第一話 犬と王子様 19
照れ臭いのか何なのか長門が眉をしかめて、愛美のしどけない姿を見ていると、こちらを見た少女とはたと目があった。
長門は思わずたじろぐ。
愛美は起き上がるなり、長門の方に顔を寄せてきた。真面目な顔をして、顎をクイッと動かす。
「犬、駄目なんじゃないの?」
長門は無意識の内に、クラディスの顎を掻いていた手を見下ろす。手を止めたまま、暫く黙り込んだ末に、その手を奇妙なものでも見るように眺めた。
クラディスは、知らん顔をしている。
長門は全てを流すかのように、缶ビールを呷った。
そして、
「俺は、犬も子供も駄目なんだ」
と、言い切った。
愛美は「はー、さようですか」と呟いて、クラディスを手招きする。
それを完全に無視ししきって、水でも飲みにいこうとするクラディスの後ろ足を、愛美はハッシと掴んで持ち上げた。
長門は慣れっこにはなっていたものの、愛美の悲鳴に思わずビールの缶をとり落としそうになった。
よく、台所で騒いでいる。何があったのか聞かなくても分かる。
焦がしたか、溢れさせたか、それに類することだ。
愛美は、唇を尖らせている。
「長門さん。散歩の後には足の裏を拭かなきゃ駄目でしょう。もう。あんたも言わなきゃ駄目でしょうが」
帰って来て早々、賑やかなことだ。
言うも何も、そんな無茶なと言いたげにクラディスが鼻を鳴らす。
愛美は一旦脱ぎ捨てた靴下を目の前で広げると、靴下もどろどろだと文句をつけた。
どうしてくれるのと言うように、クラディスの目前につきつける。
クラディスは、知らんと言うように顔を背けた。
「帰ってきて初めにすることが家の掃除なんて、これだから男所帯は」
クラディスは雌だが、範中には入っていないようだ。
愛美はプリプリと怒りながら、バケツと雑巾をとりにいく。
雑巾で廊下からその辺を拭きながら、時々自分の裸足の足を見て、また溜め息を吐くのだった。
クラディスも長門も、掃除をしている愛美をただ見ていただけだ。
料理の腕は、もう何とも評しようがないが、掃除の手付きはいい。
そう言えば紫苑が時々家の掃除に来ていた時と違って、部屋に埃が積もっているようなこともなくなっていた。
掃除を終えて制服から普段着に着替えた愛美が、キッチンで何かゴソゴソやっていたかと思うと、長門が買い込んできたスナック菓子の筒を片手に、
「長門さん、もしかしてずっと外食だったの? まともな食材がないじゃない」
と、言ってきた。
長門は愛美の台詞にも、ああとかうんとか意味のとれぬ返事を返しただけだ。