ネクロマンサーのご主人様と捕らわれた魂だけの私
ふいに頭の中が目覚めた。
あれ? 体が揺れてる? 私、動いてないよね? なんで?
目を開ける前から開いていた目に映るのは、見たことのない家の中。
どこの家? なんで知らない家の中? しかも動いているし。私が動いてるの? 目の前の手は箒を持って床を掃き、足が動いて移動する。わけわかんなくて私は動けないのに、体は勝手に動いて目は勝手に周りを見てる。
しばらく経って、私は誰かの中にいるんだと気づいた。おかしいけど、そうとしか考えられない。この体の持ち主がどうなってるのか、あるかどうかわからない耳を澄ませても、箒が床と擦れる音と腕を動かす衣擦れしか聞こえなかった。
どうしていいかわからなくて目に入ってくる光景をそのまま眺めてたんだけど、だんだん落ち着かなくなってきた。
この人、掃除がヘタじゃない? 端のほうを掃き残してるし、いったりきたりするから同じところをまた掃いてさ。すごい気になるんだけど。箒を借りて代わりに掃除してやりたい。私もこの体動かせるかな?
試しにぐっと押し込めるように、箒を持つ手へ指先を伸ばす。そうすると伸ばした右手に箒の硬い柄を感じた。嬉しくなって左手も押し込めたら、こっちにも感触がある。同じように両足と頭も押し込めたら思い通りに動かせた。
嬉しくなって部屋の端からホコリを掃きだし、ゴミを集める。楽しくなったせいで、床を掃き終わってから雑巾までかけてしまった。
ふースッキリ~なんて思ってたら、ふと気づいた。
あれ? 私が動かしてたけど、この体の持ち主ってどうなってんの?
ゾッとして、慌てて手足を引っ込めて丸まった。そうしたら、また勝手に体が動きだした。掃除道具を持って隣の部屋へ移動する。
良かった。良かったけど、おかしい。だって私が勝手に動かしてたのに、少しも慌てないで掃除の続きをするって変じゃない? なんで?
ハタキをかけてる窓枠の、ガラスに映る顔を見る。そしてますます不安になった。
なに、この人。動かないし目つきもおかしい。イカレてるわけでもなさそうなのに、生気がないっていうか、死んでるみたい――――。
そう思うと、さっきから感じてたのに意識しなかった匂いが急に鼻についた。知ってる匂い。貧民街でたまに嗅いだ匂い。いちばん古い記憶にこびりついた懐かしい匂い。
孤児院に引き取られたのは3歳のとき。起きない母を起こそうと泣きわめく私に、うるさいと怒鳴り込んだ隣の人が死んだ母を見つけたと、大きくなってから聞いた。私もなんとなく覚えている。眠っている母が冷たくて、少し離れて眠ったこと。お腹がすいて我慢ができず、泣きながら母を起こそうとしたこと。
懐かしさに浸りそうになり、記憶を振り払った。今は考えなきゃいけないことがある。
ほんとうに死人? でも死人が動くなんて。まるで。
ギイッ、バタン。
静かな室内にドアが開いて閉まる音が響いた。後ろを通り過ぎる人影が窓ガラスに映る。黒いローブは魔術師の印。動く死体と魔術師の組み合わせって、もしかしてネクロマンサー?
息をのむ。死人の中に入り込んでしまったのだと分かり、不安が胸に広がった。
ネクロマンサーは死人を操る。そういう話だし、疫病で街中に死体が溢れたとき、ネクロマンサーに操られた死体が歩いて墓地へ歩いていく光景を実際に見た。あのときは街中に死臭が漂って、しばらく消えなかったっけ。
でもなんで私は死人の中にいるの? 何してた?
順番に自分の記憶をたどってみる。
孤児院の院長が私たちを死んだことにして娼館に売ったこと。最下層の娼館で何年も働いたこと。酷い客ばっかりだし、病気で休んだらご飯ももらえない。せっかくできた友達は死んで、友達が大事にしていた人形を形見にもらった。人形を大事にしてたら、客の男がバカにして人形の首をもいだんだっけ。怒って罵ったら殴られて、ケガをした。熱が出て寝込んで、それから? ……思い出せない。もしかしたら死んだのかも。
でもこの死人は私じゃない。窓ガラスに映った顔も髪も私じゃなかった。
どうにかなんないかと体の中で暴れてみたけど、逃げ出せなかった。それからは諦めて、知らない死人の中にいるという意味わかんない状態のままジッと静かに過ごした。死人の目に映るものを見てるだけ。それでも何日かしたら家の中のことも分かってくる。
二階建ての屋敷に死人の私とネクロマンサーのご主人様が一人。死人の中にいると、ネクロマンサーのことを自然にご主人様と思ってしまう。魔術で操られてるから当然なんだろう。それに、ご主人様の命令に反することもできないみたいだ。私が入ってる死人は洗濯、荷物の受け取り、掃除の順に命令されてるらしく、掃除中に洗濯はできないし、洗濯中に掃除はできない。でも荷物受け取りは最優先らしく、勝手口に届けられているものを見かけたら必ず家に入れている。
ご主人様は死人に話しかけたりはしないし、めったに会うこともない。でもごくたまに後ろから眺めていることがある。死人がちゃんと動いてるか確かめてるのかもしれない。中に私がいると知ればどうにかされるのだろうか。なんだか怖い気がして私は隠れたままでいた。
魔術師は貴重でいっぱいお金を稼げるらしいけど、貧民街じゃ嫌われてた。抵抗できないのをいいことに、酷いことする魔術師の噂をよく聞いたから。ネクロマンサーは死体を買うって聞いたな。買った死体に魔術をかけて酷いことするって。
掃除と洗濯しかしてないこの体も、そのうち酷いことされるのかも。
それでも私はだいぶこの体に慣れて、分かるときは動き、分からないときは手足を縮めて死人に任せている。疲れないし眠くもならないけど、自分の好きに動けず毎日同じことを繰り返すのは飽きもする。それでも楽しみたくて今日は、窓を開けはなした部屋で掃除しながら歌っていた。娼館で聞いた、好きな人をお祭りに誘う明るい流行歌。
ドアの開く音がしたので口を閉じる。静かに掃除を続ける私を帰ってきたご主人様が見つめる。歌を聞かれたのかもしれないと緊張したけれど、何も言わずいなくなった。ホッとしたけど怖くなり、手足を縮めて死人に動きを任せることにした。
その後数日なにもなく、気付かれなかったのだと安心して鼻歌を歌いながら洗濯をしていたら、後ろから命令された。
「動くな」
私の体はピタリと止まり、手足を縮めて死人の中に逃げることもできない。嫌な噂を思い出して冷や汗をかきそうだけど、死人だから汗は出なかった。
「誰だ。私の質問に答えなさい」
「マリーです」
「どこのマリーだ?」
「どこでもありません」
変な答えだけど、そうとしか答えようがない。死んで死人の中に入っちゃったんだから、どこのマリーでもない。そんなことよりどうしよう。見つかった。命令に逆らえないから逃げられない。
黙りこくったご主人様に何されるのか、ものすごく不安が膨らむ。
「……お前はその体の持ち主か?」
「違います」
「お前は生きているのか」
「たぶん死んでいます」
「……どうしてここにいる?」
「わかりません。目が覚めたらここにいました」
「私についてこい」
命令通りに体は動き、ご主人様の後ろについて家の中の入ったことのない部屋へ入った。ご主人様の部屋? たくさんの本や巻物、ペン、石や草、いろんなものが散らばっている。
「上の服を脱いで後ろを向きなさい」
私の意思とは関係なく、手が動いてエプロンとブラウスを脱いだ。ご主人様がブツブツ言いながら、指で私の背中を撫でる。
「……術式に変化はない、か。本当のことだけ、自由に話していい。お前は誰だ?」
「マリーです。あの、服を着てもいいですか?」
「っ、あ、こ、こ、これは背中の術式を確認しただけだっ! へ、変な意味じゃない! 服を着ろ」
ぶふっ
なにその慌てっぷりっ! ネクロマンサーなのに可愛いとか。キュンとしちゃうでしょうが! 変な意味なら驚きだってばさ。
……はっ!? ネクロマンサーが死体にひどいことって、そういう……? いや、でもこの動揺っぷりじゃねぇ。想像してた気味悪いネクロマンサーと全然違うじゃない。
ご主人様が可愛くて緊張がどっかいった私は、笑いながら服を着てエプロンの紐を結んだ。
「ご主人様のほうを向いてもいいですか?」
「ああ」
初めてご主人様の顔をしっかり見る。痩せこけてるけど、案外若いみたい。死ぬ前の私より少し年上ってとこかな。切れ長の赤い目は凛々しくてするどい。気難しい顔をしてるけど、どっちかというと困ってるっぽい。さっきの動揺から立ち直ってないの? ぶふっふ。
あんまり笑っちゃ悪いので、これ以上の噴き出しをこらえてちゃんと説明した。
「気付いたらこの人の中にいました。熱を出して寝たところまでしか覚えてないから、たぶん死んでます。貧民街の小さい娼館にいたマリーです。調べたら死んでるかどうかわかると思います」
「……魂か?」
「自分ではわかりません」
「そうだな。死人の中に魂が迷い込むなんてあるわけないと思っていたが」
「そんなことあるんですか?」
「言い伝えだ。本当にあるなんて」
「私はずっとこのままなんでしょうか?」
「腐り止めの術はそれほど長く持たない。この死人は……」
ご主人様は私の手を取って、押したり揉んだり裏表を眺めて確かめる。
「まだ大丈夫……、っ、あ、いや、違うっ。状態を確かめただけだ」
慌てて手を離すからびっくりしたけど、焦った顔が可愛くまた笑ってしまった。なんだかなぁ、手を握っただけでこんなんなってさ。さっきから可愛すぎるでしょ。
ご主人様は変な顔をする。死人が笑うのがおかしいのかもしれない。
「……え、ぁ、……マリーと、マリーと言ったな?」
「はい、そうです。ご主人様」
「私はディランだ」
「はい、ご主人様」
「違う、ディランだ」
「はい、ディラン様」
「ディランと」
「ディラン」
「そうだ、……マリー」
「はい」
しかつめらしい顔なのに、ウロウロしてる目が可愛くてまた笑った。
怖いと思ってた人が怖くないうえに可愛いとか、お得! ネクロマンサーなのに気味悪く思わないのは、操られている死人の中にいるからかな。私も死んでるし、似た者同士ってとこだよね。
「……また用があれば呼ぶ」
「はい、洗濯に戻りますね」
「ああ、頼んだ」
わざわざ『頼む』って言った。操ってる死人なんだから命令聞くのが当然なのに。中にいる私に気を遣ってるってこと? いい人みたいで嬉しい。
それからも今まで通り洗濯、荷物受け取り、掃除をして過ごした。
この体は掃除が終われば死人用の部屋へ帰るようになっている。死人の用の部屋には椅子とベッドがあって、死人もベッドに横たわる。
なんでわざわざ寝るんだろ? 眠らないのに横になってるだけってものすごくヒマなんだけど。しかも、横たわる命令のせいか動けない。疲れない死人でも、休ませる必要があるってこと? でも、ヒマすぎるんだよー。
日が昇ったらようやく起き上がれる。それから新しい服に着替えて、また仕事をこなした。
ご主人様、もといディランが出かける時間はまちまちだ。出かけない日もある。休みの日は何やってるか聞いたら、魔術式の研究をしてるらしい。毎日働かなくてもこんな大きい家に住めるっていいな~と思ってたけど、勉強ばっかりなんて魔術師もいろいろ大変そう。
ディランは毎日私を呼んで変わりないか聞いてくれる。私はお喋りできるから大歓迎。こんなに気にしてくれるって、やっぱ良い人だよね。
「私っていつの間にかこの中にいたでしょ? いつの間にかいなくなったりする?」
「可能性はないとは言えない」
「せっかく楽しい生活なのにな~」
「……楽しいのか?」
「楽しいよ。殴られないしお腹もすかないし、庭のお花は綺麗だし」
私はこの家で初めて穏やかな毎日を過ごしている。死んでから幸せに過ごすって、なんか面白い。
「ありがとう、ディラン」
感謝したら変な顔をされた。死人がご主人様に感謝するのは変かな。
「……以前はどう過ごしてたんだ? 家族は?」
「孤児院で育ったの。それから娼館に売られて借金を返すためにずーっとそこで働いてたから、家族はいないよ」
「……恋人は?」
「いないよ。娼婦になったばかりのときはいたけど、お金渡さなくなったら消えちゃった」
「そうか」
「ディランは? 家族は?」
「父は知らない。母はこの家を残して死んだ。それだけだ」
「恋人とか友達は」
「いない。ネクロマンサーにいるわけがない」
「ネクロマンサー友達は?」
「……っ、くくっ。ネクロマンサー友達。……ネクロマンサーは人付き合いが嫌いなんだ」
何がおかしいんだろ。でも、笑うディランは可愛い。
「可愛い。笑うといいよ。笑ってたら友達だって恋人だってすぐできそう」
そう言ったら、真顔に戻って目を逸らした。余計な一言だったかな。
「……手を。状態を確認する」
差し出された大きな手の平に、死人の手を置く。これも毎日の習慣。ディランは真剣な顔で触って確認したあと、優しく握ってため息をつく。
「まだ大丈夫だ。……何か不自由なことはないか?」
「うーん、ベッドに横になってるのがヒマなくらいかな」
「どういうことだ?」
「私は眠らないけど、この体は命令通りに動くから朝までベッドに横になるの。そのあいだヒマだなーってこと」
「あ、すまない、命令を消していなかった。門の外へでなければ、私の部屋以外はどこへ入ってもいい。好きな時間に好きなことをしていい」
「いいの!? わーありがとう」
「欲しいものはあるか?」
「針と糸が欲しいな。ディランの服もつくろえるよ。ボタンの取れたシャツがあるでしょ?」
「……準備する」
話をした翌日、家に帰ってきたディランに裁縫道具一式を渡された。見たことない可愛い木箱に入っている。
「これで足りるか?」
「可愛い。こんな可愛いもの初めて。ありがとう」
ディランは変な顔してそっぽを向いたけど、これは私でも照れてるってわかった。やっぱり可愛い。
それからの毎日に裁縫が加わった。そんなに働かなくてもいいと言われたけど、疲れないし暇だから。シャツの裾のほつれを直すついでに花の刺繍を入れたらお礼を言われた。難しい顔してるディランが、花の刺繍入りシャツを着てるって面白いから入れたと言ったら笑った。
最近はディランもよく笑うようになった。ノラ猫が慣れてきたみたい。笑うと可愛いんだ。
「ディランのお母さんはどんな人だったの?」
「静かで優しい人だった。私がネクロマンサーだと分かっても態度を変えたりしなかった」
「ネクロマンサーだって、どうやってわかるの?」
「7歳の正殿参りがあるだろう? 鑑定を受けなかったか?」
「うーん、覚えてない。孤児院だとやらないのかな?」
「そんなはずはない。魔術師は国で保護するのだから」
「じゃあ、何もなかったから忘れたのかも」
ディランのお母さんは優しかったのか。だからディランも優しいのかな~って眺めてたら、落ち着かなさそうに目を逸らして顔を赤くした。
「なんだ?」
「貧民街だと魔術師は酷いことするって嫌われてたんだけど、ディランは優しいと思って」
「……まあ、そういう奴らもいる」
「ディランみたいな人もいるんだし、みんな怖がらないで話してみたらいいのにね」
「……ネクロマンサーは死体を扱うから気味悪がられる。仕方がない」
「でもほら、疫病のときはさ、助けてくれたでしょ? あっちこちにあった腐った死体を片付けて」
「仕事だから」
「仕事でもありがたかったよ。ありがとう、ディラン」
「……ああ」
ディランは恥ずかしそうにそっぽを向いて返事をした。仕事だとしても、ありがとうって言われると嬉しいもんね。
家の中のことをしてディランと他愛のない話をする毎日は穏やかで幸福だ。お腹もすかないし体は痛まない、なによりディランが優しい。不器用に気遣ってくれるから、私もディランの喜ぶことをしたいと思える。ディランの出迎えも嬉しそうだったから習慣になった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
こうして出迎えの挨拶をすると家族みたいに思えるから、嬉しいのは私も一緒。
「どうした?」
「家族みたいで嬉しくて」
「……そうだな」
「私、死んでるお母さんしか覚えてなくて。友達がお母さんに作ってもらった人形を持ってるのがうらやましくてさー。その友達も死んじゃったから形見に人形もらったんだけど、もう捨てられちゃったかな」
「人形が好きなのか?」
「お母さんに作ってもらったのがうらやましかったの。思い出が残ってていいなぁって」
ディランが悲しそうな顔をするから、私は笑って誤解をとく。
「気にしてないよ。私も死んじゃったし。この体がダメになったら魂が抜けるんでしょ? お母さんに会えるかも」
「…………マリー」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
プイっと顔を背けたディランの声は暗かった。
一人だって言ってたから寂しく思うのかも。せっかく仲良くなったのに、私だって残念だもん。でももう死んでるからどうにもできないし、心の準備をしとかないと。本当は私だって悲しい。
数日後、出迎えた私にディランが人形を差し出した。
「えっ!?」
「……土産だ」
「ええっ!? え、あ、わー、もー、すごく嬉しい! ありがとうディラン」
嬉しくって人形と一緒にディランに抱き付いた。ぴょんぴょん跳ねてディランを見上げたら、驚いた顔で固まってる。
「あっ、ごめん、抱き付いちゃって」
急いで離れて笑って誤魔化した。
「職場の仲間とよくこうしてたから」
私の働いてた娼館はみんな距離が近かった。嬉しくても悲しくても抱きしめ合うのが普通で。辛い分、仲間意識が強かったんだと思う。でもディランは違うよね。悪いことしちゃった。
気を取り直してお礼を言う。
「ディラン、ありがとう」
憧れの人形に胸が躍る。何より、私の話を聞いてプレゼントを考えてくれたのが嬉しい。
「あ、ああ、喜んでくれて、良かった。わ、私は部屋へ」
驚いた顔のまま手で口元を隠して、階段を登ろうとしたディランがつまずいた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だ」
足早に二階へ行ったディランを見送ってから、人形を私の部屋に飾った。嬉しくてニマニマしちゃう。
***
部屋の扉を閉めて椅子にへたり込んだ。
マリーに抱き付かれて心臓がおかしくなりそうなほど脈打っている。満面の笑みを浮かべて私を見上げるマリーを思い出して熱くなった顔を、手であおいだ。
マリーが入る前の死人の顔は覚えていない。使役しているただの死体だった。それがどうだ。クルクル変わる表情と明るい笑顔は私を魅了してやまない。マリーとの楽しいお喋りが永遠に続けばいいと思ってしまう。
最初は何事かと思った。死人の動きが変わったように見え、陰から観察していたら歌い始めたから何事かと驚いた。死人は死体だ。死体は思考しない。ネクロマンサーの命令に従い、生前おぼえた動作を繰り返すことしかできないのに。
観察を繰り返し、ただの死体ではないと確信してから問い詰めた。彼女もよくわかっておらず、娼館にも確認したがマリーは死んでいると言われ、魂だと結論付けた。死人に魂が入るなんて昔話でしか聞いたことがないが、それ以外の可能性も思いつかない。胡散臭いと思ったが、そんな最初の印象はすぐにどこかへいってしまった。
振り向いたマリーが私を真っ直ぐ見て屈託なく喋り、ぶしつけに手を握って慌てた私を笑った。そのときの気持ちをなんと言えばいいだろう。他人から顔を背けられて過ごす私に向けられた、あの明るい笑顔。薄暗がりに佇む私のもとへ急に陽が差し込んだように感じた。その明るい声で私の名を呼んでほしいと思った。笑顔をもっと見たくなった。
死人を動かせはするが、体への出入りはできないと聞いて安心したのはいつだったか。ただの死人でしかなかったのに、マリーの魂が入った途端に死人は死人でなくなった。青白い冷ややかな世界が鮮やかな生気をまとって私を迎えた。
母が亡くなって以来、一人きりだった私の元へやってきた不思議な魂。
笑顔で出迎えられると胸が暖かくなり、向かい合って話をするひと時は喜びに浮ついてしまう。手にふれて状態を確かめると体の中がザワついた。本当は毎日確認しなくたっていいのに、疑いなく私に差し出される手が嬉しくてやめられない。
家族みたいで嬉しいと言われて胸が高鳴り、いなくなってしまう可能性を口にされ、息が苦しくなる痛みを味わった。
この幸せな時間がなくなるなんて考えたくない。今まで一人で生きてきたのに、また一人になるなんて耐えられる気がしない。
マリーの気を引きたくて、話に出てきた人形を買った。家族みたいだと思ってくれているなら、私の気持ちを伝えてもいいだろうか。
抱きしめられた驚きと喜びで混乱し、何も言えずじまいだった。だが、落ち着くと『職場の仲間とこうしてた』という言葉に引っ掛かる。
私は死人を使役するネクロマンサーで、マリーは死人の中にいる。マリーにとって私は、職場の仲間でしかないのだろうか。家族みたい、というのは『みたい』だけで終わるのだろうか。私が気持ちを伝えたら、今までの楽しい時間が壊れてしまわないだろうか。
想像しただけで苦しい。でも、悩むあいだにもマリーと過ごせる時間は減っていく。残り時間を考えると胸が張り裂けそうだ。
***
毎日がすぎるうち、だんだんとディランが暗い顔をすることが多くなった。私の手を握って確かめて、なんでもないと言いつつ暗い顔をする。
でも私だって気付くよ。動きにくくなった体がもうもたないんじゃないかって。
「もしかして、この死人の体、もうもたないんじゃない?」
「っ、…………ああ」
私の手を握るディランがビクリとしたあと、両手で手を包んだ。
「私、今度こそ死ぬのかな。今まで楽しかった。ありがとう、ディラン」
感謝の気持ちを込めてディランに笑いかけたのに、返ってきたのは悲しい声だった。
「……マリー、どうか、まだ、ここに。……私のもとに」
「……どうしたの?」
「まだ、逝かないでほしい」
「でももう体が持たないんだよね?」
「新しい死人を用意する」
「そこに入れるかわからないよ?」
「……わかっている。でも、もしできるなら、入ってほしい」
俯いたディランの顔は見えないけど、苦しそうな声が可哀想でうなずいてしまった。
「わからないけど、できたらそうする」
「本当か!?」
私を見るディランは泣きそうで、もしかしたら私のように家族みたいに思ってくれてるのかもと思えた。一人きりのディランは寂しいのかもしれない。一緒にいてくれる人が欲しいのかな。体が死人で中身が私でも。
「うん、約束」
嬉しそうに笑ったディランは可愛くて、早く生きている家族ができたらいいのにと思った。その考えに胸がチクリと痛む。だって私は死んでるから、生きてるディランとは違うんだもん。死人じゃなかったら泣いてるとこだよ。
いつのまにか大好きになった居場所との別れを考えないように、ただ笑った。
数日後、ディランは新しい死人を連れて帰ってきた。
「どうだ? 似てるか?」
「似てる? もしかして私に?」
「ああ。同じような年の同じような容姿を墓守に頼んだのだが」
生きてるときの私の見た目を聞いたのはこのためだったのか。髪の色も目は薄い茶色だし、目は垂れてるけど似てない。
「似てないけど、元の私より可愛いから良いんじゃない」
「そうか。……マリーが良いならそれでいい」
ディランはその死人の背中にネクロマンサーの魔術式を書き込む。保存魔術とかいろいろあるらしい。見ていても全然わからないけど、魔術式の中に私の名前も組み込んだらしい。お守りだと言っていた。
ディランがまた私の手をさわって確かめる。
「マリー、……その、一緒にいてもらえないか」
「ディランと? 同じ部屋にってこと?」
「そ、そう。へ、変なことはしない。その」
「この体はいつダメになってもおかしくないってこと?」
「まだ、もう少しは持つ、はずだ。でも、そう、……突然、いなくならないでほしい」
「そうだね、ディランの寝顔を眺めようかな。イビキかく?」
「か、かかないっ」
からかったら、鼻を両手で隠して顔を赤くした。
いついなくなるか分からないけど、その時がくるまでこうやって笑っていたい。
体が動き辛い私に代わって、新しい死人のマリーが働いている。ディランはどうしてもの仕事以外は断って、ずっと家にいるようになった。
私たちは時間を惜しんで色んな話をする。
「庭のお花はディランが植えたの?」
「母だ。庭仕事が好きな人だった。私が何もしなくても毎年花を咲かせる」
「キレイだよね。貧民街だと見かけなかったけど、今は毎日見えるから嬉しい」
「部屋に飾ってもいいぞ?」
「ありがとう、でも庭で風に揺れてるのを見るのが好きなんだ。ディランの部屋に飾る?」
「いや、いい。……生かしたままにしておきたい」
「うん」
ネクロマンサーだってことを気にしてそうだから、慰めたくて手を握ったらビクリと強張った。
「優しいね」
「……そうでもない」
俯いてそっと握り返してくるディランを愛しく思う。サヨナラが近づいていると思うと切なかった。でも最後まで笑ってたい。楽しい出会いになったんだから泣いて過ごしたくない。
私はなんでもない顔で笑い、取り留めなく話した。
「魔術師は魔術師の塔で働くんでしょ?」
「あそこで働くというより、仕事を請け負うといったほうが正しい。あそこでもネクロマンサーは嫌われるし、あそこで研究してるネクロマンサーは遺体を乱暴に扱うから私も関わりたくない」
「そうなんだ。ディランは優しいもんね」
「……普通だ」
「そうかな。みんなすぐ怒鳴るし殴るでしょ。ディランはいつも落ち着いてるよね」
「……マリーが、マリーが優しいから」
「うん。優しくしても、お金せびられないから嬉しい。ご主人様がせびるわけないけど」
「そうだな」
夜は、ベッドに横たわるディランのそばに腰掛けて眠るまで見守る。目を閉じるのを怖がるディランを寝かしつけるために、髪を撫でた。子守唄は知らないし、死人の体は冷えてるだろうから。
静かに確実に時間が過ぎて、ある日それがやって来た。
向かい合わせに座って話している途中、テーブルの上で組んでいた右手の人差し指がポロリともげた。続けて中指も。
びっくりして喉がつまった。うろたえたディランが右手を握ると手首からもげた。今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにしたディランに微笑む。だって笑ってほしいから。
「今までありがとうディラン」
「だ、大丈夫。よういしてあるからだに、に、マリー」
「うん」
終わるときはあっという間だ。ドサリと腕が落ち、傾いた体から頭が落ちる。それを最後に意識が途切れた。
***
「マリーマリーマリーっ!」
返事はなく、動きもしなかった。
新しい死人のもとへ走る。どうかどうか、と願いながら走ったのに、『マリー』と呼びかけた私に応える声はない。ただの死体が動いているだけだった。
心臓が掴まれて息が止まる。そんな、そんな、だって、私はまだ言っていない。まだ、何も。頭が痛み、目がチカチカして視界が回る。
……すぐ動けないのかもしれない。すぐ意識が戻らないのかもしれない。時間がかかるだけかもしれない。
でも、マリー、早く戻ってきてくれ。私の元に。
一日は長く、時間はのろのろ過ぎる。別れるまではあんなに早かったのに。
夜はあまり眠れず、眠ってもマリーの崩れ落ちるさまを夢に見て冷や汗をかいて起きた。食欲もないが、私が死んでは意味がないので無理に食事を詰め込んだ。いつ戻ってもわかるように、つねに新しい死人と過ごす。
5日経つ頃には私の心は沈み、ベッドから起き上がるのも億劫になった。
こんなことなら、正直に伝えれば良かった。好きだと。あなたが好きだと。職場の仲間かもだとか、ただの家族で男として見られていないかもしれないからとか、臆病で何もできなかった自分を呪う。
マリーの声が聞こえないだけで家の中は寒々しい。死人の手を握ってもマリーじゃないと思い知らされるだけだった。
眠りは浅く、不安な夢ばかり見た。ある夜、触れられている感覚がした。でも夢だ。近づくことすら嫌がられるのに、ふれてくる人間などいるわけない。ただの夢だ。私の願望が見せる夢。マリーに触れられたい私の夢。
ぼんやりした意識が覚醒し、だんだん感覚がはっきりしてきた。それなのに感触があるのをおかしく思った。触れられてる? 本当に? 誰? もしかしてっ。
目を開けたら私を覗き込む死人が笑った。死人の淀みは消えさり、輝く目の奥にマリーの魂を見る。
マリーっ!
喜びのまま抱き付く私をマリーが笑った。
「ごめんね、起こしちゃった」
「ぁ、……マリー」
「ただいま」
溢れ出る涙で返事が出来ない。
「…………っ、も、戻ってこない、かと、……マリーマリーマリー」
「気付いたらこの中にいたの。お守り効果かな?」
「よかった、マリー」
「うん、私も。でも動けないよ、ディラン」
「あ、ああ、動いていい。好きに動いていい」
私の言葉で動けるようになったマリーは、しっかり抱きしめ返してくれた。ただこれだけで嬉しくて、幸福に体が震えた。
「どれくらい経ったの?」
「一週間だ。……マリー、会いたかった」
「お待たせ」
「……次に会えたら言おうと」
腕の中にいるマリーの手を取って、私の額に当てた。深呼吸し、思い切って口を開く。
「マリー、私と一緒にいて欲しい。どうか、私と」
「ディランが死人を用意したらそこに入っちゃうんじゃない?」
「そういう意味じゃない。私は、……マリー、好きなんだ」
マリーが息を飲んだ。
「どうか」
私は懇願する。どうか共にいて欲しいと。どうか私の腕の中に。どうか。
***
私の手を握り、見つめてくるディランの顔は見慣れた顔をしていた。今まで何度も見た顔。死んだ友達がお母さんに作ってもらった人形を眺めていた顔、娼婦たちが情夫を待つ顔、孤児院の子供が親子連れを見る顔、一人きりの夜、タライの水に映った私の顔。寂しい寂しい顔だった。
私を待つあいだどれだけ心細かったのか、ディランの震える手が教えてくれる。私を黙って見つめる、寂しそうなディランをしっかり抱きしめた。
「私も好き」
「っ、……マリー」
震えて泣き出したディランを撫でた。
どうかあなたの寂しさが少しでも慰められますように。あのとき私が欲しかった温かな抱擁になっているといいな。この体は温かくないけど、でもそれでも気持ちだけは伝わりますように。
ディランの腕が私に巻き付き、私を自身へと抱き寄せる。縋り付く強さが愛しく悲しく、気持ちのままディランの頭へ何度も口付けた。
「マリー……、どうか」
「ディランが嫌じゃなかったら」
「……嫌なものか。マリーならなんだっていい」
私たちはしっかり抱き合う。ディランの体は温かく、早い鼓動に愛しさがつのった。
それからは毎日一緒に過ごした。私は出かけられないけど、家の中で穏やかに過ごせれば充分だった。ディランは死人の保存期間を長くするための研究を熱心にしている。
改良した保存魔術のおかげで一体目より長く持った二体目の体が崩れるとき、次も会えるように祈りつつ別れた。無事に三体目の体で目覚めたときは2人で泣いた。
理由はわからないけれど、それからも奇跡的にディランの用意した死人へ移動できている。崩れるたびに別れの恐怖を、目覚めるたびに出会えた喜びに感謝した。
そうして出会いを繰り返し、長い年月を2人で過ごした。
年老いたディランはここ二三日、寝たきりだ。
「私が死んだら術は解ける。マリー、最後までそばにいてくれてありがとう」
「気が早いよ。私が先に死んだのに、ディランが先にいなくなるなんておかしいでしょ」
「はは、そうだな。……マリーがそばにいてくれたから幸せにすごせた」
「魂だけだったけどね」
「それが一番重要なんだ」
「私もディランに会えて幸せ。ずっと幸せだよ。だから元気になって」
「ああ。今夜も見守ってくれるのだろう?」
「そうだよ。ディランの寝顔は見飽きないから。イビキもかくし」
「かかないと言っている」
「ふふ」
2人で笑う幸せな時間を過ごし、眠ってしまったディランの肩まで布団を掛け直した。
安心したような寝顔を眺めていた明け方、寝息がだんだん間遠くなりしばらくして止まった。温かいディランの顔に近づき、息を確かめたけどやっぱり止まってる。
胸が締め付けられる悲しみが湧き上がり、同時に術が解け始め私も体を動かせなくなった。遠のく意識の中で祈りを捧げる。
次に産まれたときは、ディランがみんなに愛されますように。
ねえディラン、今度は生きてるうちに会いたいな。