相棒#1
拠点で一晩明かした、次の日。
昨晩、イスの遺体をアーティの寝具で包んでやった後は、ハーミットとアーティはほとんど言葉を交わさなかった。理由はなかった。なんとなくだ。
埋葬は街の外にする。とのことなので、ユーリトの遺骨とイスの遺体を一緒にヌラーゲの城壁の外へ運んだ。ヌラーゲは広い街だ、それだけで半日近くを要した。
イスとユーリトの二人の装備と持ち物は回収し、イスの身体は可能な限り清めた上で二人同じ穴に埋めた。墓は城壁を背に、枯森にかかる付近に作った。
墓標はいらないとアーティは言った。大地に流されていってしまうので、普通、墓標は立てないそうだ。ならばせめてもの手向けにと、ハーミットは自分の白髪を切って墓の上に被せてやった。いつしか、くるぶし付近まで伸びていた後ろ髪だ。今は盛られた土の上で雪が積もったみたいになっている。
アーティが墓前で膝をついて俯いている。今日もほとんど口をきいていない。ハーミットがどれほど言葉を探しても、適切な声のかけ方が思い浮かばなかった。
すると、唐突にアーティが口を開いた。
「虚骸になったら、自分の名前も忘れる……最後には、全部忘れて、空っぽになった身体の、黒い瞳の奥にアミナが閉じ込められてしまうんだって。だから、そうなったらすぐに殺して大地に返してあげないといけないんだ。そうしないと、空っぽの肉体が異形に奪われてしまうから」
饒舌に語り始めたアーティが立ち上がった。視線は墓に向いたままだ。
「お母さんは元々虚骸の気があったんだ。昔、戦い過ぎたせいだって……ヌラーゲから帰れない事が分かった時に、その抑えていた部分が壊れちゃったみたい」
ハーミットは口を挟まずに聞いた。
「お父さんが、虚骸になったお母さんを……そうしようとした時に、ボクがわがまま言ったんだ。一晩だけ待ってって……それで、その夜に、お母さんは月に祝別されて……お父さんはその時、お母さんと戦って、死んじゃった」
アーティは背中に掛けていたイスの弓を二人を埋めた地面に刺した。弦の切れた弓は槍のようにまっすぐになっていた。その弓の先端を見上げるアーティ。
「お父さん、強くないのに。無理するから……」
そう言ってアーティは地面に立った弓を両手で持ち、目を閉じた。
「ここに埋まっているのは、お母さんだった身体を乗っ取った別のなにか……でも、その奥に、お母さんのアミナがまだ残っていたら可哀想だから」
静かにアーティの話を聞いていたハーミットは、アーティが押し黙るのを待って、あの戦いの佳境で感じた違和感を素直に話すことにした。
「あの時……イスは俺からバンダースナッチに狙いを変えた。あれは、イスがお前を守るために狙いを変えた風に、俺には見えたけどな」
「それは……お母さんが異形を優先していたから……」
「イスはな、一流だったぞ」
ハーミットがぴしゃりと言い放つ。
「俺もいろんなところでいろんな連中とやり合ってきたが、その中でもイスは抜群だ。そんなイスがせっかく俺の喉元に突きつけた勝負を決めにいく一撃を、わざわざ外すのは俺の感覚としておかしい」
それは嘘ではなかった。あの時、いくら異形憎しと言えども、ハーミットからターゲットを変えたのは今でも不思議だった。
「まず俺を仕留めて、次にバンダースナッチを攻めればよかったんだ。そうしなかったのは、イスがアーティのことを認識していたから、としか思えないな……それにさ、イスは、お前を狙ってなかったかな。一度も」
かなり都合のいい解釈だ。しかし、真相はもはや確認できない。であるからこそ、生き残ったアーティに都合良く解釈するべきなのだ。
「イスが……ヌラーゲに巣くった異形どもを排除していったのも。罠を張りまくっていたのも。アーティを助けるためだったんだと思うぞ。だってな、異形を殺したいだけなら、今も外にたんまりいるんだ。そっちに行かないで、あらかた片付いたヌラーゲに居座っていたのは、きっとお前を守っていたからなんだろう」
今の段階でハーミットが説明をつけるなら、そういうことになる。これもハーミットの本心だ。別に、そう考えても支障ないだろう。
黙って聞いていたアーティが少しだけ微笑んで見せた。
「――そうだね」
アーティは賢しい。ハーミットが方便を言っていることも、分かっているだろう。
「ありがとう、ハーミット」
「……礼はもういいよ。勘弁してくれ」
お母さんを殺してくれてありがとう、は心に来るものがある。
「埋めるのも、手伝ってもらったから」
そう言いながら、アーティがごそごそと何かを取り出した。
「――これ、約束の」
コンパスはあった。
【荒覇吐】という暴威の中、イスの胸に抱かれていたそれは奇跡的に壊れていなかった。
ただ、何というか――丸くて平べったい。ただの青い石だ。ちょうどオッケーと手の形を作ったときの輪くらいの大きさだ。ハーミットの知っているコンパス像に、これっぽっちも掠っていない。
「お父さんのコンパス。菫青石だよ」
アーティが使い方の説明をしてくれた。
コンパスの使い方は二通りあるという。ひとつは〈二重像法〉と呼ばれる使い方だ。
このコンパス――青くて丸い平たい石―― 菫青石には、片面にカバーがついており、そのカバーには穴が空いている。逆側から覗くと、そのカバーの穴が菫青石に透けて見える状態になり、そのままカバーの穴を地平線に向かってかざすと、穴が二重像となって見えるのだ。
この像はそれぞれ色が異なって見えるので、ふたつの像の色が同じになるように水平に動かして角度を決めると、その方角が東なのだという。
「でも、ここだとその方法は使えないんだ」
アーティが住んでいたカルデサクの付近では、この方法でも東が分かるのだが、この地域では像が二重に見えないらしい。更には、この方法は簡単ではあるものの、いくつか焦点が合う角度が現れるため、その候補を絞る別のヒントと併用する必要があるという。
「……な、なるほど」
ハーミットがぐっと口を引き結んで頷いた。
ぜんっぜん分からないのだが、とりあえず全部聞くことにした。
「だから、ここでは〈四つ葉法〉を使うんだ」
四つ葉法。
カバーの穴を透かして見るという点では、二重像法と同じなのだが、こちらはもっと珍奇な手段だ。
空の中天に向かって、カバーをした菫青石をかざすと、先の方法と同様にふたつの像が見える。この像の色が合うように、くるくるとコンパスを回して角度を合わせたら、カバーを外し、そのままじっと菫青石と、その向こうに透ける空を凝視する。
そして、さっと石を視界から取り除くと、空に“四つ葉”が浮かんで見えるというのだ。
この時点ではてなマークが浮かぶのだが、アーティの説明は続く。
「四枚の葉っぱは、黄色と青色の葉っぱがあるから、その内、黄色の葉っぱが指す方向が東だよ」
絶句だ。ハーミットの知っているコンパスとは何もかもが違った。
ヴェルダンがコンパスは高貴な人が身につけていると言っていたが、なるほど。こういった宝石形態であるのなら納得だ。
とりあえず、ハーミットもやってみることにした。
空に菫青石を掲げると、確かにカバーの穴が二重像となって見え、ふたつの像は色が違う。そこから角度を色々と変えてみると、程なくして、ふたつの像の色が同じになる角度を見つけることに成功した。
そこまでは分かるのだが、カバーを外し、じっと凝視し、それをさっと取り除いても空に四つ葉は現れない――何度やっても見えなかった。
アーティ曰く、四つ葉法は訓練が必要ということだが、そういう問題なのだろうか。二人の目の作りが根本的に異なっている。そういうレベルで見えていない気がする。
その後も目を針のように細めたり、眼球が飛び出すほど力を込めて凝視してみたり、色々と試してみるのだが、目尻が疲労でぴくぴくし始めても引っかかりすら得られなかった。
「はぁ……アーティは? 訓練したのか?」
「うん。お父さんに教えてもらって……一年くらいで見えたけど」
――年単位。ちょっと無理かも。
大地が東に向かって流れているという事実を知った今、一年もここに居ては極夜の地に引きずり込まれてしまう恐れがある。
ハーミットは腕を組んで唸りながらアーティを見た。気だるげな目が、困った感じでハーミットを見返していた。
約束は果たされた。
ハーミットはイスを討ち、アーティはコンパスをハーミットに。
――これで仕舞いだろうか。
昨晩からずっと胸に引っかかっていたことだ。
「……見えそう?」
「……いや、無理そう」
細い身体だ。華奢ではないが、未成熟なのが分かる。アーティは東への旅に付いてこられるのだろうか。
ここから東へ向かえば虚骸に落ちることはアーティも分かっている様子だ。よしんばその点を解決できたとして、ハーミットの過酷な旅に、アーティの身体が耐えられるのか。
ここまでハーミットが経験してきた旅は、地獄の獄卒たる鬼をして、拷問と言わしめるものだった。
朝から晩まで戦い尽くめ。食べられる物は少なく、飲む水もない。身体を横たえる場所も時間もない。四六時中、気が狂いそうになる悍ましい化け物に囲まれて、ひと時も気を抜かずに行くのだ。
それは正真正銘、修羅の道。無理だろう。
それなら、ここに残していくのが良心というものではないか。
しかし――。
「少し練習すれば、見えると思うよ」
「……」
イスという強き保護者を失って、たった独り、アーティはヌラーゲで生きていけるのか。それは肉体的サバイバルの話だけではない。
もはやこの子供には何も残されていないのだ。
好きだという本が沢山あった図書館も、自分が半壊させてしまった。
果たすべき目的も、守るべきものも、求める物もなく、街を離れることもできず、西に流れ去る街にただ独り。異形に囲まれながら死なないために生きる。その先には闇黒しかないことを、ハーミットは知っている。
残されるアーティの心細さは、いかばかりか。籠目なら自決が選択肢に入る。あまりに不憫だ。
その時ふと、ハーミットは見た。こちらを不思議そうに見つめてくるアンニュイな、しかし猛禽のように強く理知的な瞳が、宝石の如き煌めきを発したのを。
子供であるが故の、豊かな弾力と瑞々しい強靭さを秘めたまっさらな生命力が、熾火の如く黒い瞳の奥でひっそりと燻っている。経験や知識という年輪が刻まれた心では容易く潰されてしまう望みなき日々も、アーティは何の躊躇もなく生きるだろう。
この子供は自分と別れた後でも、懸命に生きる。
最後の最後まで諦めず、道ばたの石を食らい、両親が去ったこの古都で長く長く苦しみ抜くのだ。
ヌラーゲを独り、とぼとぼと歩くアーティの姿がまざまざと脳裏に浮かび、胸の奥に熱い憐憫の情が突き刺さった。
「ハーミット?」
まっすぐなアーティの視線が鬼の身体を貫いた。ハーミットのために一生懸命コンパスの使い方を教えてくれようとしている、ひたむきな眼だった。そこに藤色の娘の顔が重なった。
――また置いていくのか。という内なる非難が、心の奥深きところから聞こえてくる。
藤色の娘を断崖に置き去りにした。ヴェルダンも死にゆく街に置き去りにした。今度はこの哀れな子供を置き去りにして、東に行こうとしている。
ハーミットが奥歯を噛みしめると、パキっという音が立った。
自分がアーティを連れて行きたくないのは、責任を負いたくないからだ。
イスのように惨憺たる姿を晒すアーティを想像して、臆病風に吹かれた自分の心を理屈で正当化している。
ハーミットは約束を必ず果たす。できない約束はしない。そして今、できないと欺いているのは、自分自身の心の弱さだ。
必要なのは必ず果たすという決意だった。すなわち、アーティを置いて行く理由を並べ立てる酷薄なエゴを押し切る、人としての矜持だ。
食事がなければ自分が餓狼を仕留めてやればいい。水がなければ自分が山に登って雪を取ってくればいい。異形どもの急襲は全て自分が跳ね返せばいい。夜だって、最悪自分が一晩中おぶってやればいい。
自分がアーティを守り通せばいいだけの話だ。
ハーミットは強いて笑顔を作った。そして、きょとんとしているアーティに向かって言う。
「アーティ、俺と一緒に来てくれ。東へ行こう」
アーティはぴくりとして、すぐに首を横に振った。




