かわいい召喚獣
「――天界の魂よ。地獄の怨霊よ。次元という軛から解き放たれ今ここに顕現し給え。――――出でよ、ケルベロス!」
私が召喚術の呪文を唱えると、まだ昼間だというのにもかかわらず辺りは漆黒の闇に包まれた。その直後、私の目の前には直径十メートルはあろうかという複雑な文様の魔法陣が現れた。その魔法陣を覆うように霧が沸き起こる。魔法陣の中央がどのようになっているのか、窺い知ることはできない。
その直後のことだった。霧の中心が赤黒く光ったかと思ったら、急速に渦を巻き霧と共に闇が魔法陣の中央に吸い取られていく。私はその気流に飲み込まれないよう、必死に足を踏ん張る。
今までになく大きな風だ。もしかしたら今度は成功しているかもしれない。その期待感に、私の心臓の鼓動は否が応でも早まる。
それから数十秒が経過した。霧が晴れるにつれ、その中央にいる生き物の姿があらわになっていく。
そして完全に霧が晴れたその中心には――――
「キュィーン……」
「クゥン」
「…………」
三つ頭の可愛い子犬がいた。まるで工芸品の赤べこケルベロス版みたいに可愛い子犬が。
この瞬間、私は悟った。
「また失敗しちゃった……」
ここは冒険者ギルドの演習場。巨大な魔獣を召喚しても平気な広さがあるため、こうして召喚術の練習をする時に使わせてもらっている。
「あはは、アイツ、また役立たずを召喚してやがるぜ!」
「召喚術じゃなくて小喚術だな、ありゃ」
「前人未到のSランク魔獣召喚ってあれは子犬……ぷぷっ」
「ライアンの奴も、これじゃぁ浮かばれねぇだろうな」
遠くからそんな声が聞こえてきた。私の様子を見ていた冒険者やギルド職員たちだ。
彼らもまた、私が召喚に失敗したことに気づいたようだ。
「はぁ……」
私は改めて自分が召喚したケルベロスを見る。私とケルベロスの六つの目が合った。潤んでクリッとした瞳。フワフワで真っ白な体毛。そして子供らしい短い足。
「うーん、失敗しちゃったけど、可愛い」
私は思わずケルベロスを抱きかかえる。手を通してモフモフの感触と温かな体温、そして三つの息遣いを感じる。頭の数がおかしいこと以外、これは間違いなく子犬ちゃんだ。
うはっ、顔をなめられた。くすぐったい。首をひねり顔を遠ざけても、別な頭が再び私へ攻撃してくる。
「ちょ、ちょっと……。あはっ。く、くすぐったいって」
頭が三つあるからその攻撃も三倍だ。これは堪らない。私は抱っこしたケルベロスを持ち替え、両脇の下に手を入れて腕を伸ばし距離を取る。両手両足をだらんと垂らしたこの子は、「もっと遊びたいよ?」。そんな言葉を言いたげな表情だ。
この場でこの子を召喚した理由。それは、冒険者パーティーに有料で召喚獣を貸し出すためだ。使役するための権限を他人に与えれば、召喚獣はパーティーメンバーとして従順にその人に従う。高ランクの魔獣を呼び出すことに成功すれば、戦力としては極めて大きい。一匹だけで裕福な生活ができるくらいの収入になる。
そう。召喚獣は戦えなければ話にならない。だから私は子ケルベロスに問いかける。
「一応聞くけど、君たち、戦える?」
「クゥン……」
しかし申し訳なさそうに目を伏せるケルベロス。答えは当然のごとく否やだった。
「だよね……。これじゃぁ戦力にならないよなぁ」
天災級の魔獣とはいえ、この子はまだ幼い子供だ。その戦闘力も、並みの冒険者であればあっという間に片づけられてしまう程度だろう。いや、ゴブリンにすら負けるかもしれない。だからこの子がお金を稼いでくれることは、ないだろう。
「おい、アンタ。そろそろ闘技場を空けてもらっていいか?」
どうしたものかと考えていたところ、次の闘技場の使用者だろう冒険者に声をかけられたため、慌てて立ち上がる。
「あ、はい! すみません……」
いつの間にか使用時間が過ぎていたようだ。ここは訓練や昇級試験など幅広く使用されている。だから私が取れたのも三十分だけだった。私は召喚したばかりのケルベロスをいったん亜空間へと送る。両手で抱えていたケルベロスは、スッと音もなく消え去った。
そして冒険者ギルドにいる人たちからの白い目に見送られながら、その場を後にする。