確変の予兆①
「――なぁ、お前、知ってっか?」
「知らない」
学校にはひとつ、奇妙な噂があった。
授業合間の休み時間、場所は教室、夏休み目前7月某日。じりじりと肌を焼く恨めしい太陽が、窓越しに日光をジャンジャンと降らせている。
高校進学を期にできた数少ない友人の一人が、嬉々として話を聞かせとうようとしてくる。
別に知りたいとも思わかったが、噂話好きの彼に付き合う形で耳を傾けた。
黄色のインナーが入った髪を揺らして友人A……愛称『金ちゃん』は興奮気味に語り始める。
「1年の中に、会長クラスのめっちゃ美人な女子が一人いるみてぇなんだけどよ……で、その女子ってのが、なかなかに謎めいた奴なんだよ」
「へ~」
適当に相槌を打つ。
この学校の生徒会長はとんでもない美人だ。一部の心無い連中は顔で当選したなどと陰口を叩く者もいる。
が、その能力は本物だ。去年の文化祭、彼女は1年だったにも関わらず例年にない、地域の商店街とコラボした巨大な企画を打ち出し、見事に成功させた実績を持つ。
会長就任直後も各部活へのテコ入れを徹底し、なぁなぁで活動していた部活やサークルの数々を地区大会や県大会で入賞させる、といった快挙を成し遂げた。更には風紀の問題でずっと渋られていた服装規制の緩和を成就させたり、と伝説の尽きない人である。
特に部活動は、廃止にするのではなく活躍させる方面に舵取りしたことが彼女の人気に拍車をかけている。
そして繰り返すが、彼女とはとんでもない美人である。およそ男子の理想的な造形をそのまま三次元に落とし込んだかのようなビジュアル。
長く一切のクセがない黒髪、理知的で怜悧そうな切れ長の瞳は威圧感と同時に、圧倒的な魅力で目が合った相手を虜にする。シャープな輪郭、小顔で目鼻立ちの比率はまさしく黄金比。制服の上からも分かるほどに発育の良い胸部に、それを引き立たせる括れたウエスト。肉感的ながらも下品ではない。あれを表現する適切な言い回しがあるとするなら、芸術的な美しさ、だろうか。
そんな、見た目もスペックもほぼ完ぺきに近い存在たる生徒会長と、同レベルの美人がいる、なんてことが本当にあれば噂になるのも頷ける。
「謎めいてる、って具体的には?」
「へぇ」、「ほぉ」、「ふ~ん」で流しても良かったが、相手に合わせてとりあえず質問を投げた。すると金ちゃんは身を乗り出し、ここからが本番、といった感じで鼻の穴を膨らませる。
「おっ、興味出てきたか? 実はその女子、なんと会える確率が、とんでもなく激シブなんだってよ! 聞いた話じゃ、その女子生徒に会ったり、ましてや話したりできた奴もほとんどいねぇみたいなんだよ! しかも、見かけることすらほとんどねぇ、ってんだから驚きだよな!?」
「へぇ~……」
はっきり言って半信半疑だった。
話を聞いているだけだと、そいつはまるでどこぞの幻のポケ○ンみたいな女子である。
「そんでもって、彼女を見たって奴の話だと、その子、会長に負けないくらい、とんでもなくスタイルも抜群なんだってよ! 俺も一度でいいからお目にかかりてぇぜ!」
「本当にそんな女子が実在するならね」
「いたらマジで夢が広がるな! お近づきになってみてぇ」
「夢見るだけならタダだよね」
出会える確率は月に一回あるかないか……そんな彼女は、学校でこう呼ばれていた。
――『激シブのたわわさん』と
☆
両親を不慮の事故で失った少年がいた。それでも彼は懸命に今日も生きてます。
「――う~ん……」
少年は店のレジカウンターから、店内で怪しい動きをする一人の女性生徒を見張っていた。
いつも挙動不審な動きをする常連客を彼はひとり知っている。
が、今回の相手はその人物ではない。
真っ黒のなっがい髪、丸まった背中、顔は前髪のせいでよく見えない。チラと光に反射したのは眼鏡だろうか。
ここは亡くなった両親から引き継いだ小さな個人商店(今の経営権は叔父が持っているため成人したら正式に引き継ぐことになっている)で、彼は放課後になると接客から商品の仕入れ、陳列といった一通りの業務をこなして細々と生活している。
学校でついたあだ名は「店長」。つけたのは例の女子生徒の噂話を持ってきた男友達だ。人付き合いの悪い自分が、クラスで平穏に過ごすことができているのは彼のおかげでもある。故にネーミングセンスの安直さには目を瞑ろう。
ある日の放課後、いつものようにお客のほとんどいない時間を使い、カウンターの中で学校の課題をこなしていた時のこと。
夕方6時過ぎ、制服姿で一人の女子生徒が店に入って来た。あとついでに彼女の後を追うようにしてもう一人、同じ学校の制服を来た男子生徒が入店。見たところ二人は知り合いとかそういう関係ではなさそうだ。距離感が他人のそれである。
店長は「いらっしゃいませ~」と入店の挨拶をしてレジで待機する。
しかし彼女はなにを買うのでもなく、狭い店の中を何度もウロウロと周回中。ついでに男子生徒も商品を物色しては棚に戻す、というのを繰り返し、なかなかレジに近付いてこない。
限られたお金で日々のやりくりをしている高校生なら買い物に慎重になる気持ちは頷ける。
が、男子生徒は別にして、女子生徒の様子が明らかに不審……
小さな店なので監視カメラの類は設置していない。だが、防犯用にカーブミラーを壁の隅に下げ、レジからも奥が見えるように対策している。
女性生徒は周囲を警戒するようにキョロキョロと視線を往復させ、どう見ても落ち着きがない。
まさかと思い見つめる先。さすがに動かないわけには行かないか、と思った矢先。
店長の視線にもうひとつ、厄介なものが映り込む。
ずっと商品を物色していた男子生徒が、棚の影に隠れて少女にスマホを向けているのが見えたのだ。本人は隠れているつもりなのだろうが、防犯用のカーブミラーにしっかりとその姿が映り込んでいる。
二重の意味で無視できない状況になり、店長は動き出した。
行き先は……女子生徒の方だ。
彼女は男子生徒の存在に気付かないまま、なにかをスクールバッグに入れようとしていた。
それは、お店で全然売れないくせに在庫だけを抱えてしまい、苦肉の策に『試供品(お一人様一個限定)』として置いておいたチョコ菓子だった。
それを、彼女は『二個』手に取り、バッグに入れようと……
「こんばんは、なにかお探しですか?」
「ふぇっ!?」
声を掛けられて驚いた様子の彼女。その顔は面白いくらいに取り乱し、青ざめ、『試供品シール』の張られたチョコ菓子を手に「えと、えと……」と右往左往。
どうやら、店長が考えていたような、ブラックな行為をしようと思っていたわけではなさそうだ。お店の決めたルールを守ってもらえないのは悲しいことだが、それは「注意」で終わる範囲の話。
「それ、僕が言うのもあれですけど、あまりおいしくないと思いますよ」
「え、えと……そ、そうなんです、ね」
「あれ? 好きだから持って行こうと思ったんじゃないんですか」
「そ、その……」
彼女は、まるで叱れた子供のように項垂れてしまっている。
店長は視線だけで後ろを振り返る。スマホを構えていた男子生徒は既に店を出ようとしていた。去り際にこちらを一瞥して「ちっ」と聞こえたのは気のせいだろう。
「あ、あの~……」
という実に弱々しい声に、店長は改めて女性生徒に視線を向けた。
すると、彼女はプルプルと震えながら、手にした二つのチョコ菓子をこちらに差し出し、
「ご、」
「はい?」
「ごめんなざい~!」
顔を涙やら鼻水でぐちゃぐちゃにしながら謝罪し、お菓子を店長に押し付けてくる。
勢いあまって大きく翻った黒髪が店長の顔に直撃。当たった瞬間にとてもいい匂いがした。咄嗟に目を瞑り、次に目を開けた時、彼女の姿は店内のどこにもいなかった。店のドアが揺れている。彼女を追って店を出たが、やはり姿はどこにもなかった。
あまりに速さに驚愕を覚え、店長の手の中に二つのお菓子を握ったまま、しばらく呆然とその場に立ち尽くした後、店の中に戻った。
足元になにか落ちているに気が付く。
店長が通っている学校の生徒手帳だ。落とし主を確認するために中を拝見。
「さっきの子が落としたのか……あれ、この子……あいつと同じクラスか」
顔写真(目元はやはり前髪に隠れて見えない)の横に記載されていた学年は自分と同じ1年、しかしクラスは2組のようだ。ちなみに店長は1組である。
彼には小学校の時から付き合いのある幼馴染が一人いる。ダウナー系で校則違反のパーカーを制服の上に羽織り、耳にピアスまで開けた不良女子。
その幼馴染と、今しがた脱兎もビックリの逃げ足で消えた女子は同じクラスに所属しているようだ。
「明日、あいつに言って届けてもらうか」
ついでに、彼女が押し付けてきたこの試供品も渡してもらおう。どうせ賞味期限がもうすぐ切れて廃棄への道を辿ることになるのだ。故にそろそろこの『お一人様一個まで』の個数制限も廃止しようと考えていたくらいだ。
捨てられてしまうくらいなら、誰かに貰ってもらえた方がこのお菓子も浮かばれるだろう。
「とりあえず連絡入れとくか」
店長は幼馴染にメッセージを送った……しかし奴は既読無視しやがった。
☆
――翌日。
「ん?」
学校に登校した店長。
幼馴染のクラスに顔を出そうと廊下を歩いていた時のことだった。
廊下の窓、ちょうど校舎の裏側に、先日の不審者女子……そして、店の中で彼女にスマホを向けていたあの男子生徒が一緒に歩いている場面を目撃した。
しかし、どうもおかしい。男子生徒の後ろを歩く彼女は、店で見かけた時以上に俯きがちで、心なしか怯えているように見えなくもない。ついでに男子生徒の様子もどこか不審。周囲をやたらキョロキョロし警戒しているように店長の目には映った。
「……」
無言で踵を返して階段を駆け下りる。
別に、何もないならそれでいい。もしかしたら愛の告白の現場に突貫してしまうかもしれないが、それも致し方なし。店長の目的は先日彼女が落とした生徒手帳を届けることだ。ついでに例の試供品も渡しておこう。驚かせたせいか涙目で突き返されてしまったアレだ。ちょっと申し訳ない。
なんて、色々と理由をつけて店長は靴に履き替えるのも惜しんで校舎裏に走った。
自分のいや~な予想が外れていることを願うばかりだ。
☆
先に結論から述べてしまえば、いや~な予感の方が的中してしまった。
目の前でクソみたいな内容、ゴミ溜めよりひどい悪臭がしてきそうなド腐れイベントが発生している最中だった。
「あ、あの……」
「これさ、君だよね? ダメだと思うな~……『万引き』は、立派な犯罪だよ?」
「ち、ちがっ、これは試供品で置いてあったもので」
「周りを警戒しながら? 試供品を持って帰るだけなのに?」
「そ、それは……」
店長は建物の影に隠れ、録画機能を既に起動済みのスマホを構えながら、二人のことをジッと観察していた。
「ちゃんと言い返せないってことは、やっぱり後ろ暗いことをしてたってことだよね? いや~、本当にビックリだよ。大人しそうな見た目をして、まさかこんな大胆なことをするような子だったなんて」
「だ、大胆って……わたし、本当に試供品が欲しかっただけで……」
「え~? でも僕には君が万引きしているようにしか見えなかったけどな~?」
彼女は万引きなどしていない。
しかし男子生徒はさも彼女が万引きしたことが確定であるかのように、スマホをチラつかせている。
「これ、学校の掲示板にアップしたら、君、学校にいられなくなるどころの騒ぎじゃないよね?」
「っ!?」
女子生徒の肩がビクッと跳ねた。男子生徒の気持ち悪い笑みを浮かべる。それが気持ちいくらいに嫌悪感を抱かせた。
……う~ん……まだだな。
しかし店長は動かない。まだ決定的な場面じゃないからだ。涙目になっている彼女には悪いが、もうちょっとだけ耐えてもらう。
「ほ、本当に違うんです! わたし、万引きなんてっ」
「ああもう、このさい君が本当に万引きしたかどうかなんて関係ないの! 要はさ、これが出回ったら君の立場はないわけ! わかる!?」
「あ、う……」
「でも、君の態度次第では、これを掲示板にアップするのをやめてもいいよ?」
「え?」
……出るか? いや、まだだ。
店長もスマホを握る手に力が入る。
だが落ち着け。焦るな自分……ステンバーイ……ステンバーイ……
「わ、わたし、なにをすれば……」
「う~ん、とりあえずさ……僕と付き合ってよ」
「え?」
「だ~か~ら~! お付き合い! 男女の! 君のこの写真を公開しない代わりに、僕と、男と女として、お付き合いしろ、って言ってるの!」
「そ、そんなっ」
「いやとは言わせないよ。この写真、ばら撒かれたくはないでしょ?」
男子学生の手が、少女の肩を掴み、
「それじゃ、とりあえずキスから、ってことで」
「い、いや……っ」
「だから、君に拒否権とかなっ」
「――こんにちは~」
「「っ!?」」
ビクリと震えるように、二人は声を掛けた店長に振り返って目を白黒させる。
しかし、脅迫から流れでいきなり肉体的接触まで行ってしまうとは……予想以上に先走りすぎる男子学生に店長は内心の呆れを隠せない。
「あ、そこの君~。これ、昨日うちの店に落としたでしょ~」
「あ」
中の写真を見せながら近づく。彼女は助けを求めるような顔で店長に振り返る。一方、男子生徒は思いっきり苦虫を噛み潰しました、と言わんばかりにしっぶい顔をしていた。
「な、なんだよお前!? 今、俺と彼女は大事な話をしてんだよ! それくらい、雰囲気で分かんだろうが!」
「ああ、そうなんだ。ごめんごめん。彼女を見かけてすぐに返さなきゃ~、ってあせちゃって~……でもさ~、これはよくないんじゃないかな~」
と、店長は男子学生と一気に距離を詰めて、いまだに握りっぱなしだったスマホをひょいと奪い取った。
「あ、何すんだよ! 返せ!」
「うわ、なにこれ~? 隠し撮り? 肖像権の侵害だと思うよ、これは」
「ち、違う! それはれっきとした犯罪の証拠だ! そこの彼女が、昨日店で万引きをしたっていう、決定的な!」
「う~ん、それおかしいんだよね~」
「な、なにが」
「だってこの写真の店、うちだし」
「は?」
「ていうか、僕までばっちり映ってるし……」
「っ!?」
スマホの画面を彼に見せる。よほど焦っていたのか、写真に写るもう一人の存在に気付かなかった……ないし、眼中にもなかったらしい。
「彼女が万引きなんてしてないことの証明は僕ができるよ。それと、君が彼女を脅して関係を迫ったことも、ちゃんと証明できるから」
店長は自分のスマホ画面で、今までずっと録画していた映像を再生。
男子生徒の顔が一気に青ざめていく。
「別にこの写真をアップしてもいいけど、結局僕の証言で全部濡れ衣ってことは説明できるわけなんだけど……逆に君の脅迫現場は言い逃れ不可能だよね~?」
「はいスマホ」と男子生徒にスマホを返却。コピーをとっているかもしれないし、昨今はデータをクラウドに保存できる時代だ。スマホの端末からデータを消しただけではどうにもならない。しかし、男子生徒は既にその写真が何の武器にもならないどころか、下手すれば自分の首を絞める呪いのアイテムに切り替わったと十分に理解できたはずだ。
「一応訊くけど、まだ彼女にちょっかい出す? それなら僕も強硬策を使うけど? 諦めてお互い穏やか~に、今度は一切かかわらないっていうなら、僕も手を引くけど……どうする?」
「う、うぐぐぐぐぐ……くそ!」
男子生徒は悪態を吐きながらその場から逃げ去った。
とりあえず殴り合いとか、余計に面倒なことにならなくてホッとする。
最悪取っ組み合いになっても、彼女を逃がせればそれでいいという感じだった。
先生が駆け付けるような事態になれば、それこそ彼に逃げ道などなかった。さすがにそこは相手も理解していたのかもしれない。
「はぁ~……」
店長は肺に溜まった息を吐き出してその場にしゃがみ込んだ。
「あ、あの……」
「うん?」
ホッとした彼に、少女が声を掛けてきた。その瞳は徐々に潤み、言葉も「あの、あの……」と同じ音を繰り返す。そしてついに、彼女はぽたぽたと涙をこぼし始めて、
「ありがどう、ございました……ありがどう、ございます……」
色々と顔をぐちゃぐちゃにしながら、店長同様にその場にしゃがみ込んで、ひたすらにお礼の言葉を口にしたのだった。