第一話 犬と王子様 17
親しげに話している二人の声は、長門には聞きとれなかった。
長門は少女に駆け寄ろうとするクラディスを、強引に引き戻す。恨めしげに鼻を鳴らそうとしたが、長門の顔色を見てクラディスは黙り込んだ。
無邪気な笑顔で笑いながら、少女は少年に向かって腕を差し出した。
伸ばした手を少年がとる。
王子様。
少女が言っていたような馬は、勿論いない。
気の弱そうな少年は、それでも優しい微笑みを浮かべていた。
屈託なく笑う少女と少年の周りだけが、やけに明るい日溜まりのように見える。
長門が御伽噺のワンシーンを覚えている筈などないのだが、その時何かとても懐かしいものを見たような気になった。
「お役御免と言ったところか」
長門は、フッと笑った。
行こうとクラディスを促す。
クラディスは辺りの空気を嗅いでいたが、やがてきびすを返すと公園の外に向かってタッタカ歩き始めた。
長門はそれでも、満足そうな表情だった。
「王子様にはなり損ねたか」
長門の呟きを聞いていたのは、だからクラディスだけと言うことになる。
家の玄関に辿り着くと、長門はクラディスの首輪を外してやった。クラディスは、スタスタと廊下に上がり込んで歩いていく。
長門は、いの一番にキッチンに向かうと、冷蔵庫のドアを開けて缶ビールをとり出した。
一本はその場で空けて喉を潤し、もう一本を持ってリビングに向かった。
プルタブを押し上げ、缶の縁に口をつける。
その時。
「ただいまーっ」
思わず、長門は飲みかけていたビールを吹き出しそうになる。
目を白黒させている長門の様子には全然気付かずに、リビングのドアから入ってきた愛美は、クラディスに目を止めた。
クラディスは、警戒心を露わにして愛美を見ている。
「あら、長門さんが貧乏クジを引いた訳だ」
愛美は、このマンションにクラディスがいることにも、驚いた様子は見せなかった。
綾瀬から、何か聞いていたのだろう。
何の為に綾瀬が留守にするかも、長門は聞いていなかった。自分には関係のないことだ。
緊急時の連絡先さえはっきりさせておいてくれれば、どこで何をしていようが、長門には知ったことではない。
他のメンバーのこともそうだ。
にも関わらず、である。
長門の思惑など知らずに、やれ東大寺は暫くオフだの。やれ紫苑は表と裏の両方仕事があって、巴は紫苑のサポート役だの。
自分はこれから当分、仕事で留守をするだの。
愛美は、長門に聞いてもいないことを話していく。
他の者も似たようなものだった。




