第一話 犬と王子様 16
「それに馬もいるし」
「馬?」
クラディスが、馬鹿にするような顔で長門を見た。
そんなことも知らないのかと言いたげだ。
聞き返した長門に、少女は笑って答えなかった。
ポケットに入っていた焼酎のボトルは、封を切られることなく、長門の体温で温められるままになっていた。
クラディスは、甘えるような仕草で、少女の膝の上で目を閉じる。
少女は、今日は自分から先に帰ると言った。
もう暗くなる。
小さい子供が、いつまでもウロウロしているものではない。
――気を付けてな。
そう言った長門の言葉に、少女は嬉しそうに頷いた。
もう誰かを待つ必要はなくなったのだろうか。
「明日も来る?」
犬の散歩は、毎日と決まっているようだ。
雨が降っても、行くものなのかも知れない。だったら、また明日も散歩に行かなければならないだろう。
ああと答えた長門に、少女は息せききって、
「明日は土曜日だから、ここに来るのは一時過ぎになるの」と、言った。
来て欲しいということだろうか。この俺に?
「クラディス次第だろう」
そう言いながらも長門は、来るつもりになっていた。
長門に向かって少女は手を振ると、付け加えるようにクラディスにもバイバイをした。
クラディスは優しい眼差しで、去っていく少女の後ろ姿を見送っている。
同じように少女が公園から消えるまで立ち尽くしていた長門を、クラディスは見上げた。まるで共謀者みたいな顔をしている。
なかなかやるじゃないの。
そう言われたようで長門は、
「うるさい」
と、ぶっきらぼうに言って、引き綱を引っ張った。
クラディスが小さく肩を上下させる。まるで、肩を竦めて溜め息を吐く人間のようだ。
長門は、リビングの時計をじっと睨み据えていた。
秒針と長針が十二で重なった瞬間、長門はクラディスに、行くぞと声をかける。
忠犬面して馳せ参じたクラディスの口には、いつもの如く散歩用の首輪と紐が銜えられていた。
なぜだろう。
仕事に向かう時でもついぞ感じたことのない、この高揚感は何だろう。
まるで酔っ払ったかのように、長門の足どりは軽かった。そんな自分が、自分でもおかしくてならない。
クラディスはそんな長門の気持ちを知ってか知らずか、クラディスは笑いを噛み殺したような表情をしていた。
長門が公園に着いて初めに気付いたのは、少女ではなかった。
確かに少女も、ベンチに腰掛けてはいた。
その前に、少女より幾つか年上に見える知らない少年が立っていた。学ランと言うことは、中学生だろうか。