105 浄化
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「リーン!?」
その場にいた全員がリーンの行動に驚き、彼女を探すべく水しぶきが上がった泉に目をやったが、飛び込んだリーンはすぐに水面から顔を出した。泉はそこまで深くなく、リーンは泉に浸かったまま、何処にいるかもわからないウルズに対し、大声で呼びかけた。
「ウルズさん!! この後はどうすればいいんですか!?」
リーンの叫びに、ウルズは返事をする間も惜しむように、ヒドルスの頭の上から飛び立った。
「そこを動くでないぞ、娘!!」
ウルズはそう言うと、詠唱をしながら一直線にリーンを目指し、その上を旋回した。
「聖なる水は穢れを祓い、憐れなる者は光へと導かれ、邪悪なる者は深淵へと沈む! “神の祝福”!!」
ウルズがそう唱えた次の瞬間、泉が眩い光に包まれた。心臓の辺りが急激に熱くなったリーンは、思わず前屈みになり、胸を押さえた。
「くっ……うっ……」
「リーン!!」
ルベルはバシャバシャと水をかき分けながらリーンの元へ行き、彼女を支えた。
『リーン!! よくも……よくも!!』
ウィーペラの声が頭の中で響き、リーンは熱くなる胸を押さえながら顔を歪ませたが、歯を食いしばると、内にいるウィーペラに向かい叫んだ。
「長い付き合いだったね、ウィーペラ!! でも……ついにお別れよ!!」
『お別れですって!? 冗談じゃないわ!! 私は、こんなことで浄化されない!! 絶対に……絶対に!!』
リーンは、ウィーペラの強い信念に意識を持っていかれそうになったが、必死で耐えながら、まるで諭すように語りかけた。
「ウィーペラ……。200年前、私は貴方に憧れてた……。綺麗で、聡明で、いつも自信に満ち溢れてた貴方は凄くかっこよかった。でも、ルベルが愛していたのは貴方じゃないとわかった時、その自信が傲慢に変わった。貴方の恨みは私に向き、そしてルベルを苦しめた……。好きな人を苦しめるなんて、そんなの間違ってる! 私は……私は、ルベルを苦しめた貴方を許さない!!」
「リーン……」
ルベルは、リーンの言葉に胸がキュッとなるのを感じた。
「貴方を許さないけれど、貴方のおかげで気付けたことがたくさんあった。それには感謝するよ。……さようなら、ウィーペラ」
『リーン!! 私は浄化なんてされないわよ!! 覚えておくのね、リーン……!』
リーンの頭の中で響くウィーペラの声が次第に遠退いていき、それと同時に、リーンの胸の熱さも引いていった。
「リーン! 目の色が……」
「え?」
ルベルの言葉にリーンは下を向き、鏡のような水面に映った自分の顔を見て息をのんだ。血のように赤かった呪われた瞳が、まるで晴れ渡る空のように透き通った青色に変わっていた。
「呪いが……とけたの?」
そう呟き、リーンはすぐに顔を上げルベルを見た。
「見て! ルベル! 200年前の目の色に戻ってる! きっと呪いがとけたんだよ! ウィーペラの呪いがとけ……」
言葉の途中で、ルベルはリーンを強く抱きしめた。
「ルベ……」
「……っ」
ルベルは言葉が出ず、ただ黙ってリーンを抱きしめていた。リーンはルベルの背中に手を回し、まるで子供をあやすようにポンポンと軽く叩いた。沈黙の中、リーンはグレイスに言われたことを思い出していた。
“アンタは今まで、自分の気持ちをルベルにぶつけたことはあったんか?”
(私は、伝えないといけない。ルベルはわかっているかもしれないけど、それでも、自分の口で、ちゃんと伝えないと意味がない。“リーン=ヴァーミリオン”になっても変わらない、私の気持ちを)
「ルベル、私は……ルベルに何て言われようと、ルベルが好き」
動揺したのか、ルベルが小さく息をのんだが、リーンは言葉を続けた。
「私は、ルベルと一緒にいられたら、それで幸せなの。貴方を愛してる、ルベル……。ずっと……200年前からずっと貴方だけを愛してるの」
リーンの告白に、ルベルは少し体を離すと泣きそうな顔で笑った。
「ああ、知ってる」
200年前のリーンの常套句を放ったルベルの唇は、そのままリーンの唇を塞いだ。
(ルベル……)
リーンの心の中は、色々な感情で溢れていた。リーンは唇を離すと、少しふてくされたような顔をしてルベルを見つめた。
「ルベルが考えていることは、いつも私のことを思ってのことだったってわかってる。でも、私が望んでることじゃないことだってあるんだよ。だからこれからは、ちゃんとふたりで話し合おう。私は、これからもずっと、ルベルと生きていきたいって思ってるんだから」
リーンのセリフに、ルベルは再び泣きそうな顔で笑い、すぐにまたリーンの唇を塞いだ。
「ん……ふ……」
ルベルの舌先が入り込んだ所で、リーンは思わずルベルの胸を押しのけた。
「ル……ベルっ! まま待って、い、今はそそ、それどころじゃないでしょ!? まずはお父様をお医者様に診せないと!」
「リーン様、既にあたしが治癒魔法を施しています。お気になさらず続けて下さい」
ウララは、アクイラに支えられたロベルトの胸と耳の傷に治癒魔法をかけていた。
「正直少し切ないけど……こんな時に無粋な真似はしないよ」
シオンは、リーンたちを見ないようにそっぽを向きながらそう言った。
「せやな。シキの方はルーナさんが押さえとる。心置きなくベロチューでも何でもしてくれや」
そう言ったグレイスの後ろでは、こんな場所で破廉恥だなんだと暴れているシキを、ルーナが必死で押さえ込んでいた。
「い……いやいやいや! し、してないし!! ベベベロチューとかしてないし!! てゆうか! お父様は毒も呑んでるって……」
リーンは顔を赤くして弁解した後、すぐに心配そうにロベルトに目をやった。
「ええ……。ウィーペラが吞ませていたわ」
ことの成り行きを大人しく見ていたアマンダが、チラリとロベルトを見てそう言った。
「……確かに、毒に侵されている症状が出ています。あたしの解毒魔法も効きません」
ウララがそう言ったので、リーンはアマンダに向け声を上げた。
「は、早く解毒薬を下さい!」
アマンダは詰め寄ったリーンを一瞥し、勿体つけるように小首を傾げた。
「どうしようかしら……」
「アマンダさん!!」
前のめりになったリーンをルベルは優しく引き留め、庇うように前に出た。
「アマンダ、お前の目的は何だ? ジークはエスケープが使えるから、必要だったのはわかる。だが、ウィーペラがお前をここに連れてきた意図がわからない。お前は何か、別の目的があってこの迷宮に来たのか?」
「目的……そうね、わたくしの目的は、もう果たされていますわ」
ルベルの質問に対しアマンダはそう答えると、リーンが投げ捨てた短剣を拾った。武器を手にしたアマンダに対し、ルベルを含め皆身構えた。
「あら、ウフフ……。安心して下さいまし。わたくしは貴方がたを傷付ける気など、これっぽっちもありませんのよ。……そう、わたくしはね……」
含みのある声でそう言ったアマンダが口角を上げたと同時に、アマンダの若草色の瞳が、みるみるうちに赤く染まっていった。
「なっ……!?」
アマンダの瞳が、呪われていた時のリーンのように真っ赤になり、ルベルたちは驚きと困惑のあまりその場から動けなかった。
「ア……アマンダさん!? 目が……」
リーンが思わず指をさしそう言うと、アマンダは顎を上げリーンを見下ろした。
「言ったはずよ、リーン……私は、浄化などされないと」
リーンたちの目の前にいるアマンダは、まるでウィーペラのように妖艶な笑みを浮かべた。
「う、嘘……!? アマンダさん……!? ふ、ふざけてるんですか!?」
リーンは状況を整理できないまま、妖艶に笑うアマンダに恐怖を覚え、少し後ずさりした。ルベルは、そんなリーンを庇うように腰を抱いた。
「酷いことをしてくれたわね、リーン……。どうして私を浄化しようとしたの? ずっと……ずぅっと一緒にいた私のことを切り捨てるなんて」
「どういうことだ!? 何故アマンダがウィーペラに呪われているんだ!?」
ソールが大声で疑問を口にしたが、誰ひとり答えられる者はいなかった。そんな中、ルベルだけが大きく息をついた。
「やはりお前は狡猾な女だ、ウィーペラ」
「ふふ……。貴方って本当に、私のことをよくわかっているのね、ルベル……」
アマンダは髪の毛を綺麗にまとめていたが、耳の横から垂れたおくれ毛をくるくると弄ぶ仕草は、ウィーペラそのものだった。
(ウィーペラがよくやる癖と同じ……! じゃあ、アマンダさんは、本当にウィーペラに呪われたの!? そして私の時みたく、ウィーペラはアマンダさんの体を乗っ取ってるの!?)
リーンはゴクリと喉を鳴らし、答えを求めるべくルベルを見上げた。ルベルはアマンダを見つめたまま、口を開いた。
「……リーンがジークに攫われた時、お前が何か仕込んだのはわかっていた」
「ジークに攫われた時って……、マグナマーテル家で領主会議が行われた時……?」
リーンの問いかけに、ルベルはコクリと小さく頷いた。
「あの時、リーンはまだ200年前の記憶を取り戻していなかった。だからお前はリーンの体を乗っ取り、アマンダに何らかの交渉を持ち掛けた。違うか?」
「……さすがね、ルベル。その通りよ。あの日、貴方たちが屋敷に到着する前、アマンダはリーンが不死身かどうか確かめるために、リーンを傷付けようとした。その時に取引をしたのよ」
ウィーペラは、あの日の出来事を思い出していた。
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