42 痛みと愛
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過去を思い出し、苦悩するような表情を浮かべているジークを見て、リーンは眉間にしわを寄せた。
(ど、どうしよう……。なんか……やっぱりおかしいよ……。こんな怯えてるみたいな表情で、鞭で打たれることを無理矢理肯定してるみたいな……)
震えが収まらないジークを見て、リーンは困惑しながらも考えていた。
(怯えてるのか寒いのかわからないけど、なんにせよ、落ち着いて貰おう……。こんな時、ルベルだったら……)
リーンが周りを見回すと、今いる部屋の隣に、キッチンのようなスペースがあることに気付いた。そこに向かったリーンが、何やらガチャガチャとやり始め、ジークは暖炉で体を温めながらも警戒していた。しばらくして、「まっず!」という声が聞こえ、ジークは様子を窺いにリーンがいる隣の部屋へ向かった。
「何してるの?」
「ヒッ!」
突然話しかけられ、リーンは持っていた茶葉が入った袋を落とした。
「あっ、え、えっと、その、お茶でも淹れようかと……」
「何? 飲みたいの?」
「い、いえ、その、貴方が、さ、寒そう……だから……」
リーンの言葉に、ジークは小さく息をのんだが、おぼつかないリーンの手つきを見て、呆れたような声を出した。
「キミ、今までお茶なんて淹れたことないでしょ? ティーポットにこんなに茶葉を入れてどうするの? それにカップに茶葉が入ってるじゃないか。どうやったらこうなるの?」
ジークはそう言うと、もたもたしているリーンの代わりに、お茶を淹れる準備をし始めた。
「あ、あ、えと、なんか……逆にすいません……。て、手慣れてますね……?」
「こういう作業は、呪術に使う素材を調合するのと似てるからね。簡単な毒を作るのと一緒だよ」
「毒!?」
驚いた顔をしたリーンを、ジークが横目で見据えた。
「キミに毒を盛る訳ないでしょ? そんなことをしたら……母上に……叱られてしまうよ」
そう言ったジークの声や指が少し震えていて、リーンはジークの言動にやはり矛盾を感じていた。
“好きだからこそ傷付けるんだ。思いを相手にわかってもらう為に、必要な痛みなんだよ”
(ジークは洞窟でそんなことを言っていたけど、それもこれも、お母様から与えられる“痛み”を、“愛”に変換したいだけなんじゃないかな……。本当は、お母様を怖がってるように見える……)
「はい、どうぞ」
考え事をしている間に、ジークはお茶を淹れ終え、リーンにカップを差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
カップに口を付けると、果物のような香りと共に、優しい甘さが広がった。
「あ、美味しい……」
リーンがぼそりとそう呟くと、ジークは満足そうに笑った。
「少し蜂蜜を入れたんだ。このお茶は、その方が飲みやすいから。リーンは茶葉を入れ過ぎだし、お湯の温度も低すぎたんだよ。こっちの茶葉だったら、抽出温度は低くてもいいんだけどね。茶葉に合った淹れ方をしないと、お茶が持つ有効成分を引き出せないし、味も悪くなる。因みにこっちの茶葉は……」
お茶について丁寧に説明をするジークは、とても楽しそうで、リーンはそんなジークを黙って見つめた。リーンの視線に気付いたジークは、少し頬を赤らめ、軽く咳払いした。
「……キミも、僕の伴侶になるのなら、お茶の淹れ方くらい覚えた方がいいかもね!」
「ええ!? い、いや、伴侶にはなりませんけど……で、でも、その、ジークさんはお茶のお話をされてる時、とても楽しそうだし何より詳しいし、毒を作るよりも、お茶の先生になった方が似合うと思います……」
リーンが素直にそう言うと、ジークは複雑な表情をした。
「……キミって……変な子だよね」
ジークは照れ隠しのようにそう言って、ふいっと顔を背けた。
(いやいや、貴方に言われたくないですけど!)
リーンは喉まで出かかった言葉を、お茶と一緒に必死でのみ込んだ。大人しくお茶を飲んでいるリーンを見て、ジークは考えていた。
(母上は……何故リーンに執着するんだろう? 僕は、理由もわからず母上の為にリーンを手に入れようとしてるけど、母上はリーンをどうするつもりなんだろう……)
ふと、ジークの頭に、アマンダがリーンに酷いことをするのではないかという不安が過った。と同時に、そう思ってしまった自分に対して憤りを感じた。
(何を考えているんだ、僕は……! “酷いこと”って何だ!? 母上がすることは全部正しいんだ! “酷いこと”のはずがない! くそっ、頭を冷やさなくちゃ……!)
ジークはお茶を一口飲むと、いつもしているように静かに呟いた。
「大丈夫、痛みは愛だ……。何も怖がることなんかないんだ。これは母上の愛の証明、母上は僕を愛してるから、僕の為に鞭を打つんだ……」
ジークの心は凪いだ海のように静かになり、深呼吸をするとリーンに向き合った。
「ある程度服が乾いたら出発するよ」
「え? ど、何処へ?」
「僕の実家だよ」
「実家!?」
「驚くことないでしょ? 僕の目的は最初からそれだ。キミを母上の元に連れて行く。……正直、キミは僕のタイプじゃないけど、母上が望んでるんだ。仕方なくキミと一緒にいるだけだから、誤解しないでよね」
少し耳を赤くしたジークは、俯き加減にそう言った。
(ええーーーー!? 洞窟では可愛いお嬢さんだの何だの言ってたじゃん!! それなのに、なんかグレイスさんの時みたく、また勝手にフラれたみたいになってる!? てゆうか、ジークのお母様の元に行く!? 自分の息子を鞭で打つような人の所に!? 絶対嫌だ……!!)
静かに後ずさりをしたリーンに目を向け、ジークは口調を強くした。
「だから、キミの力が必要だ、ウィーペラ」
「え?」
訊き返したリーンが瞬きをした次の瞬間、その表情がガラリと変わった。
「……神獣使いが荒いわね、ジーク」
ジークはゴクリと喉を鳴らし、自分の中にある微かな恐怖をねじ伏せるように、リーンを睨み付けた。
「ウィーペラ、キミは一体何を考えてるの?」
ジークは、リーンと少し距離を取った上で訊ねた。
「……私は、元とはいえマグナマーテル家の守り神。蛇術師を名乗る貴方を守りたいだけよ」
「……守るだって?」
ジークは、リーンの言ったことを鼻で笑った。
「その割には、僕にこんなものをはめて魔法を使えなくしたり、滝つぼに落としたりして、守る所か殺そうとしているようにしか思えないけど!」
ジークは魔封じの腕輪がはめられている腕を、これ見よがしにリーンの前に突き出した。
「殺す……ね。貴方、本当に気付いてないの? 貴方の心が殺されそうになっていることに……。いいえ、薄々おかしいと感じているけど、認めたくないって所かしら?」
ピクリと眉を動かし、ジークはリーンを見据えた。
「……何の話?」
「アマンダは……貴方の母親は、貴方を愛してなんかいないって話よ」
「……っ!!」
ジークは息をのむと、声を震わせリーンを怒鳴りつけた。
「戯言を抜かすな!! キミにはわからないんだ!! 母上の崇高なお考えが!!」
「……崇高なお考え……? 痛みと恐怖で愛を誤認させ、息子の心を殺して洗脳し、意のままに操ろうとしているお考えのことかしら?」
「黙れ!!」
ジークは持っていたカップをリーンへと投げつけた。リーンの瞳が赤く光り、カップはリーンに当たることなく空中で割れ、中に入っていたお茶と割れたカップの破片がリーンの足元に散乱した。
「僕は母上に愛されている!! この傷がその証だ!! 愛は信用と信頼の上に成り立つんだ!! 母上は僕を信頼しているからこそ、こんなことをするんだ!!」
「……ふっ。こんなこと、ね……。“愛”を与える行為を、“こんなこと”と言っている時点で、貴方の心には本当は疑問が生じているって、どうして認めないのかしら?」
「っ……!!」
唇を震わせ、言葉に詰まったジークに、リーンは真剣な瞳を向けた。
「貴方をここに連れて来たのは、貴方に冷静になって貰いたかったからよ、ジーク」
「僕は冷静だ! 母上の為にリーンを」
「アマンダは、リーンを殺すかもしれないわよ。貴方の御父上のように」
「……は!?」
浅く呼吸をしながら、ジークはリーンが言ったことを処理できないでいた。
「待て……、何を……言ってるんだ……? 母上が、リーンを殺す……? いや、父上を……」
「前マグナマーテルの当主……貴方の御父上は、アマンダに殺されたのよ」
「……!! ふざけるな!! キミの勝手な妄想で、母上に罪を着せるつもりか!? 父上は魔獣に襲われて亡くなられたんだ! いい加減なことを抜かすな!!」
「妄想じゃないわ。私はヴァーミリオン家の屋敷で、アマンダに聞いたのよ」
興奮した様子のジークを見据え、リーンの中のウィーペラは、半年前のことを思い出していた。
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