第45章 暗殺
文明十八(1486)年七月、江戸城にいる道灌のもとへ、曽我兵庫から、自らの非を認めて反省したお館さまが仲直りしたいとおっしゃっているので、ぜひ糟屋館へお越し願いたい、という内容の書状が届いた。一読した道灌は行くことに決めたが、明子が止めた。
「罠ではないでしょうか、これは?」
心配げな表情の明子にそう言われた道灌は笑った。
「相変わらず疑り深いね、明子は」
「でも、用心に越したことはありませんから」
「今年の初め、兵庫にお館さまとの仲裁を頼んでおいたんだよ。あいつが骨を折ってくれたんだろう、少し時間がかかったけど、ようやくお館さまに俺の真心が通じたようだ」
「信用しても大丈夫なのでしょうか?」
「お館さまはともかく、兵庫は信用できるさ。あいつとは長い付き合いだからね。今は扇谷上杉家の家臣に違いないけど、それでも俺を殺すとか、奴にそういう真似はできないよ」
「本当に?」
「兵庫は俺の兄貴みたいなものだから心配ないって。それに相手を信じなくちゃ新しい道は開けないよ」
「どうしても行かれるとおっしゃるのでしたら、念のため軍勢を率いて行ってください」
「それでは逆にお館さまの心証を悪くしてしまうじゃないか、俺を信用しないのかって。兵庫がせっかくお膳立てしてくれた仲直りの機会を台無しにしてしまうわけにはいかないよ」
「でも・・・」
「そう心配するなって」と、道灌は笑った。「俺を殺したら、逆に扇谷上杉家が滅亡の危機に瀕することぐらい、あいつらにだってわかっているんだから」
「そうですか?・・・」
「だけど、おまえが心配してくれるのは嬉しいし、心から頼もしく思うよ」
「頼もしく・・・ですか?」
「ああ、俺は前から、明子、おまえのことを頼りになる女だと思っていたんだ。頭が良くて、度胸があって、行動力があって、先を見通す鋭い目を持っている明子は、まさに軍師の器だ。おれにまんいちの事があっても、明子がそばについていれば資康は大丈夫。立派にやって行ける。そう思って俺は安心しているんだ」
「おだてないでください」
明子がそう言って恥ずかしそうな素振りをすると、道灌は「おだてているつもりはないよ」と言った。
「俺は本気でそう思っているんだ。そりゃあ確かに結婚当初は変わった女だと思っていたけど、今は全幅の信頼を置いている。おまえだけが頼りだ。資康をよろしく頼むぞ、明子」
七月二十六日の朝、道灌は七人の家臣と共に糟屋へ向けて江戸城を出発した。伴の人数が少なすぎると最後まで明子が不平を口にしていたが、道灌は「この人数で充分だ」と言ってとりあわなかった。この時ちょうど江戸城には前の日から紫音が沙代子と亀千代を連れて泊りがけで遊びに来ていたので、彼女らも明子と一緒に大手門のところで道灌を見送った。
「じじさま、いってらっしゃい」
おとなしい沙代子が珍しく大きな声で呼びかけた。道の先を馬に乗って進んでいた道灌が振り返った。そして自分を見送る沙代子、紫音、明子、それに紫音の腕に抱かれている亀千代に向かって笑顔で手を振った。朝日が眩しく輝いている中、道灌はゆっくり江戸城から遠ざかっていった。
その日の夕方、道灌の一行は糟屋館に到着した。
「遠路ご苦労様です、家宰さま」
兵庫が笑顔で出迎えると、道灌は「おお、兵庫、今回は世話をかけたな」と微笑んだ。
「いえ、わたしは扇谷上杉家の為になすべき事をしたまでです」
「おまえの骨折りには感謝しているぞ。で、お館さまはお待ちかな?」
「はい。先程からお待ちですけど、家宰さまには先に風呂に入ってもらえとのご指示です」
「風呂?」
「ええ、今宵は朝まで家宰さまとじっくり語り尽くしたいので、その前に風呂で旅の汗と埃を流し、さっぱりしてもらえ、とのお言葉でした」
「それは色々と気を遣って頂いて恐縮だな」
道灌は兵庫に案内されて浴室へ向かい、同行した七人の家臣は控室に案内された。当時の風呂はいわゆる蒸し風呂で、白い湯帷子を着た道灌が熱い蒸気を浴びて汗を流していると、浴室の外から兵庫が「着替えをここに置いておきますよ」と声を掛けた。
「おお、ありがとうな、兵庫」
「どうですか、お湯加減は?」
「ちょうど良いよ。疲れが取れるわ」
「それは何よりです。あ、言い忘れておりましたけど、今宵お館さまは家宰さまと一緒に和歌を詠みたいとおっしゃっておりました」
「和歌を?」
「はい、お館さまはこのところ和歌に凝っていらっしゃって、ぜひ名人である家宰さまのご指導を仰ぎたいとおっしゃっております」
「へえ、そうなんだ。変わったなぁ、お館さまも」
「人は変わりますからね。家宰さまだって考えてみれば沙羅さまと出会った時からですよね、和歌を嗜むようになられたのは」
「そうそう、あの日、急に雨が降り始めたので、蓑を借りようとしたら、沙羅が山吹の花のついた枝を持ってきて」
「それが、家に蓑が無いことを、兼明親王の和歌に引っかけて示した、しゃれた返答で」
「俺だけその意味がわからなくて、それが悔しくてさ」
「懐かしいですね、あの山吹の花」
「ああ、懐かしいな。あれから俺は沙羅に和歌を教わって、自作もするようになった。俺の和歌はあそこから始まったんだな」
「それが今や国じゅうに名の知れた和歌の名人ですからね。たいしたものです」
「沙羅に感謝しなくちゃな」
「わたしの方は、生まれつき才能が無いのでしょうね、和歌の方はあれからさっぱり上達しませんでした」
「自分の思うままに詠めば良いんだよ、和歌なんて」
「先日も武士たる者は常に死を覚悟しておかなければならないという心掛けを和歌にしようと思いまして、上の句を詠んだのですけど、どうしても下の句が思いつきません。家宰さま、わたしに良い下の句をご教授ねがえませんか?」
「どんな上の句を詠んだんだい?」
「かかる時、さこそ命の、惜しからめ・・・という上の句ですけど、どうでしょうか?」
「かかる時、さこそ命の、惜しからめ? 何だ、こりゃ?」
「まったくダメですか?」
「いや、まったくダメということはないけれど、この上の句に続けるのなら下の句は・・・えーっと・・・かねてなき身と、思ひ知らずば・・・というのはどうかな?」
「かかる時、さこそ命の、惜しからめ、かねてなき身と、思ひ知らずば・・・ですね。ありがとうございます。やっと形になりました」
「まぁ、あまり良い出来ではないが、これくらいで勘弁してくれや」
「せっかくですから、これを家宰さまの辞世の歌にしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 俺の辞世の歌?」
その時、浴室の戸がサッと開き、兵庫の体が飛び込んできたかと思ったら、道灌の腹に短刀が突き刺さっていた。鋭い痛みが全身を駆け抜けた。
「ど、どういうことだ?」
両目を見開いた凄まじい形相で兵庫の体にしがみつきながら、そう問いただす道灌に向かって、兵庫は申し訳なさそうに目を伏せ、
「すいません、若さま。主命なのです。お許しください」
そう言って短刀をグイッとひねった。鮮血が傷口から勢いよく噴き出す。
「バカな。俺を殺せば・・・当方滅亡・・・」
道灌はそう呟くと、そのまま浴室の床にどっと倒れた。
太田道灌は死んだ。享年五十五歳だった。
控室で休んでいた七人の家臣も、その同時刻に扇谷上杉家の家臣によって一人残らず斬り殺された。
道灌死亡の報告を受けた上杉定正は無言のまま自室に閉じ籠った。糟屋館は道灌の喪に服すかのように静まり返った。
その後、糟屋館の近くにある洞昌院で道灌の遺体は荼毘に伏され、院内の墓地に埋葬された。さらに、洞昌院と糟屋館の中間地点に七人の家臣の墓が作られ、七人塚と呼ばれたと伝わっている。
道灌の死によって歯車の動きを止めていた棒が外れ、再び関東は戦乱に向かって動き出した。この翌年、山内上杉家と扇谷上杉家が全面対決した長享の乱が勃発。道灌の一人息子の資康は、明子の助言を受けながら山内上杉家側に付き、父の仇である上杉定正と戦った。資家・紫音夫婦は岩槻城に入り、資康を援護した。資康の血統を江戸太田氏、資家の血統を岩槻太田氏と呼び、両血統は江戸時代まで連綿と続くことになる。
十八年続いた長享の乱の中で上杉定正は戦死し、両上杉家は衰退の一途をたどり続け、やがて伊勢新九郎、すなわち北条早雲に関東の地を奪われることになる。道灌殺害の功で江戸城と河越城を手に入れた曽我兵庫とその一族もいつしか滅ぼされ、消えていった。
「当方滅亡」
道灌の言葉は現実となった。道灌が生きていれば、むざむざ関東を早雲に奪われることはなかった、と多くの人が言う。だが、戦国の世は始まっていた。果たして道灌は新しい波に乗りきれただろうか? 道灌の死は古い時代の終焉を象徴していたのかもしれない。道灌の死によって中世が終わり、近世が始まったと言ったら大袈裟だろうか? ここでは、その昔、時代が大きく変わろうとしていた転換期に、一人の不器用な英雄がいて、様々な事に悩み、苦しみ、もがきながら、関東の地で精いっぱい生きていた・・・そう記すのみで終わりにする。
完
《参考文献》
黒田基樹『図説太田道灌』(戎光祥出版)
黒田基樹『享徳の乱』(戎光祥出版)
黒田基樹『長尾景春と鉢形城』(埼玉県立文書館・鉢形城歴史館共催「古典の日」記念事業:歴史講座①)
黒田基樹『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書)
水野大樹『もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱』(徳間書店)
幡大介『騎虎の将 太田道灌』(徳間書店)
童門冬二『小説 太田道灌』(読売新聞社)
大栗丹後『小説 太田道灌』(栄光出版社)
青木重數『太田道灌』(新人物往来社)
伊東潤『叛鬼』(講談社)
武田鏡村『一休が笑う』(佼成出版社)
歴史に詳しい人が本作を読めば「こんなの太田道灌じゃない」とおっしゃることでしょう。歴史上の太田道灌を描く気は最初からありませんでした。書きながら私が思い描いていたのは、戦後の高度経済成長期に、職場や家庭で様々な問題を抱えながらも、身を粉にして働いていた昭和のお父さんの姿です。




