聖深祭その2
「あら、このディンブラ美味しいですわね」
意外だわ、とでも言いたげな表情を浮かべたモーガンに思わずげんなりする。モーガンは紅茶の本場イギリス出身で、紅茶に対して並みならぬ拘りを持っている。それは三度の飯より紅茶好きと言って憚らない言動からも明らかだ。
モーガン曰く、「全ては紅茶にはじまり、紅茶で終わる。紅茶即ち人生なり」。相変わらず何でも紅茶に例えるのはどうかと思うが、そんなこいつが俺の入れた紅茶を美味しいと評価してくれたのだから、俺の腕も中々のものなのだろう。少し誇らしい気持ちになった。
「ええ、このアッサムも味わい深いです」
「うん。確かに美味しいな」
撫子は右手にカップのハンドルを摘まむようにして持ち、優雅に微笑んだ。それに呼応し、高円寺も頷く。ミッキーの感想も聞こうと視線を向けると、小動物のようにビクトリア・スポンジケーキを食べている姿が目に入った。幸せそうに頬を緩め、こくこく頷いている。どうやらケーキに夢中になってこちらの話が全く耳に入っていないみたいだ。この分じゃ感想は聞けなさそうだな。
「しかし、ミスター・ヒノがここまで上手に紅茶を入れれるなんて思ってもいませんでした」
「嫌になるくらい練習致しましたから」
本当に嫌になるぐらいにな!
執事研修には、紅茶指導も含まれており徹底的に仕込まれた。思い出すだけで、胃が痛くなる。もう二度としたくない。
「Brilliant! ミスター・ヒノ。私、貴方のことをほんの少しばかり見直しましたわ」
「……光栄です」
ほんの少し、というワードが気になったが、胸を張って返礼した。生きる上でスルースキルは必修なのである。
「美味しい紅茶を頂いたお礼に、明日は私が紅茶をご馳走させていただきますわ」
「あっ、それは遠慮しときます」
「ええ、何故ですか!?」
「いや、その、ほら何となく……」
「もうっ! そんな曖昧な理由で、このアンジェリカ・モーガンの誘いを毎回断っていたのですか?」
うぐぐっ、と頬を膨らませる優雅さの欠片もないモーガンに苦笑する。毎度、反射的に否定の言葉を出してしまうのは、別にこいつに意地悪したいという訳じゃない。ただ……そう、気分がのらないだけだ。うん。本当にそれだけなのだ。だから、そんな情けない表情をしてシュンとしないてほしい。困った。心底、困った。
「貴弘さん。そのような困り顔をするぐらいなら、本当の理由をモーガンさんに教えて差し上げたらどうですか?」
「ば、馬鹿っ、撫子。お前、余計なことを言うなよっ!」
「ふふっ、貴弘さん言葉使いが下品だわ。それと、先程も申し上げましたが、ここでは撫子ではなくお嬢様とお呼びなさい」
そう言って、撫子は驚くほど綺麗な笑みを浮かべた。それは新しい玩具を見つけた子どものような表情だった。なんてたちの悪い女なんだ。完全に面白がっている。こいつのペースに乗っては駄目だ。気持ちを落ち着かせるために親指でこめかみを揉んでから、渋々言い直す。
「……撫子……お嬢様」
「はい、よろしい。貴弘さんの不器用且つ真面目なところ、私とても素敵だと思います」
やかわしいわ! と、即座に心の中で悪態をつく。口にしなかった自分を誉めてやりたかった。
「それでナデシコ、本当の理由というのは何なのですか?」
興味津々という顔をして、モーガンは撫子を急かした。
俺は即座に撫子へアイコンタクトを送る。
(……撫子、お願いだから何も言うなよ)
俺の必死なアイコンタクトに撫子は目を一瞬細めた。それだけだった。それだけで、俺は彼女の動作が拒否のサインだと理解した。幼馴染みの間柄の故に、彼女の思考を直ぐに読み取ることができてしまう自分がこの時ばかりは恨めしい。
「――貴弘さんは、苦味や渋味がある食べ物が苦手なのです」
ピシリ、と空間に錆びた音が聞こえた。
俺は無意味だと分かりながら、撫子を止めようと中途半端に伸ばしていた手をだらりの下げた。
「だから、紅茶やコーヒー、それから緑茶も飲まないのです。ミルクや砂糖をたっぷり入れればその限りではないのですが、貴弘さんったら『そんな子どもっぽいマネできるかっ!』とおっしゃって聞かないのよ」
可愛らしいでしょう? と、撫子は微笑んだ。
モーガンは呆気に取られ固まったが、それも数秒のことであった。口元に手をあて、笑みを隠そうとしていたがそれも長くは続かない。直ぐに笑い声が上がった。
「ふふっ、うふふ。あらあら、なるほど。そういう事だったのですね。ええ、ナデシコ。それなら仕方ないわね」
「貴弘さんはモーガンさんが嫌で今までお誘いを断っていた訳ではないとご理解頂けたようで嬉しいです」
「はい、重々理解しましたとも。次からミスターヒノでもお召し上がりできるような紅茶を用意しておきますわ」
ああ、ちくしょう。やってくれたな。撫子は俺の硬派なイメージを真っ向からぶった切ってきやがった。ほんとうにキャラじゃねぇ。後、モーガンそれは余計なお世話だ。
せめてもの抵抗で、真っ赤に染まった情けない顔を片手で隠す。
「……はぁ、アンジェリカと髙野宮嬢。もうそれぐらいにしてあげたらどうだ? 流石に日野が気の毒になってきたぞ」
高円寺は呆れ顔で二人を嗜めた。もっと言ってやって欲しい。二人は高円寺の言葉を聞いて、すいませんと頷いた。反省してない顔だわ。絶対まだイジる気だわこれ。
「ん、もぐ、んく、このケーキ本当に美味しいわね。……ちょっと、そこの執事もうひとつ同じケーキを持ってきてくれる?」
ミッキーのある意味空気を読んだ注文は、俺にとって神の声だった。まさに、お客様は神様ミッキー様である。
「はい、喜んでーーっ! ビクトリア・スポンジケーキ1個オーダー入りましたーーっ!」
ハレルヤ!
そんな心持ちで声を張り上げる。
「ちょ、ちょっと、日野!? ここは執事喫茶で寿司屋、それも回る方の軽い寿司屋じゃないんだからね!」
田中、いや、上田? そんな名前の奴にこの後酷く怒られた。