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寄る辺なく#1


 あれからどれ程の時間、殺意の中を藻掻(もが)き続けているのか。


 呆れるほど紙一重の逃避行だった。


 異形どもの包囲を崩し、その突破口に身を躍らせては、死角からの飛び掛かる異形を叩き伏せて置き去りにした。目についた餓狼に殴りかかり、アドレナリンの足しにして通り魔の如く走り去った。その(つじ)行為が上手くいかず、異形どもに組み付かれる失態も犯したが、なり振り構わず滅茶苦茶に技を放って道をこじ開けた。


 幾百となくこのリズムを繰り返す中、数え切れない光景を駆け抜けた。


 底の見えない地割れ。天を衝く奇岩群。だだっ広い窪地の中にある人工物とも自然造形とも言えぬ構造体。禿げた丘陵に建つ山よりも大きな謎の円盤状の塊。ヘドロの泉に架かった橋とも倒れたビルともつかぬ何か。


 きらきらとしたクレーターも数多く見た。クレーターの中心には大抵何かがあった。武具だけでなく、様々な物品があった。幸い、あの黒い恐竜はそれ以降見ていない。


 あの瑠璃のオベリスクに酷似した残骸も数回見た。しかし、そこに祈る者はいなかった。


 その全てに異形どもがひしめき、幾度となく難局に陥っては闘鬼の身体とブレカートの技で活路をこじ開けた。その道のりはハーミットの心身を酷く痛めつけた。下半身を重点的に防御するあまり、それ以外の部位の扱いが(おろそ)かになった。それでも足だけは止めなかった。


 代わり映えのしない枯森の光景が繰り返され、今やハーミットの命はすり切れかかっており、そんな彼の脳裏には晴れることのない差し迫った疑問がひとつ。


 ――太陽が昇る気配が一向にない。


 あまつさえ、陽光が陰り始めているではないか。これは一体どういうことなのか。


「――待った、待った待った」


 徐々に暗くなり始めた森の様子に、ハーミットのぼろぼろになった顔に焦りの色が浮いた。


 頭上から降ってきた小柄な魍魎を蹴り飛ばし、付近の餓狼になすり付けてから、上がり始めた息を整えるため両膝に手を置いて立ち止まった。こうして状況が許せば、なすり付けを敢行(かんこう)して息継ぎしているが、体力よりも受けているダメージの方が深刻だった。その苦しみはアドレナリンをもってしても抑え切れなくなりつつある。更には脈拍に合わせて側頭部が割れるように痛み、吐き気すら(もよお)していた。もはや歩くことすら億劫(おっくう)だった。


 バンダースナッチに受けた火傷(やけど)が未だに回復していない。断崖で八房を呼びつけた時に負った痛酷は“総生命力の二割”にあたり、筋肉痛のようになって後を引いていた。おまけに、一日中蓄積し続けた裂傷や打撲は(はなは)だしく、一部は骨折にまで至っており、もはや自分の生命力はレッドゾーンに差し掛かっていてもおかしくはない。


 特にハーミットの車輪であり、武器でもある下半身に深刻な怪我を負うことは、この状況では死に直結する。今はまだ首の皮一枚で繋がっている感があるが、このまま襲われ続ければ時間の問題だろうと思われた。


 ゆっくりと落ち着く時間さえ得られれば、この闘鬼の身体は修復を開始するはずだ。だがその時間が与えてもらえない。


 過去、自身が挑んだ悪夢のような領界(りょうかい)――魔境の中にも、ここまで苛烈な難関には覚えがない。四六時中、意味不明な敵に囲まれ、掴まらないように立ち回り、奇襲に神経をとがらせて走り続けるというのは、精神的に来るものがあった。


 そしてここに来て、東に暗幕が降りはじめた。周囲が暗くなるに従ってハーミットの心も追い詰められていった。


「まずいな……それはまずいって!」


 ――陽が落ちたのならば、この異形どもは大人しくなるのだろうか。夜はむしろ、魍魎のホームグラウンドだという予感がする。


 視界を奪われた中で、あの戦闘的な異形どもに襲われれば、ひとたまりもないだろう。ハーミットは空気の流れで気配を感じるだの、音で位置を知るだの、暗視だのと、そういった特技は一切持ち合わせていないのだから。


 暗闇の中、自分の身に何が起こるのか想像したくもなかった。鬼畜魔境を疾駆する途中で見かけた戦慄の光景の数々がフラッシュバックする。


 ハーミットは暗澹(あんたん)たる思いを胸に身を隠せる場所を探した。だが必死の努力も虚しく、輪郭がぼやけ始めた景色には枯木と色硝子以外何もなかった。あの暗紫色の月が出ないか期待もしたが、空はどす黒く染まっていて何も見えない。


 ゆっくりと、東の陽光が(かげ)っていく


 きょときょと首を振るハーミットは、不意に、木々の向こうに不自然に盛り上がった小山の影を見つけた。ちょっとした小屋の大きさだった。


「……?」


 何でもいいから隠れられる場所を求め、そこに近づいていくと、やがて小山の不気味な様子が明らかになった。


 その場に山になって大量に積み上がっているのは巨大な虫の死骸と、たぶん骨だ。


 虫の死骸はあの断崖で見たものによく似ている大きさだった。それよりも特筆すべきは骨だろう。


 何の骨かは判別がつかなかったが、ちゃんと頭蓋骨もある。人間かも知れないが、牙が見えたりもしており、頭蓋骨の形も少し違うように思えた。餓狼の骨にしては小さい。別の生物の、人間でもない――なんだろうか? それが本当に動物の骨なのかすらハーミットには断言できなかった。


 積み上げられた骨には更に特徴があり、それは大別して二種類あった。真っ黒に燃え尽きた炭のような骨と、もうひとつは白く輝く骨だ。


 炭のような骨は火葬されたものかと一瞬思った。しかし、よく考えると骨は焼いても黒くはならない。


 一方、白い骨は複雑に原色の輝きをまとっている。薄れた陽光の下では分かりにくいが、森に差し込む光を受けて複雑に光っている。ラメ入りの骨、と表現すれば近い。よく見ると、色も白濁した半透明だった。この輝き方に、ハーミットの苦い記憶が(よみがえ)った。あの黒い恐竜の骨の光り方にそっくりだった。ただし、恐竜の骨のベースは黒だった事に対し、目の前に積み上がっている無数の骨は白がベースカラーとなっていることが決定的に違っていた。


「まさか、動き出さないよな……」


 それら二種類の骨と、虫の死骸が混然と折り重なって小屋ほどの大きさの小山となっていた。野蛮な見せしめ行為だろうか。魍魎どもの仕業かも知れない。やつらは死角に餓狼を引きずり込んでいく。同じように引きずり込まれた犠牲者たちのなれの果て、という可能性はあった。


 いよいよ周囲の明るさが抜き差しならないレベルになっていた。ちょっと骨について考えている時間がない。


 あの骨の山が動き出さないことを祈りつつ、せめて背中だけでもと思い、用心深く周りを見回しながら近くの枯木に背中を預けた。ハーミットはこれから始まる寄る()ない(よい)の備えをどうするべきかと必死に考え続けた。


 せめて焚き火さえできればと思った。枯木を集めて石を叩き、火を作るべきかも知れない。この硝子は叩いたら火花が散ってくれるだろうか。


 ほどなくして夜の(とばり)は降りた。ふっと、呆気なく。電灯のフィラメントが切れたように。


 異形どもの争う音も、地面の振動もぱたりと止んだ。視覚も聴覚も一瞬で途切れたその瞬間は、まるで辺り一帯が墨汁の海に沈んでしまったかのように濃密だった。自分の心臓が打つ速い鼓動だけがやけに(うるさ)く耳に響く中、肩に黒い重みさえ感じる。


 不意にぞっとして肩を振り払ったが、特に何もなかった。やや間抜けな感じだったが、本当に魍魎が肩に乗ってくる可能性もあるのだから笑えない。


 (いささ)か挙動不審になる中、少し離れたところの地面がスポットライトで照らされた様にぽっかりと浮かび上がった。


 断崖にごろごろ落ちていた光る石――きっとあの石があるのだ。あの崖には薄っすら枯森を見渡せるほど落ちていたが、今は片手で数えるほどしか見えていない。


 これは渡りに船。と、ハーミットが光源に向かって一歩前に出た時、スポットライトの中に一匹の餓狼が踏み入った。下から照らされたその姿は幽鬼の如く虚ろだった。餓狼の白い身体が半分ほど明かりの枠に入った。その瞬間、無数の針がその身体から生えた。何かの液体がハーミットの手に飛んできて、その冷たい感触に身体がぴくりと反応した。


 ハーミットが呆気(あっけ)に取られていると、別の餓狼どもがスポットライトを横切って奥に飛び込んで闇に消えていった。けたたましい咆吼が幾つも上がり、枯木を揺らす音と振動が闇の向こう側で暴れ始めた。


 暗中で行われる闘争の最中にパキリと甲高い音が鳴ると、スポットライトはふっと消えてしまった。光が失われた後も肉がぶつかる音と振動が続いたが、やがてそれも消えてしまった。ちらほらと夜の森に浮かんでいたスポットライト空間、その全てで同じ惨劇が起こった様子で、いつしかハーミットの視界は完全な暗闇に閉ざされていた。


 ハーミットは黙って再び後ろの枯木に背中を寄せ掛けた。口の中が渇いていた。緊張だろうか、はたまた一日中何も口にしていないせいだろうか。どうやら、この夜における光源は、真夏の街灯のように異形どもを引き寄せ、その闘争心に火を着けてしまうようだった。


 コツンと後頭部を背後の幹に当て、闇黒の中を仰いだ。


「――ふふっ」


 もう笑うしかなかった。


 初っ端から容赦ない夜の舞台を見せつけられ、逆に達観(たっかん)して気が抜けたハーミット。身体に何かが触れれば即座に反撃できるよう全身の神経を尖らせ、じっと周囲を警戒した。


 ――何も見えない。


 雨戸を閉め切った部屋の押し入れの中で布団を被ってもこうはなるまい。


 右手を上げてみても、見えない。その手を鼻に当ててみても、見えない。空には星ひとつない。一切の光源が存在しない。三半規管すら侵されていく、完全なる、どす黒い、闇だ。


 ところが音は聞こえる。


 主に地面の方から、ズルズル、カサカサと這い回る音。コツコツ、カリカリと脚甲(やつふさ)を引っ掻く音。


 ハーミットは今この時、八房を身に付けている事実に心の底から感謝した。八房は金属製だ。最硬金属ガルボルンで出来ている。神ですら破壊できない漆黒の脚甲。その如何(いか)なる悪意をも通さない黒鉄(くろがね)の城壁に囲まれている安心感に身を浸し、ただ自分の聴覚と触覚を研ぎ澄ました。


 闇黒の中、僅かな身じろぎさえも全身を(ほとばし)る痛みとなった。気を使っていたはずの下半身にも部分的に痺れる感覚があった。未だ部位破損には至っていないが、あのペースで技を出し続けたら危なかっただろう。


 ハーミットが修めるブレカートは武器を使わない。暴力という単純明快な力を具現化し、肉体を武器と成して敵対者を粉砕することを(むね)とする。それ故に、戦闘中に武具の損耗を気にする必要はなかったが、その代わりに肉体そのものがリミッターになっている。ブレカートは技を放つ度に、反動として己の肉体にダメージが蓄積してしまうのだ。


 ダメージの蓄積が閾値(しきいち)を超えると、骨折や筋断裂、欠損といった形で部位破損が起こる。つまり技を無計画に出し続けると、やがてその部位は役に立たなくなる。


 強大な技には重大な反動がある。


 技の反動はその威力に比例しており、基底クラスのアーセナル・スキル、上位のマシンアーセナル・スキル、そして最上位のヘビーアーセナル・スキルの順に威力も反動も大きい。ヘビーアーセナルの技ともなると、万全の状態からでも二、三発で四肢が破壊されてしまうほどだ。


 無敵は実現不可能。それが世の(ことわり)だった。だからチームを組み、無欠の一団となって戦いに挑む。ハーミットもそうだ。自分一人で戦い抜くには、あまりに欠点が多すぎる。


 通常、味方に肉体強化の付与(エンチャント)を貰うか、あるは部位破損したら即座に回復してもらうなど、サポートを得ることでようやくハーミットは全力を出して継戦できる。それを前提に集団構成(チームビルド)を組むことで、初めてヘビーアーセナル・スキルは真価を発揮するのだ。しかし、今の置かれた状況だとヘビーアーセナル・スキルは使えない。技を放ったら歩けなくなりました、では自殺行為に近い。


 継戦能力という観点で、同様に闘鬼の種族スキルである【連獅子(れんじし)】と【魄食言霊(たまはみことだま)】が使えない。いずれも強大なスキルだが発生するペナルティがこの状況では危険すぎる。近距離転移技の【御神渡(おみわたり)】は使えるが、これも脚に与える負荷が大きい上に、そもそも連続して使用できない。


 【鬼哭(おになき)】は一時的に身体能力を引き上げる比較的使い易いスキルだが、大声に乗せてやる必要があり、その叫び声を聞いた敵の敵意(ヘイト)を貰うという単独(ソロ)活動には厳しいペナルティがある。これだけ周りにうようよと敵がいる鬼畜魔境において、迂闊に使えば致命傷になりかねない。


 八房の機能である『質量操作』も連発はできない。一回の発動で全生命力の二割を持っていかれてしまうのだ。つまり、五回連続で使うと問答無用で死ぬ。冷静に考えると怖い。


 全生命力の二割、というダメージを端的に表現すると、たった五回で死に至る痛みだ。


 一度の発動で全身の筋肉という筋肉が引き()って激痛に見舞われ、二度目の発動で穴という穴からの出血が始まり、三度目の発動で筋肉や皮膚の断裂、いくつかの臓器の機能停止が起こる。四回目ともなれば全身の筋肉と健が断たれ、骨も折れ、内臓がかき混ぜられて、生きているのが不思議なほどの状態となる。


 そして五回目――全ての細胞の機能が停止する。


 八房に頼り過ぎれば肉も魂も食われる。


 とはいえ、この鬼畜難易度を誇る枯森は自分の全てを出さなければ生き残れそうにない。出し惜しみはなしだ。いざとなればヘビーアーセナル・スキルも、闘鬼のスキルも解禁せざるを得ないだろう。もしそれで動けなくなって終わるのであれば本望だ。


 兵戈の体現者(ブレカート)は最期の最後まで攻め抜いて死ぬ。


 ――八房も、きっとそれを望んでいる。


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