ピックアップすり抜け
話がある、と言って生徒会長は店長の了解を聞く前に店へ押し掛けてきた。
「――最近、妙なことに巻き込まれているみたいだな、お前」
「まぁ、少しだけ……」
「アレが少し、か?」
店長の自宅兼店舗。生徒会長と店長はレジカウンターを間に挟んで向かい合っていた。
バイトと入れ替わったのがつい先ほどのこと。
生徒会長は店長に最近の状況について聞くためにわざわざこうしてお越しくださった次第。
本当に仕事熱心というか、お節介というか……そんなところを、店長は好きになったのだが。
それにしても、彼女が妙な変装もなく店に顔を出してくれたのは果たしていつ以来だったか。
中学の時は頻繁に、それこそ毎日のように……素の状態で……来店くれていたが、今では週に一回程度の頻度まで落ち着いていた。
やはり、彼女としても店長と面と向かって会うというのは気まずいモノがあるのかもしれない。
「聞いたぞ、たわわさんに目を付けられたせいで、連中に付きまとわれている、と」
「確かに原因はたわわさんですけど、面倒ごとになってるのは彼女の追っかけが騒ぎすぎてるせいですよ」
「あいつを責めないのか?」
「責める理由がありません」
「……お人好しも過ぎれば損だぞ」
なぜか、会長は面白くなさそうに唇を尖らせた。
「ま、たわわさんは相当な美人ということだからな。お前としても言い寄られて悪い気はしないか」
「そんなじゃないですよ。彼女はただ……そう、友達を僕が助けたから、そのお礼をしている、というだけです」
いずれ自然とこの繋がりも薄れ、騒動も収まっていく。
店長の言葉に、しかし生徒会長は眉根を寄せたかと思えば「はぁ~」と溜息を吐かれてしまった。
「あれだけ可愛い女子が、自分から近付いてきているというのに、なにも思うところはないのか?」
「役得だとは思ってますよ」
「……そういうことを言ってるんじゃない」
生徒会長は腕を組み、落ち着きなく指を腕の上でトントン鳴らし始めた。
「可愛いだろ、たわわさん……その、お前はああいう女子を、好きになったりはしないのか?」
「ラブとライクなら、きっちりライク的な意味では好き、ですよ」
「恋愛感情に発展したりは?」
「ないですね。今のところ」
まぁ、これから先も店長が彼女に好意を持つ可能性は低いだろうが。
しかし、彼の言葉に生徒会長は眉尻を下げた。
「それは……やはり、私のせいか?」
「まぁそうですね」
「む……そこは『別に関係ないですよ』とかではないのか?」
「だって会長、僕にそう言わせて自分で嫌な気分になろうとするじゃないですか」
「……」
生徒たちを散らしたカリスマはどこへやら。会長はバツが悪そうに顔を逸らした。
「でも僕から言わせれば、会長の責任は僕の告白に返事をした時点で終わっていますよ。そこから色々と気にして恋愛に関心が向かないのは僕の責任です」
会長はただの切っ掛けにすぎない。
思わせぶりな態度を取られたことに思うところがないわけではない。しかし恨み言を言ったところで何かが変わるわけでもないし、責任転嫁でしかない。
それに、いつも顔を隠してわざわざ徒歩30分近くかかるこの店まで週一で通っていることを考えても、彼女が店長に負い目を感じているのは一目瞭然だ。
故に、店長はこれ以上彼女が自分のことで負担を感じることがないよう、むしろあけすけに物を言ったりもする。
お互いに気を遣い過ぎる方が、むしろ心の健康を損なうだけだと、両親を失ってから学んだのだ。
「ちゃんと玉砕させてくれた会長にはむしろ感謝していますよ。おかげで女子の表面的なところだけを見て好きになったら危ない、って教訓を学ぶことができましたしね」
「ちがっ、それは……」
生徒会長は咄嗟に何か言おうとして、しかしそれ以上の言葉は出てこなかった。
「会長?」
「なんでもない……邪魔したな。もしまた困ったことがあれば、いつでも相談してくれ」
「そうですか……それじゃあ、さっそく一つお願いしてもいいですか?」
「なんだ、言ってみろ」
少し食い気味にカウンターに乗り出してくる生徒会長。
店長はそんな彼女に、
「あれ、全部持って帰ってもらっていいですか?」
と、例の試供品チョコ菓子を指さした。
☆
生徒会長は自宅の扉を潜る。手には店で店長に押し付けられたチョコ菓子の入った小ぶりな段ボール箱。
「はぁ……」
自室に入り、段ボールとスクールバッグを机に放り投げると、彼女はベッドに顔から突っ込んだ。
「マジつらたん」
いきなり顔的にも性格的にも似合わない発言がまろぶ。
しばし顔を伏せたまま柔らかいベッドでモゴモゴしたのち、その綺麗な顔を歪めながら起き上がった。
「……ほんと、私のバカ」
なぜ、彼の告白をあの時、断ってしまったのか。
しかも、ノーモーションで。
シチュエーションでも狙っていたのか夕暮れ時の廊下で、店長は彼女に告白してきた。
あの時はちょうど役員の引継ぎ関係でバタバタしていたのがようやく落ち着いたころだった。
ホッと一息ついたタイミング、とりわけ『気に掛けていた』後輩男子と、折しも二人きり。
店長は夕焼けに染まった廊下。生徒会室からの帰り道……
『会長、好きです! 僕と、付き合ってください!』
『ごめんなさい!』
たぶん、好きと言われた瞬間には頭が真っ白になっていたと思う。
そのまま付き合ってください、と言われた時にはパニックで、思考もなにもまとまらないまま彼女は口走っていた。
正直、自分が男子から告白されるなどとは、あの当時の自分は微塵も思っていなかったのだ。
生徒会長として尊敬される一方、地味でオシャレとは無縁な中学校時代の彼女を女として見る男子生徒はおらず、ハッキリ言って色恋というものにもほとんど関心はなかった。
ただ、そんな彼女にも気になっている異性はいた。
両親を亡くし、孤独の身でありながらも日々を逞しく生きる一人の少年。
当時の彼は店の手伝いをこなしながら、生徒会の役員として中学時代の会長を補佐してくれていた。
よく気が付く子で、会長も彼のことを気に入っていた。
叔母にあまり迷惑を掛けたくないからと、いつも夕飯を自炊していると聞いて、会長は彼のためにお弁当を作ってあげたりもした。
友人と遊ぶ機会がなかなか作れず、金銭的に苦労しているという彼を、お祭りやレジャー施設に連れて行ったこともあった。父や母がたまに持ち帰ってくる割引クーポンや無料券を駆使し、中学生ながら本当に色んなところへ遊びに出かけたものだ。
彼と共に過ごした時間は、素直に楽しかった。
まるで、『弟』ができたみたいだった。
喜んでくれる彼の顔を見るのが好きで、当時は妹の件でなにかと家の中が重たい空気だったこともあり、外で彼と会う時間は会長にとっても本当に気の休まるひと時で、安心できた。
だから、その関係性に更なる一歩を踏み出そうした彼の言葉に、戸惑った。
好き――
ああ、私も君が好きだ……きっと。
でも、その好きは、どんな形の好きなんだろう。
分からない。考えたこともなかったから。
周りが恋愛の話をしていても、自分はそれを遠い世界の出来事のように捉えていたし、自分には関係のない物だと切り捨ててさえいたと思う。
なにも心の準備ができていなかったところに、彼から急に告白されて、驚いて、結果的に、彼女は可愛がっていた後輩を、一秒もしないうちに、振った。
「……思い出したら死にたくなってきた」
せめて、あの時パニックになるばかりでなく、少しでも冷静になって「考えさせてほしい」と一言でも口にできていれば。
……わかってる。そんなたらればに意味なんかないってことは。
それでも、考えてしまうのだ。
なにせ、今の彼女は、
「……」
スマホを取り出す。画面をスワイプし、画像フォルダを開いた。
そこには、
「ふへへ……」
店長の隠し撮り写真が、びっしりと敷き詰められていた。
生徒会長が気持ち悪い笑みを浮かべる。
あの告白直後、生徒会長は数少ない友人に、店長の告白について相談した。
そうして帰ってきた答えは――『うっそ! あんだけベッタベタしててまだ付き合ってなかったの!? てか、振ったの!?』と、ガチで驚かれた上にドン引きされた。
彼女に親しい人間から見れば、会長と店長は既に付き合っているものだと思われていたらしい。
それが、まだお付き合いを始めていないばかりか、彼からの告白を断ってしまった……
会長は弁明した……『そんなつもりはなかった』、『だから本当に驚いたんだ』と。
それを聞いた友人は、盛大に呆れた様子で、こう言った。
『でも、付き合ってなかったにしても、あの距離感だったら相手の男子もそりゃ勘違いするって』
その視線に、少なくない非難が混じっていた。
『まあ、もしあんたが彼の好意を迷惑って感じるなら、別にアタシはなんも言えないけどさ……ただ、次からは気を付けなよ』
――相手を無駄にその気にさせるみたいなこと。
痛烈だった。
そんなつもりはなかった。
しかし、結果は御覧の通りだ。
彼は会長に好意を抱き、告白してきた。
それを振って、二人の関係性は……希薄になった。
次の役員への引継ぎ作業も終わって、彼と必然的に会うことのできる機会は失われていた。
だからといって、会いに行くも気まずい。
結局、二人はそのまま、疎遠になった。
そんな時だ。彼が元会長に告白して、玉砕した話が広まっていることを知ったのは。
どうにも、クラスのお調子者が周りに言いふらしたらしい。
その生徒は彼の幼馴染によって徹底的にシバキ倒されたとか……自業自得である。
が、そんなことよりも、この一件で彼が傷付いているのではないかと気が気ではなかった。
会いに行こうと思った。
でも会ってどうすればいいという話だ。
彼が揶揄される切っ掛けを作ってしまったのは自分だ。
なのに、今さら会いに行って、なにを言って、なにをしてあげればいいのだろうか。
そうして……周囲が思うようなアグレッシブな面を、彼に対して発揮することなく、彼女は中学を卒業した。
最後まで、店長と面と向かって話す機会も、ついぞないままに。
それでも、彼の様子が気になって、卒業後前から変装して彼の店には通い続けていたが。
「まさか、同じ高校に入学してくるとは、思わなかった……」
会長は彼に、どこの高校に進学する、とまで話したことはなかったし、会長も彼の進学についての話を聞いたことはなかった。
よもや、彼が自分の進学した高校を調べた、なんてことはないだろう。
つまり、偶然。
向こうも、本当に驚いた様子だった。
そして、久しぶりに言葉を交わす機会に恵まれ、その時彼に、
『また会長と同じ学校に通えて、とても光栄です』
その丁寧な言葉遣いは、彼との距離を如実に物語っている気がした。
「なんで、今さらこんな気持ち……彼が好きだった、なんて気付いてしまうんだろうな」
本当に手放したくない物ほど、なくした時にしかその大切さに気付けない。
そんな、言われなくてもよく知られているはずのことも、我が身のこととして降りかからないと、実感すらできない。
「はぁ……」
彼の隠し撮りが詰まったスマホを胸に抱く。
誰かに見られたらと警戒してプリントアウトはしてない。仮に一人暮らしだったら部屋一面が彼の写真で埋め尽くされていたことだろう。
……いつまでも、遠巻きに眺めているわけにはいかないか。
なにせ、彼女が動き出している。
会長の妹にして、姉である彼女も認める絶世の美女……たわわさんが、あの自分から封印した姿になってまで、彼に接触し続けている。
姉妹としての直感が、かつてないほどの警鐘を鳴らしていた。
……なるほど、一組の男子、か。
「愛する我が妹よ。悪いがたとえお前相手でもこの勝負、」
――私は決して、負けるつもりはないからな。
最強の生徒会長は、恋愛感情をこじらせにこじらせまくっていた。