第1話 ミモザによって。
実家の日本では桜が満開になっている今、ここイギリスでは満開のミモザが隣の家との高いレンガの塀を超えて覗いている。
明るいレモン色の彼、あるいは彼女はいったい何を感じているのだろうか。
いくら人間の行動を予測し、感じられても、植物の心を読むことは許されなかった。
戯れることは許されても、花とは決して心を通わせることはできない。
ここが人間の限界なのだと実感する。
今日も朝の日課である花見を終え、着馴れないブレザーの制服を羽織る。
ヨーロッパではこの類の制服は多いらしいが、日本でも最近は増えてきている。
黒色のブレザーの胸元に付いた金色の蛇の校章は、付けているだけで優等生と称されるものだ。
ここ、ロンドンにある世界各国の生徒が留学し共に学び合う学園、ブリュンセル魔法科高等学園への入学が許可された時点で、世界の最先端を走っているということを明らかにするものだ。
【魔法】、それはおとぎ話や漫画の中ででてくるような設定によるものではない。
魔法が存在するということは全世界に生きる人間の固定概念ではないのだ。
それが偽りの物語との決定的な違い。
魔法は科学により実現された最先端の技術であることはここ、ブリュンセル魔法魔法科高等学園とその進学校であるブリュンセル魔法学院、そしてこれら関連施設にいる人間以外で知る者はごくわずかである。
しかし、新入生のほとんどはもちろん魔法の存在を知らない。
この学校は表向きでは一般的な大学を偽っているからだ。
最先端の技術である魔法を学ぶ場ということが知れ渡っていないのに世界の中でも最も難関な学園、学院とよばれるのには理由があった。
それは、入試という入学方法を実施していないこと。
全生徒が完全推薦制での入学という方針を取っている。
世界各国の中学校に魔法が使える者、【魔法士】を派遣し、勉学に励み魔法の才能のある人間を激選する。魔法の才能がある人間と、すでに何らかの原因で魔法士である、あるいは認識せずとも魔力を体内で生成してしまった人間がいるが、オレはその後者、魔法士に当てはまる
今日は、ブリュンセル魔法科高等学園の名誉ある入学式が執り行われる。
しかし、ひとつ問題があった。
先日の合格者説明会で入学式の日の注意事項が言い渡されたのだ。
「最後に一つ皆さんに入学式の日の注意事項を伝えておきます。必ず守ってください」
世界最難関校の学園長が言う注意事項。誰もが緊張で心が埋まっていた中、それは
「”清らかな朝”を過ごし、我れらの校門をくぐってください」という、なんとも普通の言葉が送られた。
そう言われた時、優等生の集まりでもざわつきが見られた。
予想外に普通のことだと安心する者もいたり、何か意味深なことでは、と疑心を抱く者もいた。
しかし、その疑心は正しい。
全教師が笑顔を浮かべているこの淀んだ空気を。
どくろマークがつくほどの裏の顔を持つ学校長の泥色の心を。
半数以上が安心してしまっているこの状況が続くとおそらく今年度の新入生は過去最低人数になるだろう。
それは先ほどの学校長の言葉を聞いて確信できた。
あれは呪言。言葉にかけられた呪いであり、魔法の一種。
それを一度でも承諾してしまえば逆らった時にはそれ相応の罪が課される。この呪言の場合、それは死を意味する。
恐ろしい魔法だ。気づいている生徒は4、5、オレを含めても7人。
あの校門にかけられた強制魔法も嫌なものだ。くぐった人間に承諾を強制する魔法。
あんな高度な技術を人間が発明し、莫大な魔力が必要になる”あの禁呪”を実用化するだなんて。それを成し遂げるこの学園はどうやってこれだけの魔力を集めたのだろうか。
つまりだ。門をくぐった新入生は学園長の注意事項を守らなければ死ぬということ。それは、この学園がただの”監獄”であることを意味していた。
✕✕✕
レンガ造りの巨大な門の前に、オレは今立っている。
歴史を感じられるこの門。しかし、それらのレンガひとつひとつに精密な魔力が込められていた。構築から発動まで、隅々まで詰まった魔法回路に目を奪われる。
これはこの世に在ってはいけないものだ。
しかし、オレは本気でで感動している。
本来人間に1本しかない魔法回路。ふつう、物体に魔法回路を組み込むことは、できて数本だ。
魔力の通り道の役割を果たす。しかし、この門にある魔力回路の数は異常だ。
見える範囲でも数千、いや内側の魔法回路の基盤も合わせたら数万はある。
どうやって組み込んだのか...
「そこの新入生、いったい何をしている!」
黒い軍服を着た警備員がオレのもとにやってきて眉間にしわを寄せた。警棒を突きつけるのではなく、オレに向けられたのは拳銃だった。
「この門は神聖なものだ。我が学園の象徴であるこの門に指一本でもふれたときには命はないと思え!」
異様な慎重さだ。
「安心してください。ただ門の造りに見惚れていただけですよ」
さすがに慎重だった警備員も新入生がこの魔法回路に気づいているとは思わなかったのだろう。早くいけ、とだけ言われて見逃された。
門をくぐった瞬間に感じ取れたこの違和感。既に魔法は発動していた。
先日説明会が行われた大講堂に目を向ける。異常な魔力量だ。
あそこから出る呪言の魔力量が時間を経てここまで膨大になるなんて。
一般魔法士程の人間なら倒れこむほどの吐き気に襲われるだろう。新入生のほとんどがその効果を受けないのはまだ魔法を知らないからだろうか。
しかし、敷地内で嘔吐で倒れている生徒もいた。
彼らは誰からの指導も受けずに魔法に目覚めてしまった天才児達だろう。しかしその力の制御方法も、自身を守るすべも知らない不遇者達だ。
新入生が何人も倒れているというのに警備員も、教師でさえ駆けつけてこないのはあの学園長の入れ知恵だろう。名のある名門校でこのような扱いをされることがこれからの学園生活を物語っていた。
「リオナ」
心の中で”ひとり”、精霊の名を呼んだ。
「はい唯人様」
「助けてやれ」
オレの意のままに行動する精霊。
精霊とは本来、この世には存在しない生物だ。科学的生物といえば噓にはなるが、人工的に生み出された生物ではある。
普段は霊体で主君の体内で存在しているが実体化も可能な万能生物だ。
精霊にも魔法士と同じように階級があると聞いたが、存在する精霊の個体数が少ないのでリオナがどの程度の実力なのかはオレでもはっきりしない。
魔法生物とでもいえばいいのだろうか。 まだ極秘の存在なので学園の教師が精霊の存在を知っているとは思えない。
知っているとしても学園長、精霊研究チームとあの男くらいか。
微量な魔力量でのリオナの魔法はオレも真似できないほど精密な仕組みだ。
本来、実体化した方が魔法の精度は上がるらしいが霊体であのレベルの魔法の行使ができるリオナは精霊の中でも上位に位置する存在なのだろう。
魔力の流れによって生じる音も、魔方陣を構成するために発生する光も、彼女の魔法はそれらを完全に隠しきる。おかげで学園側にばれる心配もないわけだ。
倒れた人間が急に元気になって立ち上がる。
どれだけ優秀な生徒でもやはり驚きは隠せないようだ。彼らを心配していた周りの生徒も、素通りするはずだった彼女らも皆が起き上がった生徒たちに目を向ける。
――――――ひとりを除いては。
美しい美貌を兼ね備えた白髪の女が、こちらを凝視する。
さらりとした長髪を風でなびかせ、長いまつげと透き通った目がオレの記憶を掘り起こす。
どこかで見た人間だ。
制服を着ているはずなのに、彼女の本来の服装が頭に浮かぶ。
白いドレスを着た彼女を。
脳裏に浮かんだ。彼女と...何処かで会っている。確実に。
もう少しでなにか思い出せそうなところで彼女は背を向けて立ち去った。
あの胸元の校章は新入生であることを示す。新入生として大講堂へ向かったのだろう。
リオナを回収し、オレも大講堂へと向かう。
式が始まるまでそう時間はない。
今起き上がった彼らでも今から向かえば広い敷地のこの学園でも式には間に合うはずだ。
そうしてオレは、学園側が望んだ最初の犠牲者達を救った。