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煌めく杯にむすばれて  作者: 赤だしお味噌
プロローグ
1/94

太陽


 子供がひとり、柱の陰から(のぞ)いていた。


 はるか昔に“流れ去った”城塞(じょうさい)都市。今や存在し得ない古都の中心に構えられた、壮大で(うるわ)しい城。その広大な中庭を囲う回廊に身を隠し、息を潜め、成り行きを見守っている。


 鼓膜をつんざく激突音に身がすくみ、鋭い飛礫(つぶて)が頬を切っても目が離せなかった。子供は眼前で繰り広げられる争いにすっかり目を奪われていた。


 やがて子供の視線の先で、両陣営が動きを止めて睨み合う。


 争っている一方の勢力は巨人の騎士達だった。


 一人目は大柄な巨人。二人目は比較的小柄な巨人。そして最後の三人目は見たこともない獣に(また)がる巨人。


 ただならぬ気配を放射する彼らの兵装は、全て紛れもない星遺物(オーパーツ)だ。


 大柄な巨人が振り回す無骨(ぶこつ)金棒(かなぼう)は輝く突起を無数に備え、恐るべき質量を秘めて地面を突いていた。


 小柄な巨人が両手に構える二枚の円盾(えんたて)は全身が隠れるほど大きく、先ほどから幾度となく攻撃を受け止めてびくともしない。


 騎兵の長大な槍は(あふ)れる(いかずち)を足元に(こぼ)し、彼の騎獣は二本脚で走る鳥を思わせる姿で、獰猛(どうもう)(あぎと)から鋭い牙を覗かせていた。


 全員が(きら)びやかな武器を(たずさ)え、三者三様の色めき輝く全身甲冑(かっちゅう)を着込み、頭部もすっぽり(かぶと)で覆われていて表情は見えない。


 しかし、そんな輝かしい(よそお)いを(けが)しているのが口にべったりとこびり付いた赤く(きたな)らしい(かす)と、そしてフルフェイスの奥から覗く、(すみ)を垂らしたように黒い双眸(そうぼう)だった。


 ――狂っているのだ。子供はその目を知っている。嫌というほどに。


 彼らはかつての桃源郷(ザナドゥ)の守護者達。はるか昔、大地に(えき)が降りかかった時、人類を救い、導いたと伝えられる。


 気が()れた今でもなお、この去りし巨人達の都を守っているに違いない。


 (いわお)の如き丸みを帯びた体躯(たいく)。その一挙一動が大地を揺るがすと、子供の足元が震え、周辺の構造物が悲鳴を上げた。


 いかなる大敵(たいてき)も彼らの鉄壁を崩すことはできないと、はっきり分かる。


 かの巨人の騎士達は英雄譚(えいゆうたん)にうたわれた英傑(えいけつ)そのもの。母が()んでくれた譚詩(たんし)の通りだった。


 だが、あの男は何者か。


 雪のように白い髪を腰まで伸ばし、巨人達のよどんだ黒い瞳とは対照的に、生気に満ちた赤い瞳の男だ。


 男の身体(からだ)は巨人の陣営と比べれば子供のような矮躯(わいく)に見える。にもかかわらず、たった一人、武器も持たずに堂々と英傑達に対峙している。


 男は(ほの)かに赤みがかった黒い服を身にまとい、腹には血痕(けっこん)が散った布を巻き付け、両手両脚にだけ漆黒の防具を装着していた。不思議な存在感を放つその黒い防具を含め、全体的に黒ずくめの装いとは対極に、背中に垂れた白い髪が場違いに(きよ)らかだった。


 一時(いっとき)膠着(こうちゃく)状態の中、両陣の視線が交錯(こうさく)した。


 不意に、男が弾かれたようにまっすぐ巨人の陣形に飛び込んだ。一本の放たれた矢になって正面の小柄な巨人の円盾(えんたて)を蹴りつけると、けたたましく銅鑼(どら)の音が(かな)でられ、巨人の脚が地面をえぐりながら後方に滑った。


 それが合図となって、再び息の詰まる戦いが始まった。


 男の跳び蹴りを受けて体勢を崩した盾の巨人。それをフォローして騎兵が槍を構えて横脇から男に殺到(さっとう)する。その風よりも早い突撃を、男は難なく身を(ひるがえ)して(かわ)してみせたが、直後に追って吹き付けた突風が宙に舞った男の体勢を崩した。


 その(すき)を見計らって、小柄な巨人の盾の陰から大柄な巨人がぬっと姿を現した。大きく振りかぶられた金棒の大質量が男の着地点を狙う。


 あえなく(つぶ)されて血肉に変わる男の姿を幻視し、子供は胸中で悲鳴を上げた。しかし、金棒が地面をえぐって爆音を発したその時既に、男はそれをかいくぐって反対に大柄な巨人を殴りつけていた。


 大柄な巨人がよろめいた。そこに男が間髪を容れず(ひじ)を突き出して体当たりを敢行(かんこう)する。それはまるで猫が獅子(しし)にじゃれつくような無謀(むぼう)(こころ)みに見えた。しかし、直後にがっくりと大柄な巨人が膝をついたシーンを目撃し、子供は息をのんだ。


 無防備になった大柄な巨人へ男が一歩前に出た瞬間、どこからか(ひらめ)いた雷刃(らいじん)が空気を撫でて甲高い共鳴音を立てた。騎兵の帯電した槍が男の立ち位置を()いだのだ。


 男は大きく後ろに跳んでそのひと振りを(かわ)すと、空中で腕を振るって虚空(こくう)を裂いた。子供にはその動作の意味するところが分からなかった。が、なぜかバタバタと大気の撹拌(かくはん)音が聞こえ、次いで騎兵の方から破裂音が届いた。子供がそちらに目を向けると、上体を持ち上げて苦悶(くもん)(いなな)きを上げる巨獣を、(また)がった騎士が抑えているところだった。


 男はその隙を見逃さなかった。着地と同時に片脚を振りかぶって頭上の空気を蹴飛ばすと、一瞬、その足先から不可視の力が放たれて見えた。その直後、最前面に(おど)り出た小柄な巨人の盾が再び銅鑼の音を鳴らした。


 その一撃を身体を揺らして踏ん張った小柄な巨人の陰で、逆の手に構えた円盾(えんたて)が唐突に車輪の如く回転を始める。円盾が接地した地面を獰猛に削り、やがて十分な回転を得ると、小柄な巨人は目にも留まらぬ早さでそれを投擲した。


 この反撃に、追撃のために駆けていた男が僅かに動揺を見せたものの、男は突進を止めずに両腕を交差させて正面で応じた。鋭い軌道で飛翔する円盾と、男の腕の防具が衝突し、耳障りな異音を立てて派手に火の粉が散った。男が盾の衝撃に押されてその場で足を止めると、円盾は鋭い音を立てながら大きく円軌道を描いて小柄な巨人の手元に戻っていった。


 それは超越者達の闘争だった。


 無双の英傑三人を相手取って、白髪(はくはつ)の男は一歩も引かない。


 激闘は絶え間なく続き、大地を揺るがした。


 時折、巨人達の見事な連携が男を捉えると、その身体が(ほうき)で払われた小石のように飛んだ。それでも男の動きは鈍化せず、立ち上がった後の技はますます()え渡った。いつしか爆音や雷鳴が戦闘音に混じり始め、見るも美しい古城の中庭は、いよいよ未曾有(みぞう)の戦場と化していく。


 父から授かった目は辛うじて彼らの動きを追うことができた。


 しかし、子供には男の全てが理解できなかった。


 なぜ、あの身体で巨人の目方(めかた)を押し返せるのか。なぜ、武器も使わずに英傑達が振るう星遺物(オーパーツ)と打ち合えるのか。なぜ、何度も巨人達の熾烈(しれつ)な攻撃を受けて立ち上がれるのか。なぜ、あの男は巨人達を恐れないのか。なぜ、あの男の目は、あんなにも輝いて見えるのか。


 なぜ――なぜ――――


 白髪(はくはつ)の男の一打が英傑達の巨体を揺るがし、脚のひと振りが空間に白刃(はくじん)を描き出す。卓越(たくえつ)した動きでもって縦横無尽に戦場を跳び回り、飛燕(ひえん)となって巨人達を刺す度に、彼の長い白髪が風に吹かれた粉雪(こなゆき)のように尾を引いた。


 その攻めは吹雪の猛々(たけだけ)しさを内包(ないほう)し、ひとつの舞いのように完成されて美しかった。


 ひときわ大きな音が中庭に響き渡った。騎兵とのすれ違いざまに振るわれた男の脚が、際だって荒々しい光彩(こうさい)を空間に描き出し、獣の脚を切り払って転倒せしめたのだ。騎獣から振り落とされた巨人は、獣の巨体と硬い地面との間で、凄まじい速度ですり潰されていった。


 その様子を尻目に、男は勢いを殺さず直進して奥の大柄な巨人に肉薄する。迎撃の体勢で待ち構えた大柄な巨人が、手に持った凶悪な金棒を大上段に構えたが、その腕が振り下ろされることはなかった。代わりに、けたたましい破砕音と共に巨人の美しい(よろい)が砕けてきらきらと飛び散り、その重々しい体躯が大きく宙を舞った。


 追って伝わってきた激しい振動に足元から揺さぶられ、はっとした子供の当惑は氷解した。たちまち顔が火照り、胸元から熱気が立ち上がって、背筋に汗が噴き出した。


 ――あの男は、巨人の英傑達に(まさ)る。


 単純にして鮮烈な事実を目の当たりにし、彼らが書物から飛び出してきたような、あるいは自分が英雄譚の中に紛れ込んでしまったような、そんなどこかふわふわとした感覚に陥っていった。


 子供は、わずか半日前の、白髪の男との出会いを思い返していた。


 子供は両親と共に、この存在し得ない古都にたどり着いた。そして母が去り、父が倒れ、その後も異形(グロテスク)があふれる古都を独り生き抜いた。しかし、数百日を超えるサバイバルの末、母は子供の元に帰ってこなかった。


 諦めてはいなかったが、不可能だとも分かっていた。


 そんな認知的不協和に囚われて、長い孤独の中であらゆる感情が死に絶えていった。皮肉なことに、感情の喪失は子供の行動から迷いを取り除き、生存を助け、また結果的に苦しみを長引かせた。


 そして絶望だけが残った、ある夜のこと。


 路地の隅で宙を見つめていた子供の(うつ)ろな双眸(そうぼう)に、満天(まんてん)の流星雨が広がった。


 孤独な自分をあざ笑う夜空を、突如として切り裂いた数え切れない火焔(かえん)剣筋(けんすじ)


 ――時勢の変わり目に、星の恵みが空を切り開いて訪れる。


 数々の英雄譚がそう(うた)っていた。


 その夜、子供は勝算のない賭けに出ることを決めた。


 準備は周到に進められ、砂粒の可能性で山ほどの効果が得られるように計画した。来る日も来る日も、無人の古都で異形(グロテスク)どもの影を渡って入念に全てを整えた。狩人(かりゅうど)とは、鷹の目で見張り、狼の鼻で追い、蜘蛛のように罠を張り、影となって待ち、雷光の如き一撃で獲物を仕留める自然界の体現者なり――子供は両親の教えに忠実に従った。


 嵐が収まった数日後。来たる日の朝。子供が全てに終止符を打つべく古都の細道を歩いていると、遠くから不思議な歌声が聞こえてきた。明るい調子で響くその声に耳を傾けた時、なぜか失われたはずの年相応の感情が唐突に湧き上がり、ためらいと不安に心臓が押し潰されそうになった。


 子供がふらついて壁にもたれ、声のする大通りの様子を(うかが)った。まさにその時だった。あの男が、軽々と異形(グロテスク)を叩き伏せる姿を見たのは。


 男の後ろ姿を見た時、子供は母の面影を見た。


 髪の色がよく似ていた。髪の長さもよく似ていた。でも、それだけではなかった。


 父から受け継いだ野生の嗅覚が、億分(おくぶん)の一の可能性を嗅ぎ分けた。


 母から受け継いだ狩人の勘が、あの男こそが全てに決着をつける唯一の希望なのだと告げていた。


 こうして子供は本能に突き動かされて、白髪の男に駆け寄った。




 男の長い白髪(はくはつ)が、後ろから微風(そよかぜ)に吹かれて散った。




 子供が追憶の中で男の存在に(すが)ったのと、男の胸から槍が飛び出したのは同時だった。


 あたかも自分の心臓が貫かれたように、全身が大きく跳ねて血の気が引いた。


 獣の下敷きとなったはずの騎士が投じた槍が、紫電(しでん)をまとって男を背後から貫いたのだ。


 希望は(つい)えたのだと悟った。


 それほどまでに決定的だった。


 だが男は倒れなかった。胸を深く貫かれてなお、スパークを振りまく槍を掴み、鋭い犬歯を剥いて凶暴な表情を見せる。


 まったく信じられなかった。狩人の経験に照らして間違いなく致命傷に見えた。


 瞠目(どうもく)する子供の目線の先で、男が天を仰いで大きく息を吸うと、破れた服の胸から(まぶ)しい深紅(しんく)の光が(こぼ)れ出し、きらりと宙に(おど)った。


『――(かむ)(ことわり)(あらた)(ことば)(もっ)(いか)()()す』


 それは歌だった。


 男の声音に誘われて、地底から穏やかではない何かがせり出してくると、純然(じゅんぜん)たる高次の力が戦場を支配していくのを肌で感じた。


 子供は柱の陰で金縛りにあって身じろぎひとつ出来なくなった。


 男の口から(つむ)ぎ出される言葉が更なる力を周囲一帯に注ぎ込んでいく。


『鬼の()(うた)(もとめ)たる、()(たま)()(たま)え――――』


 歌の終わりと共に、男の周囲におどろおどろしい燐光(りんこう)の揺らめきが現れた。光りが巻き上がり、(いく)つかの球体となって集束すると、その球体に火が灯ると同時に男の赤い瞳が力強く彩度を増した。


 それは星が大地に恵みをもたらす時、天を破って空に引かれる、あの火焔(かえん)の輝きだった。


 子供はその雄姿に魅入られ、総毛(そうげ)立った。


 刹那(せつな)、男の姿がかき消える。


 男の胸を貫いていた槍が所在(しょざい)なくその場に落ちた。


 子供が男の姿を探し求めた時、あの恐ろしげな声音が再び聞こえた。


 直後、重い空振(くうしん)が回廊全体を薙いで子供の身体を突き抜けた。


 追って到来した大音響に押されて身体が浮き、後方の壁に叩きつけられると、視界には星が散って呼吸が絞り出された。


 それでも子供は中庭の光景から目を離せなかった。


 不快な耳鳴りがわんわんと頭の中で反響し、空気を求めて(あえ)ぐ中。両親が昏い森で自分に教えてくれたひとつの言い伝えが記憶の底から(よみがえ)ってくる。


 ――無明(むみょう)の夜、闇を打ち払い、恐怖を溶かし、明日(あす)を照らして希望と共に現れる、輝ける未来。それは太陽と呼ばれ、心の中に()ると()われる。


 その言葉がすとんと胸に落ちた時、魂の奥底から湧き上がる畏怖(いふ)と不可解な安堵が、渾然一体(こんぜんいったい)となって凍りかけていた子供の心臓に熱く注ぎ込まれた。


 子供は男の眼光に太陽を見た。


 これが、この子供の長い長い“おとぎ話”のような旅の始まりである。


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