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彷徨い尽きる#4


 わずかな睨み合いの後、時間的な猶予のないハーミットが先に動いた。かたや迎え撃つ門番は槍を腰だめに構える。いよいよ、あと十歩の距離まで接近した時、ハーミットの胸に向けてきらりと直線が閃いた。ハーミットの身長を超える長大な槍が、一文字に突き出されたのだ。想定を遙かに超えて洗練されたその突きが、半身(はんみ)をひねって対処したハーミットの鎖骨をゴリっと削った。


 その初撃をやり過ごしたハーミットの一抹の良識が、門番に向かって一喝する。


「どけっ!」


 怒気を孕んだ警告が叩きつけられたが、門番の(かたく)なな敵意には届かなかった。門番は全身を駆使して槍を引き戻すと、その勢いを使って身体を半回転し、ハーミットに背を向けた姿勢で脇の下から石突(いしつ)きを打ち出してくる。


 ハーミットはそれを右腕で受けようとした。


 懲罰的な幻肢(げんし)痛が全身を駆け巡った。


 思わぬ激痛に筋肉が硬直して動きが止まった。その隙に、石突きがハーミットの腹を強打すると、口から胃が飛び出すような衝撃が(ほとばし)って呼吸が絞られた。ハーミットは呻き声を漏らしつつも両脚を踏ん張って姿勢を保った。


 二人は最接近して停止した。


 足を止めたハーミットは近くで門番の全容を見て理解した。それは黄色い餓狼硝子で出来た全身甲冑だった。門番はレモン色の透き通った鎧を身にまとい、頭部も同様な素材のフルフェイスで覆われていた。顔は確認できないが人間だろう。先ほどの突きや、今の動きには研鑽(けんさん)を積んだ熟達者の妙技があった。


 門番は石突きをハーミットに押し付けながら、ゆっくりと頭だけでハーミットを振り返った。フルフェイスの目元にはスリットがあり、口元には多数のパンチ穴が空いていた。そのパンチ穴からは真っ赤な液体が吹き零れた跡があり、美しい兜の顎を汚していた。


 ――まともじゃない。


 この状況――雲をつくザトウムシの魍魎や、ハーミットの腕を引き抜いた羅刹を初めとする餓狼どもが迫り、遠くからバンダースナッチの足音が聞こえているこの状況で、仮にも人の姿をして丁寧に話しかけている自分に攻撃してくるならば、この門番と分かり合える余地はないだろう。


「邪魔するなら、潰すぞ……っ! どけよ!!」


 右腕からの流血が深刻だ。頼みの綱の八房も、腕ごとひとつ紛失した。背後には無慈悲な追跡者たちがすぐそこまで寄せており、もう陽光が失われかけている。人間かどうかも不明な門番とコミュニケーションを取るという余裕は、ハーミットに残されていなかった。


 ハーミットの腹を押していた石突きの圧力がふっと消えた。門番が柄を握る手を穂先に滑らせて槍を短く持つと、振り向きざまに身体のひねりを加えて斜め下から切り上げる。ハーミットは顔を後方にわずかにそらした。顎を狙った刃がうなりを上げて空気を切り裂き、ぴっと顎が裂けて数滴の血が尾を引いた。前髪もばっさりと切り裂かれていた。ハーミットの顔から表情が消えた。


「――上等だ」


 門番が振り上げた槍を頭上で風車のように回す。


 それを見たハーミットが腰を落として思い切り石畳を靴底(アンヴィル)で踏み抜くと、近接した二人の足元が陥没し、門番の体勢が崩れた。それでも強引に薙ぎ降ろされた槍の切っ先をくぐり抜けて詰め寄ったハーミットが、門番の懐に潜り込む形となる。


 そのまま奥襟(おくえり)に左手を伸ばし、ハーミットが門番を抱え込んだ。引き換えに、解放された右腕の血管から勢いよく血潮が吹き出した。


 全身を冷する寒気の中、門番の首を引き込んで肉薄したハーミットが、全身全霊の力を込めて膝頭(ジョーブレイカー)を門番の腹部めがけて叩き込む。大太鼓を打つ音に、無数の鉄筋が床に落ちたようなガシャアっというど派手な音が重なった。破壊の衝撃が門番の身体を突き抜けると、甲冑の腹部が砕けて、レモン色の破片がキラキラと飛び散った。


 呻き声ひとつ上げない門番は、躊躇(ちゅうちょ)なく槍から手を離すと、どこからともなく取り出した七色に光る懐剣(かいけん)を振り上げ、ハーミットの背中に逆に抱きつくようにしてそれを突き立てた。


 この反撃は闘衣によって阻まれる――はずだった。


 ハーミットの楽観は背中から全身に走ったぞわりとする悪寒によって裏切られた。門番の刃は闘衣を、皮膚を、そして肉を裂き、肋骨の隙間まで到達して骨に当たって止まっていた。その一刺しは正確に心臓を狙ったものだったが、ハーミットが反射的に身をひねったため、肺胞(はいほう)の幾つかを切るに止まった。ハーミットの食いしばった歯の隙間から血が零れた。


 その門番の一手と引き換えに、ハーミットは前蹴りで門番の身体を押して適切な間合いを作り出すと、よろめいた門番に向かって容赦なく鬼の剛脚(セイバーソウ)を振り上げた。脚甲の爪先が残酷な光彩を垂直に描き出すと、それは不可視の超振動ブレードとして顕在化し、煌めく甲冑をバターの如く切り裂いた。


 甲高い音と共に股下から頭部に向かってぱっくりと傷を負った門番が大きく仰け反る。ハーミットは無防備となったその胸めがけて、天に掲げていた(ハンマー)を打ち下ろすと、門番の身体をクレーターに沈めた。


 その直後、ハーミットは前方に向かって背中から激しく押された。グキリという不快な音が背骨を伝わって三半規管を揺らした。完全に不意を突かれた一撃にガードも受け身も取れず、倒れ伏した門番を飛び越して、門の前まで石畳の上を何度も転がることになった。


 ザトウムシの魍魎が、城壁を一歩で踏み越えられそうな長い脚で、ハーミットを背中から蹴りつけたのだ。細く見えるその脚は、しかし巨体を支えるのに十分な強度と重量を備えており、それはもはや鉄骨でフルスイングされたようなものだった。


 止めどなく血液が流れ出す右腕を握り直し、目眩(めまい)をこらえて膝立ちになったハーミットは、橋の向こうから輝くトリケラトプスがザトウムシの脚を弾き飛ばして突進してくるのを、ぼやけた視界に捉えていた。


 すぐに街に逃げ込むべきだったが、過度に分泌されたアドレナリンが彼の正常な判断を奪った。


(この橋ごと……何もかも、まとめて……吹き飛ばすしかない)


 ハーミットが、偶然にも橋を渡りきったという“地の利”を活かそうと、己のダメージを無視して【魄食言霊(たまはみことだま)】の発動とヘビーアーセナル・スキルの使用を決意した。その時、ハーミットは慮外(りょがい)の光景に戸惑った。クレーターに沈んだはずの門番が、その上を通過した輝くトリケラトプスの腹を虹色の懐剣で貫いたのだ。


 羅刹は超強靱(アーマー)を活かしてそれを無視し、ハーミットへ向かってぶちかましを断行する。しかし門番は羅刹の腹に張り付いて、装甲の薄い腹下から何度も繰り返し懐剣で刺し続けていた。たまらず羅刹はターゲットを変更したようで、図太い声を上げながら突進をキャンセルすると、ハーミットの目の前で腹に取り付いた門番に難儀(なんぎ)し始めた。


 身体が自然と動いた。


 目の前でドタバタと暴れ回る輝くトリケラトプスの腹にそっと右脚の靴底を押し付けると、ハーミットの身体に残っていた闘魂が瞬間的に燃え上がった。


 体内をめぐる全アドレナリンが血流と共に右脚に収束し、ガコンという何かがはまった音が骨に響いた。その瞬間、全身の筋肉が膨張してミシリと張り詰め、足の裏に圧縮装填された純粋な力の真髄が、丹田で爆発した闘気の奔流に押し出された。


 そして、大爆発が起こった。


 大口径艦載砲(ブロードキャリバー)と化したハーミットの右脚から放射された破滅的な衝撃が、一拍の間に前方に向けて膨らむと、その破壊の境界面に触れた石材がひしゃげ、全て内部から爆ぜてその場で砕け散った。ほとんど同時に、球状に広がった衝撃波の爆心地、ハーミットの足裏から高密度の力の噴流(ジェット)徹甲弾(てっこうだん)となって一直線に石橋を走り抜け、その上にいた異形ども全てを薙ぎ払って奥の森を穿ち、キノコの密林にぽっかりと大穴を残した。


 天を揺るがす大音響が収まった時、ハーミット側の石橋は崩落し、不可視の砲弾が駆け抜けた跡には水蒸気化した空気が残されていた。


 脚をもがれたザトウムシの魍魎どもが、鉄塔が崩れるようにゆっくりと石橋の上で倒れていき、堀に着水して三つの高い水柱(みずばしら)を上げた。


 それを見届けたハーミットの右脚は、技の反動を受け止めて闘衣の下でおびただしい血を吹いていた。


 【ブロードキャリバー】はハーミットが扱える技の中で、単発の威力では最も高い威力を誇るヘビーアーセナル・スキル――文字通り主砲だ。非常に難しい発動条件があるが、ひとたび放たれたこの一撃を受けて無事だった存在には、未だ出会った事がない。ブレカートの真骨頂のひとつだ。


 ハーミットの期待通り、石橋は砕け、直撃を受けた輝くトリケラトプスは煌めく肉片と化した。門番は上から爆圧を受けて半身を地面に(うず)めている。石橋の上にいた追撃者もまとめて始末できた。残念ながら、バンダースナッチは巻き込めなかったようだった。あの汽笛の音が未だに森の奥から聞こえている。


 信じられないことに、ハーミットはこの局面で泥沼に引きずり込まれるような、(あらが)いがたい眠気に苛まれていた。それは、深刻な寝不足のせいなのか、死にかけているせいなのか。ぐわんぐわんと回り始めた視界と、脳の柔らかい組織を内側から(のこぎり)()かれるような頭痛の中。ハーミットは悪心(おしん)を飲み込んで振り返り、門の奥、ぼんやりとした街灯が照らす道の先、街の中にふらりと足を向けた。


「ふー」


 とにかく逃げて身を隠す。その無意識の誘導に従って一歩前に踏み出し、あえなく身体は脳の制御を失った。バッテリーが切れたように全身の力が抜け、右膝が崩れ落ち、顔面から地面に倒れ込む。


「ぶふぅぅ……」


 口から血泡を吹きつつ懸命に呼吸を繋いで喘ぐハーミットが意識を失う間際、道の奥のひっそりとした暗がりから、人影が、そのシルエットには不釣り合いに大きな獲物を肩に担いで歩いてくるのが見えた。恐るべき羅刹の歩みを彷彿とさせる振動が、地面に押し付けられたハーミットの顔に伝わってくる。


(――玉虫、ね……)


 胸中で重瞳の幼女の言葉を思い返した。


 その人影が点々とする街灯の下をくぐる度に、体表面のつるりとした光沢の上で複雑な色彩の波紋が広がった。流麗(りゅうれい)で見事な全身甲冑の緑の素地に、油膜が張ったような光のスペクトルが止めどなく這い回っている。


 それは確かに“たまむしのきし”だった。


 アドレナリンの過剰分泌で幻覚を見ているのだろうか。数多(あまた)領界(りょうかい)を旅したハーミットも見たことがない鎧だった。


 その“玉虫の騎士”の威容を見た直後、ハーミットの意識はぷっつりと途絶えた。




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