18 デジャヴ
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「キャ、キャロルさん……!? ど、どうして……」
「……あんた……キャロルに、何、したんだ……」
ゼーゼーと肩で息をしながらも、シオンはジークを見上げ震える手で剣を構えようとしていた。
「かわいそうに……彼女、キミにフラれて森で泣いてたんだよ。だから、気持ちを和らげる香りを処方してあげたんだ。その香りには催眠効果があって、一時的に僕のことが大好きになっちゃうんだけどね。ちなみにキミに毒を仕込んだのは一番最初……握手をした僕の手に、皮膚から浸透する毒が塗られてたんだ。僕は毒に耐性があるし、あらかじめ中和剤を摂取してたから何ともないけど、キミには効果覿面だったみたいだね。でも安心して? そんなに強い毒じゃないから、死んだりはしないよ。キミを無力化するのが目的だったから」
(な……何を言ってるの? 催眠? 無力化? どうして、そんな……)
カタカタと震えるリーンに、ジークは凪いだ海のような落ち着いた瞳を向けた。
「さて、リーン、キミは、リーン=ヴァーミリオンだね? ヴァーミリオン家の一人娘の。僕はジーク=マグナマーテル。キミに縁談を申し込んだ者のひとりだ」
「ち、がう……! 彼女はヴァーミリオン家の娘じゃ……ない。おれの……婚約者だ!」
息を切らしながらそう言ったシオンの腕を、魔法の矢が貫いた。
「ぐっ……!」
「シオン!!」
シオンの腕から血が流れ出し、持っていた剣がカランと床に落ちた。
「キミに訊いたんじゃないよシオン。僕がキミのことを知らないとでも思ってるの? ヴィーグリーズ家の次期当主、シオン=ヴィーグリーズ。共にヴァーミリオン家に縁談を申し込んだでしょう? リーンが婚約者だというのなら、それはリーンがヴァーミリオン家の娘だって言ってるようなものだよ」
「……っ!」
ぎりっと唇を噛んだシオンを見つめ、ジークは口の端を上げた。
「余計な発言をしたら、キャロルがキミを攻撃するから、そのつもりで。リーン、キミが僕の質問に答えなかった時も同様だよ」
ジークの言葉に、リーンはキャロルに目を向けた。彼女は杖を手に、温度のない瞳でシオンに狙いを定めていた。
「さて、話の続きだリーン、キミは、リーン=ヴァーミリオンだね?」
「わ、私……」
リーンは唇を震わせ、チラリとキャロルを見た。キャロルは相変わらずシオンに杖を向けていて、リーンは涙目になりながらもコクリと頷いた。
「ああ! やっぱり! こんな可愛らしいお嬢さんが僕の婚約者だなんて、僕は本当に出会いに恵まれているよ! でも……どうして逃げたりしたんだい? いくら可愛い婚約者のしたことでも、そう簡単に許せないなぁ……」
「あ……」
リーンは、真意のわからないジークの瞳を見て、体の震えが止まらなくなった。
「キミは……結婚がイヤなのかな? でも大丈夫、僕はキミの自由を尊重するよ。僕と結婚しても、今までと変わらない生活をキミに提供してあげる。僕は心の広い男だからね、キミが僕と結婚して、この先一生僕の為に生きるって言うんだったら、今回のことは許してあげるよ。だからリーン、僕と結婚してくれませんか?」
「え……」
突然のプロポーズに、リーンは言葉が出なかった。するとすぐさま魔法の矢が飛んできて、今度はシオンの足を貫いた。
「うっ……! ぐぅっ……!」
「シ、シオン!!」
「ほら……キミが即答しないから、キャロルが攻撃しちゃったじゃないか。でもわかるよ、結婚って人生を左右する大事なことだもんね。すぐには返事できないよねぇ? でもキミは、僕に誠意を見せるべきだと思うんだ。ねぇリーン……キミは、僕と結婚してくれるよねぇ?」
「……っ」
恐怖と混乱で焼き付いたように喉がヒリヒリとし、何も言えないリーンの赤い瞳から涙が零れ落ちた。そして間髪を入れず、魔法の矢がシオンの肩を貫いた。魔法の矢を放ったキャロルに少し変化が現れ、その表情は何かに苦悩しているようだった。
「ぐっ……」
「や……やめて……。もう、やめて……!」
リーンはジークを見据え、必死で小さな声を上げた。
「ジークさんっ……シ、シオンにも、キャロルにも……ひ、酷いこと……し、しないで……」
震えながらそう言ったリーンに、ジークは無邪気な笑顔を向けた。
「じゃあ、僕と結婚してくれるよね?」
「……っ、わ、私……」
「ダメだリーン!!」
リーンの返事をかき消すように、シオンが叫んだ。すると魔法の矢が飛んできて、シオンのわき腹に突き刺さった。
「……っ!」
シオンは体を折り曲げ、わき腹を押さえた。
「シオン!!」
リーンは涙声でシオンの名を呼んだ。しかしシオンは、リーンを安心させるように、柔らかい口調で言葉を紡いだ。
「……大丈夫……。おれなら、大丈夫だから……。おれが……あんたを守るから……」
ポロポロと涙を零すリーンを見て、シオンの胸に鈍い痛みが走った。それは、体中に受けた傷よりも、シオンを動揺させる痛みだった。
(どうして……おれは、いつもいつも……上手く、守れないんだ……)
シオンは、過去の記憶を消し去るようにギュッと目を瞑り、そして顔を上げ、強い銀色の瞳でジークを睨み付けた。
「この体がどうなろうと、あんたの好きにはさせない。おれは……リーンを守る」
余計な発言をしたシオンを、再びキャロルの魔法の矢が襲った。シオンは小さく声を漏らしたが、その瞳に宿る決意が揺らぐことはなかった。
(どうして……どうしてシオン? どうしてそこまでして、私を守ってくれるの?)
リーンは嗚咽が止まらなかった。身を挺して自分を守ろうとしてくれるシオンと、シオンのことが好きなキャロルに攻撃をさせるというジークの非道さに、感情が昂るもどうすることもできず、ただ、自分の無力さに涙が溢れた。
その時、リーンの脳裏に同じような場面が思い出された。自分の目の前には、深紫色の髪の人が血だらけで倒れていて、リーン自身も床にひれ伏し、動けなかった。目の前は涙でぼやけ、耳鳴りが酷かった。そして、そんな自分を抱き起こし、必死で呼びかける赤髪の男の姿がぼんやりと視界に入った。そんな突然のフラッシュバックに、リーンは頭を押さえた。
(な、何? 私、前にもこんなことがあった? それに、いつもは笑ってる赤髪の人が……泣いてる? あれは、あの人は……そうだ、あの人は、ル……)
「キミは僕の婚約者のストーカーだね。まったく、困るなぁ」
ジークの声に、リーンはハッと我に返った。
「どっちが……ストーカーだ……モラハラ野郎……げほっ」
血を吐きながらも、悪態をついたシオンに、ジークはハァとため息をついた。
「キミのこと、生かしといてあげようと思ってたけど、もういいや。キャロル、殺っちゃって」
ジークの言葉に、キャロルはシオンに向かい杖を振り上げた。
「キャロル!! やめて!!」
リーンは、今まで出したことがないような大声を出した。人と喋ることが苦手で、滅多に怒鳴ったことなどないリーンの叫びに、キャロルの動きがピタリと止まった。何か困惑するような表情を浮かべ、杖を持つ手が震えていた。
「キャロル!! シオンのこと好きなんでしょ!? 好きな人をこれ以上傷付けないで!!」
リーンの必死の叫びに、キャロルの震える手から杖が落ちた。
「……チッ。最後の最後で使えないなぁ。ていうかリーン、キミは何もわかってないね。これはキャロルの“愛の鞭”だよ。好きだからこそ傷付けるんだ。思いを相手にわかってもらう為に、必要な痛みなんだよ」
(必要な……痛み? ど、どうしよう、ジークが何を言ってるのかわかんないよ!)
困惑するリーンに、ジークは呆れたようにため息をついた。
「僕と結婚したら、キミにもちゃんと“愛”を教えてあげるよ。けど今は、このストーカーを消さないとね!!」
ジークはキャロルから視線を外すと、懐から短剣を取り出し、シオンに向かって振り下ろした。
「シ……」
シオンの脳天に振り下ろされる短剣の動きが、リーンにはとてもゆっくりに見えた。しかしリーンの体は動かず、このままではシオンが死んでしまうであろうという光景を、ただゆっくり見せられているかのようだった。
「シオン!!」
リーンの叫びと同時に、キンという金属音が洞窟内に響いた。リーンの目の前には、ジークの振り下ろした短剣を剣で受け止めている人の姿があった。短剣はその人により弾き返され、ジークは顔を歪めながら後方に下がった。
「くっ……」
びりびりと痺れている手を押さえたジークが、キッとその人を睨み付けた。
「キミは……」
「何をしているんですか、シオン」
そう言って、目の前で剣を構えているその人は、プラチナのような美しい瞳でチラリとシオンとリーンに目をやった。
「お怪我はありませんか? 我が姫」
「へ……?」
「……シキ……」
シオンがシキと呼んだその人は、その頬に一筋の傷跡があったものの、シオンと同じ顔をしていた。
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