東への切符#3
ハーミットが壁に寄り掛かって本を読んでいると、何の前触れもなく、部屋の隅で丸くなっていたアーティが上体を起こした。
「おはよう」
「……おはよ」
くぁっとアーティが欠伸をすると、すぐに窓の向こうが白々しくなり、夜明けの遠景が夜の暗幕の奥から浮き上がってきた。
やっぱりアーティの体内時計は、ものすごく正確だ。
「ハーミットは、寝ないの?」
「そうだな……」
コンシャスから数えて、もう何日目だろう。まだ眠気は感じないが、そろそろだろうか。適当なタイミングで寝た方がいいかも知れない。
だが、今は急いで赤レモンだ。
「まだ大丈夫だ」
「……すごいね」
確かに、自分でもタフだと感心する。だが、強健な闘鬼の肉体にも限界があることは、極夜の地で散々教え込まれた。この先も自分を過信することはないだろう。
朝食に昨日の肉の残りと琥珀を食べ、そこからはアーティと手分けして本を探した。
キーワードはエステル薬と赤レモンだ。次点で虚骸、狂戦士も候補になる。これを二人がかりで横断検索していく。
概要を流し読みする程度ではあったが、意味の知れない単語群が次々とハーミットの脳に刻まれていった。そして、作業中にアーティと会話しながら、それらを合わせて少しずつこの地の基本ルールを学んだ。
先日アーティに教わったとおり、この地は東から西へ大地が流れている。しかも、かなりの速度でだ。どうやらこの現象を〈セントラルドグマ〉と呼ぶらしい。このセントラルドグマという単語はアーティも知らなかった様子だった。
東の果てには桃源郷があり、西の果ては誰も知らない。
人里は全て碇石をもって大地に固定されており、これを失った人里は流落し、西に流されていく。
人里は広さによって呼称が異なり、一般は集落と呼ばれ、村か、あるいは小さめの街と言った大きさとなる。これが文化文明を発展させ、一時代を築けるほど規模になると都市と呼ばれる。都市を作り出せるほどの強さを持つ碇石を黎明石と呼ぶ。碇石も黎明石も、どちらも強い力を持った宝石だ。
ヴェルダンの都市コンシャスも、巨人の都市ヌラーゲも、それぞれの時代を代表する都市だった。
「ヌラーゲは、コンシャスが流れ去った跡に出来た都市なんだよ」
コンシャスは最も古き都市とされ、そのコンシャスが去った跡地にヌラーゲが出来た。コンシャスが流れた理由は知られていない――が、ハーミットがヴェルダンから直接聞いた。疫嵐という餓狼の大襲来があったためだ。おそらく、その時に黎明石を一度失ったのだろう。その後、どうして朝焼けを使ってコンシャスを係留し直したのか、その理由は分からない。
そして今、その時代を違えるふたつの都市が、西の果てでぶつかり合っている。
正確なことは不明なものの、コンシャスとヌラーゲの時代には相当な時間差がある。ヌラーゲの詩にはコンシャス一切登場しないのだとアーティは言った。ではどうしてそんなに時間的にも、距離的にも一度は離れたふたつの都市が、こうも綺麗にぶつかるのか。
それはつまりこういうことだ。
都市が流れると、そこに新しい都市が築かれる。
それを繰り返すと、大地の流れによって、段々と都市が東から西に連なっていく。そして西側では、流された都市に新たな碇石を打ち込んで再利用し、新たな都市を築くこともある。結果的に、後から流れてきた都市や集落がそこに衝突することも希にある、ということだ。
やがてこういった営みの末、文化文明の歴史が東西に、おおよそ一直線に並ぶ。
「――こういうのを〈ヒストリーベルト〉っていうんだ。ボクが住んでたカルデサクは、〈意識の歴史帯〉っていうヒストリーベルトの、一番西」
そう言ったアーティは、窓枠に腰掛けて脚をぷらぷらさせながら本に目を落としていた。
――言い換えると、東の果ての街が最も新しく、西の果ての街が最も古い。
そして、アーティの住んでいたカルデサクから東へ行った最東端、桃源郷の手前には、今は〈ガーデンキープ〉という都市があり、それが幾つものヒストリーベルトを束ねる国家〈ロザリアン〉の首都なのだという。
ハーミットは、アーティの集落カルデサクが最西端であるという点が引っかかった。
「ここヌラーゲは、カルデサクよりもずっと西なんだろう? それでもカルデサクが一番西なのか?」
「ボクの集落のすぐ西には、山脈があるんだ。〈限界山脈〉っていう山脈」
ハーミットは山脈という単語に寒気を覚えた。死線を彷徨ったあの山越えの記憶は、未だ鮮明に思い出せる。
「限界山脈を越えて戻った人はいない。だから、カルデサクが最も古くて、もっとも西の集落……ここは、限界山脈を越えた先の地、枯死圏って言われてる」
アーティが暮らしていたカルデサクを含めた限界山脈よりも東の地には、“東に向かうと虚骸に落ちる”という理不尽な現象はないそうだ。
限界山脈の頂上から見た西の地は枯れ果てている。故に枯死圏――おそらくは、そこが境界線なのだ。
限界山脈から西に出てしまうと、この虚骸による移動制限に囚われて東に戻れなくなる。だから、一度でも山を越えた人間は何人たりとも帰って来られない。すなわち、それよりも西の情報を誰も持ち帰れない。歴史が途絶える、あの世とこの世の境界線。それが限界山脈なのだ。
限界山脈を越えると帰って来られないという言い伝えはあるものの、その原因が急性の虚骸にあるという事はアーティ達も知らなかった。それはそうだろうと思う。誰も帰還しなければ、何の情報も得られないのだから。
アーティ達は相当運が良かったとも言える。ヌラーゲという目標があったたがために、中途半端に引き返さなかったことが、一家がこの流れ去った古都に無事辿り着けた一因だろう。
そういったアーティの話を興味深く聞きながら本をめくっていると、段々と意味不明だった言葉の意味も分かってくる。あらゆる本の内容に宝石が現れるのもびっくりだった。アーティ説で言う“宝石ごろごろ”を眉唾で聞いていたハーミットも、もはや受け入れざるを得ない。ここは宝石で煌びやかに彩られた、流れゆく大地なのだ。
数日に渡り、そうやって本棚を調べたが、一向に望みのキーワードは見つからなかった。
本棚の半分ほどを消化し、徐々に寄せてくる不安を振り払うようにハーミットが凝った背中を伸ばしたその時、地震が起きた。
(結構焦るな、これ)
地震が起こる度に一体どれほど流され、地獄に向かって後戻りしているのか。そう考えると、徐々に大口を開けた闇黒という怪物に飲み込まれていくように思え、鼓動が早く打つのだ。
「――これは?」
その時、鍵付きの本が置いてある机の上で寝転んでいたアーティが、むくりと身体を起こして一冊の薄い本を掲げて見せた。それは仮止めした冊子といった感じだった――そんな本、あったっけ?
「どうしたんだ、それ?」
「机の中にあった」
「えっ……そこ?」
机の中というのはノーマークだった。ハーミットも並んで机に腰を掛け、冊子を受け取って見ると、『エステル薬の製法復元に関する一考察』というタイトルが目に飛び込んできた。著者はメランチとなっていた。
「――ビンゴ!」
早速冊子をめくる。簡潔な文体で明瞭に書かれていた。
一通り読み通すと、思いもよらずくじ引きに当選した時のような、晴れやかな鐘の音がハーミットの脳中で鳴り響いた。ハーミットが冊子を掲げて唸る。
「――ぬぉぉ……ナイス! アーティ、ナイスっ! でかしたっ!」
ハーミットが興奮気味に黒髪を乱暴に掻き散らすと、アーティの口元がはっきりと緩んで見えた。
アーティの黒髪は和毛のように柔らかかった。
窓の外は、いつのまにか陽光が薄れつつあった。




