彼女は日に7度紅茶を飲む
4つの学舎に対してひとりずつ存在する監督生。
それは学舎ごとに、最も優秀な生徒が選ばれる。100年以上前からこの聖深学院で長年継承される伝統ある称号だ。
生徒の手本となるための監督生には、生徒会のようにこれと言った実権が有るわけでもないが、その発言の影響力は大きい。
で、俺の目の前にいる少女もそんな監督生の1人。
アイリスの監督生アンジェリカ・モーガンである。
彼女は三度の飯より紅茶好きという生粋のイギリス人。一日に7度は紅茶を飲まないと気がすまない性分らしく、会うときは大抵ティーブレイクしている。
それはそれとして、寄宿舎ならまだしも、校内にティーセットを持ち込むのはどうかと思うぞ。
寛容的で他者との調和を尊ぶアイリスは、4つの学舎の中で最も留学生が多く国際色豊かだ。故に、モーガンのような留学生が監督生になることも珍しくないと言う。
ここは、アイリスの校舎内にある談話室。
昼休み、俺はこの少女に呼び出されていたのである。
モーガンは花柄のいかにも高そうなティーカップを片手に持ち、俺に向かって優雅に微笑んだ。
「ご機嫌よう。ミスターヒノ。紅茶はいかがかしら?」
「……いや、遠慮しとく。それより、わざわざ俺を呼び出した理由を聞いてもいいか?」
モーガンは俺に紅茶の誘いを断わられて、しゅんと肩を落とした。彼女のプラチナブロンドの髪がそれに合わせて揺れる。
「そう、残念だわ。……ええと、お呼び立てした理由でしたかしら? ミスターヒノ、このお誘いのお手紙をナデシコに渡して頂きたいの」
「撫子にか? 別に俺を使わないで、直接本人に渡せば良いのに」
「だって、貴方が撫子の蕾でしょう? なら、貴方を通すのが筋と言うものよ」
「いや、俺撫子の蕾ではないし、撫子も俺の花でもないからな」
「あら、そうなのですか? 私はてっきりそうだと思っていたわ……」
蕾と花。
蕾と花は、分かりやすく言うと新入生ひとりに対して、上級生が寄宿舎や学院での立ち振舞いを手助けするというものだ。所謂、エルダー制度というやつである。
これは生徒の情緒や連帯感を育て、自立を促すために初代学長が定めたものだ。昔は学院側が無差別にそれらを振り分けていたらしいが、今は基本的にその采配は生徒に委ねられている。
特に強制でもないので、蕾と花の関係を持たない生徒も多い。更に最近では、親愛を結ぶ意味で同級生でもその関係を結ぶ者もいる。バレンタインに友人同人で友チョコを渡し合うみたいなノリだ。……この制度、結構緩い上に何だか百合々しい。
そもそも、無駄に学舎の名前をアイリスやリリィーにしてみたり、栄光なる花や蕾と花など、英語やラテン語を多用するネーミング。
明治ではハイカラだったのかもしれないが、今となっては中二臭しかしない。普通に和名では駄目だったのだろうか。
「まぁ、良いけどな。……で、これ撫子に渡すだけで良いのか?」
「ええ、来月の定期演奏会のお誘いの手紙よ。ナデシコはどんな楽器でも自在に奏でられるでしょう?」
定期演奏会とは、音楽に心得がある生徒が持ち回りで行う演奏会のことだ。今回はモーガンがその担当らしい。
「ああ、なるほどな」
確かに撫子はどの楽器も難なくこなしてしまう。俺が知るだけで、ピアノやヴァイオリン、コントラバス、フルート、それに琴。感心を通り越して、もはや呆れる。
「よろしければ、ミスターヒノもどうかしら? 何か弾ける楽器はおあり?」
「いや、俺はカスタネットで裏打ちさえできない男だぞ。小中と習ったリコーダーですら危うい」
「ふふっ、残念。でも、それなら仕方がないわね」
モーガンは口に手を当て、上品に笑った。美人だから笑うと余計魅力的に映る。彼女の新緑の瞳が一際キラキラと輝いて見えた。
「じゃあ、これ受け取っておくよ。今日中に撫子に渡しとくから」
「ありがとうございます。よろしくお願いするわ、ミスター」
「おう、任された」
どんとこいと俺は胸を叩いて、大きく頷いた。
***
「撫子、ほれこれ。モーガンからだ。定期演奏会の誘いだってさ」
放課後。
いつものように俺はリリィーの学舎に撫子を迎えに行った。忘れない内に例の手紙を撫子に手渡す。
「モーガンさんから? ……定期演奏会のお誘い、ですか」
「おう、それでどうだ。出るのか?」
「ええ、そうですね。……貴弘さんは、どう思いますか?」
「えっ、俺? ……まぁ、たまには良いんじゃないか」
「そうね。貴弘さんが見に来て下さるなら、参加しても良いわ」
……どんな交換条件だよ。
俺はきまりが悪くなり、雑に頭を掻く。
「ぐ、ああ、もう、しゃあねぇーな。分かった。行くよ!」
「……ふふっ、頑張りますね。貴弘さん、絶対に見に来て下さいね。絶対よ」
「へいへい」
「返事は1回」
「へい」
撫子は満面の笑みを浮かべた。
それから、俺の手を握って一言。
「……でも、ひとりで私以外の女性に会いに行くのは、これっきりにしてくださいね」
目が笑っていなかった。
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