って立ち去って行った。
あれ、微炭酸だけど大丈夫だろうか。
ようやく人の波が落ち着いたのを見計らい、店長は店の中に戻った。
店の営業時間は夜の8時まで。
来客用のベルをレジに設置し、店長は店奥の扉を開けて自宅に入った。
☆
「勝手にお邪魔しちゃってすみませんでした。ネコさんが『裏から入った方がいい』って言ってくれて」
扉の先。居間から続く台所にエプロン姿の美女がいた。
純白のシャツに黒いロング丈のスカート、髪を後ろでまとめた姿はいわゆる童貞殺しスタイルと呼ばれる服装だ。
しかしなんというか、この歳の少女に言うセリフではないのかもしれないが、人妻感が半端ない。
「お店は何時までですか?」
「8時までです」
「じゃあ、お夕飯はその後で?」
「そうですね。めんどくさいんでほとんどが店の売れ残りの冷凍モノとかですけど」
店舗経営はこういう時に強い。店の商品で廃棄するモノを自分の食料にすることができるため、わざわざ買いに行く手間が省ける……が、むろん自腹を切って購入しているため、タダではない。というかそれをやると在庫と帳簿が合わなくなるので色々とめんどくさいのだ。
「育ち盛りなのにそれで足りますか?」
「お金もそんなにないのと、自炊する時間もないので」
自炊できればそれなりに食費は浮くかもしれないが、逆に独り暮らしだと食材が半端に消費されてむしろ無駄が出てしまうのだ。
「そ、それじゃ、しばらくは私が、作りに来ても……いいですか?」
「え?」
「あ、あの! それもお礼の一環、ということで」
慌ててた様子で手をパタパタと左右に振るたわわさん。振動でエプロン越しにもたわわさんのたわわさんがフルフル揺れていた。
「あの、ずっと聞きたかったんですけど、なんでその……友達の代わりに……えと、たわわさん、って呼んでも大丈夫ですか?」
「あ、う……ちょっと恥ずかしいですけど、店長くんなら、いい、ですよ?」
「それじゃ、たわわさんで」
「は、はい」
彼女は耳を赤くして、モジモジと恥ずかしがる姿はなんともそそられるものがある。よし、今後はなにがあっても彼女のことは「たわわさん」と呼ぶことにしよう。
「あの、なんで彼女の代わりに、たわわさんが僕のお礼に来てくれたんですか?」
こう言っては失礼かもしれないが、たわわさんからすればあの事件は他人事のような気がするのだが。
「え、えっと……そ、そうです! 実はわたし、彼女には色々とお世話になってまして!」
「はぁ?」
「そ、それでですね! あの子、ちょっと人見知りなところがありまして、お礼をしたいけど恥ずかしいです、みたいな感じだったので、それなら代わりにわたしが! という感じで代打を引き受けた、と言いますか! わたし自身、彼女に色々と、本当にお世話になったので、これでちょっとは恩を返せたらな~、と言いますか……あっ、だからって別に店長さんへのお礼の気持ちがないとかそいうことではないですからね!?」
「そ、そうですか」
捲し立てるたわわさん。理由になっているような、なっていないような……しかし店長はそれ以上ツッコムのも野暮かと思い、とりあえず納得したふりをすることにした。
「あの、その食材って」
キッチンには見慣れない野菜やら肉類が乗っていた。
「家から持ってきたり、ここに来るまでに買って来たんです。何を作ろうか迷ったんですけど、当たり障りなくカレーがいいかな、と思いまして」
「それは……なんか、逆にすみません」
最近は何かと物価高で野菜がアホみたい高い世の中だ。高校生の財布からそれらの食材にお金を使わせてしまったのかと思うと申し訳ない気分になってくる。
「気にしないでください。お店が8時まででしたら、ゆっくり火を入れながら、他のことに時間が使えますね」
「ああいや、ご飯を作ってもらうだけでもう十分、」
「ダメです!」
「え?」
思いがけない強い否定で、思わず店長は目を白黒させた。
「ああいえ! お礼をさせてもらう以上! 中途半端はダメだと思うんです! 見たところ店長さん、あまりお片づけは得意に見えませんし」
「うぐ……」
確かに、居間からキッチン、廊下に至るまで床に物が散乱していた。
だって仕方ないじゃない!? ただでさえ学校と店を往復するみたいな生活をしているせいで、色々と自分のことまで手が回らないんだもん!
「せめて、お仕事が終わった後にゆっくりできるように、床だけでもお掃除しますね。捨てたりしたらダメな物とかはありますか?」
「いえ、何もないです」
「はい! わたしで判断できない物はまとめておきますね。あ、お洋服とかは洗っちゃって大丈夫ですか?」
「……よろしくお願いします」
「分かりました!」
たわわさんは満面の笑みを浮かべて見せる。面倒なことを押し付けられているような気がするのだが、なにがそんなに嬉しいのだろうか。
「それじゃ、僕はお店に戻ります。なにかあったら声を掛けてください」
「はい。いってらっしゃい」
人妻感改め、新妻感を発揮するたわわさんに見送られて、店長は店に戻るのだった。