第3章 足利学校
実家に戻った鶴千代は、佳子や下人たちと共に、のんびりした日々を送っていた。ところで、たかが十一歳かそこらのガキが「五山無双の学者たり」などと大層な持ち上げられ方をされると、調子に乗って勘違いしてしまうのが人間の常というものである。鶴千代も例外ではなかった。後に鶴千代=道灌は、不意に浮ついていた頃の自分を思い出すや、たまらなく恥ずかしくなり、思わず「あっ!」と大声を上げたりして、心の痛みにさんざん苦しめられた挙句、二度とバカな態度をとらぬよう厳しく自己を律するようになるのだが、さすがに思春期真っ盛りのこの時期はどうしようもなく、頼みの分別も現れようが無かった。しかも建長寺での成功体験が勘違いを増長させた。鶴千代には周りの人間が全員バカに思え、自分のみが至高の場所にいて、自分のみが特権的に物事を正しく理解できると自惚れ、他人に対して生意気な態度をとるようになった。反抗期も重なって、父親の道真に向かってさえも、なめた口をきくようになった。
「父上は和歌を好まれますけど、わたしは感心しませんな」
「ほう、そうかね?」
「武士たる者が軟弱で女々しい和歌などに現を抜かしてどうするのです? 男はビシッと気合の入った漢詩でしょうが。これこそが武士のたしなみに相応しいと思います」
鶴千代が偉そうにそう言うと、道真が「和歌は軟弱で女々しいかね?」と尋ねた。
「はい、その通りです」
「しかし、おまえは和歌を、ほとんど読んでおらぬであろうが」
「読まなくても分かるのです、わたしには」
「どうして?」
「あんなもの、チラッと眺めただけで中身の察しがつくのです、わたしには」
「俺さまは頭が良いから何でも分かるんだと言いたいわけか?」
「別にそうは言っておりませんが・・・」
「残念よのぉ、頭が良いはずの我が息子が、和歌の価値を理解できないとは」
と、道真はわざとらしく嘆息して、鶴千代に軽蔑の眼差しを向けた。鶴千代は少し焦った。
「いえ、わたしにも理解はできますよ。ただ剛の者たる武士には相応しくないと申しているだけです」
「これからの武士は今まで以上に繊細な心の機微に通じていなければならないという事が、頭の良いはずのおまえには理解できないのかねぇ?」
「理解はできると申しているではありませんか」
「西行法師の有名な和歌に、心なき、身にもあはれは、知られけり、鴫立つ沢の、秋の夕暮れ、というのがあるが、この美しさがおまえには分からないかね? 日本語の持つ抒情的でたおやかな美を、おまえは感じとれないかね?」
「いや、まぁ、それは・・・」
鶴千代はどう答えて良いか分からず、口ごもった。
「美しいと思うだろう?」
「はぁ・・・」
「美しいと思うなら素直に美しいと言えば良いではないか。頭の中で変な理屈を考えたりせずに。何事も素直でまっすぐな姿勢が肝要だ。そこの障子を見てみろ」
道真はそう言って部屋の障子を指さした。
「まっすぐ立っているだろう? これが曲がっていたら立っていられないし、障子の役目を果たせない。人間も同じだ。なまじ学問をすると余計なものが色々くっついて、本来の素直でまっすぐな心を忘れてしまう。中途半端に学問をおさめた者は、そうならぬよう用心しなければならない」
「しかし、父上」と、鶴千代は屏風を指さした。「こちらの屏風は曲がっていても立っていますよ。いや、曲がっているからこそ立っていられるのではありませんか? 屏風をピンとまっすぐに伸ばしたら、すぐに倒れてしまいます」
「はぁ? おまえはその屁理屈で俺に勝ったつもりなのか?」道真は呆れた表情で鶴千代を見返した。そして「困った奴だ。仕方ない、今のおまえに相応しい言葉を贈ってやろう」と言い、机の上にあった紙に「奢者不久」と書いた。
「奢れる者は久しからず、だ。図に乗って自分を見失ってはならないぞ、鶴千代」
すると鶴千代は「父上、その紙と筆をお貸しください」と言い、「奢者不久」と書かれた紙に「不」と「亦」を書き加えて「不奢者亦不久」とした。
「奢らざる者もまた久しからず、ですよ、父上」
小生意気にも張り合う態度を見せた鶴千代に、道真はうんざりした表情を浮かべてこう言った。
「俺にも若い時分に経験があるが、自分は頭が良いと自惚れているバカに限って、他人の揚げ足を取っては勝った気になり、挙句の果てはそのちっぽけな勝利だけで満足し、大きくて大切なものを見失ってしまうものだ。そして愚か者の仲間に入ってゆく、ズルズルと底なし沼に沈むようにな。そうなったら、もう二度と浮かび上がれないんだぞ」
道真はそう言って鶴千代を睨みつけたが、鶴千代の方は「ジジイの説教なんか真っ平だ」とでも言いたげな顔をして反抗的な態度を崩そうとしなかった。天下の太田道灌といえども、思春期には他の少年と同じく反抗期を迎えたし、大人からみればそこら辺によくいる、可愛げの無い、クソ生意気なガキの一人にすぎなかったのである。
「鶴千代、おまえにはまだまだ学問が足りんようだ」道真は諦めてそう言った。「次は足利学校で勉強し直して来い」
「足利学校?」
「そうだ、国じゅうの秀才が集まって切磋琢磨している我が国で最高最大の学府だ」
現在の栃木県足利市に実在した足利学校の創建に関しては諸説あって未だ答えが定まっていないが、誰の力で日本最古の総合大学と呼ばれるまでの教育機関に発展したかについては、はっきり分かっている。この小説に何度か登場した、四代目鎌倉公方・足利持氏を死に追いやった罪の意識で心を病み、遂には出家隠遁するに至った前関東管領・上杉憲実の功績である。幼少の頃より学問好きだった憲実は、衰退していた足利学校の復興に力を注いだ。古びた学舎を建て替え、京や鎌倉からたくさんの書籍を取り寄せ、そればかりか自分の蔵書までも惜しみなく差し出し、多くの有識者を教授として招き入れた。しかも、これだけの充実した内容にも関わらず、授業料はタダという驚きの大盤振る舞いをしたものだから、関東のみならず北国からも西国からも学生がわんさか集まり、最盛期には三千人以上の学生が、ここに集ったのである。
その足利学校へ行くよう、道真は鶴千代に命じた。鶴千代としては実家暮らしに退屈し始めていたところだったし、建長寺での楽しかった集団生活が懐かしく思い出されたし、何より反抗期で父親と離れて暮らしたいという欲求が強かったので、二つ返事で行くのを承諾した。佳子は再び鶴千代がいなくなるのを悲しんだが、「今よりもさらに立派に成長して戻ってまいりますから」と鶴千代に言われ、不承不承ながら納得した。
(よーし、建長寺のように俺がまた頭を獲ったるぞ!)
張り切って足利学校へ向かった鶴千代だったが、実際に入学してみると建長寺とはずいぶん勝手が違っていて戸惑うばかりだった。まず学校内で集団生活をするわけではなかった。学校の近くに家を借りたり、近所の民家に下宿したりして、そこから通うのである。鶴千代は裕福な家の子供だったから学校のすぐ近くに瀟洒な一軒家を借りることができたが、貧乏な学生の中には家畜小屋みたいなところから通って来る者もいた。その学生というも年齢がバラバラで、けっこうなおじさんもいれば、鶴千代より年下の少年もいて、集団としてまとめづらかった。つまり何もかもが建長寺とは異なっていたので、鶴千代が思い浮かべていた「楽しい学生生活をもう一度」という夢は儚くも消えたわけである。仕方ないので鶴千代は学問に専念することにした。
もともと学問が好きだから苦にならなかったし、家を出るとき道真から「兵学を学んでこい」と命じられていたので、鶴千代もここでは父に逆らわず、命じられた通り素直に兵学の勉強を始めた。足利学校では通常の禅学および漢学だけでなく、易学や兵学や医学の講義もおこなわれていて、それらの書物がふんだんにあったのである。鶴千代は熱心に講義を聞き、書庫にある軍事関連の書物を片っ端から読み漁った。明の兵学書を読む事で、海の向こうの最新の兵法を知ることができたのは、大きな収穫だった。また、戦争においては攻めることも大切だが、同じくらい守ることが大切で、その為にはいかに堅固な城を築くかが重要になると知った。それゆえ、鶴千代は築城の勉強も始めた。自然の地形を活かしながら、どれだけ堅牢な防御陣地を構築できるか・・・そういう事を頭の中であれこれ空想するのが楽しくて、鶴千代はしばしば時間を忘れて没頭したほどだった。
こんな調子で鶴千代は、黙々と、おとなしく、真面目に、足利学校で三年間学んだが、その最後の一年間、鶴千代が兵学の講義を受けたり、自習室で築城関連の本を読んだりしていると、必ず一緒になる色白の少年がいた。その少年は学校内で誰とも交わろうとせず、いつも一人で寡黙に勉強していた。
(おそらく俺より二つか三つ年下だろうが、いやに熱心に兵学書を読んでやがるな)
鶴千代はその少年の猛勉強ぶりに感心し、興味を抱いた。そこで、ある日、気さくに話しかけてみた。
「ずいぶん勉強に熱が入ってるね」
少年はチラッと鶴千代の顔を見て、不愛想に一言「はい」と答えると、再び読書に戻った。
「俺は鎌倉からやって来た太田鶴千代という者だけど、君の名前は何ていうんだい?」
「大井成千代」
「どこから来たんだい?」
「信濃」
「よほど兵学が好きなんだね。俺より熱心に兵学を学ぶ奴が、この学校にいるとは思っていなかったよ」
鶴千代がそう言って笑うと、大井成千代と名乗った少年は、とつぜん不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「戦場であなたに勝たなければなりませんからね」
「え? 俺に? 俺と戦うの? は? どうゆうこと?」
戸惑うばかりの鶴千代を冷笑しながら少年は言葉を継いだ。
「いずれ分かりますよ・・・いずれ・・・痛いほど。だから今は僕の勉強の邪魔をしないでください」
そこまで言われて撥ね付けられた以上、鶴千代としてはすごすごと引っ込むしかなかった。
「変な奴」
鶴千代は悔し気にそうつぶやいた。