39 攻防
39
「うわあぁぁぁ!!」
「きゃあぁぁぁ!!」
大きな衝撃が馬車を襲い、客車内に悲鳴が響いた。後方にいた衛兵は川へと放り出され、リックはその衛兵を助けようと手を伸ばしたが間に合わず、結局衛兵は激しい川の流れに飲み込まれた。客車部分はズブズブと水に埋もれながら、流され始めた。
「このままじゃ……! ジーク殿! 転移魔法は使えますか!?」
リックは、リーンを支えているジークに向かって叫んだ。
「そうだね、使えるには使えるけど……」
ジークは穏やかな口調でそう答えると、指にはめていた指輪型の魔石をリックに向けた。
「キミは泳いだらいいんじゃないかな?」
「なっ……!」
「ウィンド」
ジークがそう唱えると、指輪から放たれた猛烈な風がリックへと吹き付け、その風によって外に投げ出されたリックは川に落ち、そのまま流され見えなくなった。
「……っ!」
「流れが速いなぁ。彼、岸まで辿り着けないかもね。まぁ、元々殺すつもりで攻撃したんだけど」
その光景を見たリーンは声も出なかった。ジークはリーンを支えたまま、にっこりと笑った。
「大丈夫だよ、リーン。キミは殺さないから」
ジークの言葉に、リーンの背筋がぞっとした。その時、眠っているルベルが入った檻が、椅子の上で客車の後方の壁に引っ掛かり、辛うじて外に投げ出されずに済んでいるのに気付き、リーンは悲鳴のような声を上げた。
「ルッ、ルベル!! ルベル!!」
リーンはルベルを助けようと手を伸ばしたが、ジークがリーンの腕を掴み、それを阻止した。
「ダメだよ、リーン。彼も連れて行けない」
「は、離して!! ルベルがっ……!」
その時、ドンという大きな振動が客車の屋根から響き、屋根に張っていた帆布がたるんだ。そしてそのたるみが元に戻ると同時に、御者席から何かが素早く入り込み、リーンを掴んでいたジークの手に痛みが走った。
「っつ!!」
思わずジークは手を離し、反動でよろけたリーンを何かがガッチリと支えた。
「シ……」
「お待たせ、リーン。ケガはない? まさか橋を崩落させるとは思わなくて……少し焦った」
じわりと血液が滲む手を押さえ、ジークがぎりっと顔を歪ませた。
「シオン……! キミか……!」
ジークの目の前には、片手で剣を構え、もう片方の腕でしっかりとリーンを支えているシオンの姿があった。
「アーウェルサ家ではキミの姿が見えなかったから、少し警戒はしていたけど……僕が動くまで傍観していたの? まさか、わざと僕を泳がせてた?」
シオンの姿を目にしたジークは、少し自嘲気味に鼻で笑った。シオンは無表情のまま、ルベルの“計画”のことを思い出していた。
王都を一望できる丘にて――――
「大丈夫、俺に考えがある。俺は、テイマーであるお前が操れないように麻酔を打たれるだろうが、どの道リーンの魔力を絶たれたら俺は弱って動けなくなる。何も出来なくなってしまうだろうが、だからこそシオン、お前を頼りたい」
「何? 何でも言って」
「ジークは恐らく、俺たちが留置所に護送される時に動きを見せるはずだ。リーンとジーク本人が自然にその場所を離脱できるような、事件……もしくは事故を計画しているだろう。突発的な事件や事故から要人を守るのは、お前の専売特許だろう、シオン」
「それって……ジークの思惑通りに事が進んでから、リーンを助けるってこと?」
「そうだ。ジークの目論見に乗る。恐らくそれは、自分とリーン以外の者を排除するものだ。ジーク自身も、衛兵たちの目を盗んでリーンを連れ去らなければならないからな。盗賊か何かに襲わせるか……或いは、災害的なものかもしれない。衛兵たちが目を光らせている時にリーンを奪おうとすれば、俺たちは共犯者の疑いをかけられる。だから、ジークの“計画”を逆に利用させてもらう」
「ジークがリーンと一緒に離脱していれば……おれたちも衛兵に見つからずに、接触出来るってことだね」
「ああ。頼めるか?」
「……わかった。そういうことなら任せて」
シオンはリーンの体を引き寄せ、依然として流され続けている客車の中で、ジークと対峙していた。
「こんな、自分の命をさらすような“計画”だとは思わなかったけどね」
シオンの言葉に、ジークは余裕の笑みを見せた。
「まぁ……確かに、迂回ルートよりもこっちのルートの方が危険度が高かったけど、リックたちを殺せるっていう点では僕には都合が良かった。スリに協力してくれた盗賊には、前もって遅効性の毒を盛っておいたけど、さすがにリックや衛兵たちに毒を盛るチャンスはなかったからね。それに、ぼくとリーンも行方不明……もしくは、死んだと思われた方が今後自由に動けるから一石二鳥だ」
「消息を絶つのはあんただけだ」
「どうかな?」
ジークはそう言うと、シオンとリーンに指輪を向けた。それを見たシオンは咄嗟にリーンを引き寄せ、庇おうとしたが、ジークは指輪をはめている手を少し横にずらした。
「ウィンド」
指輪から放たれた風魔法は、シオンとリーンの横を通り過ぎ、ルベルが入っている檻に命中した。そしてその風により、ルベルの檻は外に投げ出された。
「ルベル!!」
リーンの叫びと共に、ルベルが入った檻は川に落ち、濁流の中に消えた。
「いやーーーー!! ルベル!! ルベルが!!」
シオンは一瞬判断が遅れたものの、川に飛び込もうとするリーンを押さえた。
「リーンダメだ! あんたも流される!」
「シオンお願い!! ルベルを助けて!!」
リーンの赤い瞳に涙が滲み、シオンは選択を迫られた。
(ソールには、御者と衛兵たちの捜索と救助を任せている……! ルベルも見つけられるか? いや、とにかくリーンを一度岸に置いて、おれがルベルを……いやダメだ! その間にジークがリーンを連れ去るかもしれない!)
「シオン!! お願い!! シオン!!」
リーンの叫びに、シオンはハッとした。いつの間にかジークがリーンの腕を掴み、口の端を上げていた。
「リーンのことは僕に任せて、シオン。ほら、早くしないとルベルが死んじゃうよ?」
「シオン!! 早くっ……! お願いっ……! お願い、ルベルを助けて!! シオン!!」
ボロボロと涙を流し懇願するリーンを前に、シオンの脳裏に過去の出来事がフラッシュバックした。
“お願い! お父さんを助けて! お願い!”
そう懇願する少女の姿が脳裏を過り、シオンは思わず顔を歪めた。
(くそっ……! こんな時に……またおれはっ……)
リーンを支える腕が緩んだその時、リーンの手がトンとシオンの胸を押した。シオンが軽くよろめき、リーンから離れたのを見て、ジークがすかさず指輪を向けた。
「ウィンド」
「ぐっ……!」
腕で防御したものの、放たれた風を至近距離で受けたシオンは、何も出来ずに客車から外に投げ出された。そして、ふわりと体が宙に舞ったその瞬間、シオンが客車内に目を向けると、シオンの胸を押した手の平の向こうで、妖艶な笑みを浮かべているリーンと目が合った。
(大丈夫)
リーンの口の動きが、そう告げていた。
(……っ! 今のはっ……!)
シオンはそのまま川に落ち、流れに飲み込まれた。
客車内に残ったリーンを、ジークはそっと引き寄せた。
「やっと邪魔者がいなくなったね。じゃあ行こうか」
「行くって、何処に?」
「僕の屋敷だよ。キミのことを、母上に紹介しないといけないからね」
ジークはそう言って、魔法を発動しようとした。
「リーブ」
しかし指輪は光らず、ジークの顔に焦りの色が生まれた。
「……!? リーブ! リーブ!!」
ジークは何度か呪文を唱えたが、指輪は全く反応しなかった。そして自分の腕に、魔封じの腕輪がはめられていることに気が付いた。
「な、何だこれは!? どうして!?」
ジークは急いで腕輪を外そうとしたが、しっかりと腕にはまっているそれが、外れる様子はなかった。その時、リーンがフッと鼻で笑った。
「ふふ……、人間って、本当にくだらないものを作るのね」
ジークが目を向けると、リーンは魔封じの腕輪の解除キーを手にし、笑っていた。そしてジークは、リーンが自分にはめられていた魔封じの腕輪をいつの間にか解除し、更にそれをジークの腕にはめていたことを悟った。
「リーン!! キミって人は……! いや、キミはリーンじゃない! キミは……ウィーペラだな!?」
「美しき水の精霊よ、その魂は拒絶され、やがて水へ還る。“怒りを糧に”」
リーンは、返事の代わりに古の魔法を発動した。すると、川の流れが急に強く、早くなり、客車は瞬く間にどんどん流されていった。
「な……、何をしたウィーペラ!?」
揺れる客車内で、ジークはリーンに詰め寄った。リーンは手にしていた腕輪の解除キーを外に投げ捨てると、落ち着いた眼差しでジークを見据えた。
「初めましてジーク。そしてさようならかしら?」
ジークはぎりっと唇を噛み、何とか腕輪を外そうと乱暴に引っ張った。しかし血が滲むだけで、腕輪は一向に外れなかった。
「馬鹿なことを言ってないでコレを外せ! キミはマグナマーテル家の守り神だろう!? マグナマーテル家の僕を危険に晒すつもりか!?」
「あら……、私、もうずいぶん昔に殺されて、“守り神”の任は解かれたはずなんだけど」
「御託はいい! いいから早く腕輪を外せ!! 僕に酷いことをしたら……母上が黙ってないぞ!!」
「しー……静かに、ジーク。何か聞こえない?」
リーンは口元に人差し指を立てると、がなり立てるジークの顔を覗き込んだ。
「な……何だ? この音は……」
激しい川の流れの音に混ざり、何やらもっと力強い、叩きつけるような水音がジークの鼓膜を揺らした。
「貴方だってこの計画を立てた時、ちゃんと下調べをしたでしょう? この先には大きな滝があるのよ。最も……貴方の計算では、そこに辿り着く前にここから離脱する算段だったのでしょうけど、さっき私が魔法で流れを速くしたから、もう間に合わないみたいね?」
「何を……馬鹿な……」
青ざめたジークを見つめたまま、リーンは口の端を持ち上げた。
「貴方は洞窟で、“好きだからこそ傷付ける”“思いを相手にわかってもらう為に必要な痛み”なんてことを口にしていたでしょう? 今から私が与える痛みは、かつてマグナマーテル家の守り神だった私が、貴方を思って与える痛みよ。貴方に、私の“愛”が届くといいのだけど」
「や……やめろ……! やめろーーーー!!」
一方、川に落とされたシオンは、辛うじて滝に落ちる前にルベルを救出していた。ルベルを囲っていた檻は、所々にある大岩に当たって壊れてしまったようで、急流の中ルベルだけが流されているのを見つけ、その体を必死で掴んだ。
「ゲホッ! ゲホゲホッ!」
水を飲み激しく咳込んでいたシオンは、ルベルをしっかりと抱え、滝の手前にあった大きな岩にしがみつき難を逃れた。
(クソッ、何だ!? 急に流れが激しくなった!? 滝の手前だからか!?)
そんな疑問を抱いたその時、リーンたちを乗せた客車が、シオンの横を物凄いスピードで通り過ぎた。
「……っリーン!!」
シオンがリーンを呼ぶ声は轟音と混ざり合い、その声が届く間もなく、客車は吸い込まれるように滝つぼへと姿を消した。
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