1 赤目のぼっち少女
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薄暗い洞窟の中、一人の男が古い書物を手にし、栞が挟んであるページを開いた。
白い髪に龍の角を生やしたその背の高い男は、美しい満月のような、片方だけの金色の瞳でその本の文字を追った。そして、薄い唇を開き、静かに朗読した。
「その泉はあらゆるものを浄化する。だが、簡単に辿り着くことはできない。その泉の恵みを手に入れるには、古の魔力を捧げなければならない。鍵を持つのは神獣。この地を守る神獣の魔力があれば、固い扉は開き、泉の女神の加護を受けられるだろう――――」
男はパタンと本を閉じ、目を伏せた。綺麗な指で自身の塞がれた右目の傷に触れ、ギュッと唇を噛んだ。
「おい、知ってるか? 最近この町に現れた女冒険者のこと……。なんでも龍の子供を使役してるって……」
「ああ、聞いたぜ。強過ぎて、パーティーを組まずにソロでクエストをこなしまくってるんだろ?」
「いつもフードを被ってて、人を寄せ付けないらしいぜ」
「話しかけたヤツが、すげぇ目で睨まれたって言ってたぜ。血の様に赤くて……あれは殺戮者の目だって」
その時、冒険者の噂話を断ち切るかのようにギルドの扉が開き、ひとりの少女が足を踏み入れた。
薄汚れたカーキ色のフードを目深に被り、肩に人の頭くらいの真っ白な隻眼の龍を乗せたその少女は、コツコツとブーツを鳴らし、ギルドの依頼書が貼られているボードの前へ向かった。噂話をしていた冒険者たちは静まり返り、その様子を遠巻きに見ていた。
するとそこへ、ひとりの若い男が近寄り、少女に話しかけた。
「なぁ! あんたもひとりか? よかったら一緒にクエストに行かないか?」
「ば、馬鹿かあいつ!? 話しかけたぞ!? 噂を知らねぇのか!?」
男に話しかけられた少女はビクリと体を揺らし、静かに振り向いた。フードの奥で赤い目が鋭く光り、話しかけた男はその眼光の鋭さに思わず悲鳴を上げた。
「ひぃ!! す、すいません!!」
男は早々に謝ると、慌ててその場から走り去った。
「言わんこっちゃない……」
「話しかけるなんて、命知らずなヤツだぜ……」
少女は男が逃げたのを見届けると、自分も足早にその場を去った。
「何の依頼も受けなかったな……」
「きっと難易度が低すぎて、お気に召さなかったんだろ……」
少女が去った後も、ギルドの中はまだざわついていた。
『おい、リーン、止まれ、リーン!』
ギルドから出た少女は、早歩きで町を通り抜けると宿屋の部屋へ逃げ込んだ。そしてベッドの前でしゃがみ込み、膝を抱え声を上げた。
「あ、あ、あ、あああああああ!!」
『……』
肩に乗っていた龍は、項垂れた少女から落ちないように、頭の上へと移動した。
「何で……何で逃げられたの……? チラッと見ただけなのに……」
『お前が睨むのが悪いんだろう』
龍はそう言うと、翼を広げ少女の頭からベッドの上へと飛び移った。その反動で、少女が被っていたフードがずれ、顔が露になった。
肩よりも少し短いふわふわの銀髪が頬の辺りで揺れ、大きな赤い瞳はルビーのように煌めいていた。しかし全てを飲み込んでしまうような深い赤色の瞳は、逆に恐怖を覚えるほど魅惑的で猟奇的にも見えた。
「に、睨んでない!! チラッと見ただけ!!」
龍は、片方だけの金色の瞳で少女を見つめると、呆れたように息をついた。
『リーン……お前が傷付くと思って今まで黙っていたが、お前のその赤い目、他の冒険者に何て言われてるのか知ってるのか? “殺戮者の目”って言われてるんだぞ』
「殺戮者!?」
リーンは両手で目の周りを押さえながら声を震わせた。
「だ……だってこの目の色は生まれつきで……! “龍姫”は代々赤目で生まれるって言われて、これだけはどうしようもできなくて……!」
『とにかく、早くギルドに戻って何かクエストを受けろ。金を稼がないと生活できないぞ』
「う、うう……やっぱり無理……。何もしてないのに殺戮者とか言われる世界で生きていけない……。私、もうここから出ない。この床でキノコを栽培して、それを食べて暮らす……」
『宿屋の床を勝手に菌床にしようとするな。いいから早くギルドに戻れ』
龍はベッドから降り、少女のローブを咥えると扉の方へと引っ張った。
「いやー! 外怖い! 人怖い! ギルド怖いーーーー!!」
少女はベッドにしがみつき、首を振って喚いた。
『そうか……お前は、俺を怒らせたいんだな?』
「ヒッ!」
少女を見据えた龍の体が金色に光り、その姿は光と共に次第に大きくなっていった。
「ルッ、ルベル! ままま待って! うそうそうそごめんなさい! 行く!! ギルドに行くから……!!」
少女の頭ほどの大きさだった龍は、若い男性の姿に変貌し、うずくまる少女を見下ろしていた。
すらりと長い手足に白い髪、頭には龍の鋭い角が生え、金色の瞳の片方は傷跡で塞がれていたが、とても端正な顔立ちをしていた。
「今さら遅い」
人型になった龍はそう言うと、少女の腰に手をかけた。
「あっ……、やっ、やだっ……ルベルっ……」
次の瞬間、龍は豪快に少女をくすぐった。
「あっ、あははははは! やめてぇ! ごめ、ごめんなさぁあはははは!!」
腹がよじれるほどくすぐられた少女は、ぐったりと龍の前に項垂れた。
『よし、行くぞ。早く立て』
龍は元の小さな龍に戻ると、少女の肩に乗った。
「うう……今ので鈍足のデバフが付与されました……」
『グズグズするな。またくすぐられたいのか?』
涙目になっている赤い瞳の少女リーンは、隻眼の白龍ルベルを肩に乗せ、重い足取りで再びギルドへと向かうのだった。
なぜ、この引きこもりぼっち少女が龍と旅をすることになったのか――――。それは、ひと月前に遡る。
――――ひと月前。
「リーン、お前に縁談が持ち上がった」
「へ……?」
ヴァーミリオン家の静かな夕食のひと時に、父の骨に響くような低い声がリーンに届いた。
「こんな田舎町の領主の娘であるお前のことを、どうしても欲しいと仰る酔狂な……もとい、広いお心を持つお方が3人も現れた。ヴィーグリーズ領の領主、ヴィーグリーズ様、マグナマーテル領の領主、マグナマーテル様、そして、このペルグランデ王国の王の側近を代々務めているアーウェルサ家の当主、アーウェルサ様……御三方から、お前をご自分のご子息の伴侶にとの申し出があった」
「……え? えええ縁談!?」
リーンは口に運びかけていたサラダを皿に戻し、立ち上がった。
「こら、行儀が悪いぞリーン。ちゃんと座りなさい」
「ままま待って下さいお父様!! 縁談と急に言われても、わた、私はっ……」
「お前も今年で16になる。伴侶を持ち、夫を支え家族を築く年齢だ。器量はいいが何のとりえもないお前を貰ってくれると仰ってるんだぞ。このチャンスを逃してたまるか」
「チャ、チャンスって……そんな自分の娘を厄介者みたいに……」
「厄介者ではないか! このバカタレ!!」
「ヒッ!」
父は声を荒げ、リーンを見据えた。
「毎日毎日、本を読んだりぼんやりと外を眺めたり……、一日中家に引きこもっているお前が、このヴァーミリオン家の役に立っているとでも言うのか!?」
「だ、だって私は! ルベルのそばにいないといけないから! すす好きで引きこもってる訳じゃ……」
「ほう……、では、わたしの助手として錬金術の研究をするか?」
「え……。だ、だって……お父様の研究室には知らない人がいっぱいいるし……。そもそも私、錬金術の才能がないから研究も何もできないし……」
「敷地内にある図書館で、貸し出し作業をする人員を募集していたな。お前は本が好きだし、それなら出来るんじゃないか?」
「ほ、本は好きだけど、私が好きなのは物語だけだし、それに人と接するような作業は自信がないっていうか、向いてないっていうか、むしろできないっていうか……」
リーンは自分の指を、胸の前でモジモジと動かした。
「リーン、お前はいつもそうだ。何かと理由を付け、人と関わろうとしない。お前は、この先ずっとそうやって、引きこもって生きて行くつもりなのか?」
「だ、だって……」
リーンは下を向き、ギュッと握り込んだ自分の拳を見つめた。
「近いうちに、この屋敷で御三方を招いたお茶会を催すつもりだ。お前も相応の準備をしておけ」
「じゅ、準備って……。わた、私は結婚なんて……」
「本来ならば、ウチのようなド田舎の領主の娘であるお前が選べる立場ではないのだぞ! 錬金術の素質もなく、家でゴロゴロとしているだけのニートのお前が、わたしはこの先心配でならない! もう結婚して養って貰うしかないだろう! 御三方の中からひとりを選び、結婚しろリーン! これは命令だ!」
父はぎろりとリーンを見ると、強い口調でそう言い放ち、部屋から出て行った。
「そ、そんな……」
リーンは涙目になり、その場に立ち尽くしていた。
扉を閉めた父は、フーと長いため息をついた。そしてギュッと拳を握りしめ、ポツリと呟いた。
「あとは任せたぞ、ルベル……」
「ど、どうしようルベル!! 私……私、結婚させられちゃう!!」
リーンは、敷地内にある洞窟に駆け込み、そこにいた巨大な白龍に泣きついた。
鋭い角に鋭い爪、金色の瞳は、薄暗い洞窟内でもトパーズのように美しく輝いていた。しかし右目には大きな傷があり、その瞳は完全に塞がれていた。
『ああ……昨夜遅く、お前の父親が話をしに来た』
「こんなの横暴だよ!! 私の将来を勝手に決めるなんて!!」
『将来?』
ルベルと呼ばれた白龍はそう復唱すると、片方だけの大きな金色の瞳を細めた。
『お前の将来とは何だ? お前は、自分がどうしたいのか今後の展望を考えているのか?』
リーンはルベルの問いかけに、思わず口を噤んだ。
『外界と接触せず部屋に引きこもり、まともに話が出来るのは家族と俺ぐらい。お前は、今後どうやって生きていくつもりなんだ? 何もせずとも食事や着替え、身の回りの世話をしてくれる人がいる今を当たり前だと思ってるお前が、何を偉そうに自分の将来を語れる?』
「……だって……」
リーンは言い返すことが出来ず、唇を震わせた。
『世間は、お前が考えているほど甘くない。“龍姫”として俺のそばにいなければならなかったことは気の毒に思うが……今のお前には、親の言う事を聞く以外の選択枠はない』
ルベルの言葉に、リーンは下を向いたまま震える唇を噛んだ。
「わ、私だってホントは……外に、出たいよ……。そ、それに、私は勝手に結婚相手を決められるのがイ、イヤなんだよ! だって私には、私には……」
リーンの脳裏に、ひとりの男性の笑顔が過った。顔は朧気でよく思い出せないが、月明かりに照らされた赤い髪と、優しく弧を描く魅惑的な唇が印象的なその男性のことを考えると、リーンの胸はいつもギュッと締め付けられた。
『……』
ルベルは、そんなリーンを見てフウとため息をつくと、俯いて小さく震えている彼女に声をかけた。
『では逃げるか?』
「……え?」
リーンは顔を上げ、目の前の金色の瞳を見つめた。
『お前が、俺の助言に従い、俺の言うことをちゃんと聞くというのなら、一緒に逃げてやる』
「ル…ベル……」
ルベルは洞窟の外に出ると、大きな翼を広げ、リーンを見下ろした。
『お前が変わりたいと思うのなら、俺の背中に乗れ、リーン』
リーンは、月を背に自分を見つめるルベルを見上げ、自身の胸のあたりで揺れるペンダントを握りしめた。ドクドクと鼓動が高鳴っていき、紅潮した顔を冷たい夜風が撫でた。
『俺が……お前を外に連れ出してやる』
こうして、引きこもりのぼっち少女リーンは、白龍ルベルの背中に乗り、生まれ育った場所を後にした。それは、ルベルの瞳のように、綺麗な金色の月が輝く夜だった。
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