一度目はなかなか出ない
『はい。今日の分。家の方が大変なのは分かるけど、ちゃんと食べないとダメだよ』
『分かってはいるんだけど……なかなか時間が厳しくて』
『言い訳しない。少ない時間でもやりくりすれば何とかなるもんだよ』
中学校時代。そう言って、いつも彼女は自分のために手間を掛けて弁当を作って学校で渡してくれた。
中学までは給食があったため、これは別に学校で食べるわけではない。自宅に帰るとレトルトやコンビニ弁当、スーパーの総菜などの出来合いで食事を済ませてしまう店長のことを考えて用意してくれたものだ。
『いつも本当にすみません』
『気にしなくていいよ。君には生徒会でお世話になってるし、私も好きで……勝手にやってるだけだから』
などと、彼女はいつも簡単に言っていたが、毎朝早くに起きて、それこそ前日の夜から下ごしらえをして、手間を掛けてくれていることが分かるこのお弁当を前に、気にしなくていい、なんていうのは無理な話だ。
『ああ、そうだ。君にもう一つ、渡しておきたい物があったんだ』
今の季節は冬。2月14日……冴えない男子生徒として、近しい異性から『渡したい物がある』と言われて密かに期待値が上昇する。
『受け取って。君にはいつもお世話になってるから、そのお礼もかねて、ね』
そして、彼の期待した通り、彼女から手渡されたのは綺麗に包装されたチョコチップの乗ったカップケーキだった。市販品と比べると形は少し歪で、色むらもある。しかし、そんな些細なことなど一切気にならない。
『ありがとうございます。これ、もしかして会長の手作りですか?』
『ああ……お菓子はあまり作ったことがなくて、少しばかり見た目はよくないけど……あ、味は問題ないはずだぞ! ちゃんと自分で味見もしたし、お菓子作りのうまい妹からも、これなら大丈夫、って言ってもらったし!』
『いえ、たとえこれがこの世の終わりみたいな味だったとしても、全て平らげる気概なんで』
『失礼だな君!』
『ちなみに、会長は他にもこのお菓子を配ったりしたんですか?』
『いや』
と、その否定形の言葉に心臓が鼓動する。
『君の分しか作ってないよ』
『そ、そうですか』
笑顔でそんなことを言われて、顔が一気に熱くなる。思わず、この胸の内に秘めた想いが暴発して、言葉として外に破裂してしまいそうになった。
『じゃあ、ホワイトデー……頑張らないといけないかな』
『あはははっ。なんだ、君も手作りでなにか作ってくれるのか?』
『一応、そのつもりだけど』
『料理なんてほとんどしたこともないくせに……まあでも、期待しないで待ってるよ』
いつも世話を焼いてくれて、いつも一緒にいてくれて、いつも心を揺さぶってくる。
『はぁ~……でも、私も来年で3年生か~……』
『会長なら、どこにでも好きな学校に進学できるんじゃない?』
『だとしてもやっぱり受験対策とか色々と面倒くさそうでやだ~』
『勉強できるのに?』
『勉強できても……ねぇ』
『はい?』
『3年になったらちょっと余裕なくなるかもだから、春休みにどこか遊びに行かない? お花見行こうよ、お花見。近所でお祭りとかもやるみたいだし』
『ああ、いいですね』
『って言っても、まだ先の話だけどね~』
『確かに気が早い』
桜の木は花どころか葉も散らして丸裸の状態だ。ここから花が開くまで、まだ一か月近くかかるだろう。中学生にとって、一か月はそれなりに長いのだ。
『ねぇ』
『はい?』
『来年もさ、今日みたいにバレンタインにお菓子あげるから』
すると、会長はちょっとだけいたずらっぽい表情を見せて、
『私が卒業しちゃった後も、ホワイトデーのお返し、ちゃんとちょうだいね』
そんななにげない約束を、彼女と交わした。
しかし、その翌年……
彼が彼女からバレンタインにお菓子を渡されることも、彼が中学を卒業した彼女にホワイトデーの返しをすることも――なかったのだった。
☆
なんとなく、そんなことを思い出してしまっていた。
原因は確実に目の前の彼女だろう。店長にとって彼女ほど、後にも先にも、良くも悪くも記憶に残って離れない存在はいない。
現在校内で一、二を争う有名人、完全無欠の生徒会長。
一年の頃から生徒会で副会長を務め、もはや会長を押しのける勢いで校内の問題に首を突っ込み、そのことごとくを解決に導いてきた。
校内で盗難事件があったと聞けば飛んでいき、冤罪で糾弾されていた生徒の無実を証明。逆に真犯人を突き止めお縄にするという大立ち回り。あるときは学年もクラスも違う不登校生徒の家に押しかけ、自宅から引きずり出して学校生活に復帰させたなんて話も……しかもそんな逸話を残したのは生徒会長になる前だというのだから驚きだ。
会長になってからはその力を更に惜しみなく発揮し、校内で問題児とされている生徒たちを集めて(腕力も行使)彼らの更生のために奔走したとか。他、学校行事やイベントへのテコ入れ、持ち込まれる生徒からの相談対応や問題解決などなど……
いったい何人の彼女が同時に存在しているのか疑いたくなるレベルで多くの物事に介入し解決していくその手腕。
加えて校内での成績はすこぶる優秀で学年首位の座を譲ったことは一度もない。スポーツをさせれば下手な運動部などよりも活躍してしまうハイスペっぷりを発揮。
そして、その存在をより際立たせる抜群の容姿だ。まさしく神が一切の妥協なく造形したとしか思えない神掛かった美貌の持ち主。凜として他を圧倒するような切れ長の瞳から醸し出される怜悧な雰囲気。シャープな輪郭の小顔で、目鼻立ちの整った容姿はもちろんのこと、上から下まで一切の妥協なく、ほぼ完璧と言っていいほどに均衡のとれたボディバランス……胸元の主張だけがやたら過剰なのはむしろご愛敬……を誇る。
中学校時代を知る店長からすれば、その変貌ぶりに最初は本人なのかを疑ったほどである。人間にも変態する機能があるとは知らなかった。
そんなわけで、彼女はとにかくモテる。男はもちろんのこと、なんなら同性ですら彼女を前にすれば目がハートになるほどだ。
しかし、彼女に告白して玉砕した生徒は(男も女も)数知れず。たまに訪れる不埒な輩相手には鉄拳制裁……そして、ここで話が終わらないのが我が校の会長様という人物である。
なんと、告白してきた相手の中には、その後にフラれた者同士でくっついたなんて事例もあるらしい。なんでも、彼らに話を聞いた限りでは「会長に仲介してもらったんです」ということらしい。アフターケアのクオリティが高級ホテルも顔負けのレベルである。
ちなみに、一部の暇を持て余した生徒が校内で『抱かれたい人』ランキングなる完璧にアウトなアンケートを実施したらしいが、なんと男女ともに彼女の名前が堂々の1位を飾ったらしい。
しかし人間、どんな輩も一つや二つ、致命的な欠陥や欠点を持ち合わせているものだ。なんならいい面よりも悪い面こそ人は見つけることができるだろう。
だが、彼女に限った場合はそれを探す方がむしろ難しく、もはや無理矢理ひねり出すならそのあまりにも超人っぷりと高嶺の花すぎて近寄りがたい雰囲気を醸し出している点であろうか。
実際、色んな物事に対して、自分にも他人にも厳しい姿勢を取ることが多いのも事実だ。
昔は……今よりずっと愛嬌もあって、話しかけやすい人だったのだが。
昼休みの廊下。前を歩く現役生徒会長の背中を見つめる。
彼女がそこを歩けば喧噪さえも黙らせ全ての視線を自分に集めてしまう。畏怖する者から尊敬のまなざしを向ける者と多様な反応を見ることができる。
が、今日に限って言えばそこに疑惑の視線も混じっていた。それも当然の反応だろう。
「ふむ……なぜか今日はいつもより周りから見られている気がするな」
「それはそうでしょう」
なにせ、我が校の絶対的カリスマにしてアイドルである生徒会長様の隣に、如何にもパッとしない一般性とが……それも男子生徒が一緒に歩いている光景に関心を寄せない生徒などこの学校には存在しない。
中学校時代は世話焼きな先輩会長と、それに付いて回る後輩男子的な目で見られていたが、今や校内で知らぬ者はいない、圧倒的存在感を放つ彼女と行動を共にするということは、それだけで注目されるこというなのだ。
もういっそハッキリ言おう。居心地はすこぶる悪い、と。
「会長、どこに行くつもりなんですか?」
「それはもちろん」
美しい黒髪を翻し、彼女はめったに見せない人好きする笑みを浮かべて、
「生徒会室だ」
などと口にした。
生徒会役員は昼食を生徒会室でとることも珍しくない。
しかし部外者である店長が、果たしてそこを利用してよいものか。
「あの、僕生徒会じゃないんですけど」
「そうだな。しかし問題ない。私が許す」
職権乱用。しかしそれまかり通せてしまうだけの力を彼女が持っているのは確かだ。
彼女の活動はどれも基本的に善性のものだが、中には校則を若干無視するようなブラック寄りでグレーな行動も含まれていたりする。しかし、彼女は生徒たちからの信頼や数々の実績のおかげか、教師でさえ抑え込むことができないほどだ。
下手をすれば、彼女が黒と言えば白も黒くなり、黒も白くなる。尤も、公平性を重要視する彼女がそんなことをするとは思えないが。
「他の役員の方たちの邪魔になったりしませんか?」
「今日は私と二人きりだ。他の者には席を外すように言ってある」
「そうですか……」
それ、あとで彼らに恨まれたりしないだろうか。
役員の中には彼女に対する熱狂的……あるいは狂気的なまでのファンがいる。会長のためならたとえボロ雑巾になるまで酷使されたとしても、喜んで馬車馬になろうとすることだろう。そんな連中だ。
会長の人気があまりにも凄まじく、役員として生徒会入りするために熾烈な争い……バトルロイヤルが繰り広げられた、という話を金ちゃんが話していたのを覚えている。
ああいうのって普通に会長からの指名制じゃないのだろうか……いったい何をそんなに争ったのか、実に謎である。
などと考えている間に、会長に先導されるまま校舎を一階まで下りて、下足場から外に出て最近できたばかりの多目的施設に入っていく。正面扉から入ってすぐにホールへの入り口が見え、その左わきに階段がある。会長と共に2階へと上がっていくと、廊下の左手側が窓になっており、右手側に手前から視聴覚室、奥に生徒会室というプレートが見えた。
「さぁ、遠慮なく入ってくれ」
「それじゃ……失礼します」
緊張していることは否めないがここまでついて来て今さら引き返すこともできない。
それに、わざわざ会長が今になって自分を昼食に誘ってきた理由についても気になった。
「適当に座っててくれ。今お茶を用意するから」
「あ、お気遣いなく」
生徒会室は入ってすぐに長机を二つ並べたものが中央に鎮座し、大きな窓に面して会長用の椅子とテーブルが設置され、入り口から見て右手側にホワイトボードが置いてある。左右の壁には種類関連やファイルが詰まったスチールラックやキャビネット、冷蔵庫が並んでいた。左の壁奥には資材倉庫と張り紙がされた扉見える。冷蔵庫の上には電子レンジやケトルがあり、お茶が常備されているようだ。
店長は、入ってすぐ、右手側の入り口に近い席に腰を落ち着けた。
「君はほうじ茶でよかったよな」
「はい、大丈夫です」
中学校時代。生徒会室で彼女と一緒に活動をする際はいつもほうじ茶を淹れていた。会長はまだそのことを覚えていたらしい。ティーパックで淹れたそれをもらい「ありがとうございます」と頭を下げる。
「そう硬くならないでくれ。私はただ、お前と久しぶりに一緒に食事をしたいと思っただけだ」
「はぁ……そうですか……」
「む? なんだその気のない返事は?」
「いえ、その……ちょっと急だったので」
「それはすまん」
素直。自分が悪いと思ったらすぐに謝れるところも、彼女が周りから好かれる所以のひとつだ。
「まぁ、たまにはいいじゃない」
「でもそのせいで、僕は明日から背後と夜道で気を抜けなくなりそうですよ」
「それなら登下校の時に私が付き添ってやろうか」
「燃料タンクにダイナマイトを突っ込むような真似は控えてください」
そんな真似をされたら確実に彼女のファンたちが大爆発する。大惨事は確実だ。しかも被害者は店長ひとりという理不尽っぷり。
特に最近は例の「たわわさん」から積極的に会いに来てくれている生徒として、一部の生徒から嫉妬やら怨念の籠った視線がクラスターの絨毯爆撃よろしく降り注いでいるのだ。
そこに会長ファンからの攻撃まで加わったら、店長の存在はもはや欠片も残さず木っ端みじんに抹消されることだろう。なんと恐ろしい。
「それで、会長はなんで急に僕をお昼に誘ったんですか?」
突飛なことする彼女だが、それでも今回の誘いは些か強引すぎる気がした。
「その、なんだ……」
しかし、会長は店長の体面に腰を下ろすと、少しだけ声のトーンを落とし、
「理由がないと、誘ってはダメだったか?」
なんて、再び勘違いを繰り返してしまいそうなこと、口にした。
しかし、彼女はすぐに表情を改め「なんてな」と茶化して見せる。
「実は、お前に聞きたいことがあってな……例の、最近騒ぎになっている『たわわさん』に関することについて」
自分の弁当の包みに手を掛けながら、会長は切り出した。