仮題 草稿いのち 先生への手紙1
純文学が書いて見たくなった。
ということで書いていこうかな…と。
一番最初んところはかけたんだけど…。
続きがね…。
どうまとめようか悩んでます…。
最近は滅法、不安に思うことが増えて参りました。
過ぎてみれば早いもので、四半世紀も生きてみれば、不安の一つ二つ三つ…と鰻登りに増えていくものなのだと、近頃、痛感しております。
先生は如何でしょうか?不安に思うこと、多くお有りの事と存じます。
えぇ、そうですとも。お金・家庭・色恋沙汰と、萬物に八百万の神が宿るように、私たちは日常の物事には不安に思い、思い悩むことがある。そう思われます。持てば持つほど、関われば関わる程、思い悩み憂い患う事が指数関数の様に増えていくのですから、人生なんてたまったぁもんじゃありません。
後もう四半世紀、又は半世紀―それ以上は考えたくもありません―も生きることになると思うと、私は、積もりに積もった不安に押し潰されてしまうんじゃないかと不安で仕方がありません。
私には不安があります。
元来、身体が頑丈な訳でもなく、闊達な訳でもなく、およそ人並みの健康を私は持ち合わせていませんでした。そんなもんだから徒競走は何時もビッケを獲得し、長距離は途中から走っているんだか歩いているんだかわからなくなるような次第です。逆上がりだって覚束きません。金槌なもんですから、私が泳いでる時に、溺れているんじゃないか、と不安になった体育教師が飛び込んでくることもありました。
そういうことは今も続いています。自身の体に限りが有ると感ずることが有りました。二十代にもなると、血糖値がとか、血圧がとか、聞き及ぶことが有ります。ただ、私はいたって健康体です。健康診断の結果はオールグリーンで、数値上に異常は見当たりません。しいて言うならば、白血球数と心拍数がちょっと多いくらいです。そんなものは、個性です。階段を昇ったら息切れがした、なんて生ぬるいもんじゃありません。ただ、嫌な悪寒がする啓示が突然来るのです。
実際に何時からそのような症状が出ていたのか、細かいことは知る由もありません。ありませんが、これは流石によろしくないのでは、と自覚した時のことはよく覚えています。それは、陽の時間が短くなって、肌寒くなってきた頃の事だったと思います。
◆◆◆
私が一人暮らしをしていた時の話です。初めて関東を出て、東北の地で一人暮らしを始めた、初めの冬の事だったと思います。体が優れないことに加え、アレルギー体質だったこともあり、冬期の暖房は、もっぱらオイルヒーターに頼るのが私の常でした。ただ、この時は東北に居たものですから、関東よりも幾分底冷えし易いような土地でした。私の性分は大変ものぐさなものですから、実家の頃は別として、一人暮らしともなると、湯舟を張って等ということは当然なく、シャワーで済ませるという形になります。
その日もいつもと同じように湯浴みを終えて、火照った体で浴室を出れば、鳥肌が立つぐらいの寒さはありました。
「うぉ。さむい、さむい。」
と言いながら、水滴なのか汗なのかわからないですが、タオルで拭いていた時のことです。
ドクンドクン。
妙に嫌な鼓動がするではありませんか。着替えたばかりのシャツは、わきの下の処、嫌な汗で湿っていました。数分も経てば、さっきまでの動悸は何処へやら、唯、ちょっとばかし肌寒いなと思いながら、フリースを引っ掛けて本を広げて読書灯の電源をカチッと入れているのでした。その時にはもう、先程嫌な動悸がしていたこと等、頭の片隅にすら居座っておりませんでした。
数刻後の事です。就寝の頃でもありました。翌日も仕事がある、ということに嫌気がさしていた時のことです。私にも日頃の鬱憤と言いましょうか、ストレスと言いましょうか、埃の様に何処からともなく溜まってしまうものがあります。この時は多分上司への恨み言の一つや二つは思い浮かんでいた時のことでしょう。
ドクンドクン。ドクンドクン。
動悸が亦しました。嫌な鼓動がするのです。鳥肌が立って、嫌な汗がするのです。頭も含めて体中がビートを刻んでいて、私自身の焦点が定まっていないようでした。こういう時には私の生来の性質なのか、理系学部出身者だからなのか、判りませんが、さっきと同じ感じだぞとか、鼓動が頭の方からもしているぞとか、身体を横たわらせているわけでもないのになとか、一寸考えてからでないと、どうやらあまり良くなさそうだ、という結論には至らないようなのです。
ただ一遍、結論に至った私の行動は早いのです。何分か探し回って、戸棚の中をゴソゴソとかき回して―その間にガタガタと足を鳴らしてしまった時は階下の住人に心の中で謝りました―漸く手にした救心錠剤に救を求めて、手を差し向けるのでした。
私は神仏への信仰が取り立てて篤い者ではありませんが、こういったことが有ると、「今宵、救心錠剤まで手が伸ばせたのは神様仏様の御蔭かもしれない」等と柄にもなく思って、「こりゃあ、一杯、備えなにゃらん」とガラスに舶来のウヰスキーをなみなみ入れて(シーバスリーガルは良いものです、バレンタインも捨て難い)、守り本尊と紙札を臨みながら、呑めもしないアルコールを体に取り入れるのでした。スコッチの燃えるような液体が咽喉を、食道を、チリチリと焼き焦がす、そんなところが良いのです。私はまだ、生きているようです。
私の命も長くない。そんな風に思うときは、決まって、そういえば、私の人生をどう歩んできたのだ、と思い起こされるのです。
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