第一話 犬と王子様 4
秘書の指示通り、バスルームの脱衣所に犬用のトイレを設置し、キッチンに餌と水のトレイを用意し終えたところで、ようやく長門は解放された。
クラディスは他人任せにして、どこにいったのかも分からない。側をウロウロされることを考えれば、ずっとましではあるが。
長門は、ここ暫くまともな食事をしていないことを思い出し、キッチンの中を漁ってみたが、目ぼしい食べ物は見つからなかった。
愛美が長く留守にしているというのは、本当らしい。
食材らしい物は全て処分されたのかして、冷蔵庫は殆ど空に近かった。
夜にでもコンビニで何か買い入れなくてはと思いながら、長門はそれだけはあったビールの缶を二、三本まとめて取り出した。
何も考えずに、ぼんやりソファに座り込んでアルコールを口にしていると、クラディスが首輪と手綱を銜えて持ってきた。
長門の前にお座りする様子は、さあ行くぞと言わんばかりである。
時間は四時前だった。
「まさか、俺に連れていけと言うんじゃないだろうな?」
クラディスの顔は、何を言っているのだ当り前だろうと言いたげだ。
そうなのか?と、長門は面倒臭そうに念を押す。
愛美がいれば、犬と会話をしていると笑ったことだろう。
「俺は、子供も動物も駄目なんだ」
長門はそう断言したが、クラディスの口元から引き綱と首輪を受け取ると、四苦八苦してクラディスの首にそれを取りつけた。
犬の散歩など、したこともない。
どうやればいいのか見当もつかないが、その点クラディスが何とかしてくれるだろう。
引き綱付きで今度はエレベーターを降りてエントランスに出ると、玄関フロアに主婦が二人立って立ち話をしていた。
長門の連れている犬を見た途端、中年の女達の顔色が変わった。
ペットは禁止されているらしい。
ひそひそとこちらを窺いながら話している声が、嫌でも耳に入ってくる。
長門はただ無愛想な視線を女達に送っただけだったが、彼の目に恐れをなしてか、女達は彼がマンションを出ていくまで何も言わなかった。
こんな昼日中に、普段長門がウロウロしていることはない。
屋外に出て暫くクラディスは、座り込んで辺りの空気を嗅いでいたが、求めるものを見つけたように、確実な足取りで長門を引っ張って歩き始めた。
クラディスは大型犬だが、体格のいい長門のこと、引っ張られることもない筈だが、力加減が分からず、引きずられるようについて行く。
着いた先は、夏に愛美を追って来たことのある公園だ。
遊具と言っても、ブランコや滑り台があるだけで、遊んでいる子供の姿もなかった。