百二.何もない
山岳地帯を抜け、雪が薄っすらと残る白い平原へ差し掛かった時だった。見た事も無い魔獣に遭遇した。その魔獣は熊並みの体躯で尻尾は蛇の様に単独で畝っていた。俺を含めて五人いた仲間達は次々とやられ、今はもう二人きりだ。馬車を牽引していた馬は、壊れた荷車の破片を引きずりながらどこかへ行ってしまっていた。俺達は近くにあった林へ辛うじて逃げ延びていた。
魔獣が現れる瞬間に平原の空気が一瞬張り詰めたかと思えば、落雷のような衝撃が目の前で弾けた。土埃が晴れた時には既に佇んでいたのだった。
茂みに身を潜めて息も絶え絶えになった仲間の一人が唇を震わせる。
「あんな魔獣見た事もねぇよ。なぁ、柴田。俺達、このまま死ぬのかな?」
「……っ! ふざけるなよ。こんな所で終わってたまるかよ。やっと順調に進みだした所なのに、こんな所で――」
そうは言っても残った柴田達に何か打開策がある訳でも無かった……。
数か月前にショウ達とウィンティア王都で別れた俺は、ヴィクトールさん率いる近衛騎士団に交じって様々な事を教わった。戦闘訓練も旅のノウハウもしっかりと脳内に叩き込んだ。その甲斐があって王都周辺に出たウルフ系の魔獣――この辺りでは白銀の毛を持つ事からシルバーウルフと呼ばれていたな。その魔獣を一人で数匹は討伐するまでに成長出来た。
一匹でも手を余していた俺が人並みに戦えるようになった。だから、俺は目的の為に次の行動へ移った。俺の仲間を集める為にギルドへと足を延ばす。
ギルドで数日間勧誘した結果。丁度、欠員が出たギルドパーティーがいた。俺はそこに滑り込む形で加わるのだった。そのパーティーは新米の集団で、これまで旅で得た俺の経験や力よりも拙かった。だが、俺にとってはベテランメンバーよりも都合が良かった。
俺がパーティー内の地位を上げるのにそう苦労しなかったからだ。リーダーとして新米パーティーを牽引し、王都周辺で依頼をこなして連携や遠征に慣れていった。パーティーメンバーが自信をつけた頃、俺達はショウ達の向かったウォータリア王国へ向けて旅をしていた道中だった。
春先と言ってもまだ外気は冷たい。俺は白い息が魔獣に見つからないよう口元を隠す。鼻の効く獣に対してこんな事しか出来ないなんて情けない。
草木の掠れる音が次第に近づいて来る。こんな所で終わりたくない。俺の旅はまだここからなんだ。ふと、ショウ達ならどうするだろう、と頭を過る。ショウならスキルで遠距離から魔獣を両断出来るな。メグミンなら上手く気配を消して逃げ切れるだろう。ガイウスなら状況判断が早く仲間がやられる前に指示を飛ばしていたかな。ミズキの魔法は規格外だな、凡人が推し量れるものですらない。
「はっ、結局俺は何も手に入れられないんだな」
様々な感情が入り乱れ、こんな状況でも笑みが零れる。隣にいる仲間が怪訝な顔をして覗き込んでくる。
「なに訳の分からない事を言ってるんだ。今はどうしたら乗り切れるのかを考えるべきだ」
「ああ、それなら。もう考えてあるさ。いよいよとなったら、一斉に分かれて飛び出す。恨みっこなしだ」
俺が提案したのは策と呼べるものでは無かった。どちらかが生きるか死ぬかの二択。いや、最悪どちらも生き残れないかもしれない博打だった。運が悪い方が魔獣に追い掛けられる事だけが確定していた。だが、僅かにあるその細い糸が現状で最大限の可能性だった。
あの魔獣とやり合った所で、勝てないのは明らかだ。現に他の三人は魔獣の一薙ぎで絶命していたのだった。人が木偶人形の様に折れ曲がり、弾け飛ぶさまを目の当たりにして誰が勝てると思えるだろう。ましてや特別なスキルも何も無いCランクの平凡な俺が立ち向かえる筈は無かった。
突如、魔獣の咆哮と共に近くの大木が薙ぎ倒された。それを合図に連立った仲間を放って俺は茂みを飛び出し一目散に走り出した。
「てめぇ! リーダーのくせに先に逃げるんじゃねぇ!」
後ろから罵声を浴びつつも俺は振り返る事はしなかった。今は兎に角、距離を取りたいその一心で前だけを向いて駆けた。
「くっ、来るなあぁぁぁぁ!!」
俺を罵倒した声に反応したのか、魔獣は相方へと狙いを定めたようだった。良し、良し、良し! 心の中で喜びの声をあげる。やっぱり俺は選ばれた人間だ。こんな所で終わる筈が無い。更に地面を蹴る脚に力が入る。林を飛び出し日差しが差し込む草原が視界に飛び込んでくる。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
この広い草原で虚しい悲鳴が轟く。くそっ! もう少し粘れよ! と、舌打ちをする。まだ距離がある間に合うか? 俺はただ闇雲に走っていた訳じゃ無い。地面に轍が出来ていた方向へと駆けていたのだ。その先には荷車の破片を引きずって行った馬が居る筈だ。
相方と遊び飽きたのか、林の木々を薙ぎ倒して近づいて来る気配があった。もう少しの筈だ。この緩い丘の上を越えれば馬が居る筈なんだ。棒状になりつつある足を必死に回転させ、ようやく小高い丘の上に到達出来た。
「うそ……だろ?」
視界が開けた先には馬の姿は無く、荷車の欠片だけが寂しく転がっているだけだった。後ろを振り返ると黒い塊が猛スピードでこちらに近寄って来るのが見て取れた。
「ははっ、結局こんな結末なら最初の丘でショウ達に付いて行くんじゃ無かった」
広い草原に乾いた笑い声と一筋の雫が落ちる。ダメもとで剣を抜き身構える。手は震え、足は笑い転げていた。魔獣の鼻息が顔に掛かる距離、俺の思考は真っ暗な闇へと堕ちて行った。
「……しますか? 彼はこのまま餌に?」
「いやいや、何を言うんだね君は。君も見ただろう? 仲間を見捨ててまで生き延びようとした彼の生への渇望を。彼ならば我々の象徴になりうるかもしれない」
「それでは持ち帰る準備を致します」
誰かに担がれ揺れる感覚があった。だが、今の俺にはそんな事どうでも良かった。もう、何もかもがどうでも良い。
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