62 安らかな死
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リーンとふたりで逃げると決めた後、協力者を得る為、俺は彼女を残し部屋を後にした。ルクスの部屋に向かう途中で、偶然アクイラに会った。これからルクスと酒を飲む約束をしていたらしく、都合が良いと思った俺は、アクイラと共にルクスの部屋へ向かった。道すがら、俺がリーンを攫って逃げるという話をすると、アクイラは息をのみ、神妙な顔をした。
「ルベル……本気なの?」
「ああ。もう決めた。アクイラ、お前にも迷惑をかけるかもしれない」
「待って、ルベル。もう少しよく考えて。もっといい案が、何かあるかもしれないわ」
「駄目だ。リーンには……もう時間がない」
俺のセリフに、アクイラはグッと息をのんだ。リーンの寿命のことを言われたら、協力せざるを得ない。アクイラは優しい奴だった。俺はそれをわかってて、あえてリーンの寿命のことを口にした。
「……ハァ……。ホント……ずるいわね、ルベル」
アクイラも、俺の意図に気付いていた。
「悪い……アクイラ……」
「いいわよ、もう! それで、具体的にはどうするの?」
「とりあえず……最初は北に向かうつもりだ。前に、リーンが野生のトナカイを見てみたいと言っていたからな。その後はまだ決めていないが、リーンが行きたいと言った所に行こうと思っている」
「向かう場所じゃなくて、王宮から出る方法よ! 屋上から飛ぶにも中庭から飛ぶにも、衛兵を何とかしないとすぐ見つかるわよ! まったく……にやけてる場合じゃないでしょ!」
「あ、ああ、そうだな、どうやって出て行くか……」
俺は、思わず口元を手で覆った。どうやら俺は、少し浮かれていたみたいだ。これからリーンとふたりで旅をするということを考えると、どうしても心が躍った。
「まぁ北に行くなら、それなりに防寒も必要になるわ。リーンは特に病人なんだから、冷やさないようにしっかり着こまないと! 私とルクスで作戦を考えておくから、アナタはリーンの荷造りを手伝って、一緒にルクスの部屋まで来て」
「アクイラ……」
俺は礼を言おうとしたが、アクイラは俺の両肩に手を置くと、くるりと反転させ背中を押した。
「ホラ! そうと決まったら戻って! 女の子は荷物が多くなっちゃうんだから、ちゃんとアナタが持ってあげるのよ!」
「ああ、当然だ」
俺は出て行く算段をアクイラに任せ、来た道を戻った。しかし、リーンの部屋の扉が開いていて、何か途轍もない違和感を感じた。
(扉が……開いてる? 何故……)
「リーン?」
声を掛けながら部屋に入ったが、リーンの姿はなく、机の上に、“お父様、お母様へ”と書かれた封筒が置いてあるのが目に留まった。
(両親へ手紙を書いていたのか……。これも、後でルクスから国王へ渡して貰おう)
俺は手紙を懐にしまい、辺りを見回した。すると、窓辺に飾ってあったトナカイの置物が、床に落ち割れているのを見つけた。
(何だ? どうして……)
嫌な予感がした。妙な胸騒ぎがして、鼓動が速くなるのを感じた。
(そういえば……部屋が開いていたのに、何故衛兵が様子を見に来ない? というか、今日は衛兵の数が少なくないか? ルクスの部屋に行くまで、誰ともすれ違わなかった。少ないというよりも、まるで人の気配がなかった気がする)
その時、息を切らしたアクイラが部屋に飛び込んできた。
「ルベル!」
「アクイラ!? どうし……」
「ルクスの部屋に行く道に、蛇がひしめいてたのよ! 衛兵の姿も見当たらないし、おかしいわ!」
俺の心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。
(俺がいない間に、この部屋で何かが起きた!? それでリーンは……)
「リーンがいない」
俺がそう言うと、アクイラは何かに気付いたのか、ギュッと拳を握った。
「……ウィーペラだわ」
「ウィーペラ? 何故彼女の名前が?」
「リーンはウィーペラに襲われて、きっとアナタの元に向かおうとしたはず! でも、ルクスの部屋に行く道には蛇がいて……すぐ横にある階段から、地下に向かった可能性が高いわ!」
アクイラはそう言って、踵を返した。俺は、すぐにアクイラの後を追いかけた。
「アクイラ! リーンがウィーペラに襲われたと……どうしてわかるんだ!?」
地下への階段へ向かい走りながら、俺はアクイラに問いかけた。
「ウィーペラはアナタのことが好きなのよ! それこそ狂信的なほどに! リーンのことを……いつも凄い形相で見ていたわ! きっと、何処かでアナタとリーンが逃げ出すことを知って……凶行に走った!」
「なっ……」
「王宮から衛兵を排除して、王宮内に蛇を大量に引き込むなんて、ウィーペラなら造作もなく出来るわ! リーンを襲ってわざと逃げるように仕向け、心臓の弱いリーンを追い込もうとしてるのよ!」
アクイラはアーウェルサ家の守り神である、鷲の神獣だった。まさに“鷲の目”を持つ彼は、異変を目にした時、それを瞬時に繋げることが出来た。代々、王の側近を務めていたアーウェルサ家の当主も、頭の回転が速く、全てを瞬時に把握する能力に長けていて、故に、“鷲眼師”と呼ばれていた。俺は、アクイラの洞察力を信用していた。
「クソッ……!」
俺とアクイラは、急いで地下への階段を駆け下りた。そして明かりがついている鍛錬場に踏み込むと、そこには、倒れているふたつの人影と、そのそばで佇んでいるウィーペラの姿があった。倒れている人影のひとつがリーンだと、すぐに気付いた俺は、彼女の名を叫び駆け寄った。
「リーン!!」
ぐったりとしている彼女を抱き起こすと、彼女が微かに反応した。
「……ベル……」
「リーン!! しっかりしろ!! リーン!!」
見た感じリーンに外傷はなかった。けれど、そのそばに倒れている男は血だらけで、それが“狼騎士”のシルバーだと、髪の色で気付いた。幼い頃からシルバーに懐いていたリーンにとって、目の前のこの惨事は、彼女の心臓にかなりの負担をかけたと推測できた。彼女は、胸を押さえていた手をゆっくりと俺の頬へと伸ばした。今にも閉じてしまいそうな青い瞳に、俺の姿が辛うじて映っていた。
「リーン!! 駄目だ!! 逝くな、リーン!! 逃げるんじゃなかったのか!!」
俺は必死に彼女に呼びかけた。“俺の腕の中で安らかな死を――――”そう思っていたけれど、あまりにも急で理不尽なこの状況に、俺は納得することが出来なかった。
「……ごめ……ね……」
(謝るな。頼む、謝らないでくれ)
「リーン!! 俺の背中に乗って、旅をするんだろ!? リーン!!」
涙が溢れ、彼女の顔がぼやけた。まだ足りない。俺はまだ、彼女に伝えきれていない。
「愛してるリーン!! だから……だからっ……」
(俺の、そばから……いなくならないでくれ……っ!)
「……知って……る……」
俺が“愛してる”と言うと、彼女はいつも“知ってる”と答えた。いつもの、いつも通りの会話。けれど彼女は、そう言って穏やかに笑うと、目を閉じた。
「リーン……」
まるで甘い夢でも見ているかのような、優しい表情をしていた。彼女はきっと、俺の腕の中で“安らかな死”を迎えられたのだろう。だが俺は、その事実を素直に受け止められなかった。
「泣かないでルベル……」
手元に影が落ち顔を上げると、ウィーペラがリーンを抱きしめる俺を見下ろしていた。
「人間は寿命が短い。仕方のないことなのよ。傷が癒えるまで少し時間がかかるでしょうけど……貴方はすぐに気付くわ。人間と神獣が相容れないことに。私なら、貴方と共に歩める。貴方の傷も、心も、私が癒してあげるわ……」
そう言って妖艶な笑みを浮かべたウィーペラに、俺の背中はゾワリと逆立ち、同族である神獣に対し、表現し難い感情を抱いた。
「……シルバーはお前が殺ったのか?」
「ええ。神獣の私に戦いを挑むなんて……本当に馬鹿な男」
俺の問いかけに、ウィーペラは悪びれる様子もなく答えた。
「でも、私は悪くないわ。私はリーンを説得したいだけだったのに、この子ったら貴方と別れないって逃げ出して、たまたま鍛錬場にいたシルバーに助けを求めたの。それでシルバーは私に剣を向けて……怖かったわ。殺すつもりはなかったのに、彼ったら本気で攻撃してきたんですもの。私だって命は惜しいわ」
ペラペラと、良く動くウィーペラの口元を、俺はただ黙って見ていた。
「シルバーの死は、リーンの弱った心臓には刺激が強過ぎたみたいで……残念だけど、仕方ないでしょう? むしろ貴方の腕の中で死ねたことは、この子にとって幸せなことだわ」
そう言い放ったウィーペラに対し、俺はこの表現し難い感情が何なのか、理解した。嫌悪、憎悪……言い方は様々あるが、俺は、ウィーペラを心底拒絶した。
「ルベル……私は貴方を愛してるの……。貴方に相応しいのは、同じ神獣であるこの私……私なのよ。ね、ルベル、私がずっと、ずっと貴方のそばに……ゴフッ」
何かを貫く音と共に、ウィーペラが血を吐いた。俺は無意識に自身の手だけを龍に変え、その鋭い爪でウィーペラの胸を貫いていた。
「う……あ、あぁ……」
胸と口からボタボタと血を流すウィーペラを、俺は爪に刺したまま鍛錬場の壁に向かい投げつけた。
「ああ!!」
ウィーペラは壁に叩きつけられ、そのままズルズルと地に伏した。俺は爪についた彼女の血を乱暴に振り払い、呟いた。
「黙れ。虫唾が走る」
「あう……、ぐ……、ル……ベル……」
地に伏したまま俺を睨み付けるウィーペラを一瞥し、俺はアクイラの方を向いた。
「アクイラ、ルクスと……王を呼んで来てくれ。今夜ここで起こったこと……俺とリーンのこと……全て王に話す」
「……ルベル……」
アクイラは、俺をこの場にひとり残すことを少し躊躇していたが、小さく頷きルクスと王の元へ向かった。
アクイラが去った後、俺は再びリーンに視線を戻した。やりきれなかった。まさかこんな最期になるなんて、思いもしなかった。
“むしろ貴方の腕の中で死ねたことは、この子にとって幸せなことだわ”
ウィーペラの言葉が頭を過り、俺は強く唇を噛んだ。
これがリーンの幸せ? そんな訳ない。俺は、彼女に伝えたかったことを伝えきれていない。彼女に与えたかったものを何も与えていない。俺が考えていた“安らかな死”は、こんなにすぐに訪れるものじゃなかった。
これが夢だったらどんなに良かっただろう。彼女が目を覚まし、再び俺に笑いかけてくれるのなら、俺はきっと何だってする。けれど、そんな魔法も薬も、この世にはない。死者を蘇らせるなんて、それこそ悪魔の所業だ。
「蘇らせる……」
俺はその時、考えてはいけないことを考えてしまった。
(蘇らせる……直す……。錬金術なら、それは可能だ)
不完全なものを完全なものへと錬成する錬金術なら、リーンを、健康な体へと作り変えることができるのではないか――――たとえ鼓動を止めていても、その代わりとなるものを補い、魔力を注ぐことで、リーンは生まれ変わることが出来るんじゃないか――――そう考えた。
俺はゴクリと喉を鳴らし、リーンを見つめた。
「リーン……俺は……」
(お前を、失いたく、ない)
その場に、俺を止める者は誰もいなかった。俺はリーンを優しく横たわらせると、その周りに魔法陣を描き始めた。
月・水・金曜日に更新予定です。




