第2章 建長寺
太田家は代々優れた人材を輩出しており、鶴千代の父・資清も文武に秀でた武将だった。堂々たる体格、知性的な顔立ち、爽やかな笑顔・・・やがて鶴千代にも現れるこれらの特徴は父親譲りであり、幼い頃の鶴千代はいつも資清を憧れの眼差しで仰ぎ見ていた。父親譲りはもう一つある。歌道である。当時、一般の武士も教養として漢詩や和歌を一通り学んでいたが、資清の和歌に対する熱の入れ様は尋常でなく、教養の範疇を超える本格的なものだった。資清はしばしば屋敷に歌人を招いて歌会を催した。鶴千代も後年、武士としてだけでなく、歌人としても有名になるが、その才能は父親譲りだったのである。
一般の武士らしくないといえば、さらにもう一つあった。他の武士たちが商人の真似を嫌うのに反し、資清は金儲けに力を入れていたのである。品川の港と、当時は浅草まで内海が広がっていたのだが、その浅草の港を支配し、交易の自由と安全を保障してやる代わりに、商人たちから税を取り立てていた。お陰で太田家の財力は関東随一であった。「卑しい銭の亡者め」と陰口を叩く者がいたが、
「いくさってのは金がかかるんだよ。武士たるもの常にその準備をしとかなくちゃな」
資清はそう嘯いていた。
資清の息子、鶴千代と三歳年下の弟・亀千代(元服後は資忠と名乗る)は、二人とも小さい頃から父親に似て利発な子供であり、兄弟仲も良かった。資清は多忙ゆえ屋敷を留守にすることが多かったが、母親の佳子がいつもそばにいて愛情を注いでくれたので、兄弟は少しも捻じ曲がること無く、すくすくと、明るく、まっすぐに成長した。
佳子は山内上杉家の家宰・長尾景仲の娘である。景仲は資清より二十三歳年上で、武将としては小柄ながらも高い見識の持ち主であり、その優れた知性は深い皺を刻んだ厳格で静謐な顔つきから滲み出ていた。前章で述べた鎌倉公方と関東管領が共にいなくなるという異常事態の中、関東一円を仕切ったのは、景仲と彼の右腕的存在である資清であった。二人を世間の人は「関東不双の案者」と呼んだ。案者とは知恵者という意味である。
このように優れた武将である景仲であったが、弱点が一つあった。息子の出来が悪いのである。末娘の佳子は明るく聡明な美女だったが、景信と忠景という二人の息子は、景仲を満足させる能力の持ち主ではなかった。そもそも頭の回転が悪い上に肝が据わっていない。多くの武士を統率する人間的魅力に欠けている・・・それでも、二人のうちのどちらかを、いずれは山内上杉家の家宰にしなければならないのである。大丈夫だろうか? ちゃんとやっていけるだろうか? 景仲は将来への不安を隠せずにいた。
「おまえがわしの息子だったら良かったのになぁ・・・」
ある時、景仲が資清にそう呟いたことがある。資清は複雑な表情のまま黙っていた。景仲が娘の佳子を資清に嫁がせたのは、義理でも良いから資清を息子にしようと考えたからである。それが分かっているので、景信と忠景の兄弟は資清に対して良い感情を抱いていなかった。
さて、鶴千代の話である。
鶴千代が八歳の時、永享の乱が起き、鎌倉じゅうが騒然となった。大人たちが緊張した面持ちでせわしく動き回っていた。鶴千代は幼いながらに大変な事件が起きたと思い、不安で胸が苦しくなった。そんな鶴千代を、佳子が「大丈夫だからね。心配ないからね」と勇気づけてくれたが、不安は消えなかった。鶴千代は出陣する父・資清を心配そうに見送った。
その後、乱は無事に鎮圧されたが、鎌倉公方が消滅する結果となったことに多くの関東武士が心を痛め、関東管領・上杉憲実が出家し、隠遁するに至ったのは、先に述べた通りである。資清は隠遁こそしなかったものの、憲実のあとに続くかのように、このとき出家して道真(以下は道真と表記する)と名乗った。いくさが終わって良かったと喜んでいたら、いきなり父親が頭を丸めて帰ってきたものだから、鶴千代も、弟の亀千代も、わけがわからずきょとんとした顔をしていた。
翌年、今度は結城合戦が起きた。再び鎌倉が騒然とする中、九歳の鶴千代は親元を離れて建長寺に入ることになった。鎌倉の武家の男子は皆この年齢になると五山いずれかの寺に寄宿し、四書五経など和漢の書物を学ぶのである。もちろん武士の子供であるから武芸の鍛錬を続けながらの学問修行である。
佳子は我が子と離れて暮らすことを悲しんでシクシク泣いた。鶴千代は武門に生まれた男として涙を流すようなみっともない真似はできないと思って踏ん張ったが、最後はやはり家族との別れが悲しくて泣いた。所詮は九歳の男の子、まだまだ母が恋しい年頃だった。
鶴千代はメソメソ涙ぐみながら建長寺へ入山した。他家の少年との三年に渡る集団生活の始まりである。朝は剣術や弓の稽古をし、昼間は講堂で僧侶による講義を受け、夕方からは自由時間で各自運動したり勉強したりして過ごすのが、だいたいの日課だった。その間に順番で部屋の掃除や衣服の洗濯をした。
夜になって僧侶たち、すなわち大人の目が離れると、子供たちの世界が始まった。それは力によって支配される世界であり、上級生が新入生をいたぶって楽しむ時間だった。鶴千代はそれまで他人と殴り合いのケンカなどした事が無かった。佳子の愛情をたっぷり受け、名家の御曹司としてわりとおっとり育てられてきたのである。だが、ここでは剝き出しの暴力が幅を利かせていた。最初のうち鶴千代は、世の中はこういうものだろうと思い、じっと耐えていたが、やがて陰湿で執拗な暴力に我慢ができなくなった。自分はともかく、これ以上おなじ年齢の仲間が理不尽な暴力で泣かされるのは許せなかった。体の中に潜んでいた不正を憎む魂が一気に噴き出した。
「弱い者いじめはやめろよ」
鶴千代はたった一人で体の大きな上級生に立ち向かっていった。
「きさま、上級生に逆らう気か?」
「上級生だろうと何だろうと、いけない事はいけないだろうが」
「何を生意気な」
取っ組み合いのケンカが始まったが、すぐに鶴千代は上級生をのしてしまった。怯えて小さくなっていた同級生たちは鶴千代の勝利に沸き立った。無我夢中で戦った鶴千代は何がなんだか分からず、気がついたら相手が伸びていたという印象だったが、同級生の喜ぶ顔を見て勝利を実感した。だが、勝利の余韻に浸っている暇は無かった。すぐさま数人の上級生が仕返しにやって来たのである。ところが、最初の戦闘で慣れたせいか、今度はいくぶん余裕を持って敵を撃退できた。
(あれ? 俺ってこんなに強かったんだ)
鶴千代は我ながらおのれの腕っぷしの強さに驚いた。
その後、何人かの悪ガキたちとの抗争に勝利した鶴千代は、寄宿生の上に君臨した。今で言うところの番長である。こうなると窮屈な集団生活もバラ色に変わる。鶴千代はたくさんの子分に傅かれ、ご機嫌な気分で暮らした。毎日が楽しくて仕方なかった。強いけど無暗に暴力を振ったり、弱い者いじめをしたりする事が無い上に、勉強の成績は常に首席で、仲間が困っていれば手助けを厭わない鶴千代は、子分たちから慕われた。鶴千代は自分の持つ大将しての資質に、このとき初めて気がついた。
楽しい三年間は、あっという間に過ぎた。鶴千代は居心地の良い環境の中で、大いに勉強し、大いに武芸に励み、そして仲間と大いに遊んだ。充実した時間を過ごした鶴千代の成績は群を抜いており、建長寺を出る際には「五山無双の学者たり」と褒め称えられたほどであった。
「母上、ただいま戻りました」
「まぁ、すっかり立派になって・・・」
逞しく成長した鶴千代を玄関先で出迎えた佳子は涙を流して喜んだ。
「母上もお変わりが無いようで安心しました」
「わたしは、ただ寂しかっただけで、何も変わりませんよ。亀が建長寺に入って、なお一層寂しくなったところでしたので、入れ替わりにおまえが帰ってきてくれて嬉しいです」
「次は亀千代の番ですか」
と、鶴千代は弟の顔を思い浮かべた。
「亀は大丈夫かしら? 心配だわ」
「心配いりませんよ、母上。亀千代はわたし以上に要領が良いですから、すぐ新しい環境に慣れ、毎日を楽しく過ごすようになるはずです」
鶴千代の予想通り、亀千代も瞬く間に悪ガキ連中との権力闘争を勝ち上がり、建長寺に寄宿する少年たちの番長として愉快な日々を満喫することになる。
その日は珍しく道真が在宅していたので、佳子との対面が済むと、鶴千代は父の部屋へ挨拶しに行った。
「鶴千代、ただいま建長寺より帰参いたしました」
部屋の外から鶴千代がそう声を掛けると、懐かしい道真の野太い声が聞こえた。
「おう、中へ入れ」
鶴千代が部屋に入ると、机に向かって何か書きものをしていた道真が振り返った。以前と変わらぬ精悍な顔立ちである。
「寺の生活はどうだった?」
「はい、とても楽しかったです」
「たいへん成績が良かったそうだな、評判になっているぞ」
「ありがとうございます」
「友達は出来たか?」
「はい、たくさん」
「他家の子供にケンカで負けることは無かっただろうな?」
道真にそう問われた鶴千代はニヤリと微笑んだ。
「ありません、ただの一度も」
鶴千代の返事を聞くと道真も微笑んだ。
「俺もそうだ。俺も今のおまえと同じ年齢の時、建長寺で頭を張っていた。誰にも負けなかった。長尾の景信と忠景にもな。そうでなくては扇谷上杉家の家宰は務まらん」