六.領主 アイザック卿
翌朝、目が覚めるとそこはいつも見慣れた天井では無かった。光源の元であった蝋燭は消え、窓から朝日が差し込んでくる。
ああ、こちらの世界に来て夜が来る度に思うが、目が覚めたらいつもの何気ない日常に戻っている。何て事は無いよな。そう考えていると部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
「まだ寝ているのかい! さっさと起きて下に降りてきな!」
お母さんの様な物言いで、起こしに来てくれたコメットさんを見て急いで周りを確認すると部屋には俺一人しかいなかった。
急いで立ち上りコメットさんの後を追いかけ一階に降りると、テーブルを囲んで皆が待っていた。
テーブルの上には、パンとシチューのようなものが用意されていた。コメットさんが朝食を用意してくれたようだ。
コメットさんにお礼の言葉をカオル君が掛けると、朝食分も上乗せして働いて貰うから気にするなという面持ちで頷く。
それをみて、皆が苦笑いを返す。
朝食をとりつつ、昨晩決めた内容をコメットさんに告げる。
コメットさんは、甲斐甲斐しく領主であるアイザック邸への道筋を教えてくれた。コメットさんの食堂兼宿場は、橋を渡った傍の村の入口にありアイザック邸は、橋から続く道をさらに進んだところに見える遠目にみても大きい屋敷だそうだ。
そうこう話していると朝食を食べ終えた。皆が食べ終えたのを見計らってコメットさんが仕事内容を伝えてくる。
俺とカオル君以外をここではコメット班としよう。何やらコメット班に、山菜を取りに行ったり家畜の世話をしたり、宿場の掃除、洗濯、蒔き割り等々の指示が発せられている。
思いのほか、仕事量がありそうだったのか、コメット班が俺達の方を見て何かを口走りそうになるのが伺えたので、俺達は逃げるように食堂を飛び出した。
俺とカオル君はお互いに目配せをして苦笑いをした。用事が済んで戻ってきたら手伝おうと話し合いながら、コメットさんに教えてくれた道を進んで行く。
季節は春~夏くらいの陽気で、天気は良い。夜は野宿する時は少し肌寒さを感じたがコメット家で寝た時には丁度良く感じられた。
昨日は見回す機会がなかったので道すがら集落の中を確認した。民家がポツポツとちりばめられたように建っているのが伺える。羊や豚、鳥などを家畜として飼育している人達や、田畑を耕している人達も見受けられた。
村の中心に差し掛かると、円形状の広場になっておりそこでは物々交換の市みたいなものが開かれえていて少し活気がある。
その市を抜けるといよいよ、領主のアイザック邸への一本道だ。
この地域は緑に囲まれているため、構造物は比較的木造が多いみたいだ。
レンガで詰まれた塀が敷地をあらわすように一周囲っており、木造三階建ての屋敷が正面に一軒、右側の方に一般的な木造平屋の民家が並び使用人達の住まいだと思われる。左側には馬小屋や倉庫らしい建物がみえた。
現代でいうところの地主という感じかな。
特に呼び鈴的な物も見当たらなかったので、勝手に門扉をくぐり屋敷の玄関であろう場所に近づくと扉が急に開いた。
驚いた俺達は、少し距離を取る。先ほど開いた扉から十五歳くらいの少年が姿を現した。
「ここを何処だと思っている! アイザック領主様の屋敷と知って勝手に足を踏み入れたのか! 跪け!」
声変わりがまだ終わっていない、甲高い声で糾弾するように声を荒げている。
俺達は、良く分からないまま言われた通りにその場で跪く事にする。
すると、騒ぎを聞きつけたのか奥からメイドらしき人が現れる。
「ガイウス様、またいたずらですか? お客様を迎えるのは私達の仕事ですので、こんな事をされたらアイザック様への評判が下がってしまいますよ」
いたずら? ふと跪いた状態から見上げると先ほどの少年、ガイウス少年は薄笑いをしながら見下ろしている。
非常に憎らしい笑顔をしているが、俺達は少し安堵の表情で膝に付いた土埃を払いながら立上る。
「私はカオルで、こちらはショウと申しまして、アイザック領主様へ移住のご相談と、私共の困り事へ力添えをお願いに上がりました」
カオル君のビジネストークで、メイドに大まかな内容を説明すると、客間へ案内され待つように指示された。
あのガイウス少年の姿はいつの間にかいなくなっていた。何者だったのか気になるが今はおいておこう。
客間の扉が開き先ほどのメイドが入ってきた。どうやら主を連れてきたようだ。
俺達は、座り心地の良かった椅子から重い腰を上げ、領主が入ってくるのを待つ。
するとガタイの良い中年のおじさんが入ってくる。年齢的には四十くらいだろうか? 顔はところどころに傷があるが整った顔立ちをしている印象だ。
「まあ、客人よ。座りなさい。貴族階級は子爵だが堅苦しいのはあまり好きじゃないのでね。おっと申し遅れたが私がこの辺り一帯を管理している領主、グラン・アイザックという。それで早速だが私に相談とは?」
言葉の内容はとても気さくな感じだが、はっきりと喋る口調は凄みを感じざるを得ない。
貴族と聞いてもっと小難しい人を想像して畏まっていた俺達だが、筋肉質な気さくなおじさんと言う雰囲気で少し緊張が解けた。
「まずは、急な訪問にも関わらず大切なお時間を割いて頂き有難うございます。相談事というのは……」
カオル君が俺達の境遇を説明し、それに俺が足りない部分を補足して説明する。
ここでは、転移した事は話していない。その方が相手にも変に思われないだろう。どの道誰も信じてはくれない。その事は此処にたどり着く前にカオル君と決めた。俺達は遠くから来たとだけ伝える。
一通り説明が終わるとアイザック卿がゆっくり口を開く。
「なるほど、大体理解した。君達の仲間が丘の上で待っていて、連れて来るから三十人程度が住める家と土地を用意して欲しいという事だな。労働力と作物の生産か――」
「そうです。なんとかお願い出来ませんか?」
少し不安げな表情でアイザック卿は、諭すように口を開いた。
「土地や家に関しては、問題はないが……。君達の仲間がいる丘は魔獣や盗賊がたまに現れるんだ。もしかしたら既に――」
アイザック卿はそこから先は言わなかった。俺達も聞き返す事は出来なかった。
魔獣と聞いてやはり異世界に来たのだと衝撃を受ける。だからといって、確認をしなくては俺達も後味が悪い。手遅れと決まったわけではないのだからとその旨をアイザック卿へ伝える。
「わかった。行くのを止めはしない、魔獣や盗賊に道中襲われるのも私の目覚めが悪くなるので私の兵を何人か護衛としてつけてあげよう。案内人と食料等の荷物持ちはそちらで見繕ってくれるかね?」
とても心強い申し出があった事により、俺達は大いに喜んだ
「では、決まりだ。聞いているのだろう? ガイウス入ってこい」
大きな声で、例の少年の名前を呼ぶと言葉通り傍にいたのかすんなりと入ってきた。
「私は子爵であるが、以前は王都で騎士団長を勤めていた事があるんだ。その時に私の従士にしてくれと当時の館の前に、一週間居座られてね。根負けして今面倒を見ているのだよ」
そう紹介されたガイウスは、偉そうにどや顔していたがアイザック卿に睨まれ萎縮していた。
「まだ子供ではないですか。護衛なんて大丈夫なのでしょうか?」
初対面での子供っぽさから不安になり、俺が思った事を素直に聞いた。それが癇に障ったのかガイウスは少しムッとしたようだ。
「安心しなさい。こう見えても小さい頃より私が剣や戦術、知識などを教えてきたのだから大丈夫。この辺りの魔獣でやられてしまうような鍛え方はしていないさ」
元騎士団長の言葉を聞くと、とても説得力がある。
「ふん。アイザック様の命令でなかったら誰が、お前達なんかの護衛してやるかよ」
どうやら俺は嫌われてしまったらしい。そんなつもりで質問したのでは無かったのだが、やはり俺はコミュ障のようだ。
「まあ、命令は守るのが騎士の役目。こっちは準備が出来次第村の入口の橋に集まるから、お前達も荷物係と案内役を選んで、全員集まり次第出発するぞ」
急に初対面の時の子供っぽさがなくなり、規律と教養のある面持ちで的確に指示をだす。
「ああ、出発する前に家の方の案内も頼むよ、ガイウス」
ガイウスはその言葉に腕を胸に当て綺麗に一礼する。その二人の光景はとても厚い信頼関係がある事を感じさせた。