41 ジーク
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「う……、う、うわあぁぁぁ!!」
目を覚ましたジークは、自分に伸し掛かっているリーンに気付き、思い切り撥ね退けた。
(え……、なんかめっちゃビビられてる? 何で?)
「クソッ! ウィーペラ!! 僕に何するつもりだ!?」
「え?」
(ウィーペラ?)
リーンは、ジークが何を言っているのかわからなかったが、怯えながら守るように、両腕で自分自身を抱きしめているジークを見て、先程までそのジークの上に覆いかぶさっていた自身の体勢を思い出し、慌てて弁解した。
「いやっ! な、何もしてません! 神に誓ってやましいことは何も!!」
ジークはリーンを睨み付けながらも、周囲の状況を確認した。
(ここは……)
「キミが僕をここに運んだのか?」
「え? えーっと……、わか、わかりません……。き、気付いたらここに……」
オドオドとそう言ったリーンを見て、ジークは小さく息をついた。
(恐らく運んだのはウィーペラだ……。この場所を知っていて、かつ男の僕を、リーンが腕力だけで運べるとは思えない。魔法で移動したのか……)
ジークは自身の腕に、まだ魔封じの腕輪がはめられていることを確認した。そして、その手が小刻みに震えていることにも気付いた。
(くそっ……、恐ろしかったというのもあるが、滝つぼに落ちて全身ずぶ濡れだ……。体が冷え切って寒い)
チラリとリーンに目をやると、リーンの服は濡れていなかった。
(ウィーペラのヤツ、自分だけ魔法で水から逃れたか、乾かしたんだな……)
チッと小さく舌打ちをしたジークは、リーンの横を通り過ぎ、その後ろにあった暖炉に薪を入れ始めた。勝手を知ってるように、テキパキと作業をするジークを、リーンはただぼんやりと見つめていた。
(ど、どうしよう……。逃げた方がいいのかな? でも、ここがどこだかわからないし、あんなにグイグイきてたジークが、逆に私を避けてるみたい……)
その時、暖炉に火をつけたジークが、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「え!? ちょっ!? 何脱いでるんですか!?」
リーンは顔を手で覆い隠したが、指の隙間からしっかりジークの動向を確認していた。
「濡れた服を乾かしたいだけだ。体も温めないといけないし」
「あ、温めるって……、ま、まさか、お互い生まれたままの姿になって温め合うっていう、あの遭難者定番のイベントを!?」
「……キミは何を言ってるの? 第一、キミは濡れてないでしょ。喜んでる所悪いけど、キミは脱ぐ必要ないから」
ジークに白い目で見られたリーンは、自分の妄想に顔が真っ赤になった。
(あーーーー! 最初のラッキースケベといい、間違いなく痴女認定された!!)
自己嫌悪に陥ったリーンだったが、服を脱いだジークの上半身を見て息をのんだ。ジークの体には、新しいものから古いものまで、鞭で打たれたような傷跡がたくさんついていた。リーンの視線に気付いたジークは、ここでようやく妖艶な笑みを見せた。
「何? 男の裸を見るのは初めてなの?」
「えっ……、い、いえ……」
見てはいけないものを見てしまったかのように、リーンは視線を逸らした。その様子が、恥ずかしがるでもなく、まるで自分を気遣っているように感じ、ジークは「ああ」と小さく声を漏らした。
「別に見ても構わないよ。これは、母上の僕に対する“愛の証”だからね」
「え?」
少し誇らしげとも感じられるジークの言い方に、リーンは再びその傷跡に目を向けた。
「愛の……証?」
「そうだよ。母上が僕の為に刻んでくれた傷だ。痛みは“愛”だって、母上が教えてくれたんだ」
訊き返したリーンに、ジークは自身の傷を愛おしそうに撫でながら答えた。
(痛みが……愛?)
訳がわからず、眉間にしわを寄せているリーンに、ジークはため息をついた。
「キミにはきちんと説明しないとわからないのかな。母上は僕をとてもとても愛していて、その愛を僕の体に鞭を打って刻むんだ。とても痛くてとても熱い……。でも、僕はその母上の愛を受け止めなくちゃならない。……そうだよ、僕はその“痛み”を受け止めることで、母上への“愛”を証明してるんだ……」
ジークは最後の方は、何故か自分に言い聞かせるように声が小さくなっていた。
「え……、お母様……に、鞭で打たれてるの?」
リーンの問いかけに、ジークの体がビクリとした。
「……僕を愛してるからね。普通のことでしょ」
「普通? 普通は、愛してる人を……鞭で打ったりなんてしないよ……。だ、だって、私のお母様もお父様もそんなことしなかったし、ルベルやシオンだって、私が痛い思いをするのは嫌だって言ってくれて……」
「母上は間違ってない!!」
「ヒッ!! す、すいません!!」
ジークは、リーンのセリフに被せるように大きな声を出した。リーンは思わず謝り、口を噤んだ。
(やっぱりこのジークって人、こ、怖いっ! 言ってることもなんかよくわからないし、怒らせないようにしよう!)
「そうだよ……母上は正しい……! 僕を鞭で打つのは、僕を愛してるからなんだ……! そうでなきゃ、そうでなきゃ僕は……!」
独り言なのかリーンに言っているのかわからないほどの小さな呟きが聞こえ、リーンはこっそりジークを盗み見た。ジークは、まるで小さい子供が泣くのを我慢しているかのような表情で、小刻みに震えている体を抑えるように自分自身を抱きしめ、そして同時に自身の過去を思い出していた。
10年前――――
「ジーク、今日は一緒に狩りに行こう」
「はい!」
マグナマーテル家の当主、ヘンリー=マグナマーテルは、領主としては勿論、父親としての務めもしっかり果たす、立派な人だった。優しくおおらかな父は、当時6歳だった僕を狩りに連れて行ってくれたり、魔法や呪術に関しての知識を教えてくれた。僕は父をとても尊敬していたし、大好きだった。
父は森にある小さな小屋に僕を連れて行き、そこを拠点にして狩りをしていた。豪華な調度品が並ぶ屋敷とは違い、必要最低限の物しかないその小屋を、僕はとても気に入っていた。
「この場所は、大昔にマグナマーテル家の守り神だった神獣が、“静かな場所で呪術の研究がしたい”と建てたものらしいんだ。それを、我がご先祖様方が補修をしながら大事にしてきた小屋だ。古くて小さいが、マグナマーテル家の当主となる者に、代々受け継がれてきた神聖な場所だ。お前も私の後を継ぐのだから、この場所を好きになって貰いたい」
「僕、この場所が好きですよ! 何だか秘密基地みたいで!」
「そうか。お前の好きな物を、何でも置いていいぞ。実はこの小屋のことを、アマンダは知らないんだ。マグナマーテルの血を引いた、次期当主にしか教えられない特別な場所なんだ。男同士の、秘密の場所だからな、他言するんじゃないぞ」
「そうなんですか? 本当に、秘密基地ですね!」
無邪気にそう答えた僕に、父はいたずらっ子のように笑った。僕は、父とその小屋で静かに過ごす時間が本当に好きだった。
屋敷では、母が毎日のようにサロンを開いていて、作家や学者、著名人が常に母の周りを固めていた。父以外の男性と仲良くしている所も度々目撃したが、僕は見て見ぬふりをしていた。そして、いつからか父はあまり屋敷に帰って来なくなった。元々内向的な父は、サロンのような派手な交流が苦手だったのだろう。それとも、社交的な母を目にするのが辛くなったのだろうか。真相はわからなかった。
母も母で、そんな父に興味がないように見えた。それからほどなくして、森で、父が死んでいるのが見つかった。
遺体はズタズタに引き裂かれていたが、その割には出血が少なく、狩りの最中に吸血する類の魔獣に襲われたんだろうと結論付けられた。
大好きだった父の死に、僕はふさぎ込んでしまった。しかし驚くことに、母はそんな僕の面倒を、周囲が感服するほど献身的にみてくれた。優しく抱きしめられ、毎日耳元で愛していると囁かれた。
「こんなにも貴方を愛しているのに、貴方はヘンリーにばかり懐いていて……。わたくしはとても寂しかった……。慰めでたくさんの人を周りに置いていたけれど、この寂しさは貴方でしか埋められないのよ、ジーク……」
僕は胸が熱くなり、涙が出た。毎日のようにサロンを開くのも、たくさんの男をはべらせていたのも、ただ寂しかったからだったんだ。僕は母に愛されていないと思っていたから、母は、本当はこんなにも僕を愛していたし、僕からの愛を求めていたんだと知って、その思いに応えなくてはという強い気持ちが生まれた。
「立派な当主になる為に、日々精進しなくては駄目よ」
「はい、母上!」
僕は僕を愛してくれてる母の為に、様々なことに意欲的に取り組んだ。呪術に関しては勿論のこと、マナーや立ち居振舞い、社交術、当主になる為のノウハウを学んだ。母の言いつけを守り、母の期待に応えようと頑張った。しかしある日、僕は母が思うような結果を残せなかった時があった。僕は母の部屋に呼ばれ、服を脱ぐように命じられた。そして母は、僕の体に鞭を打った。
「いっ、痛いっ……! な、何をするんですか母上っ……!」
「何をする……? それはこちらのセリフです、ジーク。貴方は何をしているんですの? こんな簡単なわたくしの要望にも応えられず、よく時期当主などと名乗れますわね?」
「あ……、も、申し訳ございません……! つ、次はちゃんとやりますから……!」
あの優しい母が、鞭を手に蔑むような瞳で僕を見下ろしていて、僕は恐ろしくなりとにかく謝罪した。
「言葉では何とでも言えます。このミスを忘れさせない為に、わたくしは心を鬼にしているのです。さあ、体を差し出しなさい」
「あ……」
強い口調で強要され、僕は震えながらも母の前に立った。母は、無抵抗の僕に、何度も何度も鞭を打ちつけた。
(い、痛い! 痛いよ! どうして、どうして母上はこんな酷いことをするんだ……! 僕を愛してるんじゃなかったの……!?)
僕の心に疑問が生じた次の瞬間、母の手からポロリと鞭が落ちた。僕が顔を上げると、母は涙でぐしゃぐしゃになりながら、震える手を自分自身で抑え付けていた。
「は、母上……?」
僕が呼びかけると、母は僕を抱きしめ、父が亡くなった時のように、僕の耳元で泣きながら囁いた。
「ジーク……これは貴方に対する愛なのよ……。貴方を愛しているからこそ、わたくしはこうして厳しくしているのです。どうでもいい者には、ここまで親身になったりしません! 貴方への愛があるから、わたくしは鞭を打つのです! わたくしがどれほど貴方を愛しているか……この痛みをもって、貴方は理解しなくてはならないのです!」
「僕を……愛しているから……?」
「そうです、ジーク、わたくしは……貴方だけを愛しているのです……。貴方は、わたくしの愛を理解できないほど愚鈍なのですか? いいえ……いいえ、貴方が聡明だとわたくしは知っています」
母は、自らの手で僕の体に付けた真新しい傷に唇を押し当てた。
「あっ……、は、母上っ……!?」
僕の傷を労るように舌を這わせる母に、僕は異様な高揚感を感じた。
「ジーク……痛い? 熱い? わたくしの愛を……ちゃんと体で感じるのです……」
「は、母上……」
母の熱い舌の感触と、時折甘噛みをされることで感じる痺れるような痛みがない交ぜになり、僕は何も考えられなくなっていった。母の言葉だけが僕の脳を支配して、これが“愛”なのだと認識した。
「母上は……僕を愛しているから、こうして“痛み”を与えるのですね……。これは、僕の為なのですね……」
「ええ、ジーク……。“痛み”は“愛”なのです……。わたくしの“愛”を、感じなさいジーク……」
それから、僕は母から与えられる“痛み”と“愛”を、必死で受け止めた。母はことあるごとに僕に“痛み”を与え、そして“愛”を教えてくれた。母の愛をきちんと受け止めるのは、僕の使命だと思うようになった。母は僕を愛している。僕も母を愛している。けれど一方で、痛みを“恐ろしい”と感じてしまう自分がいた。そんな時は、父が遺してくれた“秘密基地”に行き、ひとり頭を冷やした。
「大丈夫、痛みは愛だ……。何も怖がることなんかないんだ。これは母上の愛の証明、母上は僕を愛してるから、僕の為に鞭を打つんだ……」
小屋でお茶を淹れそう呟くと、僕の心は落ち着きを取り戻す。そうして僕は、今日まで生きてきたんだ。
月・水・金曜日に更新予定です。




