コンパスを求めて#2
ハーミットは夜までの時間を新市街の徘徊に費やすことにした。結局、全ての建造物が大きかった。建造物は一つひとつの構造からして大きく、全て茅色のコンクリート造りだった。あらゆる街のパーツが大きく、見通しが効かないせいで壮大な迷路に放り込まれたような気分になった。
試しに手近な家にお邪魔してみたところ、椅子や机などは躯体と一体化したコンクリ製となって残されていた。椅子の座面はハーミットの腰高にあり、テーブルは目線の高さにあった。造作の棚なども似たような感じだった。その棚には大きな硝子製のコップなども残されていた。どれもビール大ジョッキ並みの大きさだ。その一方で、どの家にも寝具の類いがないのは不思議だった。身体を横たえられる清潔な場所を希望していたハーミットは、少しだけがっかりした。
これだけの状況証拠が揃っていれば、自然とこの街の主がどんな姿が見えてくる。
一方で、ハーミットをいい意味で驚かせたてくれたのが新市街の水の豊富さだった。この街、やたらと噴水や水場が目に留まるのだ。今も街を歩くハーミットの周りには、水を勢いよく吐き出す噴水付きの池がそこら中に見えている。どの池の水も澄んでいて、試しに口に含んでも、驚いたことに普通の水だった。清潔な口当たりにしばし呆気にとられてしまった。
十分飲める水が飲み切れないほどある。たったそれだけのことに、ハーミットは目眩を起こしそうになるほどのショックを受けた。
大体、家にはひとつ噴水付きの池がある。一家にひとつ、プール付きだ。それだけではない。道ばたにも野良の噴水付きの池が結構ある。セレブな街だ。“ある一点”を除いては、リゾート地と言っていい雰囲気すら感じる。
ハーミットがちょっとした観光気分で無人の街を歩いていくと、興味深い街の造形物が目に留まった。花の造形物だ。三つの大きな花を中心に、数多くの花が集合したオブジェ。それが総硝子作りとなっており、非常に麗しい出来栄えがハーミットの好奇心をがっちり掴んだ。思わずそれに向かって視線が上がり――カチリ、という不穏な音が足元から聞こえ、はっとして弾かれたようにハーミットが飛び退くと、どこからともなく矢が飛来してタタタっと三連続で脇の壁に突き刺さった。
この街のセレブな雰囲気と全く噛み合っていないのが、この罠の多さだ。ちなみに、ハーミットは既に二回ほど罠に嵌まっている。矢の罠と壁崩しだった。ご丁寧にも、矢には効果不明の毒が塗られ、崩落する壁の足元にはトラバサミが併設されていた。
罠の密度は高くないが、こう、何というか、上手い。思わず視線が逸れる場所、足を止める場所、角を曲がる際に自然と通るルート。そういった要所に効果的に配置されているようだった。そして、ハーミットは看破の能力を持たないため、見事全てに引っかかる。それを身体能力と反射神経で何とか捌いているという状況だった。
幸か不幸か、極夜の地で死角からの急襲に慣れ切ってしまっていたハーミットは、罠の不意打ちにも、さほど動揺せずに対処できた。
そしてついに、何本かの道が交差する広場にあった池の中で座る虚骸第一号を見つけた。
でかい。それはハーミットの倍くらいの背丈を持つ、のっぺりとした、丸みを帯びた体躯の巨人だった。体表はつるつるしていて、濃いねずみ色だ。一際目を引いたのが頸部だった。大きな頭を支える首が異様に太く、くびれがない。口は大きく、頭部の端まで裂けていて、半開きになった口には鋭い歯が生えそろって覗いていた。その奥にはピンク色の舌がちろりと見えている。口は恐ろしげだか、瞳は小さくてつぶらだった。ただし、眼球は黒く塗りつぶされている。そんな巨人がなぜか噴水の下で、つるっと禿げた頭から水を浴びてうずくまり、ずぶ濡れになっていた。
それにしても首が太すぎる。明らかにホモサピエンスではない。首がない種族なのだろうか。
重瞳の幼女然り、ヴェルダン然り。話せる人間がいることは事実なのだ。ハーミットはここからは片っ端から話しかけてみる所存だ。静かに池の縁まで歩み寄るなり、ハーミットは静かに深呼吸してから、声をかける。
「……もしもーし?」
ハーミットの呼びかけに、巨人は答えなかった。手を目の前で振ってみても反応は無かった。こうして巨人とのファーストコンタクトは空振りに終わった。
何かを早口でぶつぶつと呟いている声は聞こえているのだ。狂呟なのだろう。一方で、口はゆっくりと薄く開閉を繰り返している――声と口の動きが合っていない。
そのちぐはぐな様子に違和感を覚え、ハーミットはじっくり観察を続けた。そしてすぐに巨人の声は口から発せられていない、ということに気が付いた。裏に回ってみると、首の裏にひとつの穴が空いていて、どうやらそこから音が漏れているようだった。
「えぇ……」
ハーミットは困惑するほかなかった。この身体の構造はちょっと怖い。
途端、この巨人がやばい身体改造手術を受けて、それに失敗し、身体が大きくなった代わりに廃人になってしまった人間だ、という妄想が湧いてきた。彼に首がないのは、改造の結果、超人的なマッチョを手に入れたせいだと思えたのだ。
「これは……だめそうだな」
ハーミットは諦めてその場を離れた。
他にも虚骸を何体も見たが、体表の色や模様が異なる以外は、皆同じような特徴の巨人だった。
コンシャスからずっと聞かされている呟きの数々は、懇願の手合いが多い。殺す、殺してくれはその最たる物。何かをよこせ、あれは俺のだ、それはずるい、あいつは許さないなどの心情解放系。何某は誰々と通じている、俺はお隣の奥さんと不倫しているなどの秘密吐露系。あいつはハゲだ、あいつは勃たないなどの心なき告発系。中には好きだ、愛してるなどの告白系もある。
そういった心に秘めた何かを吐き出す者達の他にも、今日の献立、天気、明日の予定、旅行先などの世間話系がいる。おかあさん、おとうさん等を連呼する幼稚系などは、比較的数が少ない変わり種だ。
そんな混沌たる情報を遠慮なく押し付けられ続ければ、辟易もする。
コンシャスはまだよかった。ヴェルダンと話していればよかったのだ。こうして再び独りになってみると、聞きたくもない話を周りでぶつぶつ呟かれる状況というのは、殊の外フラストレーションが溜まる。
ハーミットはできるだけ自分も適当な独り言を呟くことで、周囲の音を上書きしながら足早に歩を進めた。その後も虚骸を多く見かけたが、いずれも話ができる状態ではなかった。
半日近くの探索の結果、迷路のように入り組んで思えたこの新市街も、その実、単純な構造であることが知れた。この新市街の道は、中心にある巨大な城を中心に放射状に延びていた。その城の第一印象は巨大な塔だった。実際は基礎部分が円筒形にせせり立った寸同型の岩壁の上に築かれた城で、街のどこからでも見えて非常に目立っていた。
思い返せば、竪穴の底の廃墟も、コンシャスも、こういった放射状に道が伸びた街だった。この形はこの地の常套なのだろう。
なんにせよ、今日はあの城までは行かない。もう夜が近いからだ。
こうして初日の観光は何の成果もなく、またしても独りの夜がやって来た。
その晩、ハーミットは虚骸がいないか念入りに調べた上で、比較的手狭な家に上がり込んだ。他の家はどれも広すぎて落ち着かないので、小さめなこの家で夜を明かすことにしたのだ。コンクリ造りの部屋の中は、湿気が溜まって少しカビ臭かった。
ハーミットは火を起こそうと暖炉らしき場所に近付いた。しかし、ハーミットは火を起こす道具を何ひとつ持っていなかった。それどころか燃料ひとつないことに思い至り、愕然とした直後に陽光は途切れてしまった。
幸いなことに、コンシャスと同じく街灯が生きていたようで、周囲が暗くなると自然にそれらが灯ってくれた。これならば夜でもこの新市街をうろつくことが可能だろうと思えるほどに道は明るく照らされていた。
そして今、ハーミットは二階の部屋で、壁脇に造作されたコンクリ製の机の上で壁に背中を預け、両脚を抱えている。机といっても、ハーミットからすればベッドほどの大きさがあるのだが、その上で横になる気分にはならなかった。夜になった途端どきどきと動悸が始まって、背中に汗が滴り、胸元から熱気が上って顔が火照るのだ。それはすっかり身体に刻み込まれてしまった、夜の闇黒に対する警戒反応だった。この興奮状態ではとても寝られそうにない。
今晩くらいは寝なくても平気だろう。これまでの逃避行で、ハーミットは自分がぶっ通しで五日ほどなら起きていられるという事実を否応なしに確認させられていた。ハーミットは今朝起きたばかりだ。まだまだ余裕はある。今夜は起きて過ごせばいい。ひと晩中立ったまま首と頭をガードして過ごす夜に比べれば、座っていられる分、ここは断然マシだと思えた。水だって思う存分飲めた。思えばこんなに静かに迎える夜は初めてだった。
ハーミットが寄りかかった壁のすぐ横には窓があった。街灯の明かりが部屋に侵入してきて、薄らと青白く内部の壁を照らしてくれている。窓枠には硝子がはまっておらず、代わりにくずくずになった木片がこびりついていた。窓枠だけではない。この街の建物は玄関ドアを始めとした木製の内装が全て朽ちていて、まともな物資は残っていなかった。一体どれほどの時間放置されていたというのだろうか。
しんとした部屋の壁に背中を預け、顔だけを回して窓の外を覗いた。静まりかえった新市街の道には、歩いている人影はおろか、魍魎も餓狼も見当たらない。物音ひとつしなかった。しかしハーミットはその静けさを信用していない。あの明かりが届かぬ暗がりの奥では、きっと異形どもが跳梁しているに違いない。
今日はこの新市街で餓狼も魍魎も見かけなかった。餓狼は虚骸も襲うらしく、虚骸を放置すると餓狼が寄ってきてしまうとヴェルダンに教わった。にもかかわらず、なぜこの新市街には餓狼がいないのだろうか。確実な食料となりえる餓狼がいないのならば、見かけ次第狩って食べた方がいいのかも知れない。
そういえば、ヴェルダンはコンシャスには魍魎が入れないと言っていた。それはどこまで有効なのだろう。この新市街には魍魎がいるのだろうか。ここはまだコンシャスに近い側だから、魍魎がいないだけなのかも知れない。中央の城の付近は異形どもがまた現れると考えた方がよさそうだ。
――城。
この日、新市街でコンパスは見かけなかった。ヴェルダンは急げと言っていたが、どれほど時間が残されているか。今日の徘徊の結果、新市街は相当広い街だということが分かった。当たりをつけずに歩き回って探すのは無理だろう。となれば、やはり、あの城に行くしかない。コンパスは高貴な人物が持っている可能性が高いのだから。
明日はあの城に行ってみよう。城なら何か資料が残っている可能性もある。ひょっとすると、ヴェルダンのような誰かが残っているかも知れない。
コンパスを持っている誰か――自分の傍らに立ってくれる誰か。
そういえば、昼間見かけた白髪の女の口元は赤くなかった。血噛みではないということだ。虚骸にしては動きがすばやい。妖怪の類いか。あるいは――正気なのか。
――あの女は、巨人ではなかった。
ハーミットは女と目があった時の直感を思い返しながら、街灯の仄灯りに照らされた夜の街を窓際からぼんやり眺めた。激動の一日を振り返り、深い思考に耽りながら独りの夜が過ぎていく。




